第3話

 暫くして、想の家に一通の封書が届いた。

 EAI適正検査結果通知書──


 ついにこの日が来てしまった。


「お兄ちゃん、結果が届いてるよ」


 最初に封筒を持ってきたのは、妹のつむぎだった。

 紬はとうとう結果が出たね。ニヒヒ。と笑いながら、僕がちょっと待って、と言う前に、もう封筒を開けていた。


 ある意味、良かったのかもしれない。

 多分、僕ではこの封筒を開けるのにすごく時間がかかっただろうから。

 紬の行動は僕の背中を後押ししてくれていたのだった。


 それでも──もう少しだけ、時間をくれよ。とは思ってしまったが。


「あ、結果書いてあるよ。なになに…………あちゃー」

 その言葉で全てを察してしまった僕は哀しいとも驚いているともいえない止まったような顔になっていたことだろう。きっと、またスコアは0.0だ。

 妹は結果の書かれた紙を僕に見せてくる。

 そこには、大きく『EAI非適性』と言う文字が書かれていた。


「残念だったね。でも、感情が表現できるようになるんでしょ?」

 紬はおそらく特別観察プログラムのことをよく知らないからそう言えるんだろう。実の兄がこれで笑える日が来ると無邪気に思っているに違いない。

 そんな紬を困らせてしまうのも違うので、僕は素直に、そうだね、これで僕もちゃんと笑えるようになるのかな。とだけ答えた。


 両親は適性検査当日も無表情な僕を見ていたので、こういう結果になることはわかっていたのだろう。だいぶ悲しんではいたが、思ったよりもすんなりと受け入れていた。


 結果通知の封筒には、特別観察プログラムの施設紹介みたいなものもついていたが、とてもじゃないけど見る気がしなかった。

 ただ、この半年間のプログラムは強制ではないものの、参加しないとEAI非適性者として確定してしまうこと。もし、プログラムで感情の発露があればEAI非適性者から外れる旨が書いてあることだけは理解できた。


「この結果は、遙にも伝えないといけないよなぁ……」

 一緒に特訓もしてくれたし、適性検査にもついてきてくれた。言わないという選択肢はなかった。

 しかし、なんと切り出していいのかわからなかった。


 ◇◆◇


 翌日、家を出ると遙が玄関前に立っていた。

「なんで……」

「一緒に学校に行こうと思って。それに、そろそろ適性検査の結果が来てる頃かなって思って」

 そう言って、僕の方に近づいて顔を覗き込んでにっこりと笑った。

「えっと……」

 僕が言い淀んでいると、遙が僕の手を掴んだ。

 遙の手はあたたかくて、ただそれだけで泣きたくなった。

「やっぱりダメだったよ……折角協力してもらったのにごめん……」

 遙に申し訳ない気持ちでいっぱいで、やるせなさが身体全体を覆った。

「ううん、想は頑張ったよ。ちゃんと感情も伝わってる」

「でも……特別観察プログラムに行かないといけないんだ」

「特別観察プログラムって例の感情を無理やり出すって噂のプログラムでしょ? 嫌よ、あそこに行って性格が変わってしまった子を何人か知ってるの。以前は表情はあんまり出ないけどおとなしい子だったのに、帰ってきてからはいつの間にか、いつもいるグループの子たちとソリが合わなくなって、全然違うグループの子たちと仲良くなってた」

 遙は涙を浮かべながら想に訴える。


「私は想に変わってほしくない。今の想のままでいて欲しいの……もし想が変わったら、私の知ってる想じゃなくなる気がして……怖いの」

 遙はそう言ったあと、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。


「……ほんとはね、私だけが置いていかれるんじゃないかって、不安だった。想が変わっちゃって、私だけが“前のまま”だったら、もう一緒に笑えなくなるんじゃないかって……」

 その声は少しだけ震えていた。

「遙……」


 学校に着くまで遙とはそれ以上言葉を交わすことはなかった。遙の気持ちもわかるけど、僕にはどうしようもなかった。


 学校に着くと、いつもの揶揄に加えて、僕が特別観察プログラムに行くことが決まったんだっていう噂が流れていた。

 流石に昨日の今日だから、みんな適当に言ってるんだろうけど、あたってるから何にも言えない……


 それに、みんなからの哀れみの視線が痛い……

【嫌:3.2】、【嫌:5.6】、【嫌:6.4】


 哀れみって【嫌】の感情に分類されるんだ。てっきり【哀】のほうかと思ってた。哀しみというよりも軽蔑に違いからなんだろうな。


「想、気にしちゃダメだよ。みんな好き勝手言ってるだけだから」

 僕は何も答えられなかった。


 ◇◆◇


 その日の晩、僕は部屋の中でひとり考えていた。


 僕は感情を表に出したいとは思うけど、無理やり表情を作ったり、性格が変わったりするのは嫌だ。

 でも、このままEAI非適性として生きていくのは耐えられないと思う。就職も制限されるだろう。いわゆる社会のお荷物として生きていかなければならないんだ。今の年齢からそんなに人生を諦めたくないよ……


 そもそも、なんで僕がこんなに苦しまなくちゃならないんだよ。

 僕にはちゃんと感情もある。ただうまく表情に出てこないだけなんだ。

 みんなと同じ普通の人なんだよ……

 誰か助けてよ……


 その時、机の上の封筒が視界に入った。

 紬が不格好に破った端から覗く“施設案内”の紙。


 受け取った時は見たくないと思ってたのに、気づけば、僕はその紙を取り出していた。

 パンフレットには『感情は訓練できる』という文言が大きく主張していた。

 背中を押すでも、否定するでもない、たったそれだけの言葉なのに、なぜか力強く感じてしまい、僕にできるって、言ってくれているような気がしていた。


 僕は気を取り直して、ゆっくりと深呼吸した。

「……行こう。せめて、諦める前に、できることは全部やってみたい」

 自分が、自分のままで生きるために。



 それからは早かった。

 両親が特別観察プログラムの手続きをしてくれて、数日後には迎えの車が来ることになっていた。

 流石は国の関連施設ということもあり、手続きは若干面倒だったようだが、迎えの車を寄越してくれる厚遇っぷりに驚いてしまった。


 迎えまでの数日、僕は最後の準備をしていた。


 そして迎えた、特別観察プログラムの施設へ向かう日──


 迎えの車は朝早くやって来た。

 僕は家族に挨拶してから車に乗り込んだ。紬は元気一杯に僕を見送ってくれたけど、両親はあっさりしていた。諦めとは違うんだろうけど、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 結局、遙かにはきちんと伝えきれていなかった……



「想。行っちゃうの?」

 そこにいるはずのない遙の声がした。

「遙……」

「想は特別観察プログラムに行っちゃうんだなって、ここ数日ずっと思ってた。でも、聞けなかった。聞いちゃったらそれが本当になるような気がして……」


 僕は、バカだ。

 思い悩んでいたのは僕だけじゃないのに。

 こんなに心配かけて……

 こんなに協力してくれて、心配してくれていたのに自分のことばかり考えて……


「ありがとう。何も言わなくても想の気持ちは伝わったよ。決めたんだね」

「遙、ごめん。うん、僕は行くよ」


 遙はもう何も言わなかった。

 笑顔の向こうに心配の表情をのぞかせながら──彼女の感情スコアは【恐:6.4】、【哀:3.0】を指していた。


 ……遙の気持ちが、数値でわかってしまうのが、今は少し、つらかった。

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