vol.3
暗闇
あぁ、闇だ。
ねっとりと纏わりつく
おぞましいまでの穢れ。
腐臭を放つ肉の群れが、
捻れ、固まり、人もどきの形をとって
この世に堕ちてきた。
それが私だ――いぃひっひっひぃっ!
気持ちいぃ……この世の穢れが、
気持ちいぃ……今日はどんな人間が
いるかなぁぁ……ひっひっひっひっ!
---
煌びやかな摩天楼の裏側。
暗闇に沈んだその路地で、明らかに10代と思しき3人の男が、1人の男を取り囲んでいた。
「オッサン! さっきから言ってんだろ、
とっとと金出せって!」
「あんまこいつ怒らせないほうがいいよ? 死ぬよ?」
「もうぶっ殺して取りゃ良いじゃん!」
3人はナイフを取り出し、それぞれ刃を男に突きつける。
「さっきからずっと黙ってっけどよ、
何とか言えよ、オッサン!」
その瞬間――。
薄暗い路地に、どこからともなく現れたのは、
暗黒そのものとしか言いようのない闇。
それが場を満たし始めた。
「な、なんだこれ……」
「黒い、なんか……纏わりついてくる……!」
「気持ちわりぃ……なんだよ、これ!」
そう、それは男たちに纏わりつき、
その身体を飲み込まんとするかのように包み込んでいた。
「本当ぅに……人間ワぁ……きモちいぃ!」
囲まれていた男が、突然、喋り出した。
見るからに50代の、よくあるスーツ姿のサラリーマンだったはずなのに――。
その顔、目、鼻、口、耳。
あらゆる穴という穴から、黒いヘドロのような
ドロドロした、腐った肉が液体化したような
おぞましい物体が、凄まじい悪臭とともに溢れ出ていた。
「私がぁ……恐ろシいかぁい? おゾましぃいカぁい?
それよりぃも……人間、お前たぁちの魂ぃのほうが……
うすギぃたないぃ〜〜〜!」
最早、ヘドロの塊と化した「何か」が、見えない口で叫んでいた。
「なんだよ、こいつ!」
「あ、足が……動かないっ!」
「やばい……やばいよ……!」
気づけば男たちの足元にはヘドロが絡みつき、動きを封じていた。
「さぁ、お前たぁち。贄の時かぁんだよぉぉ〜〜〜!
ひやぁっ、ひゃひゃひゃひゃっ!」
その瞬間、ヘドロのてっぺんが“ばくり”と裂けた。
どろぉりと涎が溢れ、鋸のようなギザギザの歯が
隙間なく並ぶおぞましい口が、
男たちの頭上に迫っていく――。
「さぁ……イったぁだぁキまぁぁぁぁすぅ!」
——ばくん!!!!
巨大な口が男たちの頭をまとめて噛み砕いた。
赤い花が咲く。
鮮やかな紅い花が、乱れ咲く。
首から噴き出した血が、辺りを血の海に変えていく。
「おいちぃぃぃ……! 穢れた人間は、肉もたぁましぃも、
ほんとに……うまぁぁぁい!!」
男たちの身体がヘドロに沈んでいく。
バキッ。
ゴキッ。
ガシュッ。
ヘドロの中から、骨を噛み砕くような音が聞こえる。
「こぉれで……まーた……おいしぃくなぁる……」
美味しくなるよぉ……
Chapter 1――――――
「銀座って、なんであんなに高いのよ〜〜!」
ラボの食堂で、古泉亜里沙が机に突っ伏して嘆いていた。
一緒に昼食をとっていた鬼頭華子が、味噌汁を啜りながら返す。
「亜里沙さん、銀座に行ったんですか? お金持ちですね〜」
「友達と一緒にランチ行ったんだけどさ、
ハンバーグに小さいサラダとパンが付いて……さて、いくらだったと思う?」
「500円! ……それ以上なんて、考えられません!」
亜里沙は深いため息をつく。
「4000円よ! 4000円もしたのよ! ハンバーグなんて、
こ〜〜んなに小っちゃいのに……ムカつく!」
華子は名残惜しそうに味噌汁の最後の一口を飲み干す。
「亜里沙さん、銀座なんて魔窟ですよ!
我々貧乏人が足を踏み入れて良い場所じゃありません。
私なら水で我慢します!」
そう言って水をがぶ飲みする華子。
「でも、華子も高給取りになったんでしょ?
一緒にしないでよ、一緒に!」
「亜里沙さん、私の給料なんて堂院さんの気分でどうとでもなりますから。
貯蓄一択ですよ、貯蓄!」
「……根っからの貧乏性ね……」
ちなみに今2人が食事しているラボの食堂は、誰の趣味か昔ながらの町の食堂風で、
ガラスの陳列棚に並んだおかずを取って会計するスタイルだった。
しかもどんなおかずでも100円均一。華子にとっては天国のような場所である。
テレビはブラウン管製。まさに70年代の食堂そのものだった。
「私はここが最高に気に入ってるんです! ラボの食堂、サイコー!」
「おう、華子! あっしの飯はうまいか?」
背後から、エプロン姿のガンテツが現れた。
「ガンテツさん、何回見てもエプロン姿、似合いませんね。
いかんせん身体がデカすぎなんですよ!」
「これでも20年、料理人やってんだ。あっしは腕で勝負してんだ!」
「いい腕してるけど、どこで修行したの?」
コーヒーをすすりながら亜里沙が尋ねる。
「ここを立ち上げた先代所長から色々教わってな。
最初は飯なんて作りたくなかったが、やってるうちに
みんなが『うまい、うまい』って言ってくれるから、嬉しくてな。
それからずっとさ」
「はぁ……人に歴史ありですねぇ。ガンテツさんにも若い頃が……」
「当たり前だ! あっしだってガキの頃があったんだ!」
そう言って華子に拳骨を落とす。
「痛った〜い!」
「罰だ、罰!」
そのとき――向かいの亜里沙が、じっとテレビを見つめていた。
「どうしたんですか、亜里沙さん?」
「今ね、銀座で失踪事件が増えてるってニュースやってたのよ」
「失踪……ですか。世知辛い世の中ですからね」
華子もテレビを見始めた。
『実は銀座では、2年ほど前から年代問わず行方不明者が増えておりまして……』
『原因は?』
『それがですね、行方不明者には特に共通点もなく、年代もバラバラで……』
それを見た華子が呟く。
「やっぱり銀座は魔窟ですよ。あんなとこに足を踏み入れたらダメなんですよ」
「でも銀座で行方不明者が増えるって、不思議よね。
これが新宿とか渋谷ならわかるんだけど……」
ガンテツも頷いた。
「たしかにな。銀座でそんなことが起きてたとは……」
「なにはともあれ、“君子危うきに近寄らず”ですよ」
そう言って、華子は熱いお茶をすするのだった。
Chapter 2――――――
昼食が終わった後、ガンテツ、亜里沙、華子の3人に、堂院から呼び出しがかかった。
華子がラボに来てから初めて案内された、大きなディスプレイのある部屋だった。
「最近、銀座で行方不明者が増えているのは知っているか?」
「堂院さん、さっきテレビでやってましたよ」
華子が答えると、
「全国の監視カメラネットワークをいつものようにハッキングして、ある映像を捉えた」
そう言って堂院は卓上のコンソールを操作し、モニターに動画を映し出した。
「これは2日前、銀座二丁目の裏路地にある監視カメラの映像だ」
動画が再生され始めた。
「最初は4人が映っている。どうやら1人を他の3人が取り囲んで因縁をつけているようだな」
堂院は再生スピードを早めながら、ポイントとなる部分で止めた。
「ここだ。真ん中にいた1人から黒いモヤのようなものが出ている」
さらに再生すると、3人に取り囲まれていた男の姿が、モザイク状のノイズに覆われて見えなくなった。
「え? 所長代理、ここだけノイズが入って見えませんけど」
「どれだけ補正をかけても、このノイズは除去できなかった」
堂院は動画を止め、机の上に置いていたタブレットを手に取った。
「お前たちの端末に、今回の動画データとスィーパーが調査した現在までの状況を送ってある」
ラボのメンバーにはスマホ型の専用端末が配布されており、データの共有などはすべてこの端末を通じて行われる。
また、“スィーパー”とは、ラボ内で主任研究員たちをサポートする調査要員たちのことで、70名ほどが各地で任務に当たっている。
「若。あっしらは、どうすりゃよろしいんで?」
「ガンテツたちには、銀座周辺の調査をしてもらい、失踪事件の真相を探ってきてほしい」
それを聞いた華子が、思わず声を上げた。
「ど、堂院さん、私もですか!? わ、私、フィールドワークはちょっと……!」
「大丈夫よ、華子。私たちがいるんだから」
亜里沙が励ますが、華子は不安げな表情を崩さない。続いてガンテツも、
「華子。古泉はこう言ってるが、多少の危険は覚悟しとけよ?」
「えっ……! やっぱり行く前提なんですか? なんかイヤな予感がするので、全力でお断りしたい!」
それを聞いて、堂院が冷ややかな声で言った。
「2000万を棒に振りたければ、勝手にしろ」
その言葉に、華子はその場に崩れ落ちる。
「わ、わかりましたよぉ……。で、でも、私、役に立たない才能なら誰にも負けませんよ? それで良ければ……」
「華子! 私たちに任せなさい。あんたはついてくるだけでいいから。ね!」
「よっぽどのことがなけりゃ、問題ねぇだろ」
2人の言葉を聞いて、華子も観念した様子で答える。
「わ、私ほんとに無力ですからねっ! ちゃ、ちゃんと守ってくださいよ、2人とも!」
「大船に乗った気でいなさい!」
(……頼みましたよ~。泥舟じゃないことを。お願いします……神様!)
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