1-2.あだ花散って

第2話 紋章屋ホリィと黒百合

 辺境の町グリステン。国境からも海からも遠い、何の面白味もない麦畑の町……だったのだが、それは昔の話。


 20年前のことだ。すぐ近くに巨大なダンジョンが見つかっちまったせいで、この町はてんやわんやになっちまった。


 ――たった1週間で、金貨10枚分の財宝を見つけたやつもいるらしい。しかも雑魚しか出ない浅い階層で。


 そんな噂を聞きつけたセコい冒険者たちが、ベルトコンベヤで運ばれるヒヨコのように押し寄せてきたのだ。


 人が集まれば、そこにはさまざまな需要が生まれる。冒険者たちを追いかけてきた商人たちは次々と店を開いた。宿屋に飲食店、鍛冶屋、道具屋、もちろん居酒屋や――娼館もな。


 そして20年後。いまや繁華街の明かりは消えることなく、冒険者たちの笑い声や客引きたちの喧騒は朝まで続く。


 だが、光が強いほどに影もまた濃くなる。


 裏通りに踏み入れれば、そこは魔境。怪しげな居酒屋や娼館がせめぎ合い、割れた石畳には酔っ払いどもの吐しゃ物が染みついている。


 そんな混沌の一角にあるのが俺の店――潰れた娼館の1階を借りて営業中の『紋章工房ホリィ』だ。


 ――紋章って言っても、騎士さまの盾で吠える獅子や、魔術師の背中でたなびくマントの刺繍みたいなお上品なものじゃない。


 俺が紋章を刻むのは“人体”だ。腕や背中はもちろん、希望があれば白目にだって彫る。


 俺――ホリィ・シュートは彫り師だ。タトゥーというものが存在しないこの町……いや、この異世界で、たった一人のな。





 俺のタトゥー……つまりこの世界で『紋章』と呼ばれているこれは、つまるところはデザインで、“絵”に過ぎない。異世界だからって不思議な効果があったりはしないのだ。


 しかしありがたいことに、そんな絵でもぼちぼち人気がある。


 ――なんとなく、イケてる。ちょっと可愛いいかもしれない。


 そんな理由で小さいやつを彫らしてくれるのだ。


 ……といっても、そんなもんをありがたがるのは、チンピラみたいなショボい冒険者と、アバズレじみた低級の売春婦くらいのもんだが。



 だからその日も俺は、そういう貧乏人どもを相手に、しこしこと日銭を稼いでいた。


「いっ、痛いっす……! もうちょっと優しく……!」


 そう情けない悲鳴を上げたのは、薄緑の眼鏡をかけた猿顔だ。やつが首にかけたタグ――冒険者ギルドが発行した登録証は鉄製。つまりはD級で、こう見えて腕に覚えのあるベテランだったりする。


「冒険者だろが。ちったあ我慢しろ!」


 構わずニードル――つまりタトゥーを彫るための針の束を皮膚に突き入れ、インクを皮下に差し込んでいく。


「う、あっ、あっ、あっ」


 赤くなった目元からじわっと光るものが出てくる。男の涙ほど気色わるいものはねえ。俺はつい頭にきて、普段の1.5倍速でニードルを動かしてやった。


「――おらおら、おらおらおら!」


「はうっ! おうっ! あへぇ……!?」


 びくんびくんとエビぞりになる猿顔。しかし俺も嫌がらせでスピードアップしたわけじゃない。


 この世界には電動のタトゥーマシンなんて気の利いたものはない。全て手彫りだ。


 胡散臭いこの男――ジュールに彫っているタトゥーはほんのワンポイント程度のサイズだが、それでも電動の4倍……つまり1時間はかかる。


「よっしゃ……。できたぞ!」


 色入れを終えると、サービスで彫りたての上に回復薬ポーションをかけてやる。さすが異世界の魔法のアイテムだ。表皮の傷が一瞬で塞がって、しっかりと仕上がった。


「――最高っすよ! 兄貴は天才だ……!」


 眼鏡をかけた狼が中指で吼える姿を見て、ジュールは眼鏡の奥の目をきらきらと輝かせた。

 

「おう、当然だ。つーか、その兄貴ってのはやめろ。俺は本職ヤクザ屋さんじゃねぇんだよ」


「うっす! いくらっすか?」


「今回は銀貨1枚だ。さっさと払って出ていけ」


 1時間で銀貨1枚……つまり時給2500円だ。一日に3人ほど客が来れば、食っていくには困らない程度にはなる。


 俺がしっしっと追い払う仕草をすると、ジュールは心外そうに言う。


「つれないっすね。今夜、一緒に飲みに行かないっすか? いい店見つけたんすよ」


 その申し出はありがたいが――


「明日は“スペシャル”な客が来る予定なんだ。準備が必要でな」


 午後からダンジョンに行くつもりだから、パスだ。


 そう続けようとしたとき、店に誰かが入って来る。


 ――ちびたヒールに、胸を強調した安っぽいナイトドレス。その辺で立ちんぼをしている夜鷹低級娼婦のようだ。


 出るところが出てるくせにすらっとした女なのだが、ぎょっとするくらい前髪を長く伸ばしていた。


「スペシャルな客って……」


 あの女なんすか? と目線でたずねてくるジュール。


「いや……」


 今日の予約には貞子さんは入っていないはずだ。そう思いつつ女に会釈する。


「ここは紋章屋なんだが、何か用か?」


 女は夜鷹にしては丁寧すぎる所作で美しく礼をして、おずおずと切り出した。


「――病除けの紋章を入れてほしいのです」


 澄んだ声に思わず聞きほれそうになる。


「あ、ああ、五芒星のやつか……」


 五芒星うんちゃらは娼婦たちのあいだでひそかに人気の、俺のオリジナルの紋章だ。


 俺は懐中時計を見る。ダンジョンに行くのは午後からと『あいつ』には伝えてある。まだ2時間ほどあるから、小さな紋章なら間に合うだろう。


「いいぞ。銀貨1枚だ」


 ジュールが「お邪魔しやした」と頭を下げて店から出ていくと、俺は施術台に女を座らせる。


「んで、どこに入れる? おすすめは胸元か、腰の後ろあたりだ」


 そうたずねつつ、ローチェストの引き出しからインクやら薄め液やらを出す。


 しかし、準備が終わっても女からは返事がない。


「ん? どうすんだ?」


 そうたずねると、女は意を決したように長い髪をかき上げた。


 そこあるものを見た瞬間、俺の手から小瓶が滑り落ちた。中身をまき散らしながらからんからんと瓶が転がると、やっと声が出せるようになる。


「お前……それは……」


 夜鷹らしからぬ美しさに絶句したのではない。顔のいたるところに噴き出た赤い潰瘍に言葉を失ったのだ。

 

 ――『花膿病』か。冒険者がダンジョンから持ち帰ってしまった伝染病の一つで、皮膚のただれから始まり、やがて多臓器不全に陥る死に至る病だ。


 治療法のない性病として、娼婦たちのあいだで恐れられている病だった。

 

 その異形に目を逸らすこともできずにいると、女はおずおずと言った。


「――無理でしたら、遠慮なく断ってください」


「いや、かまわない。……それは接触くらいで感染りはしないからな」


 女が俺の顔を見る。オニキスを思わせる深い黒をたたえた瞳には、驚きの色が浮かんでいた。


「いいのですか……!?」


「ああ。ただ――」


 俺は女の瞳から目を反らして、そっけなく言う。


「藁にもすがりたい気持ちはわからんでもない。けどよ、もっとマシな金の使い道があるんじゃねぇか?」


「私は……どうしても死ぬわけにはいかないんです。神頼みだってわかってはいます。でも、それでも……」


 力強く顔を上げて、俺をしっかりと見つめる女。その顔にある花びらのような潰瘍は、もうすでに病が末期にまで進行している証拠だ。内臓という内蔵が炎症を起こして、じっとしていても苦痛でのたうち回るほどだと聞いたことがある。


「よく俺の店まで歩いてこれたもんだ。……ふん、黒百合みたいな女だな。不吉で、清楚で――美しい」


 女の表情があまりに凛としていたからだろうか。別に口説いたりするつもりはないのだが、ついそんなことを言ってしまった。


 女は意表を突かれたように何度かまばたきをすると、自分の胸にそっと手をあてて、柔らかくほほ笑んだ。


「――リリアンと申します。宜しくお願い致します」


「いい名前だ。俺はホリィ。――たまに『ホーリィ・シット』なんて呼ばれるがな」


 俺は堀居修斗ほりい しゅうとという本名をもじってホリィ・シュートを名乗っていた。


 まぁ、今では『聖なるクソ野郎』ホーリィシットという不名誉なあだ名のほうが有名になっちまったけどな。


 よし、彫るか。そう思ったとき、はたと気づく。


 げっ、最後の薄め液だってのに……!


 さっき落とした小瓶を拾い上げてみるが、すっかりこぼれてしまって空っぽだ。


「――わりぃ、リリアン。残念だが材料切れだ。薄め液がなくなっちまった」


 薄め液はインクを薄めて、ちょうどいい発色にするための液体だ。それがなければ紋章は彫れない。


 リリアンは少し考えるようにしてから、下げていた小さなバッグから見慣れた小瓶を出した。ほんのりと青いその液体は、そのへんの店でよく見かける毒消し薬だ。


 花膿病のような病には無力だが、殺菌効果があるため娼婦たちのお守りとしても人気らしい。


「これで代用できないでしょうか。体に入れても無害で、殺菌効果もあると思います」


「……ためしてみるか」


 少し垂らしてみると、おもったよりスムーズにインクと馴染む。普段使っている薄め液より粘性があるものの、普通に使えそうだ。


「なんとかなりそうだな。――色はどうする?」


 リリアンは華奢な指を顎先にあてて、小首をかしげる。間近でその仕草を見た俺は、思わずつばを飲み込んでしまった。


 こいつ――とんでもねぇ美人だな。高級娼婦でも、ここまでの上玉はそういないだろう。まだ二十歳を過ぎたくらいなのに、なんで夜鷹なんかを……?


「――お任せしてもいいですか?」


「あ、ああ。じゃあ……黒にするか」


 黒色の五芒星はおどろおどろしいようにも思えたが、リリアンの白磁のような肌にはよく映えるはずだ。


「場所はどこにする?」


 少し考えてから答えるリリアン。


「……見えるところでお願いします」


 と、言われても、その体は赤い花びらに覆われてしまっている。まともに紋章を入れられるところはほとんどなかった。


「じゃあ胸元だな。乳房のたもとあたりだ」


「わかりました」


 するっとドレスを脱いで、ためらいのない動作でインナーも外してしまう。思ったよりもずっと大きなふくらみが弾むと――俺はつい目を反らしてしまった。


 クソ、中学生じゃあるまいに。


「わかった。じゃあそこの施術台に寝てくれ」


 こうして俺はリリアンに紋章を彫ることになったのだが、これが俺の紋章に秘められた『力』に気づくきっかけになるとは、知る由もなく……。

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