vol.8
横浜のビルの一室にそこはある。
名だたる整体院の中でも日本で最も腕が良いとされるところ。
『健康館一番舘』
これがその整体院の名前だ。ここ五年程は店を閉めていたようだが二日前より営業を再開していた。
その店の整体師は謎が多く、所謂取れない痛みはないだの、悪魔のような腕前であるだの、様々な噂がある。
そして一番よく言われる噂が、
よくわからない、だ。
勿論行ったことや、治療を受けたことは覚えているのだが、その整体師の顔や姿を全く覚えていないのだ。どんな顔で、どんな声をして、しかも男性か女性かもわからない。
いくらなんでもそんなことがあるだろうか。
ただその治療院は間違いなく存在し、数多のひとの痛みを取り除いているのだ。
今日もまた。
三日前、アララギ統合作戦本部。
その場には主任研究員の五人と華子が集められていた。その前には堂院と、華子が初めて見る白髪をオールバックにした老人が立っていた。
華子は隣の亜里沙に話しかける。
「亜里沙さんあのお爺ちゃんは誰なんですか?」
亜里沙は事も無げに、
「あれが、うちの所長」
「あ、あれが所長ですか。でもかなりのお爺ちゃんですよ?」
「前職を定年で退職してから十年たってるからもう八十歳近いんじゃないかな」
それを聞いた華子は改めてその老人を凝視した。
白髪をオールバックになでつけ、所謂執事のような服に身を包んだその老人は背筋をしゃんと伸ばして堂々とした姿勢で佇んでいた。
「あの人どっかで見た気がするんですよね……」
華子が思い出そうとしているとその老人が話し始めた。
「皆様にこうしてお集まり頂いたのは、我々秘密結社アララギが結社された理由である悪魔が、久方ぶりに確認されましたので、この機会に皆様にお話しできる範囲でお伝えするべくお集まり頂きました」
紅林老人は言葉を切ると堂院に目配せをして同意を求めた。堂院が頷くと紅林は言葉を続けた。
「その悪魔が初めて日本で確認されたのは三百年程時を遡ります。その頃の記録によると短い期間で五百有余人もの人間を殺害しております。そしてその悪魔を消滅させることを目的として秘密結社アララギが結社されたのです」
すると主任研究員の中から一条ゆかりが紅林に質問する。
「所長、なぜその悪魔はまだ生き延びてるの?倒せないってこと?」
紅林は頷くと再び話し始める。
「その通りです。かの悪魔は非常に狡猾で、それに少し特殊な能力を持っておりまして、簡単には倒せないのですよ。今の我々でも倒しきることはまず不可能かと」
(この間の堂院さんの銃や能力で倒しきれないってどんだけ強いの?)
華子は紅林の言葉に戦慄を覚えた。
「そしてその悪魔が古巣である横浜に舞い戻っていることが確認されました」
それを聞いてざわめく一同。それを見た堂院が話し始める。
「集まってもらったのは、くれぐれも奴を刺激しないよう、おまえ達に釘を打つためだ。奴に間違っても近づくな。おまえ達が奴と接触することでこれまでの努力が水の泡になりかねん」
華子には堂院がいつも通りに表情は変わらないように見えるが、その口調には少し焦りがあるような気がした。
「では横浜には行かなきゃ良いってことですかい?若」
皆を代表してガンテツが聞く。
「そうだ。奴には絶対に近づくな。おまえ達から因果を辿られては困る」
(因果を辿る?)
華子は疑問に思ったことを聞いてみた。
「因果を辿るって、どういう事ですか?堂院さん」
「奴は事象の因果を操作する。あったことを無かったことに。無かったことをあったことに。おまえ達から俺の因果を辿られる可能性が高い」
華子は驚いた。そんなことが可能なのかと。
「こないだの堂院さんの事象の改変も、わけわかんないのに、因果の操作ってそんな神様みたいなことが出来る悪魔なんて、」
そこまで言って華子は気がついた。
概念上の悪魔にそれに近い力を持つものがいたことを。
「……ラプラスの悪魔。で、でもあれは人間の作り出した概念でしかない筈です!」
紅林が華子に答える。
「悪魔とは、そういう人の想念から産み出されたものだと、我々は結論づけているのです」
「そんなの、倒すことなんか出来ないんじゃ……」
華子の言葉を受けて堂院が皆を見て言った。
「その不可能と思える事を成し遂げるために、我々はここにいる。その為のアララギだ」
そう言った堂院の目は何か決意をしたかのように、強く輝いていた。
───────────
同日夜、八王子 ──
堂院はいつものアルバイトを終えて帰路についていた。
すると街灯に照らされた前方の道路に黒いリムジンが横付けされていた。
そしてそのリムジンから、氷室由利亜が降りてきた。その美しい容貌を憎々しげに歪めながら口を開く。
「そちらも掴んでいると思うが、奴が横浜に舞い戻っている。堂院、どうするつもりだ?」
いつもとは違いぞんざいな口調で話しかける由利亜。
「俺と二人しかいない時は相変わらずだな、姫」
姫と呼ばれた由利亜は苛立ちながら、
「貴様などと口をきくことなど腹立たしいが、奴が絡むとなると別だ。あの方に万が一でも危害が及ぶことがあってはならん。貴様、まさか奴と一戦交えるつもりなど無いだろうな?もしそうなら奴より先に、貴様を先に冥府に送ってやる」
由利亜は憎悪を込めた目で堂院を睨み付ける。
「いくら俺でもそこまで馬鹿じゃない。奴を倒すには、いまだ力が及ばん。まだその時ではないな」
由利亜はそれを聞いて少しホッとしたように見えた。
「わかっているなら良い。あの方には少し日本を離れお隠れ頂く。その為の策も練っておる。くれぐれも邪魔をするな。良いな?」
それだけを言うと、話は終わったと言わんばかりにリムジンに乗り込んだ。そして由利亜を乗せたリムジンは静かにその場を立ち去るのだった。
「ふん。言われなくてもわかっている。奴の力も、それがもたらす絶望も。この俺が最も良く知っているのだからな」
闇に消えたリムジンに言うともなく呟く堂院だった。
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