第3話 お嬢様と、ご対面。

「ま、詳しくは後日ね」 

 そう言うと、進藤さんは手を振りながら颯爽と消えていった。

      

      ✱


 世間的に死んでいる。


 さて、どういうことか。

 混乱する頭で必死に考えるが、答えは出ない。

 僕は今生きている。が、死んでいる。矛盾しているではないか。

「はぁ……」

 ため息が出る。他にどうすることもできない。

 この敷地を出たら、化け物扱いされるに違いないし、行く当てもない。

 歯痒さにガックリと肩を落とす。

 僕は今、人間ではない。 


「動物園から逃げ出してきたの?」


 ほらもう…羊だからこんなことを言われて一一一一一一って、失礼な。

 

「羊…だから、牧場かな?」


 近付いてくる声に思わず顔を上げると、その佇まいに息を呑んだ。


「すみません。私、失礼でしたね…」


 文句の一つでも言おうと思ったが、先に謝られた。エスパーか。

「きみ、は…」

 この少女は誰なんだろう。

 いや、訂正する。美少女だ。

「変態白衣野郎から聞いてないですか?」

 …訂正する。毒舌美少女だった。

 変態白衣野郎とは、進藤さんのことだろうか。

 首を横に振ると、「そうですか」と言いながら僕の横に座った。

 この子は僕を見て、悲鳴を上げたり、驚きもしなかった。

 そういえば進藤さんがお嬢様に話を通してある…と言っていたから、そのお嬢様からこの子に伝わっているのかもしれない。


「私は、時松綾芽です。父がアヤメという花が好きなんです」

「あやめ、さん…」


 時松綾芽さん、か。いい子だな。

 僕の目を見て、話をしてくれる。怖くないのだろうか。

 

 不思議に思いながら隣に目をやる。

 時松さんは学生のようで、どこかの制服に身を包んでいる。

 白いシャツの上に白いブレザー。

 白に白なのか。と思ったが、ブレザーの方が少し暗い白だ。

 確か白色は何百種類もある…はず。

 ブレザーの襟やポケットに赤チェックの模様があり、お洒落である。

 スカートは襟と同じ柄で、可愛らしい。

 制服に負けない可愛さの時松さんは、黒く長い髪が印象的だ。

「どうかしました?」

 おっと。見すぎたようだ。

 慌てて首を横に振る。決してやましいことは考えていません。断じて。


「あ、そっか…偽善白衣が言ってたっけ。術後だからなんとかかんとか…」

 

 …そのネーミングセンスに脱帽である。

 時松さんは規定であろう鞄から、ノートとよく分からないキャラクターのぬいぐるみを取り出した。

 え、何その…その…それ何?!

 心の叫びが爆発するほどの奇妙なぬいぐるみを凝視していると、時松さんは輝いた笑顔でぬいぐるみを差し出してきた。


「見て!これ可愛いでしょ!」


 壊滅的なセンスですね。とは言えない。かといって、嘘でも可愛いと言えない。

 とりあえず頷いておく。優しい嘘は必要だ。

「この猫、ミーニャっていうんだよ」

 嘘だろ?!宇宙から地球を侵略しに来た虎じゃないのかそれ。

 ぼう然としている僕は気にならないようで、(というか羊だから表情が分からないのかもしれない)どんどん説明してくれる。

「未来から来たからミーニャ!」

 心のカメラのシャッターを押しまくる僕。

 ずるい。すごく可愛い。

 ポスターにしたいくら…いや、捕まりたくないから止めておこう。

 ミーニャは歯が尖ってて目も赤いし怖いが、時松さんの反則級な可愛さで恐怖が霞んでいる。

「じゃじゃん!筆箱なんだよ」

 ぬいぐるみではなく?!

 よく見ると背中にファスナーがついている。

 周りの人は何も言わないのだろうか。

「はい。文字は書けますか?」

 ノートとペンを渡してきたので、受け取る。

 先程まで敬語ではなかったのに、戻っている。可愛かったのに。

「……」

 ふむ。何を書けば良いのか。

 自分の名前も分からないので、思いついたことでも書こう。

 スラスラと文字を書く。意外にも書けるんだな…。

「えっ…」

 僕の文字を見るなり時松さんは、驚きの声を上げた。

 綺麗な文字に驚いたのだろうか。

「あ、ご、ごめんなさい…羊語じゃないんですね」

 ……羊語とは。

 沈黙が訪れたので、ノートに文字を足した。

「花言葉…ですか」

 僕が最初に書いたのは“希望”だ。

 時松さんの名前は綾芽。花のアヤメからとっていると先程聞いた。

 なので“希望”、“花言葉”と書いてみた。

 こういう知識はあるんだな。羊なのに。

 いや待て、羊にも脳はあるのだし、羊にだって……うん、羊は悪くないな。

 羊に対する敬意を持とうと思案していると、時松さんは長いまつ毛を伏せている。

「よく知っていますね」

 僕自身、そう思う。何故か迷いなく書けた。

「同じことを言われたことがあるので、思い出しちゃいました…」

 愁いに沈んだ横顔を、黒い長髪が隠すように揺れた。

 時松さんはすぐに笑顔でこちらに向くと、何事もなかったかのように談笑を始めた。

 ベンチの横にあるイチョウの木の話や、学校での話。

 そして一一一


「羊さんが仕えるお嬢様は、私だから、よろしくね」


 とんでもないことを言って、また僕を驚かせた。



    ✱



 執事ノート


〇お嬢様の第一声は、「動物園から逃げ出してきたの?」である。


〇お嬢様は、摩訶不思議な趣味をお持ちである。


〇お嬢様は、とても可愛い。


〇お嬢様は、時に毒舌なあだ名をお付けになる。


〇お嬢様の瞳は紫色で、アメジストのようである。


〇お嬢様は、とても可愛い。






 

 


 





 

 


 

 

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