第7話 郷に入ってはお嬢様に従え
慣れとは怖いものである。
毎日のように、等身大の鏡で自分の姿を見ているからか、何も感じなくなってきた。
進藤さんが、毎日欠かさず鏡を見るように!と強く言ってきたのだ。
「はぁ⋯」
思わず漏れてしまうため息。
慣れてはいけないことに慣れているのではないか。
「まぁ、仕方ないか⋯」
そう。仕方ないのだ。頭部だけ羊なのは変わらない。
壁掛け時計に目をやると、時刻は早朝5時30分である。
「二度寝⋯したら起きられないかな。やめておこう」
よし、散歩でもして気分転換しようか。
✱
薄暗い空の下、綾芽さんと初めて会った場所に向かって、歩いていく。
目が覚めてから1週間ほど経つが、毎日会うのは執事の人たちだけだ。
ここ数日の進藤さんは忙しいのか、電話でしか話せていない。
「やっていけるかな⋯」
ベンチに座り、庭の花を見つめる。
花にだって名前がついている。
僕の名前は何だろう。
同じ執事の人たちは、執事さんや羊さんと呼んでくる。名前がないからだ。
「うーん⋯⋯」
僕が唸っていると、角に何かが触れた気がした。
「ん?」
気になり角に手を伸ばすと、それは冷たく小さい。
「⋯⋯?」
気になるので角から引き剥がして見ると、それは綺麗な綺麗な一一一
「て、手ぇえ?!」
「きゃっ!」
驚きのあまり、思わず手を離すと、悲鳴と共に何かが落ちる音がした。
尻餅をついた綾芽さんである。
「あ、あああ綾芽さん!」
僕、動揺しすぎである。
「違う!お嬢様!」
「そこじゃないでしょ!」
「申し訳ありません!」
なんてことだ。お嬢様に尻餅をつかせてしまうなんて!
「まさかお嬢様とは思わず⋯申し訳ありませんでした!」
深くお辞儀したあと、手を差し伸べお嬢様を立たせることに成功した。
なんか、執事っぽい気がする。
「だ、大丈夫ですか」
「大丈夫です」
「あの⋯敬語でなくて大丈夫ですよ」
「今そこツッコむんだ?」
くすりと笑うお嬢様の周りに花が舞っているように見える。品のある花に違いない。
「びっくりさせてごめんね。試してみたくて」
「試す、ですか」
「羊は聴力がよくて、視野は270°〜320°見えて、頭を動かさずに背後を見れるって本に書いてあったから」
羊、すごい!!
それを試そうとするお嬢様もすごい!
というか、背後のお嬢様に全然気が付かなかった⋯。
「それで角を触ったんですね」
「うん」
試すのは良いんだけど⋯万が一、角が手や顔に当たっていたら大事だ。
釘を差しておこう。
「⋯⋯⋯?」
真面目な顔をする僕は、(羊なので多分表情は変わらない)お嬢様の目を真っ直ぐに見つめる。
「でももういけませんよ。怪我したら痛いですよ」
「⋯⋯うん」
「⋯何故笑っているんですか」
「先生っぽかったから」
「先生ですか」
叱られているというのに、微笑んでいる。
上目遣いで微笑むその姿は、儚げに咲く彼岸花を連想させた。
「お嬢様、手も冷たいですし、お部屋にお戻りください」
「へぇ⋯随分と執事みたいなセリフを言うんだね」
「勉強しましたから」
「ふーん⋯嫌だなぁ」
「え⋯」
「だって一一一一」
ざあ⋯と強い風が吹く。
そのせいでお嬢様の言葉が聞き取れなかった。
そのせいで、泣きそうになっている理由が分からない。
「すみません、今、なんて」
「さぁ。知らないほうが幸せなこともあるよ」
どこかで聞いたセリフ。
そういえば、進藤さんも言っていたな。
「ねぇ、」
「はい」
「私だけの、執事でいてね」
「はい」
「先生じゃなくても、良いからさ」
「先生⋯ですか」
また先生か。思い入れのある先生でもいるのだろうか。
「明日から私のお世話よろしくね」
今度はウインクをしてきた⋯色々な表情をするんだな。
というか、今⋯
「あ、明日からですか?早くないですか?」
「むしろ遅いくらいでしょ?」
「まだ至らないですし⋯」
オロオロしているであろう僕の顔に、ムッとした顔をお嬢様が近付けてきた。
うん、近い。本当に近い。
「へぇ〜、ご主人様に意見するんだ?執事の分際で?へぇ〜!」
意地悪な笑顔で、しかも大きな声で圧を与えてきた。
だめだ。逆らったら何をされるか分からない。
「⋯⋯⋯異論はごさいません」
遂に本性を現したな。きっと素がこれだ。
「よろしい」
「⋯はい」
フフンと鼻で笑い勝利を得たお嬢様は、ご機嫌である。悔しいほど可愛い。
「お腹空いたから戻るね」
「はい、ではまた明日」
「うん、また明日」
パジャマ姿のお嬢様は、鼻歌を歌い、スキップで中へと入っていった。
遊園地に行く子供のようだ。
「というか、あのパジャマ⋯」
タイミングを逃し聞き忘れていたが、すごいパジャマだった。
「どこで買ったんだろ⋯」
この風景には似合わない、ウサギの着ぐるみのようなパジャマだった。
耳のついたフードは被っていなかったが、ゆらゆら揺れていて吹き出すのを我慢した。
(よく耐えたぞ、僕!)
後に、ウサギではなくミーニャであることが判明し、我慢できずに吹き出してしまい怒られた話は、割愛します。
執事ノート
◯お嬢様は、未来猫ミーニャ!というアニメのミーニャが好きです。
◯ミーニャは若干普通の猫より耳が長いみたいです。
◯お嬢様の本性を垣間見ました。
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