星屑の波紋
春の東京は桜の花びらが風に舞い、街を淡いピンクで彩っていた。
翠(ミドリ)はもうすぐ18歳になる、高校3年に進級していた。
中性的な美貌はますます際立ち、ショートカットの黒髪と透明感のある瞳は、名門私立女子校のブレザー制服に映えた。
翠はスカートを選ぶ日もあればパンツを選ぶ日もあり今日はスカートを履いて、どこか少女らしい雰囲気を漂わせていた。
彼女の心はアイドルグループ「Stellaris」のセンター、星奈(せいな)に捧げられていた。
19歳の星奈はステージでの輝きとプライベートの柔らかな笑顔で、翠の生きる理由だった。
翠と星奈の関係はファンとアイドルの境界、同性の壁を越え共依存の色を帯びていた。
星奈のマンションでの逢瀬は、二人だけの秘密の時間だった。夜の部屋で星奈は翠に寄り添いアイドルとしての重圧を吐露した。
「翠、ファンの前では笑顔でいなきゃいけないけど…君の前だと、ほんとの自分が出せるよ」
翠は星奈の髪を撫で、「星奈が笑ってくれるなら、私なんでもする」と囁いた。
二人の指にはシルバーのリングが光り、秘密の約束を象徴していた。
だが、その秘密は愛の証であると同時に罪の重さでもあった。星奈のキャリアを壊すかもしれない関係を翠は愛おしさと恐怖の中で抱きしめていた。
4月初旬、翠の18歳の誕生日が訪れた。
星奈は翠を自分の部屋に招き、慎ましやかな祝いを計画した。テーブルには小さなケーキと青いリボンの箱が置かれていた。
「翠、誕生日おめでとう!」
星奈の笑顔は、ステージ上の輝きを超える温かさに満ちていた。
翠は頬を染め、「星奈、こんなの素敵なサプライズ…ほんと嬉しいよ」と呟いた。
星奈が手渡した箱を開けると、黒いベルベットのチョーカーが現れた。
中央には小さなサファイアが散りばめられ、星奈の好きな青が輝いていた。
「これ、翠に似合うかなって…ちょっと、私の好み押し付けちゃったかも?」
星奈は照れ笑いを浮かべたが、その目に一瞬に独占欲のような光が宿った。
翠はチョーカーを首に着け、鏡で自分を見た。
「星奈のもの」――その言葉が頭をよぎり、翠の心は甘い疼きに包まれた。
星奈は翠の首に指を滑らせ、「翠がこれ着けてくれると、なんか…私のものって感じがするね」と囁いた。
翠はドキリとし、星奈の手を握り返した。
「私、星奈のものだよ。ずっと⋯」
二人の唇は自然と重なり、ケーキの甘い香りと共に時間が溶けた。
誕生日プレゼントのチョーカーは愛の証であると同時に、星奈の翠への深い執着を象徴していた。二人は互いの温もりに溺れ、秘密の時間を積み重ねた。
だが、この小さな幸せが嵐の前の静けさだとは、二人とも気づいていなかった。
4月中旬、翠はいつものように電車で学校へ向かっていた。
名門私立女子校のブレザー制服のスカートを選んだ今日は、彼女の美少女らしさを際立たせていた。
遠くからの視線を感じながら翠は電車の手すりに左手でつかまり、右手に鞄を持った。
3つ先の駅まで窓の外の桜並木を眺めていると、ふと違和感に気づいた。
同じ制服を着た女生徒が、身じろぎしながら立っていた。
その後ろに中年男性が不自然に密着している。翠の目は鋭くなり、状況を瞬時に察した。
痴漢だ。
翠は冷静に動いた。
「すみません」と小さく呟き、二人に近づいた。
女生徒のスカート越しに、男の手がお尻を鷲掴みにしているのが見えた。
翠は証人が必要だと考え近くの女性乗客数人に目配せし、鼻先で「しー」の合図を送った。
彼女たちは状況を理解し頷いた。
翠は一人の女性に小声で「鞄、持ってもらえますか?」と頼み了承を得ると、深く息を吐いた。
次の瞬間、翠は男の右手を素早くつかみ、女生徒のお尻から引き剥がした。
「いつまで痴漢してるんだよ!この下衆が!」
低く鋭い声で言い放ち、男の手首をひねり背中に腕を締め上げた。
男は震え、抵抗を試みたが翠の力強い声が続いた。
「観念しなさい!私以外の女性も撮影と目視してるから、言い逃れできないよ!」
周囲の女性たちがスマホを構え、男の顔を捉えるのを見やり男は抵抗を諦め、膝から崩れ落ちた。
翠は急な重さにバランスを崩したが、痴漢されていた女生徒に支えられた。
「ありがとうございます…怖くて声も上げられなくて…」
その声に翠の心臓が止まった。
顔を上げた女生徒は目元を潤ませ、怯えながらも感謝の笑みを浮かべていた。
翠の頭は真っ白になった。
その声、その顔――「Stellaris」の末っ子メンバー、珠姫(たまき)だった。
「え…珠姫ちゃん…?」
翠の声は震え、言葉にならなかった。珠姫は翠の制服を見て、驚いたように目を丸くした。
「え、知ってるの?私のこと…?」
彼女の声はステージでの元気なトーンとは違い、か細かった。
翠は慌てて言葉を紡いだ。
「う、うん…Stellarisのファンで…珠姫ちゃん、いつも見てて…」
頭の中で警鐘が鳴った。
星奈のグループメンバーに、こんな形で出会うなんて。しかも、星奈との秘密を抱えたまま。
珠姫は翠の手を握り、「ほんと、助けてくれてありがとう…ステージじゃ大きな声出せるのに、こんなとき、ダメダメで…」と涙声で言った。
翠は彼女の震える手を握り返し、「大丈夫、誰だって怖いよ。もう安心して」と答えた。
電車が駅に着き、男は周囲の乗客に引きずられるように駅員に引き渡された。
珠姫は翠に寄り添い、「ねえ、名前、教えて?恩人なんだから、知りたいな。」
翠は一瞬躊躇したが、「翠…ミドリって呼んで」と答えた。
珠姫は微笑み、「ミドリちゃん、かっこよかったよ!また会いたいな!」と無邪気に言った。
その夜、翠は星奈の部屋で、昼間の出来事を話した。
星奈の顔は一瞬固まり、複雑な表情を浮かべた。
「珠姫…あの子、ほんと純粋だから。翠が助けてくれて、よかったよ。」
だが、星奈の声には、どこか不安が混じっていた。
翠は星奈の手を握り、「星奈、珠姫ちゃんには何も言ってないよ。私たちのこと、絶対守るから。」
星奈は翠を抱きしめ、「翠…君がそばにいてくれるなら、私、なんでも耐えられるよ」と囁いた。
だが、翠の心はざわついていた。
珠姫との出会いは、二人だけの秘密に波紋を広げていた。
物語はここで終わる。
翠と星奈は共依存の中で小さな幸せを分かち合い、チョーカーの贈り物に愛を重ねた。
だが、珠姫との出会いは予期せぬ波乱の種を蒔いた。
星屑のような二人の時間は、いつまで輝き続けられるのか。誰も知らない。
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