第6話 羊。いいえ、執事です。
「いやぁ~、見事っすね~」
キラキラした目で僕を見つめているのは、ややツリ目の若い男性の執事だ。
髪の色は明るめの茶色で、黒いスーツを着こなしている。
「進藤さんはすごいっすよね〜」
顔だけ羊の僕を見ても、顔色一つ変えず握手してくれた人だ。
「進藤さんを尊敬しているんですか?」
「そりゃー、ここで働いてまだ3年目ですけど、すごいなって思うことが多かったんで」
「そうなんですね…」
目の前にいるのは若林さんという執事で、今日から僕に執事の仕事を教えてくれることになった。
「色々聞きたいっすけど、仕事しなきゃ怒られるので、ささっとしちゃいましょう!」
張り切る若林さんは小さなノートを取り出すと、何か確認しているのか「ここからで…えーと…」と、ひとり言を言っている。
聞こうか迷ったが、思い切って聞いてみよう。
「…若林さんは、僕が怖くないんですか」
「え?怖い?」
「この部屋に来る前、何人か挨拶をしましたが、みなさん目が笑っていなくて…必死に作り笑顔をしている感じでした」
「………」
若林さんに会う前に、進藤さんと一緒に執事の人たちに挨拶をしに行ったのだが、どの人も怖がっているように見えた。
なかには悲鳴を上げた人もいた。
その気持ちは、とても分かる。怖がらないでほしいとは言えない。
いきなり人間ではない何かが現れたら、怖いに決まっている。
ゴキ…いや、Gが現れたら怖いんだから、僕はもっと怖いだろう。
若林さんの返答を待っていると、ノートをパタンと閉じ、微笑んだ。
「俺は、一番怖いのは…人間だと…思うんすよ」
窓の外に目をやり、どこか遠くを見つめている。
「小さい頃の俺、父親に殴ったりされてて…でも母親は知らんぷりで…近所の家の人が通報したみたいで、それで解放されたんっすよ」
「そう、だったんですか…」
「俺がアザだらけで学校に行っても、みんな見てないフリで、先生は聞いてもこなかった」
「……」
聞いていて辛いが、本当に辛いのは若林さんだ。
想像するのと、当事者になり経験するのは違う。
相当辛かったであろう過去。
忘れられない過去。
若林さんは乗り越えて今、ここに立っている。
「人間が感情をコントロールできていたら、暴力だって殺人だって、おきないじゃないっすか」
若林さんの沈んだ声が部屋に響いた。
なんて言えばいいか分からず黙っていると、若林さんは慌てて笑顔になった。
「俺は、見た目や周りの評価で判断しないようにしてるっす」
「それで僕のことも…」
「はい。俺の父親は周りの評価がいい銀行員でしたから」
「なるほど…」
「羊さんがどういう動物…あ、いや、人かは俺の目で見て判断するんで」
今、動物と言ったな…。
動物なのは顔だけだからね。
いちいちつっこむのもどうかと思うので言わないが、心の中で言うのは自由だ。
「俺は羊さんを見たからって、怖がったりしませんよ。そこはまぁ安心して下さいっす!」
「若林さん…ありがとうございます」
僕の顔が羊でなければ、感動の涙を流しているだろう。
若いであろう若林さんに教わるとは…僕も考えを改めないといけないな。
「切り替えて仕事しましょう!俺も入ったばかりの頃は掃除からだったんで、まずはこの部屋を掃除しましょう、羊さん!」
「は、はい!」
重い空気から一転して、明るい若林さんと一緒に掃除をこなしていく。
そしてふと思ったのだが、僕は羊さんと呼ばれているんだな…。
✱
「ふぅ…」
いくつかの部屋を掃除し終わったところで一息ついていると、若林さんが心配そうにのぞき込んできた。
「大丈夫っすか」
「はい…なかなかハードですが大丈夫です」
そう。結構ハードである。
ベットのシーツを変えたり掃除機をかけたりと、地味に時間がかかる。
部屋の持ち主によっては、ベットの下に本が沢山あったり、お菓子の袋が落ちているせいで掃除機で吸い込みそうになったり…。
「毎日するんですよね…」
「そりゃそうっすよ〜」
「にしても、大家族すぎませんか?今6部屋くらいしましたよね」
最初は客室かと思っていたが、人が住んでいる形跡がある。
ゼーゼー息をしていると、若林さんは口を開けてポカンとしている。
「?若林さん?どうしました?」
「いや、羊さんいま大家族って言いました?」
「え?あ、はい。言いましたけど…」
何か変なことを言っただろうか。
もしかして一人が沢山の部屋を使っているとでも言うのだろうか。
だとしたら変人に違いない。
首を傾げていると、若林さんは手で口を押さえている。
「くく……あっはっはっは!」
「………………」
そして腹を抱えて笑い出した。
情緒不安定な年頃なのだろうか。
「あはは…すみませ…ツボっちゃって………!あははは!大家族って!」
「そんなに笑うとこですか?!」
「いや、いや…あはは!だ、だってここの建物は執事専用っすよ!あはははは!」
笑いながら泣いている。そんなにおかしなことを言った覚えないが。
………待て。若林さんは執事専用と言った。
「し、執事専用…?!ま、待って下さい!この建物がですか?!」
「あはは…そうっすよ〜」
「こ、この大きな建物がですか?!」
「はい。一つ一つの部屋も大きくないでしょ…ぷぷ」
「確かに進藤さんの部屋よりは小さいですけど…客室にしては物が多いと思って…」
「進藤さんは別格っすよ〜。それに客室は真ん中の建物の1階にあります」
「……………」
何だろう、とても恥ずかしい。
若林さんはまだ笑っているし。
穴があったら入りたい…。
「羊さんだってこの建物で生活してるでしょ?」
「僕は客室に寝泊まりさせてもらってると思っていまして…」
「ぁあ〜なるほどっす…ふふ」
目を細めて微笑む若林さん、こういう顔もするんだな…。
「まぁ、執事のみんながみんな、住んでるわけじゃないんすよ。俺のように事情があって帰る家がない人だけ住んでるんで」
「そ、そうなんですね…そっか…」
時松家の屋敷は広く、建物が3つ存在する。
東側にあるこの建物は2階建てで、執事が住んでいるようだ。ちなみに全部で10部屋ある。
屋敷の中央に進藤さんや綾芽さんなど時松家が住んでいると思われる。ここが一番大きい。
西側の建物には行ったことはないから分からないが、ここも2階建てだ。
時松家の財力を考えるうちにどんどん掃除は進み、僕の部屋にたどり着いた。
2階の一番端である。
「いやぁ~、羊さん、天然なんすね。意外でした」
「違います…」
ニヤニヤ笑っていた若林さんの動きがピタリと止まった。
「どうしました?」
窓から何かを見ているようで、僕もつられて見てみた。
「あの方は⋯どなたですか?」
ここからだと少し遠いが、花壇に水をあげている女性がいる。
「時松三姉妹の長女、ゆりお嬢様っす」
「なるほど…」
ポケットに入れておいたメモ帳に書いておこう。
「あの方なんすよ…」
「何がですか?」
「あの方が警察に通報してくれて…」
「………!」
驚いた。こういうこともあるのか。
「今度お見合いするんすよ。幸せになってほしいっすね」
「若林さん……」
言葉とは裏腹な表情に、かける言葉が見つからない。
「あ、そういえば綾芽お嬢様もそろそろ帰って来るんじゃないっすか」
時計を見ると16時を回っている。
掃除って時間がかかるんだな…。
世の中の掃除する人に感謝だ。
「この部屋で終わりですし、ゆりお嬢様にも挨拶します?」
「…だ、大丈夫ですかね」
「大丈夫っすよ。天然で穏やかでマイペースですから」
「…のんびり屋さんなんですね」
そこから若林さんは、あっという間に掃除を終わらせ、ゆりお嬢様の元へと走っていった。
相当好きなようだ。
✱
「ゆりお嬢様!」
「あら、若林くん」
ゆりお嬢様は、大木の下にあるベンチに座って読書している。
足の速い若林さんに遅れて僕も近寄る。
「羊さん、こんにちは」
「こ、こんにちは…」
にっこり微笑むゆりお嬢様は、花の百合のように可憐である。
黒く毛先が整えられたショートカットで、服装は白を基調としたワンピース。
タレ目で、左目尻の下にホクロがある。
「本当に羊さんは羊なんですね」
「そ、うですね?」
若林さんの言う通り、穏やかな人だ。
「綾芽にはもう会いましたか?」
「はい。一度…」
「綾芽は素直になれないけどいい子なので、色々とお願いしますね」
「こちらこそ、お願い致します」
深々とお辞儀をし、チラッと若林さんを見る。嬉しそうだ。
挨拶もしたし、僕的には若林さんとゆりお嬢様を二人きりにしたほうがいい気がする。
うん、そうしよう。
「あの、進藤さんに用があるので失礼します」
「あれ…羊さん、綾芽お嬢様もうすぐ帰ってくると思いますけど…いいんすか」
「はい。進藤さんにメンテナンスというか…体調のことで色々と…」
その場しのぎの嘘である。
でも若林さんの気持ちを考えると、邪魔はしたくない。
「では、終わったら俺の部屋に来て下さい。調理室を案内するんで」
「はい、分かりました」
「羊さん、またね」
「はい、失礼します」
お辞儀をし、その場を離れる。
一度だけ振り向くと、ゆりお嬢様と話す若林さんは、照れ臭そうに笑っていた。
✱
執事ノート
◯若林さんはとても良い人です。
◯若林さんの考えは、大人びています。
◯若林さんは僕のことを羊さんと呼びます。
◯ゆりお嬢様も僕のことを羊さんと呼びます。
◯確かに羊ですが、執事です。
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