殺人

私はそのうち、人を殺してしまうかもしれない。それも限りなく私から遠い私が、だ。そいつはいつも私に語りかけてくる。死んでしまえ、もう死んでしまおう、そうしたら楽になれる…。言い方を変え、絶え間なく、私に死という言葉を意識させる。

そして私はバカなことに、たまにそいつに従ってしまったりする。そいつに言われるがまま、売店で人を吊るせるほどの頑丈なロープを買って森に入ってみたり、夜に川なんかに体を浸してみたりする。だが、幸運なことに私はまだ死んでいない。というのは、そうやって死が限りなく私に近くなった時、ようやく眠っていたかと思われるもう一人の私が目を覚ますからだ。そいつの方はさっきまでの死の押し売りとは違い、私の中から何かを引き出そうとする。そいつはいつも、私の中に既にある何かを探しているのだ。そうなると、私の静止していた心が徐々に波打ってくる。さっきまで死という言葉に侵され、麻痺していた私の人間的な部分が目覚め始めるのだ。本当にこのままでいいのかという声が小さく囁かれたかと思えば、昔祖母が切ってくれた果物の香りや、死の後に訪れるであろう冷ややかな夜への恐怖が、私の中に次々と浮かび始める。そしてさっきまではまるで気づかなかった空の広さや緑のみずみずしさが目につくようになり、視界が色づき始める。そして、ざわつき始めた心に最後に理性というものがストンと落ちてくる。そうなると、私は唐突に焦り始めるのだ。もちろん、まだ死の洗脳が解けているわけではない。甘美な死への憧れを理性を取り戻したばかりの私がどうにか押し留めている、という感じである。ただ、理性を持った私はこういった対応に慣れているので、私に何よりもまず気のおける友人や知り合いに電話をかけさせる。そこから今日は暇かと聞いて、とにかくすぐに会う約束を取り付けるのだ。そこでうまく取り付けられれば、もう死への勝利のようなものである。あとは友人の元までただ歩けばいいのだ。意識すべきは呼吸くらいのものである。無事に辿り着けさえすれば、あとは友の導くまま、ご飯を食べ、夜中まで話しこみ、疲れきった体をベッドに放り込めば、その日一日はどうにか生ききることができる。そして実際、幾つかの日を私はそうやって生き抜いてきた。

 

ただ、そんなことをしたとしても私はきっといつか私を殺してしまうだろう。今までだってたまたま私の最も人間らしい部分が勝っていたに過ぎないのだ。それに、私は感じている。死は確実に私を蝕み、私の芯の部分のそう遠くないところまで近づいている。私はこれに恐怖すべきなのだろうか?ただ、確かなことはこういったさまざまな葛藤の全てが私自身だということだ。何も私は自分の意思に関係なく毎回毎回殺されかけているわけではない。きっと私の中に死を望み、殺されたいと願っている何かが存在するのだろう。ともすると、私はそんな私を見捨てることはできない。だからきっと、私が自身の全てを受けとめようとそのあらゆる私の中の一つを認めた時に、私は死ぬのかもしれない。ただその時認めた一つの私がたまたま死を望んでいた、それだけのことなのである。そして、こう語っている間にもそれは私の心に常にちらついている。また私を乗っとる機会を、今か今かと狙っている。私はもうそう経たないうちに負けてしまうかもしれない。いや、勝ち負けなどではない、そろそろ認めてあげたい気になっているのだ。それがたとえ私を滅ぼすとしても、あくまで私の一面であるのだから愛してあげないと可哀想じゃないかと、そう思い始めているのだ。

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