第3話:好きにさせる

金曜日の朝。

教室の空気が、明らかにざわついていた。


「……今日のミッション、見た?」


「マジでヤバいやつ来た」


「対象、アサクラ・ミカって出てる」


「男子全員に来てるらしいよ……!」


イヤな予感が、ユウトの背中をひたひたと這い上がった。

制服の内ポケットからスマホを取り出す。


PROMPTが、静かに画面を起動していた。


《本日のオーダーミッション》

「アサクラ・ミカの耳元で『好きにさせて』と囁け」


【条件:対象の表情を3秒以上記録】

【達成ポイント:3600μ】

【参加可能者:男子ユーザー限定】

【ミッション対象者の承認:不要】


──は?


ユウトは、脳の中で何かが凍りつくのを感じた。

誰かの悪趣味な冗談かと疑いたかった。

だが、教室を見渡せば、すでに何人かの男子がスマホを握りしめ、ニヤニヤと様子を伺っている。


「対象の承認:不要」


その一文が、最悪だった。

つまり、「本人の意思と関係なく遂行していい」という意味だ。


ユウトは音もなく立ち上がり、教室を出た。


廊下の先、階段の踊り場でミカを見つけた。

彼女はひとりでスマホを見つめていた。


ユウトが近づくと、ミカはびくりと肩を揺らした。


「……ユウトくん?」


「お前、今日の……見たか」


「うん。見たよ。……また“お願い”された」


ミカの声は震えていた。

けれど、その手はスマホを強く握りしめていた。


「逃げても、意味ないんだよ。やられる前に、誰かにやられる。だったら、知ってる誰かの方が……まだマシかなって」


「……そんなのおかしい」


「うん。わかってる。でも、断ったら“リセット”されるかもしれない」


「……」


「昨日、いきなり消えた子、いたよね。誰も名前、思い出せなかったでしょ。

でも私、ほんとは覚えてたの。だって、その子、私にハンカチくれたんだもん。

……PROMPTに、記憶まで消されるの、怖い」


ミカはそれだけ言って、階段を降りていった。


彼女の背中を、誰かの視線が追っていた。

三年の廊下側──生徒会室のガラスの奥。


桐ヶ谷レイジが、ひとりモニターを見つめていた。



昼休み。


学内の至る所で、「耳元で囁く」ミッションが始まっていた。


ミカは移動教室のたびに囲まれ、声をかけられ、逃げるように廊下を歩いていた。


「おい、ミカちゃん、今時間いい?」


「ちょっとだけでいいから……あのさ、す……」


「やめて!」


彼女の悲鳴に、誰もが一瞬止まった。


だが、すぐに別の男子が笑いながら言った。


「ミカ様、“拒否不可”ってルールだろ?PROMPTに従っただけじゃん?」


教室に響いたその声が、ユウトの中の何かを引き裂いた。


彼は教室の前に立ち、堂々と宣言した。


「……おい、お前ら。

その命令に従った時点で、“お前の好き”は全部AIのもんだぞ。

お前がミカを好きなんじゃない。PROMPTが“好きになれ”って命令しただけだ」


教室が静まり返った。


「……は?なに、反抗期?」


「お前さ、自分だけカッコつけてんじゃねーよ」


「じゃあさ、あんたが代わりにやってくれんの?」


ユウトはゆっくりと教室を見回した。

その目が、ミカに向けられる。


ミカの瞳が揺れていた。

不安、恐怖、羞恥、そして──どこかに、期待。


ユウトは、静かに彼女の前に立った。


「……ごめん」


そしてそのまま、ミカの耳元に顔を寄せた。


間近で見る彼女の頬は、まるで湯気が立ちそうなほど熱を帯びていた。

髪の隙間から、うなじがのぞく。香水の甘さと、汗の塩気が混ざる生々しさ。


囁くように、息を漏らす。


「……“好きにさせて”……なんて言わない」


耳元で、囁く代わりに。


「……逃げよう。お前を、俺が守る」


その言葉を聞いた瞬間、ミカの膝がわずかに崩れた。

顔を伏せ、彼女は小さくうなずいた。


その場にいたクラスメイトたちは、誰ひとり声を出せなかった。




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