第6話 闇夜の逃亡者



 同時刻。


 深夜のマグン大通りを、闇にまぎれて大城門へと急ぐ、ふたつの影があった。


「母さん、もうすこしだ。頑張って!」


 リュータの声である。

 相変わらず、息切れひとつしていない。


 しかし、リュータの後にしたがう影は、右に左によろめきながら走っている。

 すっぽりとかぶったフードの中から、白い息が、ふいごのように噴きだしている。


 明らかに、その人物は息が切れかかっていた。


「門を……門を、抜けられる?」


「ああ。心配ないよ。今日の門番は、ガンゼルおじさんだもん。ちょっと急ぎの旅だって言えば、すんなり通してくれるさ」


「そうだと、いいけれど……」


「母さん、苦しくないかい。ちょっと休もうか?」


「心配しないで」


「無理しちゃだめだよ。ここで持病の――心臓の発作でも起こしたら、元も子もないもんな」


 あまりに激しい母親の息づかい。

 リュータは、焦る心をおさえて立ち止まった。


「どうにも、このフードが苦しくってね」


「それじゃ、外しちゃえば?」


「でも、人様に見られたら、まずいんじゃないのかい?」


「もう、城門まであとすこしだ。知ったやつなんか、いないと思うよ」


「そう――」


 痩せほそった黄白色の手が、ふるえながら漆黒の毛織のフードにかかる。


 ゆっくりと、引きおろした。

 たちまち、金色にかがやくまっすぐな髪が、はらりと肩におちる。


 リュータの母親は、美しかった。

 痩せすぎのきらいはあるが、それでもじゅうぶんに美女の部類にはいる。


 ながい過酷な生活。

 そして重度の心臓の病のため、目の下にありありと隈をつくっている。


 だがそれすらも、かげりのある美貌と呼んでさしつかえない。


 それもそのはずで、母親アマルナは今年でまだ二十七歳。

 リュータをこの世に産みおとしたのは、たったの十五歳のときである。


 リュータの父親は、聖王家の親衛隊である聖騎士団のひとつ、ガトラン重装甲騎馬隊の隊長だった。


 かすかに残る父の思い出は、リュータの一番の宝物だ。


 いつも寝床の中で反芻してしまうそれは、南方の国々と戦うために、雄々しく出城していく父の姿であった。


 だがそれを最後に、父の記憶はふっつりと跡絶えている。


 手ひどく傷つきながらも帰還した重装甲騎馬隊の中に、父の姿は見あたらなかった。


 ときの王であった白風王は、残されたアマルナとリュータに、首都ガリレアの永代居住権と、生涯にわたり楽にすごせるほどの財宝を授与した。


 そしてその中には、リュータの父の血統を証明する、月石の首飾りもあった。


 そのまま、なんの変化もなく時がすぎれば、いずれはリュータが、つつがなく勇敢だった父の名を継ぐはずであった。


 むろん、これらすべてのことは、リュータがまだ幼いころに、何度も寝物語のかわりにアマルナから聞かされたことばかりである。


 その真偽のほどは、リュータにはわからない。


 しかしリュータは、母親を疑うことはしなかった。


 母親を疑えば、自分の中の、英雄としての父親をも疑うことになる。

 それは、少年であるリュータには、あまりにも堪えがたい裏切りの想念にほかならなかった。


 しかし……


 金のあるところに、陰謀あり。


 武器売買のためにガリレアを訪れていたラボールの手下が、この不幸な親子のことを耳にした。


 話はすぐにラボールに伝わり、そしてそれは、地位と名誉と物欲にかけてはめっぽう敏感な、リュトラ領主マクーハンの耳にも、さほど時をうつさずに伝わった。


 マクーハンは、地方貴族にすぎぬ存在である。


 だから聖王家の血筋に対して、歯ぎしりするほどの劣等感をいだいていた。


 いくら乞い焦がれても、この国の最高権力は手に入らない。

 王位は、絶対的な世襲制なのだ。


 マクーハンが聖王家の血族にでもならないかぎり、これ以上の地位は、子々孫々まで待っても巡ってはこない。


 だから、なんとかしたいと思った。

 末席にでももぐりこみたいと、常日頃から思案していた。


 そこに聖王家の血統の証明をもつ、美しい未亡人の話である。


 マクーハンが全力をあげて、この親子を罠にかけるべく、策をめぐらすのも当然であった。


 マクーハンは、ヤクザの統領であるラボールをあやつり、この不幸な母子に巧妙な罠を仕掛けた。


 リュータを出世させるためには、莫大な金がいる。


 手っ取り早く、しかも確実に金を手に入れるには、闇の商品取引に投資するのが一番だ……


 そう、甘い言葉をつかってたぶらかせた。


 そして一方で、裏の相場をあやつり、たちまち破産に追いこんだ。


 待ってましたとばかりに、マクーハンは、永代居住権のある館を手放すかわりに、借金の肩代わりをしてあげようと持ちかけた。


 途方に暮れていたアマルナは、感謝こそすれ、マクーハンの悪辣な陰謀には気づかなかった。


 マクーハンは母子をリュトラ城塞都市にまねき、いったんは黄蓮城の後宮に庇護したものの、第三夫人にならないかとの誘いをアマルナが蹴るやいなや、一転して正体をあらわした。


 無慈悲にも、母子を無一文のまま、貧民街に放りだしたのだ。


 むろんアマルナは、首飾りだけは手放さなかった。


 どうせ困窮きわまって、ほどなく泣きついてくるだろう……


 そう、マクーハンは読んでいた。

 だからこそ、泳がせたのだ。


 いくらマクーハンが悪どいとはいえ、王への直訴権をもつ相手に、非合法なことまではできない。


 合法的にアマルナを手に入れるためには、ただ待てばよかったのだ。


 だが――


 アマルナは、予想以上に強かった。

 娼婦に身をやつしてまでも、マクーハンの求婚を拒みつづけたのだ。


 それはマクーハンの犯した、ただひとつの誤算だった。


 母親としてのアマルナは、マクーハンが思っているような、ひ弱な上流貴族の娘ではなく、すでに旺盛な生活能力を有する、美しい一匹の女獣と化していた。


 あせりを感じはじめたマクーハンは、せめて王家の印である首飾りだけでも手にいれようと、作戦を変えた。


 あの手この手をつかって、母子に迫害を加えはじめたのだ。


 しかし、根っからの気品と美貌をそなえたアマルナは、たちまちのうちに娼婦街のヒロインとなった。


 ひいき客の中にも、マクーハンの無視できぬ立場の人物が増えてくる。


 ……これは、まずい!


 堪忍袋の緒をきらしたマクーハンは、とうとうラボールをつかって、強引に首飾りを奪い取ることにしたのだった……。


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