第5話 白狼亭の三人



 けむるような紫煙と酒精の香り。


 それが、白狼亭の一階にある酒場を満たしている。


「姉チャン、酒だ酒!」


 酔っぱらった客の怒声が響きわたる。


「もう、わかってるってば!」


「もう、半刻も待ってるんだぜ。酔いが醒めちまうよ」


「ほンとに、頼むときだけは威勢がいいくせに、支払いになると渋くなるんだから!」


 さほど広くない店内。

 だが、深夜というのにほぼ満杯の客がいすわっている。


 姉チャンと呼ばれたのは、店のおかみシャオリン。

 二階が旅篭でもある、ここ白狼亭の女主人である。


 旅篭や酒場をきりもりしているのは、このシャオリンだ。

 旦那は、もっぱら客と一緒に飲んだくれている。


「そんなこと言わずに、もう一杯だけ、な」


「だったら、ひざまずいて剣をささげな。はこう見えても、聖王家の出なんだからね! 名前だって、ほんとは咲鈴シャオリンって書くんだから」


「なんと奇遇な! じつは俺も、武公ブコウっていうんだ」


 言ったシャオリンも、言いかえした酔っぱらいのブコウも。

 一瞬、たがいに顔を見合わせる。


 どちらとも、聖王家とはまるで縁のない、褐色ガルトの肌をしている。


 たちまち大声で笑いだした。


 どちらも、おなじみの掛けあい漫才。


 つまり漫才のネタになるほど、没落した聖王家の血統という話題は、庶民の中に深く根づいているのである。


「聖王家の血筋も、ここでは冗談にしかならん」


 奥まった談合部屋の中で、頬杖をついた男がつぶやいた。


 琉酔乱である。


 あいかわらず、起きているのか寝ているのかわからない。

 そんな表情で、つまらなそうに酒を飲んでいる。


 それも、自分のところの『嵐菊』謹製ではない。


「若、どうして花梨を行かせたのだ?」


 蛮虎が、不平をたらたらの表情で聞いた。

 どうやら、自分が指名されなかったことが不満のようだ。


「おまえが出ると、いつも死人の山だ。それは美しくない」


「若から殺すなと命じられた時は、一度も殺してはいない!」


「忘れた。ともかく、花梨がいいと思ったんだ」


「しかし、花梨だけでは!」


「あいつの魔法は、ちょいとしたもんだぞ?」


「それは、わかってる。しかし若は、いつも思いつきで行動しすぎる。そのために、ひとつで済むこともみっつに……いや、百くらいに面倒になってしまう。こんな事では、とても勤めなどこなせない」


「真面目にやるのは、つまらん」


「自分の退屈しのぎで部下をもてあそぶとは、許しがたい暴挙だぞ!」


「俺は酒屋の主人だ。だから、酒を飲むのが仕事だ」


「馬鹿らしい。飲んでいるのは、よその酒ではないか。それに他人の前ではいざ知らず、この蛮虎の前でそんなことを!」


「嵐菊なんか飲むやつこそ、味音痴の阿呆だぜ。それに怒るなら外でやってくれ」


「………!」


 見る見る蛮虎のこめかみに、一条の青筋が浮かびあがる。


 いくら剣を捧げた相手だとはいえ、これほど愚弄されれば、いっそ、その剣で刺し殺してくれたほうが胸のつかえが取れる。


「怒るなよ。が怒ると、本当に怖い」


「若……」


 栓を抜いた風船のように、みるみる怒りがしぼんでいく。


 いつもの手管とは、百も承知している。


 が、それでも、琉酔乱のときおり漏らす法外な褒め言葉は、かならずといっていいほど蛮虎を骨抜きにする。


「自分は……美女ではない。花梨とは、違う」


 弱々しく反論する。


「俺は、美しい女が好きだ。花梨とおまえは、それぞれマルーディア屈指の美しさを持っている。俺の目に狂いはない」


「しかし……」


「俺の気持ちだけでは不服か?」


「いや。どんな男に褒められるよりも、若の一言のほうが蛮虎は嬉しい。そして若が、本当は冗談を言えない性格なのも知っている。だからこそ、蛮虎は悩む……」


「悩むな。真実はいつもひとつだ。おまえは良い女だと俺は思う」


 琉酔乱は、いつものとぼけた表情のまま、狼狽しつづける蛮虎を見守っている。


 そして蛮虎も、いつものとおり、深い溜息とともに敗北を認めなければならなかった。




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