いつか街で偶然出逢っても

同じ季節がめぐる。

芽吹いて花が咲いて散った後に嵐が通り過ぎて蝉が鳴く。


あと何回同じように見えて違う繰り返しを続ければいいんだろう。

時々気が遠くなり眩暈がする。


そういうときは空を見上げて無性に君の声が聴きたくなる。


少し鼻にかかったような特徴的な声。

声音はどこまでも溌剌としているけれど、選ばれて出てくる言葉にはどこか繊細な響きがある。

それは異国で編まれた鮮やかな色彩の衣装を纏った貴女を思わせる。


たぶん最後に言葉を交わしたのは、あの夜の海岸で手持ち花火をやった日のことだ。

それを境に電話でも対面でも言葉は交わしていない。

Eメールやアプリのメッセージ機能でかんたんな時候の挨拶を取り交わす程度。


でもそれではダメなのだ。

君のその言葉は色彩と紋様を織り合わせた声音を伴って、それが僕の鼓膜を震わせてはじめて意味を持つ。


それがもう叶うことはないのかもしれないと知ってもなお

空を見上げては無性に君の声が聴きたくなることがある。



「あっそういえば包丁持ってくるの忘れてた!」


大学2年生の夏のことだったとおもう。

僕たちは当時のクラスメートに声をかけてBBQ大会を催すことになった。

なぜか君と僕との二人で企画、場所の予約、食材の買い出しと持ち込みを担当することになった。

ふたりとも車なんて持ってないのに、どうしてそういうことになったのだろう。


その経緯は今となっては思い出せないけれど、僕はその準備期間の方がむしろワクワクした。

ターミナル駅前の安い居酒屋でバイト終わりに落ち合って、人数や日程の確認をしたりする。

BBQの話もそこそこにお互いの日常とか卒論のテーマの予定とかそういったありきたりな話題を交換する。


会計を済ませて、地元の駅までサラリーマンたちと一緒に電車に揺られる。

眠そうに船を漕ぐ君を眺める。

目的地になんて永遠に着かなければいい、そんなことを願っている自分に驚いた。


「カットされた野菜を買おう。肉は僕が持ってきたペティ・ナイフでなんとか細かくしてみるよ」


そう言ってレジを通過。

ふたつずつ大きな袋を持ち合う。重たいペットボトルを入った袋は僕が持つ。せめてもの紳士的なこころづかい。


自分の気持ちは実は自分自身がいちばんわかっていないのかもしれない。

中学2年の夏休みの頃を思い出していた。



仲の良かった男子クラスメートは既に彼女と別れ、引っ越してしまった友達とはたまにメールする程度。昼間は部活で夜は塾がある。

多忙と暇すぎのちょうど中間にいた僕は、クラスメートに勧められてMr.チルドレンのコンパクトディスクを聴いていた。


ある一曲を耳にした瞬間鮮明な光景を目にした。

なんの脈絡もなく君の顔が浮かんできて、それと同時にもう二度と会うことはできないと知った時の痛みが胸の奥を貫いた。


何度か聞き返しても変わらない。どうしてだろう?

それはのちに大人になった今も同様で、その曲を聴くとどうしてもその未来を思い出してしまう。


君とは単にクラスの席が隣同士で、授業中ふざけあったり(主にふざけていたのは僕の方だ)

ちょっとシリアスな噂話を耳打ちしあったり、真面目にノートをとったり(主にそうしていたのは君の方だ)していた。


どこにでもある中学の授業の風景。メモやスケッチに残すまでもない。

君に対して僕は、クラスの席の隣同士である以上の親密さを抱いていただろうか?

思春期で急激に変化を迎えつつある僕はその問いにうまく答えられなかった。


正直言って、おとなになってからもわからないままのことだってたくさんある。

むしろその方が多い。

この世界はどのような仕組みで日々回っているのだろう?

死んだら人間はどうなるのだろう?

政治的、経済的、精神的どれひとつとっても満足のいく答えは持ち合わせていない。


そのうちのひとつに、僕は君に対して恋心みたいなものを抱いていたのだろうか?という問いが浮かんだまま残る。

そしてふたつめの問いが浮かぶ。

僕が君のことを好きだったとして、それを伝える機会を永遠に逸してしまったのだろうか?



続々とBBQ会場の海岸に同級生たちが集まる。

野球少年は精悍な青年に、目立たない女学生は立派なギャルに、生真面目な学級委員は将来を嘱望されるインターン生になって。


缶ビールと酎ハイで乾杯。

僕たちが用意した食材だけだと足りなかったから、追加で買い出し。

滞りなくなく時間は流れていく。


思ったとおり、思った以上に退屈だった。

知らないサークルの合コンとか、短期留学のワンナイトとか、就活に必要な資格試験とか

どれひとつとっても僕の興味を惹かなかった。

君と過ごした居酒屋での打ち合わせの時間の方が百倍楽しかった。


手持ち花火を手に海岸ではしゃぐメンバーたちには加わらず、

後から合流した当時のクラスメートとふたりでぬるくなった缶ビールを飲んだ。

そいつはバイクで来ていたからノンアル。今日は遠くまで悪かったな。


「なあどうして急にこんな会を開いたんだ?おまえらしくないな」


「さあ、どうしてだろう」


まったく理由がないわけではなかった。

当時、東北で大震災があった。

その後一年は、東京都近郊は自粛ムードに包まれた。

瓦礫の除去や電力など現実的な必要性とは別に、心理的に致死的なダメージを避けるかのように、一部では再会ムードが一気に高まった。


”当たり前だと思っていた人と人が過ごせる時間がじつは当たり前ではなく、それが最後かもしれない”


考えてみるまでもなく、至極当然のことだ。次なんて保証されていない。

大学生は地元に残っている高校や中学、小学校の当時のクラスメートに連絡をして積極的に集った。

その流れには加わらなかった僕が急にBBQにみんなを呼び出した。


「あるいはお前とこうして海岸で酒を飲むためかもな」


「俺はノンアルだけどな」


花火の匂いと海の湿気に混じり合いながら聞こえてくる笑い声をBGMに、僕らは2本目のプルタブを開けた。



2020年の半ば。

世間は外出禁止や買いだめなど右往左往していた。


そんな中でも通常通りオフィスで夜まで残業をしていると、ふとFacebookステータスで君がオンラインになっていることに気がついた。


>ひさしぶり

>昨今は大変な様子だけど元気に過ごせてる?


そんなメッセージを送ったことも忘れて何日か経った頃、メッセージボックスに返信がきていた。


>ひさしぶり!

>実は結婚していま関西にいます

>息子が生まれたばかりで仕事はしてないんだけど、元気にやってるよ!


メッセージと共に、小さな手のひらを握る君の写真が添えられている。

あたらしい命とお互いに支え合えるパートナーと日々を過ごして充実した様子が伝わってくる。


またまた一人で残業していた僕だが(これは僕の名誉のためにいうけれど、決して仕事が遅いわけではなくて仕事の量が多すぎたのだ)

その様子を想像して思わず笑みが溢れた。


ほぼ同時にほとんど忘れかけていた、あの懐かしい胸の痛みが蘇ってきた。

けっきょくBBQを解散したあと何か言葉を交わしただろうか。

お疲れさま、とか今日はありがとうだとか。そんな通り一遍のことでいい。


それすら思い出せなかった。

最後の花火が燃え尽きた瞬間を境に、奇妙に巻き戻された時間は再生ボタンを押した時みたいに急に流れ出して、君と二度と会うことはなかった。


いや、正確には一度駅で君と偶然顔を合わせた。

1日に何万人もの往来がある巨大なステーションの雑踏ですれ違うのはどれくらいの確率だろう。


その時はお互い時間がなくて、手を振って別々の方向へと歩いていった。

今は君の左手の薬指にはキラキラした指輪があって、反対の手にはとても小さな手が握られている。


僕は急激に老け込んだ気がして、ノートPCを閉じて帰り支度をはじめた。

仕事はまだたくさん残っているけれど何もやる気になれなかった。



同じ季節がめぐる。

あと何回同じように見えて違う繰り返しを続ければいいんだろう。


もう居酒屋で世間話をしたり、電話で連絡したり、雑踏で偶然手を振ることなんてないとわかっていたとしても、

どうしても無性に君の声が聴きたくなることがある。



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