1-3 ゾンビマンション
件の廃墟は、白い塗装が施された十階建てのUR賃貸――かつてマンションだった所だ。塗装して間も無い時に使われなくなったせいか、五年も放置されているのに、見た目はそんじょそこらのアパートよりも新しいように見える。ツタを始めとしたつる性植物がびっしり張り付いていなかったら、余計に新築だと勘違いしてしまいそうだ。
当たり前の話だが、マンションだった建物から灯りを漏らす部屋は無く、闇だけを抱えている。今は夜の10時だが、遠くから見えるぼくの家には、相変わらず警察が調査に勤しんでいて、騒がしい。
おかげで、多くの人々の意識は、廃墟から遠ざかっているように感じる。これはチャンスで、怪我の功名といったところだ。……誤用なんかじゃない。現に傷ついたからね、ぼくの家。
「それで、どっから入るの?」
ネコザルが、ぼくが背負っているリュックの中に潜みながら、尋ねてくる。
廃墟の周りは有刺鉄線によって囲まれており、不用意に人が近づかないようにしてある。その有刺鉄線も、幾重にも束ねてあるから、専用の工具が無いと突破は難しいだろう。仮に、痛みに耐えて跳び越えようとしても、今度は警報ブザーが鳴るようになっており、見つかるとすぐに警備員が駆けつけてくる仕様だ。以前、肝試しをしようとして侵入を試みた上級生たちがこれに引っかかり、後で大人にこっぴどく叱られていたのを見たから、間違いない。おそらく、見えないだけで、何かあればすぐに駆け付けられる距離に控えているはず。
少し考えた後、頷く。
「強行突破といきますか」
ぼくはリュックからモンキーレンチを引き抜き、構える。
「うえぇ~!? 本気ですかー?」
「そうしなきゃ、手掛かりが見つからないかも知れないでしょ。怪我だの叱られるのが怖いだの、言ってる場合じゃないって」
考えるのが嫌になった、とはさすがに言えない。
「いや、でも――」
「優先すべくは君だ。法律なんか無視一択だ」
「……わーお」
ネコザルは、観念したように静かになった。
ぼくは大きく振りかぶり、モンキーレンチを思い切り振り落とす――
「っとっとっとぉ!?」
「うわわっ! ど、どうしたのいきなりつんのめって?」
不意に目に留まった光景により、反射的に体の動きを止めた。おかげで、勢い余って転びそうになった。
「ご、ごめんごめん。あれを見てさ」
「えっ?」
ぼくは、リュックから飛び出したネコザルに、自分が見たものを指で示した。
「暗くてわかりづらいかもだけど……犬がいる」
一瞬だけど、はっきり見えた。
黒毛だからわかりづらかったけど、あの大きさは犬だった。シルエットから察するに、おそらくはグレートピレニーズだ。
「いぬ?」
「うん。穴があるのかな?」
一縷の希望を感じ、ぼくは影を見た場所に小走りで駆け寄る。
「ビンゴ」
本当に、有刺鉄線の真下に、大穴が開けられていた。グレートピレニーズ程の大型犬が通れるんだ。中学生のぼくなら、ギリギリ通れるはず。
後は、監視カメラをどうするかだ。
「テオ。カメラなら、ボクがなんとかしてあげる」
「頼める?」
「もちっ!」
自信満々なようなので、ここはネコザルに任せてみる。
ネコザルが片手を上げると、カメラの向きが一気にマンション側に向いた。
「サイコキネシスってヤツか」
「超能力は心の力だからね。今の状態でも、簡単なことなら出来るよ」
「そんじゃ、少しそのままキープでお願いよ」
ぼくは何とか身をよじらせながら、慎重に穴を潜り抜けた。何度も地面に体をこすりつけて痛いけど、のんびりしてる場合じゃない。
「よっしゃ……!」
なんとか、敷地内に入れた。穴の向こう側にあるリュックを手繰り寄せた後、監視カメラの範囲外となる建物の玄関のある方向へと移動した。
「ありがとうネコザル、こっちに来て!」
「オッケー!」
ネコザルもこちらに駆け寄り、合流したところで、サイコキネシスを解いた。再び動くようになった監視カメラは、それまでの遅れを取り戻すかのように、ブンブンと左右にカメラを移動させる。当然、死角にいるぼくらが補足される心配はない。
「良い感じじゃないの」
「でも、なんか本格的になってきたね……」
ネコザルは身を震わせた後、ぼくの腕に飛び移り、しがみついた。
出入口のある方の向こう側は山林になっている。そのため、侵入を想定していないのか、監視カメラはついていない。その分、ただでさえ弱い街灯の光が届かず、不気味な闇が支配する世界になっていた。
光の有無が、ここまでの違いを生み出すとは思わなかった。恐怖心が増したせいか、脚に触れる雑草の感触が、余計に気持ち悪く感じられる。
しかし、怖がってばかりじゃいられない。
「さて、エイリアンとやらはお出ましかな……?」
空元気というか、なけなしの勇気を振り絞り、固い笑みを浮かべる。
「ねぇテオ」
「どうしたの?」
「こんなに監視カメラがついてるんならさ、特殊メイク野郎でも動く人形でも見たって、なんで広まんないのかな? もっと騒いだって良いはずなのに」
「それは、確かに……」
「もしくは、カメラじゃ見えない何かとか……うぅー!」
ネコザルのネガティブが、暴走を始めたようだ。
ぼくは彼女の気を紛らわすように頭をぐしゃぐしゃ撫でながら、笑う。
「行けばわかることだろ?」
「ここここ心の準備ぃぃぃぃ!」
「はい、行くよ。周りに気を付けてね」
「わはぁぁぁ~……!」
ぼくは、震えるネコザルを抱きしめながら、ペンライトを握らせて視界を確保したことを確認し、廃墟に足を踏み入れた。吹き抜ける風が、汗ばんでいたぼくの体を、急速に冷やした。
◇◆◇◆
照明の無いマンションの廊下を、慎重な足取りで進む。暗くて良く見えないのもそうだけど、廃墟なんて誰も掃除をしてくれないから、雨風に晒されてもそのまんま。だから、床には砂埃や泥が溜まり、それのせいで滑りやすくなっていた。こういう怖さは、ちょっと予想外だったかな。
こんなところで、特殊メイクなんてしているヤツと出くわしたら、チビらない保証はない。
そんなおかしなヤツが、ホントにいたらの話だけど。
現在、二階を回っているけど、少なくとも何かおかしなものを見つけた、ということは無かった。
「ネコザル。実際、どんな感じしてる?」
「怪しげな気配はするね……」
後頭部にしがみつくネコザルに尋ねると、唸り声のような思念が返ってきた。
「てーと、何か? 危険なヤツがいたりするとか?」
「なんか、チクチクする感覚……用心してね」
「ビビらすなぁ……」
でも、どこか納得している自分もいる。
気のせいじゃなければ、ここいらの空気だけが、やたらと冷たく感じられるようになった。山が近いから、とかそういう意味じゃなくて、何かこちらを凝視されているような、そんな感覚だ。
しばらくして、廊下の端に、見覚えのある影を見た。
「あれって……さっきの犬か?」
黒いグレートピレニーズ。結果論だけど、さっきぼくらにバリケードの穴がある場所を教えてくれた黒い犬が、目の前に鎮座している。
『遅かったじゃねえか。人間ってのは、運動能力に関してはてんで効率の悪い構造してんのな?』
黒い犬が、いやらしい笑みを浮かべた。カートゥーン調に、三日月のような口から覗かせる赤い歯は、ぼくの頭にひょうきんな性格の悪魔を連想させた。
ぼくのイメージはとにかく、目の前の黒い犬は、明らかに普通じゃない。
『ここに来たってこたぁ……どっちかは、同類ってこったな』
「同類……?」
「ハイパーのこと?」
ネコザルがすかさず質問する。
「ハイパー……?」
「一言で言えば、超能力者のこと。あの犬が、たぶんそう」
『いやいや。俺じゃなくて、俺の御主人様がそうなんだよ。あんたらの定義に当てはめるんならな』
黒い犬は、またしてもからかうように笑った。
『さて、それじゃあおしゃべりはこれくらいにして、ちと試させてもらうことにするぜ』
「試すって、お前何考えてるんだ?」
『今時の若いもんの悪い癖だぜ、にーちゃん。答えが知りたきゃ、テメーの力で勝ち取りな!』
そう言い残し、黒い犬は青い火の玉と化し、壁の向こう側に消えた。それと同時に、空気がさらに冷たくなり、何かがうごめくような音が聞こえてきた。
「テオ、気を付けて!」
「えっ?」
「何か……ヤバい!」
ネコザルの言葉を肯定するように、周りのドアが一斉に開いた。
そこから現れたのは――、
「うっ!?」
嗅覚なんて無いはずなのに、ネコザルが口元を手で覆う。無駄な行為には違いないけど、意識が人間のそれと同じであれば、今のリアクションは無理もない。
「酔っ払いの幻覚なら良かったのに……!」
現れたのは、ゾンビ。
全身から腐臭を漂わせた動く死体が、フラフラとした足取りで、ゆっくりとぼく達ににじり寄ってくる。やたらと印象に残ったのは、ゾンビの服装だ。綿、麻、絹といった天然素材の服装は、歴史の教科書で見た戦前のイーストランド――当時は日本人と呼ばれていたぼくらの先人が着ていた、キモノやモンペ、国民服といったもののように見える。
このマンションは、ゾンビの隠し場所だったのか!
「おいおい、どっから引っ張り出してきたんだ、この死体……!?」
「テオ! 左から来る!」
ゾンビは無言で、両腕を振り上げて襲い掛かってきた。
「きゃあああああ!」
「ッ!」
ネコザルの悲鳴が、竦み上がりそうになったぼくの、男の矜持に火をつけた。
四肢の震えが、止まった!
「くのっ……!」
右手に握ったモンキーレンチで、ゾンビの頭を横から殴った。ゾンビの頭は簡単に砕け、死肉が飛び散った。感触としては、人間というよりかは、土の人形を殴ったようなイメージだった。それならそれで、どうしてそんなにも古くなった死体を動かせるんだろう? って、そもそもゾンビが動く仕組みがわからないんじゃあ、考えたところで無駄だわな。
しかし、今の一撃で、ぼくは確信した。
「この程度なら、ぼくでも勝てる!」
戦闘者としての自信がついた。ぼくは、黒い犬が消えた方向に向かって走り、行く手を阻むゾンビを次々とモンキーレンチで砕いていく。
「テオ、よく怖くないね……?」
「そんなに強くないからね!」
元気づけるように叫ぶ。しかし、ぼくの言葉を否定するように、背後にいたゾンビが無造作に動かした腕が、マンションの手摺壁を易々と砕いた。それを見たことで、ぼくはキンタ――ではなく、ぼくの男のシンボルが竦み上がるのを感じた。
「……あいつらに構ってる余裕はない!」
「うん、やっぱ怖いよね」
「あーもー急に落ち着くな!」
ぼくは転倒覚悟の駆け足で、黒い犬の後を追った。
それ以上に、ゾンビに関わりたくなかった。
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