第18話 カフェオレとチーズケーキ

「聡二君!無事で良かった・・・」


 柔らかな感触に包み込まれる。

 隣に居るまどかさんはギョッとした顔をしているけど。


 数ヶ月ぶりに感じるその温もりは,心までポカポカにしてくれた。


「いや,ひとみ。玄関先で抱きつかれたら暑いだろう?早く中に入ってもらいなさい」

 その声は以前と変わらず,優しくて,穏やかな声だった。


「くっ・・・」


 僕は涙を流していた。




 約4ヶ月ぶりの『Cafe confection』は,こんな真夏の日でさえ,僕を,僕達を温かく迎えてくれた。




「しかし驚いたよ。帽子と眼鏡だけで,全然別人に見えたから」

「は,はい・・・」

「二人の今の状況はだいたい知ってるよ。よくこの街に戻ってくる気になったね?」

「・・・どうしてご存じなんですか?」

「・・・あー。笹宮さん?は知ってるよね?」

「はい・・・」

「え?」

 まどかさんは知ってる?


「僕と『Cafe Carrot』のマスターの山崎は古い顔なじみでね」


「・・・え?」

「ゴメ・・・ううん。マスターとの約束だったから,言えなくて」

「そ,そっか・・・」

「今でもたまに連絡を取りあう仲なんだ。だから,あいつの店で聡二君がバイトを始めたって聞いたときは,ホントに驚いたよ」

「・・・僕の,家庭の事情も?」

「いいや?『僕は』何も知らない。聡二君に話を聞いたこともないしね」

「・・・じゃあ,ひとみさんが?」

「え?い,いや,なんで私?」


「・・・僕が中1の時,児相に通報したの,ひとみさんだったんでしょ?」


「・・・気付いてたの?」

「マスターじゃなければ,ひとみさんしか思いつかないよ。あの頃は,宿の従業員も,学校の先生も,通報しようなんてしなかったから・・・」

「・・・」


「聡二君,どういうコト?」

「まどかさん。僕が中学卒業するまで,家で酷い目にあってたことは話したよね?」

「・・・うん」

「中1の頃,韮川の児相にいらした相談員さんが,僕を保護してくれたんだ。何度もね」

「・・・そのお話は聞きました。その度継母に謝られ,家に連れ帰られたと・・・」


 やっぱりか。


「通報してくれたのはひとみさんだとは,その時は気付かなかった」

「・・・うん」


「聡二君,黙ってたことは申し訳ないと思ってるけど,私は謝らないわ」

「ひとみさん・・・」

「私もね,子どもの時は聡二君と似たような環境だったから・・・」

「え?」

「ひとみ・・・」

 マスターが辛そうな顔をする。

「私を地獄から救ってくれたのは,あの時の相談員さん。畑前さんよ」

 ああ,そんな名前だった・・・。

「畑前さんが私を保護してくれたおかげで,家を出て施設に入った。普通の子どもとは違うことばかりだけど,私は幸せだった。学校にも通えたし,この人とも出会うことができた」

「ひとみさん・・・」

「だから,畑前さんなら聡二君を救い出せるって思ってたんだけど・・・」

「多分,あの女が手を回したんでしょう」

「そうだと思う。私の実の親は一般人だったけど,聡二君は違うものね」


 おかしい。

 何か引っかかる。


「どうして僕が韮川荘の息子だと気付いたんですか?」

「あっ,それは・・・」

「?」

「畑前さんから聞いたの」


 本当だろうか?

 いくら通報者とはいえ,旧知の間柄とはいえ,個人情報をあっさりバラすものなのか?


「まあ,その,畑前さんは,私の親代わり?みたいなもんだったから」

「そうですか・・・」


 多分,これ以上聞いても話してくれないだろう。


「・・・分かりました。マスターとひとみさんが,『Cafe Carrot』のマスターと情報を共有して,僕を見守って下さっていた,ということですね?」

「ああ,そうだ。妹もね」

「妹?」

「あれ?」

「・・・あなた,そう言えば,名前を名乗ったことないんじゃない?」

「そうだっけ!?」


 そうだ。

 3年以上も通ってたのに,マスターのことは『マスター』と呼んでいて,名字も名前も聞いたことがなかった。

 ひとみさんも下の名前しか知らない。


「僕の名前は間宮向陽。『Cafe Carrot』で働いている間宮亜美は妹なんだよ」


「はあっ!?」

 これまでの疑問が,全部吹っ飛ぶような新事実!


 まどかさんを見ると,すごく申し訳なさそうな顔をしている。

「まどかさん,知ってたの?」

「・・・うん。さすがに謝ったほうがいい?」

「謝らなくていいよ。それもマスターとの約束だろ?」

「・・・うん」

「はあ・・・」

 ため息しか出ない。


「あはは,いろいろ驚くことばかりだろう?まあ,これからも僕のことは『マスター』って呼んでくれていいし,あいつのことは『ヘボマスター』とでも呼んでやればいいさ」

「あなたっ!?」


「・・・呼べませんよ。第一僕は,今は休みをいただいているとはいえ『Cafe Carrot』の店員です。あちらを『マスター』と呼ぶのは許して下さい。これからはマスターでなく『向陽さん』とお呼びしてもいいですか?」


「・・・うん。いい。そのほうが断然いい!」


「あ,あの,向陽さん。私も『まどか』って呼んで下さい」

「いいね!まどかちゃん。よろしくね」

「はい・・・」




「とりあえず落ち着いて,今後の話をしよう」

 僕達はテーブル席へ案内された。

「一応,五時から店を開けるけど,詳しい話は夜にするとして,ざっくりとでいいから聡二君の考えを聞きたい」

「はい」

 この店は朝から昼までと,夕方から夜までの二部制で開店している。


「あなた,その前に何か飲み物でもあげたら?」

「あっ,そうか!」

「ははは・・・」

「聡二君は,いつものでいいかい?」

「はい」

「まどかちゃんは?」

「私も,同じもので・・・」

「分かった。じゃあ二人にとびっきり美味しいカフェオレをご馳走するよ!」

「自分で言う?・・・じゃあ私はこのあと出す予定だったチーズケーキを振る舞いましょうか」

「わあっ」

 まどかさんがすごく嬉しそうな顔をする。


 いや,待って。


 絶対カフェオレもチーズケーキも僕が作るより美味しいはず。

 次に僕がご馳走するときに『イマイチ』とか言わないよね?


 そんな不安げな僕の顔を見て察したのだろう。

 まどかさんは笑顔でこう言った。




「大丈夫です。私にとって,聡二君の煎れてくれるカフェオレは『特別』ですから」

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