コタツ

祐里

ダメ人間製造機

 コタツを買おうと思った。

 十月下旬に入った今日、今季一番の寒気が日本列島を襲った。だからというわけではないけれど、買おうと思った。あんなに避けていたのに。


『なあ、夏美なつみ、リビングにコタツもあるといいんじゃないか?』

『買わないよ。ダメ人間製造機なんだから』

 眉を寄せる私に、夫は笑って言った。

『ははっ、やっぱりコタツは嫌いか』

『嫌いじゃないけど、まず真っ先に私がダメ人間になるもん。そしたらさとしくんが大変になるんだよ』

『まあ、そうなるな』


 ソファに座っていると、コーヒーが恋しくなった。立ち上がり、キッチンで湯を沸かす。マグカップにはスプーン一杯ずつのインスタントコーヒーと砂糖。牛乳は電子レンジで温めておく。


 ダメ人間製造機だと断じていたのに、『小惑星衝突で人類滅亡 百年後に』というネット記事を見ただけなのに、私はどうしてだかコタツを買わないといけない気分になっている。

 自分にとっては遠い未来だけど、どうせ世界が終わるのならダメ人間になったっていいじゃないなんて、自暴自棄の百歩手前のような気持ちが湧いてきたせいかもしれない。


 本当は、ダメ人間製造機だからというのは二番目の理由だった。

 夫と一緒にコタツに入ったところを想像する。きっと足を伸ばしたら直角に交わる位置に座ることになるだろう。そうすると、二人の間にコタツの脚が入る。それが邪魔で嫌だというのが、一番の理由だった。いつものようにソファに並んで座っていれば、何も邪魔は入らない。


 夫と肌を重ねるのは好きだった。でも、何度セックスしても妊娠はしなかった。排卵日を狙ってもダメ。夫は「いいんだよ、できなければできないで。このまま二人で暮らしていこう」と優しく微笑んで言った。私は夫のそんな気楽な考えに応えることはできなかった。

 夫は、持ち前の呑気さで不妊検査を拒んだのだ。二人の間の一番濃い親密さが、海外の無愛想な店員が首を振るようにおざなりに、はっきりと否定されたような気がした。


 電気ポットの湯が沸き、マグカップに注ぐ。温めておいた牛乳も入れて口をつける。

「あちっ」

 一旦何かを口にすると、待っていたかのように次から次へと漏れ出る言葉。

「どうして、今になって」

 カーテンの隙間から細く差し込む西日は、テレビ画面の端を淡い金色の光で埋めている。

「コタツなんて……」

 子供がいない未来を思い描く必要に駆られた。夫と離婚したせいで、一人で生きていく未来を考えざるを得なくなった。いつの間にか来週のことさえ考えるのが億劫になっていた。ただ職場で無難に仕事をしていればいいと思っていた。


 そして目の前に、百年後の未来が突き出された。


「あっつ。牛乳冷たいままでよかったかも」

 生きていればいつかは死ぬ。百年後には、どうせ自分はいない。夫もいない。今を生きていて百年後を拝める人物など、いてもごく少数だろう。でもコタツはボロボロの姿で生き残っているかもしれない。細胞分裂などない、夫婦の間に脚を差し挟む、ダメ人間を生み出してしまうくらい、素晴らしく温かい機械。


 ダメになったっていい。子供はできなかったけれど、それでいい。子孫を残すことができたところで、みんな百年後には死んでしまうんでしょう? そんなふうに自分を甘やかす。


 一人用ならそんなに大きくないだろう。玄関まで宅配業者に運んでもらえれば、女でも楽に運べる。通販サイトは便利だ。サイズもきちんと書かれている。口コミを見て、良さそうなものを選ぼう。コタツ布団も買わなくちゃ。

 猫を飼い始めるのもいいかもしれない。コタツと猫がセットになると、ダメ人間メーターのゲージがぐんと増加するかもしれない。


 スマホで「コタツ」と検索する。コタツ布団もセットで売られているといいんだけれど。出てきた通販サイトには、面倒がる私を見透かしたかのように『こたつ&布団セット』と大きく書かれている。


 コーヒーの最後の一口は、下に溜まっていた砂糖のせいでとても甘かった。

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コタツ 祐里 @yukie_miumiu

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