素人殺し屋
藤島
素人殺し屋
あと少しだった。
あと少しで達成できたのに。
『貴様、××人だな!?』
とっさに出た言葉のイントネーションで出自がばれてしまった。
ここまで隠してきたのに、ただの一言ですべてが台無しになってしまった。
※
自分の使う言語が分からなくなることがある。
介護現場には様々なルーツの人が入り乱れており、仕事には翻訳機能付きインカムが必須となっていた。
職場でつける骨伝導ヘッドセットからは自分が理解できる言語が流れてくる。明らかに違う言語を使うと分かっている人であっても、ヘッドセットが音声を拾って自動で翻訳してくれ、受け手が設定した言語で伝えてくれるのだ。インカムで情報共有をしたり、その時気づいたことをボイスメモに残したりするために、インカムがないと仕事にならない。また、インカムで収集されたデータは職員の仕事の効率化に利用されている。
インカムの機能はそれだけでなく、利用者とのやりとりでも使われる。
利用者にも補聴器の役割も果たしつつ、誰とでも言葉でのやりとりが可能となるようにと導入されているのだ。
そこで私は、清掃員として働いていた。
なるべく他者と関わらないようにすること、聴覚障害者を装うことでなるべく喋らないようにすることを心がけていた。私は亡国の民であり、出身国が周りに知られると不遇な目に遭うだろう。
しかし幸いにも(不幸にも)侵略してきた国の民と民族的には近しい容貌をしていたこと、現代ではスマホアプリなどの翻訳機能が発達し、言語的な問題はクリアしやすかったため、労働に従事できていた。
私は聴覚障害者として生きることにし、発声にも難があるように装って、視覚情報でのやりとりのみを行うよう徹底してきた。
亡国の民であるからといって、実際にそれほど不利があるわけではない。政府や企業の要職に就けない、侵略してきた民族の奴隷としての生活を強いられる。そして言論統制が行われ、徐々に侵略者への礼賛を覚え込まされ、かつての民族としての誇りを奪われていくだけだ。
生きていくこと、死んでいくこと、それすらも侵略者にコントロールされ、思想の自由はなく、生きながら殺されていく生活を余儀なくされる。私たちに自由はない。
表だってはその程度のことだ。何もあからさまに虐殺されるわけではない。
そうやって飼い慣らされてきた××国民は、今も侵略してきた民のために働いている。
私は介護士だったため、かつては同胞の老人を世話していたのが、今では海を渡ってきた人たちの介護を行っている。その現状がやるせなくなる。今までここで看取り介護を行っていた同胞たちはどこに行ってしまったのだろうか。それを考えるとどうにもならない現状に腹も立つが、一人にできることは限られていたし、職を失うことはそれこそ自殺行為だろう。
そうした緩やかな支配は、亡国の民の一人が侵略国の富裕層の一家を殺したことで一変する。
それまで以上の経済的締め付け、SNSやテレビショーでの見せしめが行われるようになり、介護・保育の現場において××民拒絶の運動が始まった。
みな、あらぬ疑いをかけられ解雇されたり、逮捕されたりした。私はクビになる前に最初の職場を辞め、新しい職場では侵略国の出身だと偽り採用される。もちろん、聴覚障害者としてだ。
新しい職場では主に清掃を担当した。必要最低限の賃金は保障される。
清掃担当者であってもインカムの利用は義務づけられた。施設の清掃状態を把握し、自動化できるところは自動化するようになっているからだ。亡国の民と、侵略国の底辺層では仕事もあまり変わらない。私たちはいつでも機械に変わられるようになっている。
そのため、侵略国の言葉のヒアリングだけはできるように勉強を余儀なくされた。おかげで聞くだけなら意味を理解できている。
そんな風に、日々目立たぬように生きていた私は、ある日同胞にスカウトされた。
私が働いている介護施設に、新しく入居してくる男がいる。
その男は侵略国の富裕層であり、政府関係者などに資金援助をしていた男だ。私でも名前くらいは知っている会社を経営している。
私をスカウトしたのは、同胞であり、以前からこの施設に入居していたある富裕層の男だった。
その男も私と同様に、出身国を偽っていた。私ほどアナログで危なっかしいやり方ではなかったため、入居にも問題はなく、侵略国の民と同じ福祉サービスを受けられていた。サービスをしているのは、当然亡国の民だ。
亡国の民が現場サービスを行い、その統括を侵略国の民が行う。賃金にももちろん大きな差が出る。この施設はまさしくこの国の縮図になっている。
同胞の男は清掃に入った私をすぐに同胞だと見抜き、声をかけてきた。
「この男を殺す手伝いをしてほしい」
耳とインカムから聞こえた言葉に、私は首を横に振り、断りの意思を示す。
そんなことできるわけがない。そもそもその入居する男の部屋に入れるかどうかも分からないのだ。不確実な依頼を受け、人生を危うくする事はできなかった。やった後のリスクはこちら側にのみ大きい。
本当は耳が聞こえ、話ができることも明かすつもりはなかった。秘密は知っているものが増えるほどに漏洩する危険が大きくなる。それでも、男は何度も私に声をかけてきては、最後には同じ依頼をしてくるのだった。
久方ぶりに聞く母国の言葉は心地よく、それだけでその男にすべてを明かしたくなる。だがそれを留めるのは、その男の部屋を出た後の現実であり、耳につけたヘッドセットのせいだった。
男には見舞客がほとんどいない。だが、その日はスーツを着た男が一人いた。
軽く頭を下げ、部屋の掃除に入る。部屋の掃除は毎日決まった時間に行われるため、来客がいる場合は部屋に入る前に部屋の主に許可を得るのだが、今日は部屋を覗いたところで招き入れられてしまった。
来客であるスーツ姿の男に部屋の主のベッド近くまで誘導される。ベッドテーブルに広げられていたのは、この施設に入ってきた例の男の部屋と、殺し方の指南書だった。その紙は、当然私の母国の言葉で書かれている。
その内容を読めてしまい、戸惑いを見せてしまった私は後ろからスーツの男に「危ない」と言われてインカムのスイッチを切られた。スイッチを切られている間に紙を突きつけられ、同意を取られる前に首に注射器を突き立てられた。
「あの男は私の家族を殺した。その復讐を手伝ってください。あなたなら疑われずに部屋に入れるでしょう」
私は首を押さえながら頭を横に振る。そんなことできるわけない。計画書には男の飲み物に毒物を入れると書いてあった。確かに清掃の途中で部屋の中に毒物を仕込むことは可能かもしれない。私は計画書を読んで、つい頭の中で実行できるかどうかを検討していた。
「あなたの経歴も調べました。以前のシステムを使える人間がいましたので、あなたの戸籍を辿ることは簡単でしたよ。お名前も経歴も、あの事件以来変えてしまったんですね」
そういって哀れむような目を向けてくる男。
あの頃、事件の前後では自分の名前や経歴をたやすく売ることができた。どうしても出身国を偽り、別人になる必要があったからだ。亡国の民であることを隠すために、名前と経歴の代わりの臓器を売った。労働に支障が出ない部分を売ったのだが、その時の手術跡を見る度になんとも言えない気持ちになる。
私は、本当は誰だったのだろうか。
生まれを奪われ、尊厳を奪われ、名を奪われ、それでもなお平身低頭して労働のために身をやつしている。
「あなたも悔しいはずだ。祖国のために、私のために、どうかお願いしたい」
ベッドの上の男が言葉を重ね、頭を下げてくる。
私はぎゅっと拳を握り、目の前にある紙を睨みつけた。
「……もし成功したら、私はどうなりますか」
「成功したら、あなたは我々が責任を持って匿います」
「約束してください。部屋に入り、毒を仕掛けた時点で私を保護すると」
「いいでしょう。あなたの行動と記憶は、注射したナノマシンで記録しています。もし実行できたのなら、すぐにあなたを保護すると約束します」
スーツの男が、私の前に小さな小瓶を置いた盆を差し出す。私はその小瓶に手を伸ばし、作業服の中にしまった。
そうして、切られてしまったインカムの電源を入れ直す。胸ポケットに入れた小型のインカムは、サイドのボタンを押さえれば、簡単に電源操作ができた。転ぶのを止められた際に、誤って電源が切れたことにする。
成功しようが失敗しようが、この男には何の危険もないだろう。
私以外にもこうして声をかけられている人間がいるかもしれない。誰か一人でも成功したら、この男にとっては目的を達成したことになる。今の生活と何も変わらない。誰かに使われて消費されるだけの人生だ。
それなら、誰にどう使われるかはせめて自分で決めるべきじゃないか?
男の部屋を出た後、そんなことを考える。
耳にかけたヘッドセットから聞こえてくる言葉は変わらず侵略国の言葉だ。先ほど聞いた男の言葉が、脳裏をちらついた。もう気にならないと思っていたのに、ヘッドセットから聞こえる異国の言葉は、やけに耳に障った。
私は、新しく入居してきた侵略国の男になるべく近づかないようにした。
清掃の当番で何度か部屋に入ることはあったが、そそくさと掃除を終え、部屋を出るようにしていた。それは後ろめたさもあったからだろう。そうしてやり過ごしていれば、他の誰かが男を殺してくれるかもしれないと期待していた部分もある。だがそれは期待でしかなかった。
数ヶ月過ぎた頃、私に無茶な依頼をしてきた同胞の男からせっつかれてしまい、やらざるを得ない状況になりつつある。同胞の男から教えられたのは、同胞のコミュニティがあることだった。無事に成功したらそこに案内してくれるというのは、少し魅力的に感じた。だが男の言うこともどこまで本当かは分からない。分かったのは、男が本気だということだ。
仕方なく、私はターゲットとなる男の部屋の中で、どのタイミングなら毒を仕掛けられるかを検証していく。この施設にいる人間の生活リズムは概ね変わらない。男は午前中、面会があれば施設の庭で面会者と会う。午後はレクリエーションルームでゲームに興じるのが主だった。部屋に戻るのは夕方のことが多い。清掃も午後に行うことが多かったため、本人が不在の時に部屋にあるコップや飲料に混ぜておけばいいだろう。男の部屋は個室で、冷蔵庫もある。出るゴミの種類も分かっているので、何をよく飲んでいるのかも把握できた。
決行を決めた日、男はいつものように午後不在だった。
部屋に入って掃除を行い、冷蔵庫の中に入っていた飲みかけのペットボトル飲料に、渡された毒物を数滴混入する。入れ物から足がつかないように、スポイトのついた簡易容器に入れ替えてある。
それを冷蔵庫に戻したところで、廊下が賑やかになって部屋の扉が開いた。間一髪だ。私は部屋の主に頭を下げ、部屋の隅に移動して頭を下げる。男と一緒に部屋に入ってきたのは、男に面会に来た一家のようだった。大人の男女と子どもの男女。十二歳くらいの女の子は、おそらく××人だ。それはすぐにわかった。彼女だけ顔立ちが違ったのだ。
昔聞いた話を思い出す。××国が滅びる前から、××国の子どもが海外に養子に出され、その後行方不明になっている事件があった。今でもステータスとして××人を囲っている富裕層は多い。あの子はそうして養子に出された子どもなのかもしれないし、本当にあの一家の一員なのかもしれない。それは私には窺い知れないことだ。
部屋の主たちが談笑しながら部屋に入ってくる。その間、異国語が耳に入ってくる。
「そうだ、余っているやつを飲ませてあげよう」
「ありがとう、おじさん」
女の子が答える言葉には、××人が異国語を話す時のイントネーションが混じっていた。どうしても発声が違うため、習ったばかりの頃はイントネーションの違いが出てしまう。
男が冷蔵庫から、先ほど私が毒を仕込んだペットボトルを取り出した。
私の心臓が慌て、手のひらに汗がにじむ。嘘だと、今見ている現実が嫌になってくる。その場から逃げ出したかったが、女の子がペットボトルを受け取ったことでゾッとする。
周りの人間が笑いながらその様子を見ている。やめろと頭の中で警告が鳴り、心臓が早鐘を打つ。
「飲むな!」
小さな手がペットボトルの蓋を開けようと動いたところで、私はとっさに叫んでいた。
聞き慣れた異国語で話したつもりだったが、喉を使っていなかった私の発音はどうしても母国に寄ってしまう。
その声に驚いた一行が部屋の入り口近くにいた私を振り返る。
「貴様、××人だな!」
若い男が私を指さして叫ぶ。女の子は驚いてペットボトルを落としてくれた。それを見てほっとする。
そうしている間に若い男が部屋の引き出しからナイフを取り出し、私に近づいてきた。
避ける間もなく、ナイフが私の心臓辺りにめり込んだ。
※
そうして私は失敗し、死ぬことになった。
ゲームオーバーだ。
再び目が覚めたところで、目の前にはまたスーツ姿の男がいる。
「初めまして、同胞。あなたに殺してほしい男がいます」
新しい耳に聞こえるのは、記憶にある母国の言葉だ。私は以前より低くなった視線で男を見上げる。
「分かりました」
私の死体から回収されたナノマシンは、新しい体に移植された。
そうしてまた、同胞のために命を賭ける。
使い捨てられる側にはよくある話だ。
失敗の記憶と、同胞への親愛をもって、私は素人殺し屋を繰り返す。
素人殺し屋 藤島 @karayakkyou
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