第4話 お嬢様の昔話・1

 お嬢様である時松綾芽は、櫛で髪をとかしながら、当時を思い出していた。



     ✱



 時松家は三人姉妹で、時松綾芽は末っ子。

 二人の姉は綾芽とは違い、成績も良く期待されている。

 その日、綾芽は1番上の姉と喧嘩をした。

 喧嘩の理由は、周りから見れば些細なことであるが、綾芽にとっては大きなことだった。

 とにかくむしゃくしゃとしていた綾芽は、何かしないと気が済まなかった。

 当時の綾芽は迷走していたのだろうか、 髪の色を紫にして高校に行ったのだ。

 自転車通学の綾芽は、信号待ちするたびにジロジロ見られたが、どこ吹く風である。

 本人は気にしていないが、先生はそういうわけにはいかない。

 校門で紫色の髪を見た瞬間に、生徒指導の先生がやってきたのだ。

 ジャージ姿で筋肉質。短髪で下半分は刈り上げている。

 いつもはいないのに。間が悪いとはこういうことである。

「ど、どうしたんだ時松?!」

「気分転換です」

「何故髪を染めるのが気分転換なんだ?その髪を認めるわけにはいかないぞ」

「先生も染めたらどうですか」

「何、その切り返し?!」

 先生が一方的に何か言っているが、彼女はツンとしている。

「規則を守れないのは駄目だ!社会に出ても通用しないぞ!」

 最もな意見ではあるが、大声で言っているせいで、注目の的になっている。

 騒ぎを聞きつけたのか、一人の男性がやって来た。

「石田先生、どうしました」

「どうしたもこうしたも…」

 ため息をつきながら、石田先生は綾芽を指差す。

 すると、石田先生の隣にいる男性は

「へぇ。きれいだね。目と一緒の色にしたのかい?」

 と、びっくり仰天することを口にした。

 綾芽も石田先生も、開いた口が塞がらない。

「いやー、もったいないね。夏休みに染めれば良かったのに。今染めたら、すぐに戻さなきゃいけないだろう」

「いやいや!せ、先生…そういうことではなく!」

 綾芽は二人のやりとりを聞きながら、あたふたとする石田先生の隣を一瞥する。

 スーツを着ている男性は、ずっとニコニコしている。

 この人も先生なのか。綾芽が心の中で笑っていると、ふいに目が合った。

「時松さん。僕の授業にはその髪で良いけど、他の授業では止めようね」

 教師らしからぬ発言に、石田先生が眉間にシワを寄せる。

「いやあの…だから…」

 頭を抱えていた石田先生は諦めたのか、「担任の先生に言ってきます」とトボトボと校舎に向かい歩いていった。

 寂しい背中を見送ると、綾芽の方に向き直る。

「1限目は国語だから、教室に入って。地毛の色に戻すのはその後で良いよ。まぁ、他の先生にも今日はその

色でいいか聞いてみるけど」

「……あの、先生」

「うん?」

 柔らかな笑みの先生に、綾芽は引きつった顔で聞いてみた。

「ホントに先生?」

 先生は目を見開き驚くと、声を出して笑い出した。

 綾芽がジト目で見ていると、先生は胸を張り「担任なんだけどなぁ」と、意地悪な顔をして笑う。

 綾芽が驚くのと同時に、石田先生が顔を真っ赤にして走ってきた。

「な、なんで!言ってくれ、ないん、ですか!担任は柳先生じゃないですか!」

「すみません、副担任の先生のところに行くのかと思いまして」

 ゼーゼーと息をしながら抗議する石田先生。少し可哀想ではある。

 綾芽は柳先生と呼ばれる人を見て、少しだけ後悔した。

 高校に入学してから3ヶ月、この人の顔も覚えていなかったからだ。

「時松さん、もしかして花と一緒の色にしたのかな」

「え…」

「少し前に、時松さんのお姉さんがお弁当届けに来たでしょ。その時名前の由来を聞いたんだ」

「よく覚えていますね」

「僕も花が好きだからね。花が好き…というより、花言葉を調べるのが好きなんだ」

 その声に、安心する。


「花言葉は”希望”。いい名前だね」

 

 綾芽を真っ直ぐに見つめる瞳に、ドキリとする。

 自分は単純なのだろうか…世界が輝き出した、そんな感覚。

 同時に、姉にも同じ話をしたのか。同じ表情をしたのか。

 そんな妬みを覚えた。


「時松さん、教室に行こうか」

「柳先生、まず教頭先生に…」


 走ってきた石田先生はようやく息が整ったようだ。

 二人のやり取りを見ながら…正確には、柳先生を見て綾芽は決意した。

「私、髪…戻してきます」

「お、おお!そうか!」

 安堵した石田先生に対して、柳先生は心配そうにしている。

「時松さん、何か悩みが一」

 柳先生が言い終わる前に、自転車を校門の方へ向ける。

「時松さん…」

「またね、柳先生」

「おい、私もいるんだが…」

 険しい顔の石田先生はスルーし、柳先生にこっそりウインクを送った。


 綾芽は日に浴びてキラキラしている紫色の髪をなびかせ、下り坂を降りた。

 先程の困ったような、照れくさそうな、柳先生の笑顔を思い出す。

 それだけで、心が弾む。


 時松綾芽はこの日、恋に落ちた。

 理由は説明できない。

 ただ、毎日会って、話をしたい。



       ✱



 思い出すと胸が締め付けられる。

 今でも思い出せる。あの笑顔。

 あの羊頭の執事を見て、心がざわついた。

 偽善医者は私に言ったのだ。


「彼のおかげで、君は生きられる」


 私の推測が正しければ、とんでもないことをしてくれた。


 部屋の電気を消すと、羊を数えながら眠りについた。

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