プロローグ  脱走

「こっちに逃げたぞ! 追えー!」


 夜の闇の中、月光に照らされた山奥の軍事基地らしき施設。その一区画を、水色の患者衣を着た少女が走る。綺麗な紫色の髪をなびかせ、息を切らせながら走る少女の表情は、誰が見ても尋常じゃない程の必死さを醸し出していた。

 それもそのはず。少女は、この施設を根城にしている犯罪組織に捕まっており、たった今、千載一遇のチャンスと見て、脱出を図ったばかりなのだから。周辺には、白衣を着た男たちが群がっており、数の力で抑え込まんと、少女の行く手を阻んでいる。

 無論、少女とて、勝算が無いわけじゃない。


「うわぁー!?」 


 視界に映る男たちが、突然浮かび上がり、そのまま空へと放り出された。男たちが戸惑っている間に、少女は身を屈めて、目立たないよう注意しながら、奥の通路へひとり駆け抜けた。

 サイコキネシス。目には見えない精神の力によって生み出される念動力によって、男たちは駆除されたのだ。やったのはもちろん、脱走を図った少女である。

 しかし、いつまでも同じ方法が通用するわけがない。

 組織名はわからないが、犯罪組織である彼らは、超能力の研究をしていた。実験を行う者が、実験体である少年少女が反抗するリスクを考えていないわけがない。何かしら、対策を講じているはずだ。今は、奇襲にも似た形での攻撃だったから対応出来なかっただけで、しっかりとした準備をされてしまえば、今みたいに上手く突破できる保証は無くなる。

 ――あまり、時間はかけられない。

 少女は決死の想いで出入口となる、施設の正面玄関へ辿り着くが、


「これだけの人数を吹っ飛ばす威力なんだ、近くにいなきゃ出来ないぞ!」

「出入口を封鎖しろ! 急げぇ!」

 

 残念ながら、一足遅かった。

 玄関付近に、白衣の男たちが群がっていた。口から泡を飛ばしながら怒鳴り合い、周辺を警戒している。彼らは全員、拳銃を所持していた。さすがに、あれだけの数に囲まれてしまえば、サイコキネシスだけではカバーし切れない。死角から銃で狙われたら、防御する術はない。

 少女は、舌打ちをした。出来ることなら、スマートに扉を抜けて脱出したかったが、相手は組織で動いている。単独での突破は、そんなに甘いもんじゃない。

 だから、すぐに思考を切り替える。

 本命は、これからなのだ。


「よし、まだあった……!」

 

 身を隠すためのバリケードに利用した観葉植物に沿えるように置かれた、ピンク色の小さな人形。猫の頭と猿の体、キョンシーの服の裾を取り付けたような、ファンシーなマスコットキャラの人形。少女が生まれる前に流行ったと言われるキャラクターブランド、キャメリーズ。その仲間のひとりである、アステルという妖精の人形だった。

 少女は、お気に入りの人形――アステルを抱きしめ、にししと笑った。こういう時に備えて、隠していたのだ。


「これがあれば、イケるってね……!」


 意を決して、少女は踵を返し、脱出ルートから大きく離れた研究室に向かう。

 辿り着いたのは、『兵器開発部』と書かれたプレートが取り付けられた部屋だった。ドアノブに手をかけ、扉を開く。部屋の中は殺風景で、数え切れない程のロッカーが並べられていた。一部、開いたロッカーがあり、中には銃火器が収納されているのが見えた。

 少女は、構わず部屋の奥へ歩を進める。そして、部屋の中央に設置されたミサイルポッドに装填された、巨大なミサイルを見つめ、ほくそ笑んだ。


「計算通り……!」

 

 少女は、ミサイルポッドの操作を行うべく、専用のコンソールを起動させ、操作する。そして、後は発射を指示するパネルを押せばいいだけ、というところまで進んだところで、背後から光が差し込んだ。


「おっと、そこまでだ」

 

 少女が振り向くと、背後に組織のトップである三十代後半と思われる、長身痩躯の男が立っていた。他のメンバー同様、白衣の下にスーツを着込んでいる。白髪混じりの黒髪をオールバックにまとめ、顔には斜めにまっすぐと刻まれた刀傷がついており、穏やかじゃない人生を送っていることを物語っていた。

 少女は、眼前の男を睨みつける。


「オグロ……!」

「困るんだぜ、クロエちゃーん。お前さんは、ウチの計画の要なんだ」


 オグロの柔和な笑みを見た少女クロエは、苦虫をかみつぶしたように表情を歪める。


「どんな気持ちでこんな真似をしでかしたのかは知らないけど、外の世界に興味を持つのは無意味だ。諦めて、俺達と共に生きようじゃねーのさ」

「ふざけないで!」


 クロエは吐き捨てるように叫んだ。

 

「あんた達の言いなりになるくらいなら……死んだ方がマシ」

「でも、たとえ地球連合軍の艦隊が相手だとしても、俺達を殺すことなんて出来ねえってのは、お前さんだってちゃんとわかってんだろ? なんせ、一騎当千の〈ハイパー〉の集まりだからな」

「…………」


 オグロの語るハイ・パーソン――縮めて〈ハイパー〉とは、一言で言えば超能力者を指す。人知を超えた力を行使することで、〈ハイパー〉と呼ばれる者は自然の摂理を味方にし、時には歪めることで、常識の中でしか生きられない人間を歯牙にもかけない程の力を発揮する。

 そして、クロエもまた、その〈ハイパー〉の一人だった。


「基地の爆破を目論んだかい? でも、爆発程度じゃ組織は死なねーよ」

「…………」

「助けを求めるってんなら、もっと無駄だ。今言った通り、世界は〈ハイパー〉への対策がまるで取れていないからな。お前さん以外にも、組織に忠実な〈ハイパー〉はわんさかいる。もし、お前さんが外の世界へ助けを求めたとして、誰が俺達に敵うと思うよ?」

「わかってる……」 

「だったら――」

「でも、いるかも知れない」

「何?」

「わたしの……味方!」


 クロエは、あえて勝ち誇った笑みを浮かべながら、すかさずコンソールの方に振り返り、ミサイルの発射装置を作動させた。すると、ミサイルポッドから、六発のミサイルが発射され、開かれていないシャッターを破壊した。残り何発かが、夜空の彼方へ飛んでいく。


「テメエっ!」


 瞬間、オグロは隠し持った拳銃でクロエを撃った。背中に凶弾を受けたクロエは、声もなく崩れ落ちた。仰向けに倒れたクロエの体から、徐々に血の海が広がっていく。

 オグロは、舌打ちをした。


、か……してやられたってわけだな」


 オグロは、さっきまでは少女だったものを担ぎ上げ、部屋を出る。


「それでも……利用させてもらう。お前は俺達から逃げられない」

 

 渋面を浮かべるオグロの真上を、飛ばされたミサイルの内一基が、意志をもっているかのように基地の真上を円を描くように回り、飛び去って行った。そのエンジン音は、まるで犯罪予告を達成して去っていく怪盗の高笑いのように、施設内に響き渡った。

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