封鎖区域の通行証
俺の趣味は廃墟探索だ。正確には“元・趣味”と言うべきかもしれない。
あの日のことがあってから、俺は一度も山に入っていない。
この話は、俺が最後に訪れた“封鎖区域”で拾ったもの──一枚の、奇妙な通行証についての記録だ。
その日は曇り空だった。ネットで見つけた「立入禁止になってる旧施設がある」と噂される山へ行ってみた。
地図には道が描かれていないが、かつて林業のために開かれたらしい。地元の年配者しか知らないようなルートだ。
現地に着くと、すでに道は雑草で覆われ、標識も錆びていた。
それでも俺は、カメラとランプを持って、足を踏み入れた。
30分ほど歩くと、道が明らかに人工的に整備されていた跡に変わった。
枯葉の下には、崩れたアスファルト。古びたガードレールの残骸が一部だけ顔を出している。
そして──崩れかけたコンクリートの壁に、赤いスプレーで「ここより先、戻れません」の文字。
何かの悪戯かとも思ったが、それにしては妙に筆跡がしっかりしていた。
そこを抜けた先、道の左右が切り立った崖のようになり、急に冷たい風が吹き抜けた。
視界の先には、まるで土に埋もれかけたような“構造物”が見えた。
入り口らしき部分はコンクリートのアーチ型。苔がびっしりと張りついているが、その形状から“トンネル”だと分かった。
周囲を調べるうちに、崩れかけた監視小屋のような建物を見つけた。
その中で、俺はそれを見つけた。古びた鉄製の箱の中にあった、一枚の通行証。
緑色のラミネートで、裏には「通行許可:1989年 管理局印」の文字。
所属部署も、個人名も、見慣れない形式で書かれていた。
触れた瞬間、ひどい耳鳴りがした。風が吹いていないのに、周囲の音が急に遠のいたような感覚。
一緒にいた友人が「おい、今なんか聞こえなかったか?」と言った。俺には何も聞こえなかった。
けれど、その通行証をポケットに入れてからというもの、ずっと何かが背後についてくるような錯覚が消えなかった。
俺たちはトンネルの入り口まで行ってみた。だが、そこには重い鉄板のようなもので封鎖されていた。
「開かないな」「そもそもこれ、道だったのか?」
周囲をライトで照らすと、壁の一部に“赤いスプレー”が見えた。
『地図にない 出口に注意』と書かれていた。
その後、怖くなって俺たちは引き返した。何も起きなかった。少なくとも、その時点では。
だが、帰宅してから数日間、妙なことが続いた。
通行証を引き出しに入れておいたのに、翌朝になると机の上に置かれていたり、
音もなく引き出しが開いていたり──。
あの日以来、夜にだけ“風のような音”が聞こえるようになった。
俺はあの通行証に書かれていた管理局名を調べた。だが、どこにも該当する組織は存在しなかった。
地元役場に聞いても、「そんなトンネルは開通していない」と言われた。
だけど、俺は確かにそこにいた。トンネルの前に立ち、風を感じ、あの“音”を聞いた。
それだけは確かだ。
俺はそれを今も持っている。燃やすことも、捨てることもできない。
誰かに見せようとすると、なぜかカメラで撮影できない。ピントが合わず、映像が真っ黒になる。
あの通行証は、何かを“通して”しまう鍵なんじゃないか──最近、そう思うようになった。
それから数日後、俺は奇妙な夢を何度も見た。
トンネルの奥に続く真っ暗な道。背後から誰かがついてくる足音。
夢の中ではいつも同じ場所で目が覚める。封鎖されたトンネルの前に立ち尽くし、ポケットに通行証を入れている。
そして、振り向くたびに誰かが立っている。顔は見えない。だが、じっとこちらを見ているのはわかった。
一緒に行った友人の様子もおかしくなっていた。無口になり、夜に電話をかけてくるようになった。
「誰かに見られてる気がする」「部屋のドアが開いてた」「寝てると、耳元で風の音がする」
彼も、あの通行証に触れていた。
俺たちは一度会って、通行証を一緒に確認しようとした。だが、彼のスマホでも撮影はできなかった。
画面が歪み、エラーが出て、画像が保存されなかった。
体調にも異変が出始めた。夜になると微熱が出る。食欲が落ちる。寝ている間に息苦しさで目が覚めることが何度もあった。
病院に行っても「異常なし」。でも俺の中では何かが明確に変わっていた。
それはまるで、“別の空気”を吸ってしまったかのような感覚だった。
ある晩、とうとう我慢できず通行証を破ろうとした。だがラミネートは頑丈で、ハサミでも刃が通らなかった。
火をつけても燃えず、灰にならない。代わりに、部屋中に焦げたゴムのような異臭が漂った。
その夜、夢の中で誰かが囁いた。「戻ってきて」
目覚めると、通行証が胸元の上に置かれていた。
覚悟を決めて、俺は図書館で古い土地台帳と国土地理院の記録を調べた。
1980年代、実際に“新設予定の国有道トンネル”が計画されていた形跡があった。だが、完成報告は存在しない。
『管理局印』と書かれた通行証と一致するような部署も、文書では「統廃合済み」とされていた。
まるで、証拠だけを残して消されたような記録だった。
今も通行証は俺の手元にある。封筒に入れて引き出しにしまっているが、時々、封が開いている。
もしかしたら、あれは通行“証”ではなく、通行“命令”だったのかもしれない。
誰かが、俺たちをそこへ導こうとしている。何度も、何度でも。
俺はもう、あの場所に戻ることはできない。いや、“戻ってしまいそう”で、近づくのが怖い。
今も夢の中では、あの崩れた道を歩いている。どこまでも続くトンネル。先に進めば、誰かが待っている気がしてならない。
でも、それが“人間”とは限らないという確信もある。
通行証は、ただの紙じゃない。何かを象徴している。何かに“同意”した証。
あれを拾ってから、俺は選ばれてしまったのかもしれない。
これを読んでいる誰かが、もし同じ場所に行くつもりなら──頼むからやめてくれ。
あの山は、あのトンネルは、今もそこにある。
そして、俺たちを待っている。新しい“通行者”を。
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