私も誰かの夢である

 「というと?」

 神崎は多少の困惑を顔に見せながら聞いてくる。その声は平静を保とうとしている声だった。

 「神崎さんが誰かを夢見るという夢を私が見たように、この部屋の一つ上には今こうしている私を夢見る誰かがいるかもしれないということです」

 「つまりこのアパートでは誰もが下の階の者を夢見ていることですか?」

 神崎さんより一階上である私は神崎さんを夢に見た。ならば神崎さんだけに限らず、このアパート全員が自分のいる階より下の人間を夢に見ていると考えてもいい。

 「まああくまでそう考えられるという程度ですが、今後私たちのようなことが続くならほぼ確実にそうでしょう」

私の考えではN階の住人はN―1階以下の住人を全て夢に見ていることになる。神崎さんが誰かを夢に見たとして、その神崎さんを夢に見ているのだから神崎さんより下の誰かたちを私が夢に見れないことはないだろう。

 こう考えるとまるで次元の様だ。三次元と二次元では空間の広さが段違い。しかし三次元はより高次である四次元にはかなわない。例えるなら私は四次元で、神崎さんは三次元といった具合だ。

 四次元が一次元や二次元を内包出来ないことはない。次元とこのアパートの夢は 構 造が似ているということだ。夢次元と呼んでもいい。

 「‥夢は何処まで続くのかな」

 独り言のように神崎はひっそりと呟いた。私もそのことに頭を悩ませている。

 このアパートは夢であり、この夢は層状に重なった夢のどこかの一層だ。ではその層はいつ終わるのか、そして終わりに誰かの夢である私たちは行くことが出来るのか、そこは大きな問題だ。

 「何処までかは分かりませんが私たちで最上階というわけでは無いのは確かです」             今も私達は誰かに想像されている。それはとても不思議な気分で、怖いという考えはあるが、感情の方はそうでもない。

 「‥まあ考えても仕方ないですよね。気楽にいきましょうよ」

 場を和ませようと神崎が笑顔を振舞う。

 「それもそうですね」

 私もそれに応える様に笑顔で返す。

 「あっ、挨拶がまだでしたね。知ってると思いますが初めまして、神崎といいます」

 「初めまして。細川といいます」

 私たちはここで名前を交わす。相手の名前を知っているとはいえ、本人から聞いてみるとやはり人と会っているという気分になる。気持ちのこもった言葉を感じるのだ。

 「細川さんですか、いい名前ですね!」

 神崎を見ているとこちらまで笑顔にさせられる。

 「あっ、床汚くしたままでした。ちょっと取りに戻ります」

 床から入ってきたときに出たくずが床に散乱していた。

 神崎はちりとりを取りに部屋へと降りて行った。

 その間、私は外を眺める。

ここが夢のアパートであるなら、外に出た際に目が覚めるのは何が原因なのだろう。

アパートと外を隔てる境界、これは何を持ってして生まれたのか。

考えるが答えは出ない。

 そうしていると神崎が戻ってきた。

 「ちりとりで掃きますね」

 掃き掃除をする神崎はとても若々しいと、年もさして違わぬ私は思う。

 生きる活力というのだろうか、自身が私の想像する夢であると知りながら生きる希望を忘れない。

 「服、少し切れてますね」

 「えっ、ほんとだ。穴を通る時に切っちゃったみたいです」

 床の穴は綺麗な穴ではない。ところどころに出っ張った床材があり、服の繊維にひっかかっては切っていく。

 神崎はこれから部屋の行き来を多くするかもしれない。夢とはいえ服だ。傷つけないようにしなくては。

 「やすりがあるから私が穴を削ろうか」

 私も利用するかもしれない、ならば私も何かしなければ。

 穴が開いたということは他の部屋でも出来る可能性があるということだ。ならば上にも下にも自由に行ける。

 私はやすりで穴を削る。途中から神崎も穴削りを手伝い始めた。

 (君に手伝われるとこっちの面子が立たないんだけどなぁ)

 と思いもするが、この手伝い分の恩は後に返そうと心を切り替える。

 「削り終わりましたね!休みますか」

 結局互いに半分を削る結果になった。私が頼っているのもあるが神崎さんは頑張りすぎだなと感じる。

 「そうですね。冷蔵庫のお茶でもどうぞ」

 お茶を飲みながら二人でテレビを見る。

 テレビは最新型から数世代前のものだが、中々の画質で番組も一つ下の部屋と違って面白いものも見れる。

 「この番組、見たこと無いですね」

 神崎がそう言いながら指さす番組はなんてことないローカル番組だ。地方ネタ満載の映像を背景に天気予報を流していそうな雰囲気がある。

 「そう?私はここで何度も見ているけど」

 「僕が見たことないだけなのかなぁ」

 と神崎は少し不思議がったがすぐに気にしないようになり、テレビに目を向け直した。

 (夢だから何でもありなのだろうか)

 私は少しこのことが気になった。

 おそらく神崎の部屋で見れなかったのは番組を神崎も私も、あの番組を記憶に残していないからだろう。無意識の記憶と言えるのか、当然私たちの記憶ではないが、 夢にそれが滲み出た結果があの番組なのだと私は思う。

 そもそもこの夢アパートは何意識から出来たのか、私は気になって仕方ない。個人的意識あるいは個人的無意識か、普遍的無意識であったりするのだろうか。

 個人的にはごっちゃになっているのかもしれない。だがおおよその要素は無意識だ。

 根拠というには乏しすぎるが、神崎さんの部屋で流れなかった番組が私の部屋で流れている、つまりは私の部屋の上の者の無意識が番組に映り込んだのだと考えることが出来る。それに私自身、意識して神崎さんを夢に見たことはない、当然部屋も。無意識に夢に見たのだ、ならば無意識が夢の構成要素として大きいとみれるはずだ。 今見ている番組が私を含めて下の階の者を夢見ている存在の無意識だと思うと何やら寒気がする。知らない情報が私たちの記憶に入り込んでくるようで気味が悪い。

 (そういえば普遍的無意識はあって当然か)

 と一瞬冷静になる。人類に共通してあるのだから夢にも出るのは当然のことではないか。 

 「ここって夢なんですよね?なら色々出来るんじゃないですか」

 神崎はわくわくした顔で聞いてくる。テレビ番組から考え付いたことのようだ。   「色々とは?」

 「リンゴをみかんに変えるとか、お金を増やすとか現実的に出来ないことですよ」 「出来るかもね。でもそうしたいなら下の階に行かないと」

 この部屋でりんごをみかんにしたくてもこの部屋を夢見ているのは上の者だ、私たちがそうしたいなら夢見ている下の階でしか出来ない。

 「そうですよね、じゃあ上に居る人にお願いすれば出来るかも知れないってことですね」

 「それはそうだけど、どんな人が居るか分からないんですよ」

 「でも僕は会いに行ってみたいです。楽しそうですし」

 神崎は笑いながら大丈夫ですよと言う。

 そんな彼を見て、私はある決意を胸に刻む。いざというときは私が彼を助けようと。 

 こうして私たちは更に上を目指すことを決めた。

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