第2話 自称、天才の名は。
想像したことがあるだろうか。
人ではない何かになり、空を飛んだり冒険する⋯というシーンを。
想像したことがあるだろうか。
顔だけ別の生き物になっていることを。
「ど、どうして⋯⋯」
顔だけ羊。夢であってほしい。
「すごいでしょ。俺天才だから」
照れ臭そうにしている白衣の男性。
いや、褒めていないし、先程から天才だからという言葉で片付けている。
「あ、あの⋯」
聞きたいことが山程あり、まず何を質問すればいいのか。
手鏡に映る羊の顔。うわ、怖い。
人間の口ではないのだ。その口から人間の言葉が発せられている。怖い。
手で顔を恐る恐る触っていると、白衣の男性は僕を真っ直ぐに見つめてきた。
「いや~、俺天才だわ~」
求めていないことばかり言う。天才が何故、人間を顔だけ羊にしたんだろう。
いや待て。僕は一体誰なんだ。
名前は?ここはどこだろう。
羊の記憶も人間の記憶もないぞ。どういうことだ。
「安心しなよ。脳は君自身のものだ。あと身体ね。顔だけ本来の君じゃない」
⋯全然安心できない。本来の顔も覚えていないし、どういう経緯で羊になったんだろう。
「詳しい話は、君が話せるようになってからしよう。うん、3日ぐらいかな?うんうん、そうだね」
ひとりよがりな会話である。
まぁ僕も満足に話せないから仕方ない。
「話は戻るんだけど、君が仕えるお嬢様に会ったらどうかな。話せないとは伝えてあるからさ」
話せるようになってからの方が良いのでは⋯?
感じ悪い人(羊)のイメージがつく気がする。
羊の目で訴えるが、伝わるわけはなく、話は進む。
「大丈夫。君は顔の損傷が酷いから、俺の素晴らしい手術で人ではなくなった⋯ということにしてあるから」
いちいち自分を賛美したいようだ。
そして言い方。人ではなくなった⋯だなんて。
事実ではあるが、人権がなくなったようだ。では羊権?
なんて空想を頭の中で巡らせていると、顎ヒゲをさすりながら
「そういえば、俺の名前知りたい?」
キラキラした瞳で質問してきた。
✱
ずっと室内にいるとよくないと提案があり、僕は殺風景な部屋を出た。
扉を開けると長い廊下に出て、いくつもある部屋に目がいく。
病院⋯のようには見えない。
僕の隣にいる男性は、慣れた様子で歩いていく。
「話しながら行こう。とりあえず外に出て、日光を浴びたほうがいい」
手招きされ後をついていくと、長い階段にやってきた。
ここに住んでいる人は、長いのが好きなんだな⋯。
「この屋敷の旦那さんが、俺の才能に金を出してくれてるんだ」
「さ、いのう?」
「ぁあ。そのおかげで君を羊にできた」
そんなこと頼んでいない。よほどの物好きでないと頼まないと思う。
「いや~、大変だったよ。でも俺に不可能はないからね」
自信満々である。羨ましいくらいだ。
無駄に長い階段を降り、やたらと広い玄関にたどり着いた。
お金持ちの人が住む屋敷は、高そうな壺や絵画が飾っており、異次元な空間に戸惑ってしまう。
「はい。それ君の靴。用意しておいたから。サイズはどうかな」
「⋯⋯」
足元を見ると、人間の足が目に入り、羊なのか人間なのか、どちらが正しいのか分からなくなる。
とりあえず親指と人差し指で、輪っかを作っておいた。
「オッケーね。良かった」
安堵の声が聞こえたが、僕の心はそうはいかない。
重厚な扉が開き、唐突な眩しさにくらりとくる。
「旦那さんは長いのが好きなんだよ」
やはりそうなのか。当ててしまった。
目の前には両端を花壇で囲まれた、長い道がある。色鮮やかな花が生き生きとしており、心が洗われるようだ。
「外に出るの大変なんだよなぁ」
苦笑しながら近くにあるベンチに座ると、隣をポンポンと叩く。
「ここ、お気に入りなんだよね」
ベンチの横にある、大きな木のおかげで影ができており、心地良い。
「さて、改めまして⋯⋯」
「は、はい」
「俺は秀才な医者⋯ではなく」
「は、はぁ⋯」
「才能あふれる研究者の」
「⋯⋯」
この間は何なんだろう。珍しい名前とか?
「進藤 秀矢だ。よろしく」
良かった。
天才です。とか言われたら返答に困るとこだった。
「君の名前は」
凍てつく視線で問う進藤さんに、ドキリとした。
目が覚めてから、何度も思い出そうとしたが、思い出せないからだ。
いや一一一そもそも名前があるのかも分からない。
僕は今、空虚だからだ。
「さっきも言ったけど、脳は君のものだ。損傷はないが、生前に頭をぶつけていたからね。その様子だと、記憶障害の可能性はあるね」
何を、言っているのだろう。
進藤さんは今、“生前”と言った。
「ま、待って、くだ⋯」
手が震える。冷や汗が出てきた。
「落ち着いて聞いてほしい」
落ち着けって?できるわけない。
「君は世間的には、死んでるんだよ」
自称天才・進藤さんは、笑みを浮かべた。
この人は人間を人間だと思っていない。僕が本当の動物であれば、間違いなく逃げ出している。
一一一そんな、冷酷な笑みを。
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