閑話 親友達の初恋~その1~

「なんというか,驚くことばっかりだな・・・」

 俺は桜さんの話を聞いて,口を閉じられずにいた。


「楢崎君の事情とか,マスターさんの正体とか,それだけでもお腹いっぱいなのに・・・」

 隣に座る仁美も同じ表情をしていた。

「でも,楢崎君が昔お世話になったマスターの奥さんが,同じ名前なのに親近感沸いちゃった」

 向こうは平仮名だけどな?


「・・・そうね。間宮さんの奥様は,ご主人には内緒で児相に相談してたらしいわ」

「・・・でもよ?なんで1年だけなんだ?もっと前から虐待があっただろうし,その畑前って相談員が異動ざせられてからも,相談はできたんじゃねえのか?」

「まず,楢崎君がそのカフェに初めて行ったのは小6の終わり。マスター夫妻は,なにかあったのは分かるけど,楢崎君本人の口から話を聞かないと通報はできないと,最初は思ってたらしいわ」

「最初は?」

「特に奥様のひとみさんは,児相の対応に期待をもってなかった」

「なんでだ?」

 俺の問いかけに,桜さんはとても言いにくそうに答えた。


「・・・ひとみさん自信も,児相に保護された経験があったみたいよ」


「・・・!」

「ちょ,ちょっと待って?じゃあひとみさんも,かつてあまりいい対応してもらえなかったってことなの?」

「・・・その辺は,ご本人に聞いてみないとなんとも言えないけど,ただ彼女は畑中さんという相談員だけは信頼していた。多分,いろいろお世話になったんでしょうね」


 『いろいろお世話』か・・・。


 その話だけで,ひとみさんの境遇が想像できる。

「・・・なるほど,だからその畑中さんが,韮川の児相に配属されたから,個人的に相談した,というわけだな?」

「・・・そうね。畑中さんなら彼を,楢崎君を自分と同じように地獄から救い出してくれると思ってたんじゃない?」

「地獄から・・・」

 仁美が青ざめる。

 『虐待』と聞いても,実際にどのようなことが行われていたのか,想像もできない。

 ただ,桜さんの言う『地獄』という言葉が,逆にリアルさを感じさせられた。


「・・・でも,その畑中さんですら,楢崎家の圧力で,1年で異動させられたんだね・・・」

「それでひとみさんも諦めた,か・・・」

「おそらくは上層部に賄賂でもばらまいたんじゃない?」

「それって犯罪だよな!!」

 俺は思わず立ち上がる。


「・・・でも,証拠が見つかってないの」

 桜さんは,心底申し訳なさそうに呟いた。




「当時の他の職員とかの関係者はどうなんだ?」

「みんな黙秘よ。ただ単に金を積まれてるだけじゃないような気がする」

「どういうことだ?」

「考えてみて?楢崎美紗という女は,大学生の時から巧妙に計画を立てて,楢崎家の後妻になったのよ?楢崎君のお母様だって,本当に自殺なのかも怪しいわ」

「・・・そうか。聡二は飼い殺しにするだけでも良かったのに,憂さ晴らしに暴力を振るった」

「・・・拓也?どういうこと?」

「分からないか?仁美。その楢崎美紗って女は・・・」


「残虐な女なのよ」


 俺の言おうとしていた言葉を,桜さんが告げる。

「残虐?」

「人の命なんて,大金に比べたら特に価値のないものと思ってる。楢崎君が成人して正式に遺産を相続したらどうなるか話したでしょ?」

「・・・うん」

「つまり口止め料だけでなく,なんらかの脅迫を受けているってことか?」

「おそらくは。でも,それも証拠はない」

「・・・」


 手詰まりじゃねえか。


「誰か一人でも,何らかの証言をしていただければ,裏取りが進められます」

 桜さんのそばに控えていた家令?の島崎さんがそう言った。


「桜の家から,潤沢な資金はもらった。私はこれを元手に,韮川温泉グループの株を買い占める方針よ」

「え?真里花,そんなコトできるの?」

「真里花お嬢様はこれまでも,小遣い稼ぎがてら株の売買を行われていました」

 島崎さんが,簡単に言う。

「それって未成年でもできるの?」

「ちゃんと母親名義の証券口座よ」

「はあ・・・」

「お嬢様が本気を出せば,会社の一つや二つはすぐに手に入れられるでしょう」

「はあ・・・」

 マジかよ。


「でも,韮川温泉グループは巨大な企業よ。ホテルや旅館の一つ二つは手に入れられるかもだけど・・・」

「グループ全部を乗っ取らないと,ダメってこと?」

「そうよ・・・」


 はっきり言って株だのなんだの,経済のことは分からん。

 桜さんが得意というなら,任せるのが正解だろう。

 だから。


「・・・それで,俺達に何ができる?」


「畑前さんを探して欲しい」


 無理難題を,言いやがる。




「間宮ひとみさんが信頼するほどの方ですもの。きっと何か知っている,と私は思う」

「なるほどなあ・・・」

 しかし,手がかりがなさ過ぎる。

「なにかスキャンダルでも掴めば,それで韮川温泉グループの株価は大暴落だわ」

「グループも乗っ取れるし,判明した事実によってはブタ箱に歩織り込むこともできる,か」


「笹宮本家にとっては,1に家柄,2に資産。それが大事。家柄については文句を言う人もいるかも知れないけど,代々続いてきた老舗旅館の跡取り息子なのよ,楢崎君は」

「しかも祖父から莫大な遺産を相続するとなれば,文句の付けようもない,か」

「それが一番の落とし所だと思うの」

「ふむ・・・」


 俺が頭を悩ませていると,仁美が変な顔をした。

「どうした?仁美」

「ねえ拓也。『畑前』って名字なんだけど・・・」

「ん?」


「拓也の近所に住んでる,みっちゃんって,そんな名字じゃなかった?」

「あ・・・」



 その時,俺と仁美の脳裏には,小1なのにいつもベビーカーを押して散歩している,赤毛の女の子の姿が浮かんだ。

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