第3話




その紙を読んでから、私はしばらく動けなかった。

文字は黒のボールペン。くせのない、でもどこか丁寧な字だった。

誰が書いたのか、まったく見当がつかない。

けれど、その一文だけが、まるで心の奥を突いてきた。


「消えたいなら、きっと君は生きている。」


その言葉は、優しくもあったし、残酷でもあった。

私が“消えたい”と願っていることを、誰かが知っている。

そんなはず、ないのに。


私はそっと紙を畳んで、ポケットにしまった。

見なかったことにしようとも思ったけれど、それはできなかった。


放課後になっても、廊下を歩いていても、あの言葉がずっと胸の奥で響いていた。



電車の中。

座席に腰かけ、窓の外を眺めながら、ふと思う。


“私を見ていたのは、誰?”


教室には三十人近くいる。でも、話したことがあるのは片手にも満たない。

LINEの通知も、もう何日も鳴っていない。


もしかして、あの川沿いの人だろうか――

そう考えたとき、胸の奥が少しざわついた。


あの白いシャツの背中。振り返らなかった横顔。

でも、そんなはずない。ただの偶然。私は声もかけていない。



帰り道、何気なく川沿いを歩いてみた。

昨日と同じ場所にベンチはある。でも、誰もいない。


そんな簡単に、もう一度出会えるなら、私はきっととっくに誰かと仲良くなれていた。


その夜、机に向かって日記を開いた。

私は誰にも見せないような言葉を、ずっとそこに書きつけてきた。


でも今日は、何も書けなかった。

代わりに、ポケットから紙を取り出して、もう一度読んだ。


「消えたいなら、きっと君は生きている。」


生きている。

その言葉が、なぜか、喉の奥に引っかかっていた。


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