第5話 羊に詳しい進藤さん。
ハンガリーのラツカ羊をご存知だろうか。
ハンガリーの国宝とも称される羊である、と進藤さんが言っていた。
とにかく強そうな見た目で、スクリューのような角をしており、ラセン角と呼ばれているそうだ。
手鏡に映る自分を見た時、角がとにかく怖くて仕方なかった。
ちなみに、渦巻き状に丸く成長する角がアモン角。
…と、羊について語る進藤さんの説明を、今ひたすら聞いている。
熱く語る進藤さんの横にはホワイトボードがあり、ラツカ羊の写真が貼られている。
そして意外にも丸っこい可愛らしい字で、説明がびっしりと書いてある。
「どう?」
「……」
そんな期待に満ちた視線を向けられても、リアクションに困る。
とりあえず拍手しておこうか。
「羊のIQはね、ブタより低く、牛と同じなんだよ」
思わず拍手しそうな両手を引っ込めた。
拍手は止めておこう。褒めているのか分からない。
ブタのIQってどれくらいなんだろう…牛の方が高いのか。
行き場のない両手でお茶を吸う。
そう。吸うのだ。大きめの深いお皿を。
…何故なら羊だから。
そんな羊な僕を、進藤さんは真顔で見つめている。
「飲み方、練習した方が良いね」
「練習してできるものですか」
「さぁ。改良しようか?」
「な、何でメスを持ってるんですか!しかも二本も!」
怖い。どこから出したんだろう。
この人、麻酔もなしにメスを入れてきそうで恐ろしい。
「まぁ、冗談はさておき…」
「冗談に聞こえませんでしたよ」
「3日経つけど、やっぱり喋れるようになったね〜」
僕の小言を華麗にスルーした天才研究者の言う通り、壊れかけのラジオから、新品のラジオのような声になっていた。
認めたくはないが天才なのだろう。
「あれから3日ですか…」
「どう?慣れてきた?」
それは顔になのか、生活になのか…どっちかな。両方かもしれない。
人間の飲み方でコーヒーを味わう進藤さんを羨ましく思いながら、目覚めてからを思い返してみる。
1日目はただただ、何も分からず。
お嬢様が可愛らしいというのは理解した。
2日目の昨日は、屋敷の中を探検…いや、覚えるのに必死だった。
今いる進藤さんの部屋を覚えるのも大変だったのだ。
しかもこの日はお嬢様には会えず、同じ執事仲間に怯えられながら過ごした。
廊下ですれ違うたびに、相手が言葉にしていなくても伝わってきた。
人間ではない何かが歩いているのだ。逆の立場だったらと思うと、嫌に違いない。
そして今現在、3日目。
さぁ話してもらおうか、天才研究者さん。
「どうして羊になったのか、教えて下さい」
気になって仕方なかった。どんとこい!
「えー…重い話だからなぁ。嫌だなぁ」
駄々をこね始めた…。勇気を出して聞いたのに。
「詳しい話を聞かせてくれるんじゃなかったんですか」
「いや〜、fact…事実はね、知らないほうが幸せということもあるし」
「そ、そんなに重たい話なんですか」
何故英語を用いたのかは、面倒なので無視したが、進藤さんが口ごもっているので、相当重たい内容なようだ。
「君はさ、これから羊に…じゃなかった。ひつ……ひ…ぁぁごめん」
「………わざとだったら怒りますよ」
「ごめん噛んじゃった」
テヘ!とウインクしてきた。
”執事”と“羊”は似ているが、”混ぜる”と”爆ぜる”ぐらい違うと思う。
「もう…」
進藤さんは空気を明るくするのが得意なようだ。笑ってしまった。
「あっはっは。ごめんごめん。し・つ・じね。」
「そうですね」
「君は執事になるわけだからさ、仕事に支障が出てもいけないし」
「仕事って…掃除とかですか」
そういえば、具体的に何をするのだろうか。
お嬢様の学校の送り迎え…はできないな。うん、お嬢様が周囲から浮いてしまう。
目の前の進藤さんも、腕を組み悩んでいる様子だ。
するとすぐに手の平を叩き、ひらめいたようだ。
「他の執事に聞いたほうが早いね」
「…………はい」
どうやらそれが正解なようだ。
でも聞きにくいな。
「でも急にできるわけないからさ、執事見習いから始めたら良いんじゃないかな」
確かにその通りである。まともなことも言うんだな。
感心されているとは知らない進藤さんは、続けて教えてくれる。
「相棒みたいな感じでさ、ベテラン執事に教わりながらね」
それは心強いが、僕が相手だと教えづらい可能性もある。
顔が羊だもんなぁ。しかも角もあって飲み物も吸うし…。
「なんで落ち込んでるのさ」
「察してください…」
進藤さんはへこんでいる僕を見て、ホワイトボードに何やら書き始めた。
そして満面の笑みで僕を見る。
「よし!飲み方改良しようか!」
「メスはしまってください!」
改良せずに人間と同じ飲み方をしよう…そう強く決意した日になった。
ちなみに、ホワイトボードに書き足されたのは、”のど改良”だった。
✱
執事ノート
◯進藤さんはメスを持ち歩いています。危険です。
〇進藤さんは滑舌がいいです。素晴らしい。
◯進藤さんはfact(事実)を教えてくれませんでした。残念です。
〇羊のIQはブタより低く、牛と同じなようです。喜んで良いのでしょうか。
◯進藤さんは改良が好きなようです。気を付けましょう。
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