第4話
男は、空き家の一階の奥の部屋で見つかった。
元は畳の敷かれていた部屋なのか、半分だけ畳が残った壁際で、仰向けのまま倒れていた。
死因は、窒息死。
ほたるはその事実を、当時のテレビのニュースや近所の大人たちの話から知った。
男は傍らに転がっていた座布団で窒息させられたのだ。
抵抗したしたあとはなかったという。
男のまわりには、数本の空の酒瓶が転がっていたことから、男は泥酔状態だったとされた。眠っている間に、男は座布団を顔に押し付けられて、呼吸困難になり、死んだ。
「あの当時は、俺も警察と同じように、関谷が犯人だと思ってたよ」
勇樹はそう言うと、じっとほたるを見つめてきた。
「関谷は、あの空き家に行ったのも、陽菜が行きたいから行ったと言っていたし、男が死んでいたなんて知らなかったと訴えたらしいけど、警察は信じなかった」
ほたるは立ち上がって、部屋を横切った。
喉が渇いた。
冷蔵庫から、麦茶のボトルを出す。
トクトクと音をさせて、ほたるは自分の麦茶を注いだ。
「小学生の女の子を連れ去った男の言うことなんか、誰も信じない。関谷は何度も何度も、自分は知らないと言い続けたけど、警察は聞く耳を持たなかったようだ」
「そうだな。だけど、関谷は殺人の罪には問われなかった」
ほたるは勇樹のコップにも麦茶を注いだ。といっても、勇樹はまだ麦茶を一口も飲んでいない。
「そう、関谷は誘拐未遂だけで起訴された。結局証拠がなかったんだ。それに、陽菜が」
「陽菜?」
「ああ。陽菜が警察に言ったんだよ。陽菜は犯人を知っていたんだ」
えっと、思わず小さな叫び声を漏らしたほたるを、勇樹がじっと見つめた。
「陽菜が犯人を見たと言ったせいで、関谷は殺人罪から逃れられたんだ」
「じゃあ、どうして殺人犯は捕まらなかったんだ?」
「陽菜は知っていたが、手がかりしか残さなかった」
「手がかり?」
勇樹はまわりを見回して、作業台の上にあったチラシを手に取った。
裏が裏が白い、廃品回収業者の宣伝チラシだ。
「ペン、ある?」
ほたるは頷いて、別の作業台に置かれたペン立てから、ボールペンを取って渡す。
勇樹は、A4のチラシの真ん中に、大きく、ひらがなを一字書いた。
『ま』
「陽菜が犯人について残した手がかりだよ」
勇樹は静かにペンを置いた。
「警察が、犯人を知っているなら教えて欲しい、名前はわかるかなと訊くと、陽菜は『ま』と書いて、そこで書くのをやめてしまったらしい。それで、警察は、陽菜のまわりにいた『ま』のつく名前の人物を当たってみたらしいんだが、該当者はいなかった」
『ま』から始まる人の名前が、当時の陽菜や自分のまわりにいた人々の中にいなかっただろうか。
ほたるは懸命に記憶をたどってみたが、思いつかなかった。
「ま、の次はなんだったんだ? どうして陽菜はそれ以上を口にしなかった?」
「わからない。警察もいろんな手を使って陽菜にしゃべらせるように仕向けたらしいんだが、無理だったようだ。なにせ、相手は小学一年生の、しかも誘拐未遂事件の被害者だ。陽菜の精神状態を考えて、無理はできなかったんだろう」
「関谷のまわりの人間には? 死んだ男の知り合いには? 『ま』から始まる名前を持った人物が、陽菜の知り合いだとは限らないだろ?」
「殺されていた男の身元は、わからなかったんだ。男は自分の身分を照明するものを何も身につけていなかったし、警察が近隣で聞き込みをしても、男の顔を知った者はいなかった」
「――誰も知らない男だったんだ」
「そう。この町に流れてきた浮浪者だったのかもしれない。だから、男の身辺を探って、『ま』のつく名前の人物を探し出すことはできなかった。関谷のほうにも、該当者はいなかった。関谷亮二は、この町の人間じゃないんだ。この町には知り合いはいなかったようだ」
白い頁の中に浮かぶ、『ま』という文字を、ほたるは見つめた。
陽菜にもう一度会えたら、訊きたい。
君はなぜ、犯人の名前を全部言わなかったの。
「ほたる」
声を上げた勇樹と目が合った。
昔と変わらない目だ。
その目が、何もかも見透かしているように思えるのは、勇樹を買いかぶりすぎているのだろうか。
「なに?」
「おまえ、なんで飲まないんだよ」
麦茶を注いだにも関わらず、ほたるは飲むのを忘れていた。
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