第8話 カフェオレとガトーショコラ

 夕方の住宅街を無言で歩く。


 少し離れた隣に笹宮さんが一緒に歩いている。




 笹宮さんの家は,カフェから最寄りの駅まで歩いて,3駅電車に乗って,そこから徒歩15分くらいかかるところにあるそうだ。

 賑やかな駅前から10分も歩いてないのに,閑静な住宅街が広がる景色を見て,まるで異世界に来ているような気分になった。

 ここまで彼女とは一言も話をしていない。

 正直,何を話せばいいの分からなかった。




「・・・ここ。私の家です」

「え?」

 彼女に声を掛けられて顔を上げると,大きな門のある日本家屋の豪邸だった。

「・・・」

 普段なら『凄い!』と言って大はしゃぎしているだろうけど,今はそんな気分になれなかった。


「ね,楢崎君・・・」

「さっきは,怒鳴ってごめ・・・」

「謝らないで」

「え?でも・・・」

「謝るなって言ってくれたの楢崎君ですよ?」

「そうだけど・・・」

「だから,私ももう謝りません」

「・・・っ」

「だから,楢崎君ももう謝らないで下さい」

「じゃ,じゃあ,何て,言えば,いいの・・・?」

 ふわっと胸に温もりが広がる。


 笹宮さんが,僕に抱きついている?


「『ありがとう』です・・・」

「『ありがとう』?」

「温かいカフェオレを入れてくれて『ありがとう』」

「・・・」

「私にシュークリームを食べさせてくれて『ありがとう』」

「・・・っ」

「リンゴのクレープ,美味しかった。『ありがとう』」

「・・・うん」

「私に本気で怒ってくれて『ありがとう』」

「・・・う,ん」

 気が付けば,僕は泣いていた。

 胸にじんわりと広がる温もりは,彼女も泣いているのだろうとよく分かる。


「楢崎君は?」

「・・・え?僕も言うの?」

「・・・お願いします」

「・・・僕の,入れたカフェオレ,美味しいって言ってくれて,『ありがとう』」

「うん」

「・・・僕の,作った,シュークリーム,美味しそうに食べてくれて,『ありがとう』」

「うん」

「カフェに,毎週,来てくれて『ありがとう』」

「うん」

「調理実習の買い物,一緒に行ってくれて『ありがとう』」

「うん」

「僕と・・・出逢ってくれて,『ありがとう』」

「・・・うんっ!」

 気が付けば,僕も彼女を抱きしめていた。


「楢崎君・・・ううん,聡二君。明日の勉強会,楽しみにしてます!」

「いいの?」

「明日からはいつも通り・・・は無理そうですけど」

「そう,だね・・・」

「・・・だから,聡二君ともっと仲良くなりたいです」

「え・・・?」

「ダメですか?」

「あ,いや,善処,します・・・」

「やっぱり楢崎君って変わってます」

「ちょっと,傷ついた,かな・・・」

「うそうそ,ごめ・・・,ううん,もう謝りません!」

「・・・冗談って分かってるよ」

「うん」


 静寂の中でどれくらい抱き合っていたのかよく分からない。




「もう,門限近いから,家に入らなきゃ・・・」

 胸の中から温もりが消える。

「あっ,ごめ・・・残念だ」

「ふふっ。じゃあ,また明日」

「うん。また明日」

 真っ赤に目を腫らしながら,とびきりの笑顔を見せてくれた彼女は,通用門らしき扉の向こうに消えていった。

 彼女の温もりの余韻を感じながら,駅に向かって歩き始める。

「・・・とりあえず,ケーキでも焼こうかな」

 何だか胸のつかえが取れたような気分だった。


「お邪魔しまーす!」

「わ,結構広いね!」

「キッチンが広い・・・」

 翌日,勉強会は予定通り行われた。

 やっぱり笹宮さんと桜さんは成績上位だけあって,頭がいい。

 特に桜さんの教え方は上手だった。

 僕もそこそこ勉強に自信があったけど,二人には敵わない。


 拓也と君島さんは・・・。

 正直,よくうちの学校に合格出来たのかと疑いたくなるレベルだった。

 でも笹宮さんと桜さんに教わりながら理解を深めている様子を見ると,二人とも地頭はいいんだなと思った。


 昼食にデリバリーのピザを食べて,午後の勉強も頑張った。

 午後3時頃になったので桜さんが休憩を告げた。

 笹宮さんと桜さんの門限もあるので6時には終わる予定だ。

「あー,勉強しすぎで脳みそ溶けそう・・・」

 拓也が机に突っ伏す。

「それ休憩の度に言ってるね」

「普段から予習復習を欠かさなければ,こんなに苦労しなくていいのに」

 僕が突っ込んで,桜さんが止めを刺す。

 今日だけで何回か繰り返されたパターンだ。


 笹宮さんとは・・・。

 少しぎこちない場面もあったけど,表面上は普段通りに話せたと思う。

 多分。


「ねえ。まどかと楢崎君,何かあったの?」

「「!」」

 しかしながら,それは桜さんにあっさり看破されてしまった。

「・・・な,なんで?」

「だって,二人とも朝から様子がおかしかったもの」

「真里花,えっと,これは,その・・・」

「その?」

「昨日,聡二君と,喧嘩したの・・・」

「喧嘩?!」


「いや,『聡二君』って!}

 さすがに拓也と君島さんもビックリだ。

「なんで?」

「なんで・・・って,そう,ね。ちょっとした行き違いって言うか・・・」

「それで?」

「詳しくは,ちょっと,話しづらい,かな?」

「・・・分かった。まどか,夜,電話待ってるから」

「え~」

「電話!」

「はい・・・」

 笹宮さんと桜さんのやり取りを,拓也も君島さんが固唾を飲んで見守っている。

 僕は下手に口を挟むとややこしくなりそうな予感がしたので,石像と化していた。


「で,仲直り出来たの?」

「仲直り?」

「ちゃんとお互い謝ったの?」

「謝ってないです!」

「は?」

 叫ぶ笹宮さん。

 威圧する桜さん。

 室内の温度が10度くらい下がったような気がする。


「なんで謝らないの?どっちか一方が悪かったって話なの?」

「違う。お互い,悪かったんです・・・」

「じゃあ,お互い謝りなさいよ!そしたら握手して仲直り,でしょ!」

「・・・謝らない。私と楢崎君,お互い謝らないって話し合ったんです!」

「どういうこと?」


 二人でバチバチのバトルを繰り広げていたが,桜さんの視線がようやく僕に向く。

「ああ,そうだね。お互い謝らないって決めたんだ。だから・・・」

 僕は立ち上がって冷蔵庫に向かう。

「これを食べます!」

 僕は昨晩作ったガトーショコラのホールをテーブルに置いた。

「うおおっ?え?今日はお菓子作んないって言ってなかったか?」

「うん。言ったね。だからこれは笹宮さんと僕の分。お互い『ありがとう』と言い合って,もっと仲良くなろうと思ってね・・・」

「聡二君・・・」

「だから拓也達の分はないよ?」

「うっそだろお!」

「え,あたしの分もないの?せめて一口だけでも~!」

「ははっ,冗談だよ。みんなで食べよう。飲み物何がいい?拓也はアイスコーヒー?」

「おう,頼む」

「あたしも~」

「桜さんはホットのカフェオレでいい?」

「・・・アイスのカフェオレ,もらえる?」

「・・・出せるけど,珍しいね?」

「まどかと楢崎君が熱々だから,冷ましたいのよ・・・」

「あ,熱々?真里花,何言って・・・!」

「・・・えっと,笹宮さんは?」

「・・・私も,アイスのカフェオレ,お願いします・・・」

「で,なんで『聡二君』?」




 その後の勉強会は,みんな妙なテンションだったけど,終始和やかな雰囲気で終えることが出来た。

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