床から失礼します

 夢を見た。

 知らない誰かを夢に見る誰かの夢。アパートに住む誰かの夢。今までに幾度と見て来た夢であった。

 夢であるのだから自身が何者になろうと良いではないかと思うだろう。いつもならそう思った。しかし今の私にその考えはちょっと持てそうにない。

 何故なら今の私は夢で見たそのアパートにいる誰かが今まさに下から来ようとしているからだ。


 夢の私は神崎という男の姿をし、今居る場所の一階下の部屋に住んでいる。そして今こうして神崎の襲来を待つ私は神崎の一階上に居る。この部屋もアパートなので夢だろうか。

 時折、どちらが本当のわたしだろうかと悩むことがあった。私は今、私の姿だが今までの夢では神崎なのだ。つまり私はわたしでもあり、神崎でもあったのだ。もちろん、夢の神崎からすれば自分は自分としか思っていないだろうが。

 こういった考えに答えを出すのは得意ではない。

 床からは神崎がナイフを使って穴を開けようとする音が聞こえる。

 私も私とて黙ってみてはいられないと考えを巡らせる。ベランダから声を掛けるか、それとも玄関から出て止めに行くか。

 どちらもおそらく無理だろう。この夢は私に夢であり、神崎にとってもまた同様の夢なのだ。神崎が外に出られないように私も外に出れば夢が覚めてしまう。

 考えている間に床には豆粒ほどだが穴が開いていた。

 手元に穴を塞ぐものはないものかと辺りを見回す。

 「これだ」

 と机にあったティッシュを無理やり詰め込む。千切る余裕が無かったので床から白い花が生えたような見た目であった。

 「うん?ティッシュ?‥誰かいますか?」

 と下から声がする。

 「‥います。ここに」

 隠しても仕方が無いので応えることにした。自分の夢の人と喋るのはどうにも不思議な感覚だ。

 「す、すいません。外に出られないもので」

 「ええ、知ってます」

 そういうと神崎は不思議そうに聞いてきた。

 「ということはあなたもこれと同じ夢を何度も?」

 「いえ、このアパートの部屋に住むあなたの夢です。神崎さん」

 すると神崎はしばらく黙ってこういった。

 「‥‥このアパートの外にいることも夢に見ますか」

 「いいえ、アパートだけです。あなたにとって夢が覚める時、

私が見ている夢も覚めますから」

 神崎はまたも黙り込んだ。

 話しかけようか悩んでいると神崎は一言だけ言った。

 「とりあえずそちらに行きますね」

 床からまたもナイフで穴を開ける音がする。しかし先ほどまでよりずっと音は力強く、また早い。

 彼に夢のことをいったことを私は後悔していた。夢の自分のこととは言え、自身の行動が私の見た夢だったなど誰だって怖いだろう。自分で決めたことが誰かが無意識に見たことなのだ、怖がらない方が少ない。

 このとき、彼のこととは別に一つ自分なりに怖いことを考え付いたが無視することにした。

 「‥床から失礼します」

 と神崎が礼儀正しく入室した。もっとも入り方は全く持って礼儀がなっていない。

 「‥怒っていますか?」

 恐る恐る神崎に聞いてみる。彼は自分が夢に見られていると知ってどう思っただろうか。怒鳴られるだろうか、泣かれるだろうか。しかし彼は笑っていた。

 「何故怒るんですか?怒らないですよ」

 「‥私があなたを夢に見ているので、気にしているかと」

 「‥確かに驚きましたよ。自分があなたの夢だなんて。でもそれはアパートだけですし、こうして僕とあなたで話してるじゃないですか。これってあなたの夢から僕が出て来たってことだと思うんですよ」

 私の夢では、私は神崎の体で下の部屋にいる夢を見た。空を想像して飛ぶ彼を想像した。そんな私に想像されるだけの神崎は、想像していた私に会えたことに少し希望を見ているらしい。

 「それはそうかもしれません。現に私もこのアパートの夢を見ているのに今はあなたの体ではないので」

 彼が彼の姿に戻った時、私も私の姿に戻り一階上の部屋にいた。

 未だアパートの全貌は分からない。私たちの部屋がどこの階なのか。窓の景色は街並みだけを覗かせ、全ては見せてくれない。

 「‥あなたも誰かの夢を見ていましたか?」

 と神崎に問う。

 「はい。別の誰かの夢を見ていました」

 ここで伝えるべきか悩むが、いずれ分かることかもしれないからと神崎にある考えを伝えることにした。

 「‥もしかすると我々は誰かにまだ夢見られているかもしれません」

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