異世界娼館の支配人〜堕ちた女と成り上がる〜

十文子

1.花に嵐

第1話 こんなに月が綺麗な夜だから

 ――ようこそ『花迷宮』へ。


 この店は中級店だが、高級娼館にも劣らない“極上”をあんたに提供することを約束する。


 花迷宮が取り扱うはよりどりみどりだ。思わず二度見、いや三度見するような美人はもちろん、人懐っこい天真爛漫な娘に、ちょいと知的なツンデレまで揃っている。


 え? 「それならさぞ高いんじゃないか」って?


 安心していい。その辺の中級店にちょろっと菓子代をつけたくらいの良心価格だ。


 ――あそこにいる女が見えるか? 黒いドレスを着た、すまし顔の女だ。……たった銀貨6枚だ。それだけで、あんたはあの子を好きにできる。


 お、目の色が変わったな。でもあんたは実に冷静だ、まだ俺を疑ってる。その慎重さに敬意を払って、花迷宮の秘密を教えてやるよ。


 まぁ……正直、こんな価格設定でやっていけるはずはねぇよな。だから大きな声じゃ言えないが、いろいろと副業をしてる。が、それは企業秘密ってやつだ。なじみになったら教えてやるよ。


 ――よしきた! いい選択をしたな。


「おーい、一名さまご入店だ」


 小金を持ってそうな冒険者が奥に入っていくと、俺はこっそりと店を抜け出した。サボりじゃない、休憩時間を自由に決めていいのは支配人の数少ない特権だ。


 月末業務に苦しんでいるだろう部下に黙とうを捧げつつ、俺はエールの瓶を片手に店先を流れるドブ川のほとりに腰をおろす。


 ――疲れた体に風が沁みやがる……。すっかり秋だな。


 凪いだ水面には今日も青と赤の月が落ちている。異世界なんだなと今更ながらにしみじみとしていると、その侘びさびをぶち壊すような声が辺りに響いた。


「――お゛ッ♡ はげしっ♡ こわれ、あ゛ぅ♡」


 俺はうんざりとした気持ちで背後の洋館――花迷宮を振り返る。2階に並んだ、四角く切り取られた薄明り。娼婦たちが“仕事場”にしている個室の窓なのだが……そのひとつが、獣じみたうめき声でカタカタと震えていた。


「こわれ゛ちゃ♡ あ゛ッ、お゛ッ、いぐ♡ あ゛〜〜〜〜〜〜ッ♡」


 ――このアホみたいな声はルゥルゥか。あいつは獣人だからか、やたらに声がデカいんだよな……。


 獣の嬌声をBGMにして、ゲロ臭い川に仲良くひたったお月さまをつまみにすれば、いつものエールだって一味違う。


 まったく風流すぎて涙が出る。そうあくびをかみ殺した直後だった。


「うちに来てくれるなら金貨10枚――いや15枚出すよ!? どう!?」


 やたらに威勢と景気のいい声に見やれば、商人風の身なりをした小太りの男がしつこく女に声をかけている。


「体験入店ってことでいいから! もちろんいまの娼館も辞めなくていい!」


「――私、急いでるから」


 そうぴしゃりと言い返したのは俺の良く知る顔だ。その泣きぼくろは見間違えるはずもない。


 あいつは2カ月ほど前から花迷宮うちで働き始めたブランシュだ。クールそうに見えて情に厚いところが客にウケて、そこそこの売り上げをたたき出している期待の新人だったりする。


 冷たくあしらわれたというのに、小太りの男はしつこくブランシュに食い下がる。


「そうつれないこと言わないで……! 雰囲気を見に来るだけでもいからさ! ねっ!?」


 なるほど、どうやらやつは俺の可愛い『花』を引き抜こうって魂胆らしい。


 お灸をすえてやろうかと思ったが……まぁいいか。ブランシュが首を縦に振るとは思えないしな。あいつは俺に大きな借りがあるのだから。


 俺が浮きかけた尻を下ろすと、ふたりの数歩後ろに控えていた陰鬱そうな男が、ブランシュの進路をふさぐように立った。街灯をぎらりとはじく首元のタグは鉄製――D級の冒険者だ。


「お前さぁ、分かってる? そういう態度だとさ、俺たちも優しくできなくなってくるわけ」


 ――うぜぇ話し方をする男だ。イラつきながらも推移を見守っていると、小太りが「まぁまぁ」と割って入る。


「ごめんね、こいつ、ちょっと気が短いところがあってね。……でも悪い話じゃないと思うんだけどな」


 そう優し気に言いつつも、冒険者と示し合わせたかのようにブランシュの退路を塞ぐ。


 ……なるほどな? 威圧的な冒険者と、柔和な小太りで交互に揺さぶって屈服させようって魂胆か。――ふん、サツ刑事のやり方と同じだな……。


 おそらくあの男たちは冒険者くずれの女衒。つまりは娼婦のスカウトでメシを食ってるヤクザなやつらだ。


 しかし気の強いブランシュだ。それでもばさりと斬り捨てる。


「邪魔。どいて」


 さすがだなと俺がほくそ笑んだとき、D級の冒険者がブランシュの腕を強引に掴んだ。


「待てよ。1日でいいって言ってんだろ……!」


「痛い……! 離して……!」


 ブランシュの顔に苦痛の色が浮かんだ瞬間、俺の首筋にちりちりとしたものが駆け上がった。たまらず駆け寄って、男の肩を掴む。


「――おい……何してんだ」


 本気でドスを利かせたつもりだったのだが、さすがD級の冒険者だ。ひるむことなく、俺の頭のてっぺんからつま先までを視線でなぞった。


「なに、お前。カッコつけたくなる気持ちはわかるけどさ、相手を間違えてね?」


「いい自己紹介を聞かせてもらったお礼に、ひとつだけアドバイスだ。イキる相手を間違えんなよ。――死にたくなければな」


 俺が皮肉たっぷりに返すと、男のこめかみに青筋が浮く。


 そんな一触即発の空気を変えたのは、俺の背中に隠れていたブランシュだった。


「ホリィ……。大丈夫?」


 俺の名をブランシュが口にすると、小太りが顔色を変えた。


「ホリィ……? まさか、『聖なるクソ野郎』ホーリィ・シットかい……!?」


 俺は盛大な舌打ちで答える。


「そのあだ名で呼ぶな……。俺にはホリィ・シュートという名前がちゃんとある」


 俺の左腕を見た小太りは、ごくりと唾を飲みこんだ。


「その『魚の紋章』……。本当に本物かい、まいったな……」


 勝算がないと悟ったようだ。小太りはツレのD級冒険者の背中をぽんと叩いて言った。


「次を探そう。なぁに、女はいくらでもいるんだ」


 意外と道理をわきまえたやつだなと俺は感心したが、冒険者くんの方はそうもいかないようだ。


「『ホーリィ・シット』? なんだよそのふざけた名前は……」


 じりっと前に出て、息がかかるような距離でガンを飛ばしてくる男。


「あ、おい馬鹿っ……やめろって……!?」


 小太りが止めようとするが手遅れだ。俺は大事な花ブランシュにアザを入れやがったこいつを許せそうにない。


「『ゴブリンの腰布』に似てるって言われたことがないか?」


「……あ?」


 俺はくくっと笑って続けた。


「――それくらい臭いんだよ、口が。娼婦に嫌われる客ナンバー1だな」


 次の瞬間――男の拳が俺の腹にクリーンヒットした。さすが腐ってもD級……! ずしんと来やがる……!


 飲んだばかりのエールが口からごぼりと出て、なんとも酸っぱい。しかしこれで大義名分が出来た。手を出したのは相手が先だ、十分に暴れられるというもの……!


「いいの……持ってるじゃねぇか!?」


 不意打ち気味のボディブローを放つ。だが、俺はしょせんは缶コーヒー片手にスマホをいじる世界から来た、なまっちょろい半グレ。この過酷な異世界で冒険者なんてやってるガチ勢に敵うわけもなく――


「はぁ……? なにそれ」


 ひょいと避けられて、俺の3倍は威力がありそうなジャブが3発ほど飛んでくる。9倍だからタコ殴りもいいところだ。脳みそが揺れに揺れて、頭の中が白くなってしまうが――


 そこは『死ななきゃ致命傷』の俺だ。


「へへ……痛ぇ。でも――ただの擦り傷だな」


 折れた鼻を手で押さえて「ごきん」と戻すと、ぴたりと鼻血が止まる。その光景に、冒険者が眉を潜めたときだった。


「――やぁホリィ。今日も元気そうで安心したよ。怪我の治療は必要なさそうだね?」


 いつのまにか、俺たちのあいだに純白のローブをまとった優男が立っている。くるんとした癖のある金髪に、青い瞳。そして頬に散った、砂子のようなそばかす。


 どこぞのお坊ちゃんにしか見えないその男の名を、D級冒険者は唖然とした顔でつぶやいた。


「は、『破邪のルシアン』……!?」


 彼の顔と名を知らぬものなどいやしない。この町にひとりしかいないS級冒険者だ。


 ルシアンは特に興味もなさそうにちらっとD級冒険者を見ると、面白そうに首をかしげてみせた。


「アレはどうするんだい、ホリィ」


 俺は少し考えてから、気安く肩をすくめて見せた。


「べつにどうもしないさ」


「ふぅん……?」


 ――青い瞳が剣呑な光を放つと、こそこそとその場を離れようとしていたD級冒険者が「ひっ」と体をすくませる。たぶん酷く嫌な予感がしたのだろう。


 そしてその直感は正しい。


「その服は……綿かな……?」


 ルシアンがちょいと手を持ち上げると、D級冒険者の着ていたコートから新芽がぴょこんと飛び出す。そしてみるまにぱかっと実って、冒険者を白いモコモコにしてしまった。


「な、なんだよコレ……!?」


 羊の着ぐるみを着たような姿になった冒険者は、まともに歩くこともできずにごろんと転がる。


「は、はは……では失礼します……!」


 引きつった顔で会釈した小太りは、冒険者を玉転がしのように押して、あちこちにぶつかりながらも夜の裏路地へと消えていった……。


 固唾を呑んでその光景をみていたブランシュが、ぽつりとつぶやく。


「いまのが『死んだものを蘇らせる魔法』……!」


 ブランシュはその魔法の神がかりな強大さに畏怖を覚えたようだが、当人のルシアンは涼しい顔で俺にたずねてきた。


「店の方は上手くいっているのかい?」


 俺は月明りに浮かび上がった花迷宮を見上げながら答える。


「ああ、おかげさまでな。……どうだ、たまには一杯飲んでいくか? お前の好きそうな酒があったから買っておいたぞ」


「それは嬉しいね。じゃあそうしようかな……」


 にこりとルシアンが笑うと、となりのブランシュが上気した顔でごくりと唾をのんだ。


 ――そういえばこいつ、ルシアンみたいな柔そうな男が好みだったな。


「なぁルシアン。新人のいい女がいるんだが、相手してやってくれないか。もちろん俺のおごりだ」


 ルシアンは目をしばたかせると、眉をくいっと持ち上げて首を振った。


「忘れたのか、ホリィ。そういう冗談はよしてくれ。――僕は童貞なんだ」


 やれやれと俺は笑って、女も抱かないのに娼館に入っていくルシアンを追いつつ、彼に会った日のことを思いだしていた。


 そう、あれは今から3年前のことだ――。

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