第5話
辛い出来事は、案外連続して起こるものなのかもしれない。
陽菜の連れ去り事件が起きた年、心を挫けさせる出来事がいくつもあった。
まるで暗雲が自分の家の空を覆い始めたかのように、次々と問題が生じた。
父親がフライス盤で負った怪我が元で死んでしまったのだ。
鉄工所の仕事は減り、ほたるの家は生活費に事欠くようになった。ほぼ無償で働き続けてくれた職人がいなかったら、親子は路頭に迷っていたかもしれない。
それでも、子どもは成長を続けていく。子どもは子どもの世界の出来事に心を砕きながら。
新しい自転車を買う金銭的な余裕が家にないことぐらい、賢い凛はわかっていたはずだ。
だが、凛はどうしても買って欲しいとせがんだ。ちょうどギアの改良された子ども用の自転車が発売されたばかりで、持っていないのは凛だけだったからだ。
普段、我儘を言わない凛に、母親は折れた。
それまで文句一つ言わず、職人の誰かが置いていった、古い大人用の自転車で我慢していた凛を不憫に思ったのだろう。
新しい自転車が来たときの、凛の喜びようを、ほたるはよく憶えている。ビニールの覆いを取り、ペダルに足を乗せるとき、凛は神妙な顔をして、靴の底を雑巾で吹いた。何か、儀式のような神々しさがあった。
ところが、そうして大切にした自転車が盗まれてしまった。
陽菜の連れ去り事件のあった日だ。
自転車を盗まれ、悄然として家に戻ってきた凛は、詳細を言わなかった。母親が何度訊いても口を閉ざしたまま、ただ泣くばかりだった。
そんな中、あの事件が勃発した。
陽菜の連れ去り事件が発覚したのだ。
自転車どころではなくなってしまった。学校の連絡網の電話はひっきりなしに鳴るし、取り乱した陽菜の母親がほたるの家にやって来たものだから、ほたるの母は陽菜の母を慰め、励まさなくてはならなかった。
凛が買ってもらった新しい自転車は、どこへいってしまったんだろう。
ときどき、ふと、ほたるは思い返す。
あの自転車がなくなってから、凛は少し変わった。もともと独立心の強いしっかり者の姉ではあったが、それにますます拍車がかかった。あまり近所の子どもたちとも遊ばなくなり、代わりに、学校の図書館で過ごすようになった。
凛はあの頃のことを思い出したくないはずだ。陽菜の連れ去り事件は、凛に暗い影を落としている。ほたるは、そう確信している。
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