vol.10 16日目裏②
七月二十八日午前九時───
前日の打ち合わせで、九時からの行動開始となった華子と鈴花は桜木町のビルの一室で向かいの建物を監視していた。
「例の悪魔がここで整体院を経営してるなんて悪魔も世知辛いですねー」
華子が嘆息すると鈴花も追随する。
「しょうがないわ、あれらも生きるのに必死なのよ。昔と違って人の在り様も変わってしまったから」
「鈴花さん、おばあちゃんみたいなこと言いますね。私より年上って言ってもそんなに変わらないでしょう?」
華子が不思議そうな表情をして、鈴花の幼さが残る顔を見つめていた。鈴花はあまり感情を表に出すことは少ないが、この時はなんだか遠い昔に想いを馳せているような、そんな表情をしていた。
「でもその悪魔の目の前の部屋で張り込みなんて刑事さんみたいですね」
華子は例の汚いずた袋からあんぱんと牛乳パックを取り出した。
「じゃーん、張り込みの定番を買って来ましたー」
自慢気に取り出したパンと牛乳を鈴花に差し出した。それを受け取った鈴花はマジマジと華子を見て、おかしそうに微笑んだ。
「あなた、本当に面白いわね。普通思っても買ってこないでしょ、だってこの場所は危険な悪魔の目の前なのに」
そう言って窓の下に見える整体院を見つめていた。
「でも、確かに怖いのは怖いんですけど、私、どんな時も楽しもうって思うんです」
鈴花はそれを聞いて少し華子の見方を変えないといけない気がした。華子は華子で自身の生き方を持っていて、それに誠実に相対しているだけなんだと。
「驚いた。華子ちゃんは思ったより人生に誠実なのね」
華子は嬉しそうに笑った。
「やったー!鈴花さんに初めて名前呼んでもらえました!」
全身で喜びを表す華子が鈴花はなんだか、とても愛らしく感じるのだった。
「堂院さんは見張るだけで良いって言ってましたけど、本当にそれだけで良いんですかね?」
「それだけで良い。お前は余計なことを考えるな」
いつの間にか二人の背後に堂院が立っていた。堂院は不機嫌そうな顔を隠そうともせず華子を睨み付けていた。
堂院は戦闘用バトルスーツを着こんでいる。いつも通り黒のコートと鈍色のグローブとブーツを着用していて、いつ戦闘に入っても良いように準備されていた。
因みに華子と鈴花も黒のバトルスーツを着て上から普通のパーカーを着てスーツを目立たないようにしていた。
「鬼頭はあの整体院を必ず視続けるように。そのための“天眼通”だ」
堂院は、華子の頭に乗っているゴーグル型のS.G.Dを指差した。
「勿論視ますけど、何を視れば良いんですか?指示してもらわないとわかりませんよ」
華子の疑問はもっともだった。“天眼通”の連続使用はかなり負担がかかるからだ。脳や魂にかかる負荷は相当なものになる。
視る対象を指示されれば、それだけを視れば良いので負担が軽減される。
「S.G.Dの出力は最低まで落として構わない。ただ視るだけで良い」
堂院は向かいのビルを指し示しながら、
「奴の寝ぐらをな」
堂院は鈴花に向き合うと真剣な表情で指示を出す。
「それと鈴花の役目は鬼頭を守ることだ。どんな事があっても、だ」
鈴花は納得がいったように頷いた。
「なんで私が呼ばれたかわからなかったけど、華子ちゃんに何もなければいいのね?」
鈴花が念を押すと、堂院は頷いた。堂院は担いでいたバッグからベルトとホルスターを鈴花に渡した。
「そうだ。そのための鈴花だ」
鈴花はその言葉に頷くと、落ち着いた表情でベルトとホルスターを受け取った。
「この作戦はお前達二人にかかっている、頼んだぞ」
そう言うと堂院は部屋を出ていった。
「堂院さん行っちゃいましたね。鈴花さん、それって……拳銃ですか?少し見せてくださいよ」
「これはグロック26、9mmの中ではコンパクトで女の子でも扱いやすいの」
華子は初めて見る拳銃に興味津々で、触りはしないがマジマジと見つめていた。そうしていると飽きてしまったのか、あんぱんと牛乳を取り出した。
「じゃあ、邪魔者もいなくなりましたし、張り込みの儀式を行いましょうか?」
「華子ちゃんぶれないね」
思わず笑ってしまう鈴花だった。
──────────
七月二十八日午前十一時 ───
二十階建てのビルの屋上に由利亜と堂院が立っていた。屋上からは悪魔が居る整体院と華子と鈴花が居るビルの両方を見渡すことが出来る。二人はそれを並んで見下ろしていた。
「堂院、あの二人本当に大丈夫なのか?」
「あの二人はあんたが思うよりは優秀だ。作戦をしっかり遂行出来る筈だ」
堂院は表情を変えずに答える。
「そうではない。あの悪魔に殺されるのではないか、と言っているのだ」
由利亜は堂院を非難するような目付きで詰問した。
「彼女達はあの悪魔に対峙したことがない。奴の能力を教えているのか?」
「因果の改変のことは教えてある。それに俺が駆けつける二秒程をもたせてくれればいい。そのための鬼頭と鈴花だ」
堂院は事も無げに呟いて由利亜に笑って見せた。その笑顔を見て更に不機嫌になった由利亜は語気を強めて問い詰める。
「貴様、人の命を何だと思っている。その二秒があの二人にとっては致命的な長さだとわからないのか?」
「俺はあの悪魔を滅ぼす為ならなんでも使うさ。自分の部下でもな」
「ふん!貴様と喋っているとわたくしがおかしくなってしまう」
由利亜は吐き捨てると振り向きもせず出口に向かった。堂院はまばたきもせず華子と鈴花が居る部屋を観察していた。
どんな異変も見逃さないというように。
七月二十八日午後五時 ────
華子と鈴花は相も変わらず向かいの悪魔の監視をしていた。窓から入る日射しが夕暮れの赤に変わりつつあった。部屋にはエアコンがあって快適なのだが日射しだけは夏の熱さをこの部屋に届けていた。
「もう夕方ですよ、今日は何もないんじゃないですかね」
華子はかなり疲れた様子だった。それも無理はない。“天眼通”を使いっぱなしなのだ、通常の張り込みとは違って消耗が激しすぎるのだ。精神力も体力も限界に近付いていた。
それを見て鈴花が話しかける。
「食事もしないといけないし困ったわね」
「鈴花さん、堂院さんに電話して聞いてみて下さいよ」
華子は疲労困憊した様子でガックリと肩を落としていた。
「そうね電話してみるわ」
(鈴花さん、すごく優しいんだよな。なんかお母さんみたい)
鈴花がポケットから携帯電話を取り出して堂院に掛けようとした。
その時、部屋全体が揺らいだかと思うと、
「食事はとらないといけませんね。人間らしい生活の基本ですよ」
見張りをしていた窓の前、華子と鈴花の右隣に男が立っていた。その男は黒髪をオールバックにして細いまゆ、高い鼻、そして妙に赤い唇をしていた。そして最も特徴的なのはその目だ。黒く縁取られた瞳に、黒瞳が極端に小さい。その赤い唇をニヤリと歪めて言う。
「あなた方は女性なのですから、もっと美容に気をつかわねば」
華子は男を見た。確かに実体がある、それは“天眼通”を通して見ても間違いがない。
幻術などの類いではない、ないとするとこの男はどこから現れたのだ?
間違いなく華子が認識する直前までその空間には何もなかった筈だ。それなのに、それはいきなり現れた。
(間違いなく何もいなかった筈なのに)
「あなた、あの整体院の院長ね」
鈴花がその男に尋ねる。
「そうですとも。あそこにある『健康館一番舘』の館長をさせていただいている者です。朝からずっと覗かれていたものですから、なんとも失礼な方達だと思いまして、会いに来た次第です」
男はニヤリと笑いながら肩をすくめた。
「どんな方たちかと思えば可愛らしい女性達ではないですか」
男は赤い唇を更に三日月の様に歪めながら更に続ける。
「あからさまな罠だと思いましたので、空間を閉じさせて頂きました。これで外からは何も見えないし感じることも出来ないでしょう」
男は周りを見回して満足そうに頷いた。華子が注意深く辺りを視ると、確かに空間の断絶を感じる。ただそれは余りにも微かな違和感を感じる程度だ。
「我ながら完璧な仕事です。さて、ゆっくりとお聞きしましょうか。何故私を見張っていたのです?」
男は特徴的な目を更に細くして二人を見ていた。
華子は男が喋っている間、“天眼通”を最大出力で使っていた。男の物理データや魂の形、あらゆるエネルギー波や空間の重力波を。
(なんなの、この悪魔。実体が揺らいでいる。在るようで無いような、力場もエネルギーの波動もおかしいよ。あの悪魔から出てる筈なのに、違うところからも発生してる。なんだか見えない悪魔がもっといるみたいな……)
華子が情報を読み取りながら思考していると、不意に鈴花が腰のホルスターから銃を取り出すのが見えた。
“天眼通”を通して見ていた華子は叫んだ。
「鈴花さんっ!?」
しかし引き金が引かれることはなかった。
華子の頬に何か液体のようなものが振りかかる。
それは何故か暖かかった。
そして、赤かった。
それは鈴花の頭があった所から迸る鮮血だった。
そして、華子の目に空中をゆっくりと弧を描いて飛んでいく鈴花の頭部が映っていた。
「あっ、あっ、……な、な、なん、で」
華子は言葉に出せずに取り乱していた。当たり前だが人が殺されるのを目の当たりにしたのだから当然だ。
「あーっ、反射的に殺してしまいました。反省、反省。まあ、もう一人いるので大丈夫でしょう」
悪魔が華子を見る。あまりに小さな黒瞳が華子を見ている。気味悪いほどの赤い唇がずらぁっと頬まで裂けて先が尖った歯が並んでいる。
私も死ぬのかな。
床に転がる鈴花の頭が見える。
その瞬間、華子を絶望が襲う。
死のにおいが足元から這ってくる。
私も死ぬんだ。
刹那、衝撃が部屋を震わせた。窓ガラスを破って何者かが侵入してきた。
「堂院さんっ!!」
華子の絶望が霧散する。
堂院は侵入してきた勢いそのままに悪魔に組み付くと、そのまま反対側の窓ガラスを突き破って外に出ていった。
華子は床に転がった鈴花の頭部に近付いて、それを拾い上げ胸にかき抱いた。
華子の両目から涙が迸る。
「す、鈴花さ、ん。鈴花さん……」
華子の慟哭がむなしく部屋に響いていた。
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