彼女のビリヤニ、ひとくちのカレー

いつものインド・ネパール料理屋の扉をくぐると、スパイスの香りがふわりと鼻先をかすめる。タンドールで焼かれたナンやチキンの香ばしさ、名前もわからないような香辛料の複雑な匂い。そして異国のポスターに囲まれたその場所はこれから楽しむ食事に対して期待をさせてくれる不思議な場所。


「今日もビリヤニね?」


席に着くなり、彼女はメニューも見ずに言った。

僕が聞くまでもなく、彼女は当然のようにビリヤニを頼む。ターメリックで染まったライスの海に、チキンやマトンの塊がごろり。そしてライタと呼ばれるヨーグルトソース。その不思議な酸味に彼女は夢中になった。けれど、彼女のビリヤニ愛はそれだけじゃ終わらない。


「ちょっとだけ、カレーちょうだい?」


それもまた、いつものセリフ。僕が頼んだバターチキンやキーマカレーに、ナンをちぎってちょんと浸す。そして彼女はそれを受け取るとすぐに口に放り込む、そして満足そうに目を細める。


「やっぱり、カレーもおいしいよね。でも、ビリヤニは特別。」


そう言って、またビリヤニに戻る。まるで旅人が一時の寄り道をして、ふたたび冒険の旅に戻るみたいに。


僕は彼女がビリヤニを食べる姿を見ているのが好きだった。スプーンで混ぜて香りを確かめる顔、ひとくち目を味わうときの小さなうなずき。そして、ひとすくいのビリヤニをライタに浸してもう一口。そこにはもう「選ぶ迷い」なんてなかった。とにかく好きなものにまっすぐでいられること、一方の僕はメニューに悩みながらも結局、定番のカレーとナンというごく普通のメニューを選んでしまう。彼女の冒険はちょっと羨ましかった。


彼女がいない日のテーブルは、なんだか広すぎる。彼女が大好きだったビリヤニを頼む気には、どうしてもなれなかった。けれど、今日ふとナンをちぎったとき、僕は思い出した。いつか彼女が口にした、あの言葉を。


「好きなものは、ひとくちでもいい。誰かと分け合えると、もっと好きになるんだよ。」


ひとくち分、残しておこうか。次に誰かと来たときのために。

そのとき、彼女の為にビリヤニを頼んでみようかなって、ちょっとだけ思った。

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