第9話 騒乱の気配
「親父、この宿は安全なんだろうな?」
沈黙を守っていた琉酔乱が、ぽつりと聞いた。
背中全部を耳にして、これまでアマルナの話を聞いていたらしい。
「えっ? わたくしめへの、ご質問でございましょうか?」
カントンが、あわてて答えた。
それまでは、母子の会話に目をうるませていたのだ。
「そうに、決まっとるだろうが!」
琉酔乱の声には、かすかに怒りが含まれている。
それを感じ取ったカントンは、たちまち引き締まった表情になった。
「自慢じゃありませんが、この恋霧楼、従業員一同みんな家族みたいなもんですぜ。アマルナは、できのいい長女というわけで。みんな心配すればこそ、けっして疎ましく思う者など……」
「そうかな?」
琉酔乱は手まねきをした。
近よってきたカントンに、窓の外を指さして見せる。
「あいつ、何者だ?」
琉酔乱の指の先をたどると、暗がりを駈け抜けていく一人の男がいた。
「ああ、あれは出入り業者のペクリオです。ここの厨房に、食事の材料を届けにくるんでさ。ん? まてよ……。たしかペクリオのとこは、虎印商会だったっけな。あそこが加わっている組合はリュトラ中小ギルドだから、そこの会頭は………ああっ!」
「やっと、わかったか」
「し、しかし、お客様はどうしてそれを……」
「ここの酒屋組合から、きのうの晩、情報を仕入れておいた」
「なるほど。酒屋組合は、ギルドと仲が悪いですからね。なにしろギルドが都市ごとの組合なのに対し、酒屋組合だけは、ガリレアに本部のある統一組織ですから」
「そんなことは、どうでもいい。それよりリュトラの司法官に、無法な殴りこみが行われると急いで通報するんだ。あまり時間はないぞ」
「いくらギルドの会頭がラボールだからといって、すぐに殴りこみをかけてきますかね?」
「いいから、早く行け!」
琉酔乱は、めずらしく怒った顔になった。
「わ、わかりました。ここの司法官は
カントンは、小太りの身体をゆらしながら、どたどたと部屋を出ていった。
「いやね! あれじゃひとっ走りじゃなくって、ひと転びしそうですわ」
花梨の軽口が、部屋の緊張を解く。
とたんに、琉酔乱に質問が集中する。
「若。戦いの準備をしておいたほうが良いのでは?」
「防壁術による結界を張っておきましょうか?」
「おいら、ガリレアの王様のところに行く!」
「黙れ」
琉酔乱のひと声で、ばたっと声がやむ。
「何もしないのが、一番だ」
「若!」
「若様!」
蛮虎と花梨の声が、みごとに重なる。
しかし琉酔乱は、それを無視してリュータに声をかけた。
「小僧。どうしても行くのか? ガリレアに行っても、どうせ青嵐王には逢えんぞ」
「なんで、兄チャンが知っているんだよ!」
「青嵐王とは、ちょっとした知り合いでね。あいつは今、旅に出ているんだ」
「法螺吹くのも、いい加減にしろよ。おいらはまだ、あんたを信じきっちゃいねーんだよ」
「本気で、そう思うのか」
琉酔乱は、ほんの少し悲しそうな表情をした。
「たしかに、用心棒からは助けてもらったさ。でもマクーハンは、悪魔のようにズル賢いやつだ。一度信用させといて、あとで裏切るなんてのは日常茶飯事、あいつの得意技のひとつだぜ」
「そう思うのなら、もう止めない」
「そうかい。それじゃ、おいらは行くぜ!」
リュータは、部屋の入口まですばやく移動した。
そこでアマルナをチラリと見ると、いきなり琉酔乱を指さす。
「おいらは、絶対に青嵐王にあってくる。だからそれまで、母ちゃんをあずけることにする。もしも母ちゃんに何かあったら、全部あんたのせいだからな。王様に頼みこんで、あんたを死刑にしてもらうぞ。わかったな!」
そう捨てゼリフを残すと、風を巻いて階段を駈けおりていった。
「こいつは困った」
琉酔乱が、苦笑いを浮かべている。
悲しみと喜びをないまぜにしたような、複雑な表情だ。
「若、どうして行かせたのだ。無理に止めることもできたのに」
「蛮虎。病人をかばいながら、どのくらい戦えると思う」
「相手にもよるが……」
「花梨は、防御魔法を張るのに忙しいぞ。それにもし、火でも放たれたらどうする」
「それは……」
「その場合、花梨もおまえも戦力にはならん。となると、俺の出番なんだが」
「若を矢面に立たせるぐらいなら、我が身を投じても、断固それを防ぐ!」
「わたくしも同じですわ」
蛮虎の決意に花梨も同意する。
「ならば、ひとりでも守る者は少ないほうがいいだろうが」
「あ!」
蛮虎と花梨は、呆けた表情で、たがいの顔を見た。
琉酔乱は考えていないようで、その実、もっとも適切な判断を下している。
そのことに、二人はやっと気がついたのだ。
※※※
「連れてまいりました」
カントンが帰ってきた。
背後に、仏頂面をした壮年の男が立っている。
司法官の
どうやら寝入り鼻をたたきおこされたらしく、しきりにアクビを噛み殺している。
しかし、ベッドに横たわっているアマルナを見たとたん、あわててそこに駈けよった。
「ど、どうしたのだ、アマルナ!」
背に手をまわし、抱きしめようとする。
医者が、必死に止めた。
絶対安静と聞いて、朱毬恩の表情はこれまでになく厳しくなる。
「私に用があるという無礼者は、どこのどいつだ!」
ほとんど怒鳴りつけるようにして、部屋の中を見まわす。
「すまない、俺が呼んだ」
「おぬしは?」
「俺は琉酔乱。ガリレアの造り酒屋の主人だ。それより、もうすぐここはマクーハンとラボールの手下で充満する。やつらは、アマルナの持っているある物を奪いにやってくる。非合法にな。そこで、あんたに守ってもらいたいのだ」
「どうしてそれを証明する。マクーハンは、仮にもここの領主だぞ。いくらラボールが暗黒組織の親玉だからといって、おぬしの一方的な意見だけを信用するわけにはいかぬ。
私はアマルナに好意を抱いてはいるが、それとこれとは次元がちがう。司法官は、好むと好まざるに関らず、法のもとの平等を守らねばならぬ立場にあるのだ」
「それを聞いて安心した。それでこそ、法の番人だ。ではあらためて、すべてをあんたに託すことにしよう」
「………!?」
「俺たちは、たとえここに踏みこまれても、いっさいの抵抗をしないことを約束する。そのかわり、マルーディア聖王家の名にかけて、リュトラ長老会議の面前で、公平な裁きを行なってくれ。
王家の血統を裁くには、それなりの手続きが必要だ。それは知ってるだろ? この親子は、まぎれもなく、その一族なんだぜ」
「若!」
「無謀ですわ!」
蛮虎と花梨が、先を争って口をはさむ。
「騒ぐな。マルーディアは、かりにも立憲君主国家だ。だから聖王家の欽定法こそが、すべてに優先する。力をもって争うのは、法を破るやつらに制裁を加えるときだけだ。それこそが、青嵐王の望んでることなのだ」
ふたりの怒声が、ぱたっと止む。
「ふむ。酒屋にしては、なかなかの口のききようだな。言っていることは、たしかに正論だ。しかし、アマルナが聖王家の出自だという、明確な証拠はあるのか?」
「ひとつは、俺がガリレアの聖王家に由縁ある者として、きっちりと証言しよう。もうひとつは、白風王が下賜した首飾りが、この世に存在する。
三つめは、誰も好きこのんで、無報酬にもかかわらず、自分の命を博打に掛けるような馬鹿はしないということだ。真実だからこそ、命をかけることができる。これで充分だろう」
琉酔乱は言い終わると、値踏みをするような目つきで朱毬恩を見ている。
朱毬恩はしばらく思案していたが、やがて自分なりの結論に達した。
「よかろう!」
「受けてくれるか」
「疑わしきを、疑ったまま罰していたら、司法官は殺人者と同じことだ」
「それでこそ正義の守護者だ」
「なに。安俸給程度の義務は、果たさねばならぬ」
石像のように、仏頂面を崩さない朱毬恩。
それを見た琉酔乱は、大声で笑いはじめた。
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