第4話

 特別観察プログラムを行う施設はなんだか薄暗く不気味に感じた。


 ここで半年間泊まり込みで訓練を行うため、個人の部屋や食堂もあるとても充実した施設になっていた。

 こんな気分じゃなければすごくいいところなのにな……


 初日はオリエンテーションで、施設の説明やこれからの訓練の内訳の説明があったが、話半分で聞いてしまっていた。

 周りの子達もみんな無表情で、言葉を交わしてもぎこちなく、僕はそこに“昔の自分”を見ているような気がした。

 ここが牢獄なんじゃないかって錯覚してしまうほど窮屈な空気に支配されていた。


 翌日からの訓練は笑顔からだった。

 表情筋の動かし方といった身体を使ったものから、人はどういう時に喜びを感じるのか。といった座学、はたまた他者とのコミュニケーションといった対人スキルを体系的に学んでいくようだ。


 表情筋の訓練では、鏡の前で「喜び」の笑顔を練習する時間があった。

 僕の口角は上がってる──でも、目がついてこない。

 教官は、目尻が足りないと言っていたが、それはもう“笑顔”じゃなくて、“答え合わせ”だった。


 僕は誰の模範解答をなぞっているんだろう……

 笑っているのに、何も感じない。グラフは0.0のまま、ただの直線を描いていた。


 各々の席にあるモニターには、感情スコアのグラフ表示が画面に表示されており、少しの変化でもわかるようになっていた。

 笑顔の訓練だけではグラフの変動はないけれど、今後、カリキュラムが進むにつれてこのグラフに変化が現れてモチベーションを高めることができるだけでなく、他者とも比較できるようになっている。

 追い立てられているように見えてしまうのは、僕の心の余裕がないからか。効果が見え始めてくればこのグラフもいいものに見えてくるに違いない。


 初日が終わり、僕の表情筋はプルプルしていた。

 普段あまり使ってこなかった筋肉を酷使しすぎたせいか、顔が思うように動かない。

 そのまま疲れて寝てしまっていた。


 それから毎日、僕は笑顔を作る訓練を繰り返した。

 みんなは少しずつ上達していっていたが、僕のスコアだけが、ずっと0.0を示し続けていた。


 何日か過ぎ、クラスの中でも何人かは笑顔が見えるようになっていた。

 その子たちは、今までの無表情な人生を返上するかのように、大きな声で笑っていた。そして、僕らを見る目もだんだん学校で僕を見下していたあの目に近いものになっていった。


 一方で、ぎこちなく笑う子たちもいる。

 その子たちはまだ感情と表情が一体化しているようには見えなくて、まるで笑顔がずれた人形のようだった。

 中には、笑ったまま瞬きもせずにじっとしている子もいた。それが、どうにも怖かった。

 教官は、これが感情を出す第一歩っていってたけど、僕にはどうしてもそう思えなかった。


 僕が属しているのは第三のグループで、いまだ表情も変わらないグループだ。いわゆる落ちこぼれ。というんだろう。

 その中の一人、ひいらぎとは仲良くなってよく話すようになった。

 柊はよく喋るわけでもないけど、黙ってても気まずくならないタイプだった。

 柊と話してみると感情はあるように見えるけど、スコアは0.0のままだったから、お互いの状況が似ていて仲良くなったのだ。

 皮肉なもので、スコア0.0でも共感して仲良くなれるんだから不思議なものだ。

 柊はスコアも訓練もあまり気にしていないようで、まだまだ自分の現状が割り切れていないようだった。


「柊はこの訓練ってどう思う?」

 何かを求めていたわけではないけど、柊がこれまでの訓練から何を考えているのか知りたくなった。

「別に……こんな訓練で感情が発露するだって? バカバカしい。こんなものはね、感情スコアデバイスが望むような回答をする優等生を作ろうとしているだけさ」

「そうかもしれないね。僕もこの訓練で本当に大丈夫なのか不安になってるよ」

「……でもまあ、それで点が出るなら、俺たちが間違ってるんだろうさ」

 柊の回答は大人びていて、理解しきれなかったけど、ぎこちなく笑う子たちをみていたら、ああなってしまうのは嫌だなって思ってしまっていた。


 僕らの方をチラチラ見ていたグループの一人、美園みそのがニヤリと笑った。

「落ちこぼれどもが何か言っているぜ」


 美園は優秀なグループの一人だ。

 スコアもまずまず上がっているらしい。でも、僕は彼の笑顔は好きになれないなと思った。

 どうしてもクラスで僕を揶揄っていた人たちを想起してしまう。


 僕は彼になんて言い返そうかと考えていたが、何を言っても落ちこぼれの僕に言えることはないなと思っていたので、何も言わなかった。

 柊も美園の発言は全く意に介していない様だった。


「何も言い返せないってか。訓練を馬鹿にするなら、少しはスコアを上げてからにしたらどうだ。今のままだと負け犬の遠吠えだぜ」


 僕と柊は黙ったまま、その場を後にした。


 ◇◆◇


 3ヶ月経ち、徐々にカリキュラムが進んでいく。

 笑顔だけじゃなくて、怒り、悲しみといった感情のトレーニングも行われるようになった。


 怒りや悲しさはなかなか難しく、動画や音楽を使った訓練も取り入れられた。

 戦争映画や悲しい雰囲気の音楽なんかを聴いて、感情を刺激するのだそうだ。


 特に困ったのは、怒りの訓練で、理不尽さを体験するというものだった。

 作文を書く課題を出されて、それを徹底的にダメ出しされるのだ。

 何を書いても何度書いても徹底的にダメ出しされて、時には作文を破られたりする。


 なかにはそれで怒りの感情を出す子や悲しみの感情を出す子もいて一定成功しているんだろうけど、僕は心が折れそうになってしまった。

 それでもスコアには現れない。ただただ苦行を味合わされた一日だった。


 カリキュラムが進んでいくと徐々に感情スコアが上がってくる子も多くなっていた。

 当初は優秀グループ、中間グループ、落ちこぼれグループの割合が、2対3対5くらいだったのが、今や5対3対2と、我が落ちこぼれクラスはだんだん肩身が狭い思いをし始めていた。

 柊も落ちこぼれクラスのままだった。


 教官からの風当たりもだんだん強くなっていく。

「これだけやっても、君はスコアが一向に上がらないな。君と似たような子達だって、少しはスコアが上がっているんだぞ。君はやる気があるのかね」

 そう、柊ですら0.2くらいまでスコアが上がっているのだ。落ちこぼれグループには違いないが、ゼロとそうでないものの差は大きい。


「もちろんあります」

 心にもないことを口走った。

 やる気がないわけではないが、決してあるわけでもない。真面目にはやっているが、成果には結びつかない。そうだ、今度、柊にコツを聞いてみよう、と思った。


 翌日の訓練はペアで行う訓練だった。

 僕のペアは柊だ。ペア訓練は大体柊と行っている。

 お互いに楽しかったことや怖かったことなど、なんでもいいから過去に感じたことのあるエピソードをお互いに話し合う。というものだ。

 相手側は特に反応するでもなく聞くだけでいいのだけど、喋っている方は感情を鮮明に思い出せる、らしい。


「そういえば柊、スコアが上がったらしいけどどんな感情のスコアが上がったんだい?」

「ああ、それね。【嫌】だよ。本当は【嘘】の方が高いんだけど、どうやらそれは正式には採用されないらしい」

 なるほど。【嘘】は演技も混じるから感じているフリでもしていたんだろうな。


「そっか、とうとう僕だけが0.0のまま取り残されちゃったか……」

「俺もスコアは上がったが、なにもこの訓練を肯定しているわけじゃない。感情スコアデバイスが求める表情ってのがわかってきただけさ。こんなものはゲームみたいにコツがあるだけだから気にするなよ」

 柊はそういうとぎこちなく笑った。


 柊の言葉を聞きながら、僕は黙っていた。

 でも──その時、不意に湧きあがった感情があった。


「……でもね、柊。たとえスコアがゼロでも、僕は、僕の気持ちを信じたいんだ」


 柊が目を細めてこちらを見る。

「スコアに出ないなら、余計に伝えたい。無かったことにされたくないんだ。悔しいし、情けないし、でも……それでも、僕は感じてる。遙との日々も、君とのやり取りも、何もかも」


 言いながら、胸の奥が少しだけ熱くなっていた。

 初めて、自分の感情を、自分で認めた気がした。


「ところで、もうすぐここの卒業生が来るらしいぞ」

「何しに来るのかな? 僕たちを励ましに? それとも嘲笑いにでも来るのかな」

「そういってやるな。もちろん励ましの方だろうが、模範となる姿を見てハッパをかけようって腹づもりだろうさ」

 ここの卒業生か……前に見た美園みたいなのが来るのかな? それともクラスメートみたいなのかな?

 どちらにしてもあまりいい気はしない。

 ただ、卒業生のスコアがどれくらいになるのかは気になってしまっていた。

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