第2話

 検査日当日──


 とうとうこの日がやってきた。

 この一週間、放課後に遙と感情スコアを上げる訓練をたっぷりとした。

 遙が泣ける物語を読んでくれたり、一緒にお笑いの動画を見たり、罰ゲームでくすぐりの刑を受けたりとなんだかんだ楽しい一週間だった。

 肝心のスコアはというと、感情スコアデバイスには無表情にもゼロの文字が並んでいた。


 検査場まではバスで二駅。

 心配だから一緒に行くといって聞かない遙と待ち合わせをしてから行くことになっている。


「お待たせ」


 待ち合わせ場所に遙がやって来た。

 白いワンピースに、光が当たって透けて見える髪。

「感情を見せる練習」なんてしてたけど、遙の方がよっぽど人の気持ちを動かしてくると思う。


「いよいよ本番だね。昨日はよく眠れた?」

「ドキドキしてなかなか寝付けなかったよ。感情があるって、こういうことなんだと思いたいけど、感情スコアデバイスは僕を“無”としか見てくれないんだ」

 そう言うと、遙は励ましてくれる。

「そのドキドキが伝わるといいね!」


 ドキドキしているのは頑張った証拠だと思いながらも、両親の半ば諦めた姿を見てしまうとなんとも言えない気持ちが込み上げてくる。

 こんなに感情を感じているのに──と、全く変わらないスコアに目を向ける。


 ……でも、やることはやった。

 これでダメなら──それでも、僕は僕だ。


 ◇◆◇


 検査場では、15歳を迎える子供達で溢れかえっていた。多くは表情からでもわかるように緊張した面持ちをしていたが、中には僕と同じように無表情な子たちもいた。


 感情スコアデバイスなんてなくてもわかる。みんな、緊張している。でも、数は多くないけどあっちにもこっちにも、僕と同じような人がいる。

 ……視線の先、椅子に座ってじっと床を見つめる少年。

 彼のスコアも0.0だった。

 感情が見えない、ロボットのような無機質の表情──

 これがみんなが僕に持っている印象──

 そりゃ喋りかけたくもなくなるはずだよ。


 それでも。仲間……とまでは言わないけど、なんだか勇気付けられるな。

 たくさんいたらなんとかなるんじゃないかって思ってしまう。最悪、全員が検査に不合格になることもあるはずなのにね。


 建物に入って受付を済ませた僕は、検査後まで待っていてくれる遙にお礼を伝えてから、検査の列に並んだ。


「応援してるね」そう言って遙は微笑んだ。

 その目には言葉にできないほどの願いが込められていたのが感じられた。


 検査を待っている列では、先ほどよりも緊張感が高まってきた。まるで冷たい床のタイルが足の裏から体の体温を奪っていくようだった。


 前の子が検査室に入って行った。


 次は自分の番だ。

 この最後の待ち時間が永遠のように長く感じる。これで自分の運命が決まるのかと思うと足がガクガクしてくる。自分の中では【恐:9.9】だ。


 検査室に入ると、そこはディスプレイや計測機器が複数置かれた、無機質な部屋だった。

 ディスプレイにはおそらく感情スコアが表示されるであろうデジタルの表示部分があり、【喜】、【怒】、【哀】、【恐】、【驚】、【嫌】、【嘘】の項目に分かれていた。

 感情スコアはこの七つの項目で判定される。

【嘘】は感情じゃないと思うかもしれないけど、もともと感情測定が出始めた頃に、嘘発見器のように嘘も見抜けるとの触れ込みもあったため、その名残で残っているのだ。ただ、この検査室で【嘘】が残っている理由は、僕みたいに感情を表すことが苦手な人が無理やり表情を作って切り抜けようとするのを防ぐためでもあると思う。

 表示の下の部分には、グラフが出てくるようなアナログの表示部もあり感情の変化が見えるようになっていた。


「さて、透野想君でいいかな。これから検査を始めるけど、準備はいいかい?」

 検査の先生は少し緊張を和らげるかのような言い方をしてくれているんだなって思ったけど、僕にとってはそれどころじゃなかった。それどころか、この人が僕の運命を決めるのかと思うと、冷酷な人のようにも思えてくる。

 僕は、ただその言葉に頷くことしかできなかった。


「それでは始めよう。この検査はEAI感情適性検査といって、感情の発達状態を確認する検査だ。感情に応じてモニターに数値が表れるけど、数字の大きさはあまり気にしなくてもいい。それと、この検査で合格にならなくても安心して欲しい。そういう子達のために特別観察プログラムもあるからね」


 特別観察プログラムか。

 噂では無理やり感情を出させるため人が変わったようになってしまう人もいるのだとか……

 僕は、今の僕からそんなに変わりたいとは思ってないんだよね。陽キャのようにはしゃぐ僕の姿なんて想像もできないよ。


 先生は説明を続けた。

「まずは、これまで一番楽しかった時のことを思い浮かべて楽しい表情をしてみよう」

 そういって適性検査は始まった。


 一番楽しかった時か……

 これで検査されると思うとなかなか選びにくいな。

 何がいいんだろう……

 やっぱり頭に思い浮かんだのは、この一週間、遙と一緒に訓練したことかな。ああいう時間は貴重だなって本当に思う。そして、それに付き合ってくれる人がいるのもなんで幸せなことか。

 つい笑みが溢れてしまう。


「うーん、まだ考え中かな?」

 先生はそう言って僕の顔を覗き込む。


 おかしい。

 僕はもう楽しいことを思い浮かべてるんだけどな。

 いや、いつも通りか……


「いえ、思い浮かべています」


 僕はなんとか声を絞り出した。

 悔しくて、そして、一緒に特訓に付き合ってくれた遙に申し訳なくて、それでもなんとか声を出した。


「そうか……楽しさも人それぞれだからね、他にないかい?」


 悔しい。悔しい。悔しい。

 遙との楽しかった時間を否定された気分だ。

 それでもなんとかないかと記憶の中から楽しかった思い出を考え出した。


「……よし、次に行ってみようか。最近怒った記憶を思い出してごらん」


 最近怒ったことは今だよ!

 僕の思い出を否定されたことに僕はすごく腹を立てているんだ。本当は妹にプリンを食べられたことにしようと思っていたんだけど、それよりももっと大きい怒りがここにあったよ。


 僕が、あんなに必死に笑おうとして、遙が、あんなに真剣に僕を笑わせようとしてくれた、その全部が──

“なかったこと”になるなんて。


「これも反応なしか……」


 無情にも僕の怒りすら無かったことになっていた。


 ──検査は一通り終わった。

 僕はやるだけやったけど、モニターの数字はぴくりとも動かなかった。いや、ひょっとしたら反応があったのかもしれないが、僕が気が付かなかっただけかもしれない。


 でも、あの時──

 僕は、確かに楽しくて、悔しくて、悲しくて、怒ってた。


「検査は以上となります。結果は後日、通知書を送付します。次の方どうぞ」


 先生の言葉はそれだけだった。


 待合室に戻ると、遙が待っていた。

 遙は僕の姿を見つけるとにっこり笑って駆け寄ってくる。

 だが──僕の表情を見た遙は、少し気を使ったような表情になり、優しく声をかけた。

「検査は……どうだった?」

 僕が喋りづらそうにしていると遙は続けた。

「やるだけやったんだから、きっと大丈夫だよ! 私にはちゃんと想の気持ち伝わってるし!」

 遙の励ましの言葉で胸が熱くなる。

「でも……スコアは0.0から変わらなかった……あんなに一生懸命練習したのに。遙にもあんなに協力してもらったのに……」

 僕は言葉を詰まらせながら気持ちを伝えた。

「大丈夫だよ。私にはちゃんと伝わってるもん」

 そう言う遙の目には、ほんの少し涙が浮かんでいた。

 そんな遙に対して、僕は嬉しさと申し訳なさが混在していた。

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