第3話 ダンジョンにて、街道を行く風

 ――『湖底大虎穴』。それが20年前に、湖の底から姿を現したダンジョンの名前だ。


 その深さは判明しているだけで9層もあり、1層降りるごとに3倍の広さになるという冗談のようなスケールのダンジョンなのだが――


 なんとも便利なことに、この町……グリステンの南門から1.3kmという大変お手頃な場所にあったりする。


 そんななんとも便利なダンジョンだから、数多の冒険者たちの手垢にまみれて、浅い層には財宝らしい財宝は一切残っていない。


 それでもそこに生息するモンスターから獲れる素材や、植物、鉱物資源などは人々の暮らしに欠かせないものであり――いまもダンジョンの浅い層は多くの冒険者たちでにぎわっている。


 そして、かく言う俺もその一人だ。ダンジョンの中でしか採取できない植物やモンスターからは、紋章の染料として有用なものが数多く採れる。


 明日のスペシャルなお客様のために、俺もダンジョンで材料集めをしないとならないのだが――


 リリアンを見送った俺は、懐中時計を見て青ざめた。


 ――やべぇ、もうこんな時間かよ……!?


 すでに針は12時を指そうとしていて、『あいつ』との約束の時刻までの30分もない。


 階段をドタバタと昇った俺は、元は娼婦の個室だった寝室で手早く着替える。革のエプロンを脱いでブーツを履き、銀貨1枚で買ったぼろっちい革の胸当てを装備する。


 おまけで貰った錆び錆びの短剣を腰の後ろに差せば――いっちょ上がりだ。


 さて、玄関のドアにかけた看板を『営業中』から『閉店中』に裏返せば準備は完了。いざダンジョンへ――と行きたいところだが、ダンジョンへの入場は許可制となっている。


 ギルドに行って依頼を受けるか、手続きをしなければならない。そこで俺はギルドに向かったのだが――


 俺が向かったのは、入った途端にガラの悪い男たちがガンを飛ばしてくるような冒険者ギルド……ではなく、商工ギルドだった。


 ……まぁ、俺ってカテゴリ的には職人だしな。


 十字を切るように町を切り裂く大交差点に、でんと鎮座する建物。無骨で実用的な冒険者ギルドや、歴史と威厳を重んる魔術師ギルドとは違って、きらきらと飾り立てた3階建てが商工ギルドだ。


 壁は磨かれた大理石で、欄干には金箔の細工か。……へっ、俺の店よりよっぽど娼館っぽいな。


 無駄に金のかかったアラバスターの柱を通り過ぎて、観音開きの豪勢な門をくぐり、ふかふかとした絨毯を踏んだときだった。


「――ホリィ! 遅いじゃない!」


 奥にいた商人たちも思わず振り向くような――腹の底から出たような元気な声だった。


「よぉ……。5分くらい許せよ」


 俺より頭ひとつは背が低い女がすたすたと歩いてくる。少し内巻きになったボブカットも、零れ落ちそうなくらい大きな瞳も、しっとりとした深い焦げ茶だ。


「ほんと、いい加減なんだから!」


 そうふくれっ面をするチビの名前はマルー。マルグリットという本名がちゃんとあるのだが、その名前で呼ぶやつは見たことがない。


 俺が間借りしている娼館の、オーナーの一人娘でもあるのだが……娼館で育ったくせに真っすぐで、びっくりするくらい“善い”やつだ。 


「悪かったって。頼むよ、『お前だけが頼りなんだ』」


 だから俺がこうやって手を合わせると、すぐにまんざらでもなさそうに口角を上げる。


「――いいよ、許してあげる。それで、今日はどこまで行くの?」


 相変わらずチョロいやつだなと思いながら俺は答える。


「第1層の東南のエリアだ。川沿いに『闇払いの花』の群生地があっただろ」


「中州にあるお花畑だね。往復4時間ってところかな……」


「だな。モンスターの相手は頼んだぞ」


 マルーはとてもそうは見えないが――バキバキの武闘派だ。いまは亡き爺さんから武術を教わり、そこいらの冒険者やモンスターじゃ土すら付けれないくらいには強い。


「うん! 任せといて!」


 そう言って元気いっぱいに早足で書類の並んだ棚に向かうマルーだが、肝心の申請書が切れているようだ。


 珍しいなと思ってギルドの中を見渡すと、職員たちの動きがいつもよりせわしない。


「あ! あそこに予備がある!」


 棚の上にある書類を取ろうとして、「う~んっ!」と背伸びをするが、ぜんぜん届いちゃいない。


「これか?」


 笑いをこらえながら手を伸ばしたときだった。


「――そ、それは困りますよ! 冒険者ギルドは……その、事情があって借りを作りたくないというか……!」


 そう声を荒げたのは、俺と同年代くらいの男だ。仕立てのよい革靴に、密に編まれた麻のベスト。スラックスもウールで、頭には商人らしいフェルト帽。


 ――やり手の若旦那って感じだが……。

 

 見覚えがあるなと思っていたら、マルーがぽつりとつぶやいた。


「ティボーさんだ。……どうしたんだろ?」


 その名を聞いたとたん、くすんだ記憶に色が戻る。


 爺さんがまだ生きてた頃、花迷宮に顔を出していた薬屋の若旦那だ。


「あの温和な兄ちゃんがあの剣幕か。こりゃ面倒事だな」


 首を突っ込むなよ――と釘を刺そうとしたが、もう遅い。 小さなパンプスでたったか走って、すでにティボーに話かけていた。


「ティボーさん! 顔色が良くないけど、どうしたの?」


 ああもう……! お人よしにもほどがある。


 俺はため息をつきながら茶色のボブカットを追いかけて、ティボーに軽く会釈した。


「……よお。元気か?」


「ホリィさんまで……! いやはや、恥ずかしいところをお見せしました……!」


 たはは、と笑うティボー。マルーの言う通り、その顔には疲労の色が濃く浮かんでいた。


「んで、どうしたんだ? 冒険者ギルドが云々って聞こえたけどよ」


「それが……ダンジョンの1層の辺鄙な場所で、荷車が立ち往生してしまいましてね。一人では如何ともしがたいので、ギルドに応援を求めたのですが……」


 商工ギルドの仕事は融資や保険だけじゃない。こういったトラブルにもきっちり対応してくれるはずだが……。


 ティボーは失望したように首を振って続けた。


「人がいないという理由で断られてしまいまして」


 納得したようにうなずいたのはマルーだ。


「そっか。これから『金穂祭』だもんね。商工ギルドと契約している冒険者たちはみんな町の外か……」


 なるほど、職員たちが忙しそうだと思ったのはそれが原因か。


 これからこの町ではデカい祭りがある。その準備のために商工ギルドの面々は出払ってしまっているのだ。


 ティボーはマルーの言葉に神妙な顔でうなずいて言った。


「ええ……。なので冒険者ギルドに依頼を出せと言われてしまいました」


 ティボーがため息をつくと、カウンターの奥で受付嬢が申し訳なさそうに会釈する。俺はその美人さんに、にこりと笑いかけて、ティボーの背中を軽く叩いた。


「別にそれでいいじゃねぇか」


 ところがティボーは大いに狼狽えた。


「冒険者なんてたいていが荒くれ者どもですよ! アレを見たら……ああ、いえ、つまり……その、あまり触られたくない物品でして」


 思わず苦笑する俺。俺の店にくる冒険者どもの顔を思い浮かべれば、ティボーの言い分もわからなくもない。


 ――しかし、だ。……なんともマルーが好きそうなシチュエーションだなぁ。ええ?


 なんて思っていたら案の定だ。子犬のようなうるうるとした目で俺を見上げてくる。


「――ホリィ。……だめ、かな?」


 勇ましいちびのマルー、ダンジョンに行くってわけか。トースターは宇宙に行ったが、こっちはダンジョン、と。


 ……ほんと、ブレねぇよな、こいつ。


「マルーさんがですか……!? た、たしかに力自慢のお嬢さんが来てくれるなら助かりますが……」


 と、もにょりつつもティボーもうなずく。


 ため息をひとつついた俺は、足元から帽子の先まで若旦那を値踏みする。手首や指には、金のアクセがきらりと光っていた。しばらく見ないうちに、ずいぶんと羽振りが良くなったようだ。


「仕方ねぇな。――積み荷の評価額の10パーをよこせ。それが条件だ」





 ダンジョンの入り口である『転移の門』をくぐった俺たち3人は、順調に“街道”を進んでいた。


 ――外界と2層をつなぐ街道だけあって、すげぇ人だな……。


 ダンジョンに入ったのは久しぶりだが、その盛況はあいかわらずだ。


 この1層――通称、『迷の森』は世界でもっとも難易度が低いと言われているエリアだ。


 出てくるモンスターもそのへんの小動物にちょいと角を生やしたようなやつらばかりで、トラップもせいぜいが尻もちをつくくらいと実に優しい。


 緊張感なくピクニック気分で歩いていると、俺たちの前を歩いていた冒険者パーティが急に走りだした。


 すわモンスターの襲撃かと俺は身構えるが、森からひょっこり出てきたやつらは――なんというか、ショボい。


 ……えっと……リンゴくらいの大きさくらいの、ミツバチっぽい可愛いやつ? が数匹と、くりっとしたお目々が可愛いスライム的な? やつが1匹だ。


「――雑魚だ! やれやれ!」


 などと勇んで飛び掛かった冒険者パーティが、4人がかりで滅多打ちにしてしまう。


 ……素人の女子供でもなんとかなっちまう程度なのだから、小銭稼ぎの冒険者たちでにぎわうのも当然か。


「まったくこれだから冒険者は……」


 そう肩をすくめるティボーにたずねてみる。


「なぁ、この迷わずの森にはやべぇやつは居ねぇのか?」


 街道の隣をせわしなく往復する手押しトロッコを眺めながら、ティボーが答えた。


「2層への入口近くに行くといますね。ゴブリンとか」


 俺も戦ったことがあるザ・雑魚だ。タイマンならなんとでもなる相手だが――たしかにあいつのナイフで刺されたら死ぬこともあり得る。


「でも、そんなもんだよな」


 つまんねぇ。そう心のなかでつぶやいたとき、ティボーがきらりと目を光らせた。


「――ホリィさんはこの辺りにたまに出没する『縁起物』をご存じですか?」


「なんだそりゃ。幸運のウサギか、メタルなスライムでも出るのかよ?」


 俺の軽口に苦笑しつつティボーが補足する。


「レアモンスターと呼ばれているあれです」


「ああ、1年に1回しか湧かないやつだろ。それぞれのエリアに1匹いるっていう……」


 といってもこの第1層はひとつだけのエリアで出来ているから、レアモンスターも1匹だけだが。


「そうです。この辺りに出没するレアモンスターは、第3層のモンスターなみの強さだそうですよ」


「っていうとDかC級か……!」


 マルーでも苦戦する強さだ。思わずあたりを見渡す俺に、ティボーがくすりと笑う。


「ですが、そのモンスターは何もしなければ襲ってこないんですよ。やはり第1層ってことですね」


 ……やっぱりつまんねぇ。


 まぁ、それくらいのモンスターしかいないってのに、荷物を回収するだけで報酬を貰えるならおいしい話だ。


 そうこうしているあいだに街道から逸れた俺たちは、森の中へと足を踏み入れていた。


 迷わずの森と言うだけあって森の小道は見事な碁盤目状だ。それだけでも迷いにくいってのに、偉大な先行者たちによってあちこちに看板が立てられ、やれあっちに薬草が取れる場所があるだの、やれあっちは出口の方向だのと親切極まりない。


 しかし――それでも街道から離れていくと、次第に人影は少なくなり、不穏な雰囲気がだんだんと出てくる。


「もうすぐですよ。そろそろ川が見えてくるはずです」


 ティボーの言うとおり、すぐに眼下に大きな川が広がった。ただ、ほとんど枯れてしまっているそれを川と呼んでいいのかは微妙だが。


 ふと、その景色に見覚えがある気がしてティボーにたずねる。


「もしかして荷車がある場所って――『闇払いの花』の群生地か?」


 ティボーは目を丸くしてうなずく。


「よくわかりましたね……! ちょうどそのあたりです。川底のぬかるみに車輪がはまってしまったのですよ」


 ってことは……。


「もしかして、荷車の中身って……?」


 いたずらっぽく笑うティボー。


「たはは……バレてしまいましたか。そうです、『闇払いの花』です」


 香料にしたり薬の材料にしたりと需要はあるものの、めずらしい植物ではない。荷車に山ほど積んで、金貨1枚2万5千円ってとこだろう。


「俺たちの取り分はその1割だから……銀貨1枚にしかならねーじゃねぇか!」


 げんなりとしてしまう。しかし、ちょうど染料として必要だったから、どちらにせよここには来ていたはずだ。一石二鳥と喜ぶべきか……。


「――ん?」


 ふと、視界の端で何かが動いたような気配があった。


 反射的に薄暗い森のなかを覗き込むと――人型のシルエットが大木の幹に張りついている。


 しかし、影だけだ。影の大きさからすると、その持ち主はすぐそばにいないとおかしいのだが、どこにもその姿がない――。


 何か見てはいけないもの目撃した気がして、背筋がぶるっと震えた。


「こ、この辺にはゴーストやレイスみたいな、実体のないアンデッドもいるのか……?」


 そう尋ねると、マルーは紫色のぶどうみたいな果実をもぐもぐとしながら、能天気な声で答えた。


「どうだろ? この辺にはいないんじゃないかな。どうかしたの?」


「いや、それが――」


 視線を戻したときには、すでに影は跡形もなく消えていた。ただの見間違えだったのかと首をかしげたとき、マルーが川の奥を見ながら言う。


「いまは乾季になったばかりなんだね」


 俺は薄気味悪さをごまかすようにうなずいた。


「ダンジョンのなかだってのに、季節まであるんだな」


 俺たちの頭上には、ダンジョンの中とは思えない突き抜けるような青空が広がっている。


 ――ダンジョンって言われるどうしても地下を想像してしまうが、ここはそんな分かりやすいものではない。マルーの婆さんの言うには、ここは“世界から切り離された次元の切れ端”らしいが。


 そんな考え事をしていたのが良くなかったのだろう。


 ここはどんなに易しくともダンジョンだ。俺たちを虎視眈々と狙うモンスターはいくらでもいる。


 気づいたときには、森からしなるようにして何かが飛び掛かってきていた。緑の蔓のような――植物のモンスター!?


「――うぉっ!?」


 とっさに避けようしたが、近すぎる。顔に絡みつかれるかに思えた、その瞬間――


「ほいっ、と」


 小さな手がむんずとそれを握りしめる。


「ぼーっとしちゃって。気を付けてよ、ホリィ!」


 口先を尖らせたマルーは、人参でも収穫するようにあっさりとモンスターを引っこ抜いてしまう。


「うわ……こいつ、こうやって見るとなんか……気色わるいな」


 じたばたとのたくるそいつを「ぶちゅっ!」と握り潰すと、マルーはいい笑顔で言った。


 「これもよく熟れてる……!」


 などと言いつつ、マルーはその幹のあちこちに実っている紫の果実をもぎ取ってしまう。


「うん? ホリィも食べる? おいしいよ!」


「いえ、私は遠慮しておきます」


 俺が丁重にお断りしたときだ。小走りに前に出たティボーが、枯れた川の真ん中を指差した。


「あそこです……!」


 そこはちょっとした運動場ほどの大きさの中州だった。堆積した黒土の上に見覚えのある白い花が群生していて、ちょっとした佳景を作り出している。


「あの端っこにあるやつだな」


 問題の荷車は、その花畑の端っこで立ち往生していた。ぬかるみに後輪を取られてしまって、ちょっとやそっとじゃ抜けそうにない。


「ふんっぬ……! て、やっぱ無理か」


 30越えのオッサンにはどうしようもない重さだ。ここはやはり怪力娘に任せるべきだろう。


 そう思ったのだが、肝心のマルーがいない。またぶどうモドキでも食ってるのかと思いきや、花畑の中で『闇払いの花』を乙女のように摘んでいる。


「――おい、マルー! なにやってんだ」


「ご、ごめん、つい……!」


 エプロンのでかいポケットに花を挿して、小走りで戻ろうとした――その瞬間だった。


 俺とマルーのあいだにあった岩が――ぶるりと震えたかと思えば、ぐわっと持ち上がる。そして丸太のような足を延ばして、「ずしん」と大地を踏みしめる。

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