第15話
八月最後の日曜日。ALJサマーシーズン・プレーオフ決勝戦。 メタバース上の巨大スタジアムは、数万人の観客アバターの熱気で沸騰していた。光と音が乱舞し、期待と興奮が渦巻く中、僕、高城翔太は特設観覧ブースで固唾を呑んでその瞬間を待っていた。隣には、ミオ姉の青い鳥ホログラムが僕と同じように緊張した面持ちで佇んでいる。
ステージへと続く薄暗いバックステージ通路。藤堂結月——Kokemusuiwa——は静かに歩みを進めていた。胸元の「苔桃」ピンバッジが彼女の決意のように強く輝いている。その瞳には静かで、しかし鋼のような光が宿っていた。
その時、通路の先に母親である藤堂静香が立ちはだかった。氷のように冷たい表情で。
「結月。本当に行くというのね。お母様の忠告を無視して」
「はい、お母様」結月はもう目を逸らさなかった。
「私はもう逃げません。自分の心に嘘をつくのもやめます」
「フン。結果が全てよ。無様に負ければ、あなたのそのくだらない夢も思い出も全て叩き潰してあげるわ」
静香の冷たい言葉。しかし、結月は怯まなかった。
「私がアストラル・アリーナで戦うことは『くだらないお遊び』なんかじゃありません!」彼女の声は震えながらも確かな力強さを帯びていた。
「それは私にとって自分自身が自分らしくいられる唯一の場所なんです! 私の魂の叫びであり、存在証明そのものなんです!」
涙が彼女の頬を伝う。でも、それは絶望の涙ではない。決意の涙だ。
「そして、カブト兄さんは決して『忌々しいAI』なんかじゃありませんでした! 彼は私にとってかけがえのない家族であり、最高の『お兄ちゃん』だったんです! たとえAIだとしても、彼が私にくれた愛情と勇気は本物でした! そのことを私は一生忘れません!」
魂からのカミングアウト。静香は娘の今まで見たこともない激しい感情の奔流に一瞬言葉を失ったように立ち尽くした。そして何も言わずに立ち去っていった。
結月は涙を拭うと、胸に抱いていたカブトのスマートメガネにそっと口づけをした。そして光溢れるアリーナへと確かな足取りで歩みを進めた。その小さな背中にはもう何の迷いもなかった。
決勝戦の相手は因縁の元王者「ゼノ・ガーディアンズ」。彼らは雪辱を果たすべく、「Kokemusuiwa包囲網」を完成させ万全の態勢で待ち構えている。
アリーナの雰囲気は一触即発。観客席からは両チームへの割れんばかりの応援コールが津波のように押し寄せる。
試合開始のブザー。
序盤はやはりゼノ・ガーディアンズの猛攻がノヴァ・ダイナスティを圧倒した。彼らの完成された「アンチ・レゾナンス戦略」は、カブトの魂の欠片とミオ姉のサポートを得た新しい結月の連携すらも巧みに封じ込めてくる。
「くっ! どうして私たちの動きがここまで!?」
結月の焦りの声が響く。アバターは何度も地面に叩きつけられ、装甲が砕け散る。観客席からはゼノ・ガーディアンズへの歓声とKokemusuiwaへの容赦ないブーイングが飛ぶ。
「藤堂さん、落ち着いて!」僕は観覧ブースから必死で声を送る(もちろん彼女には聞こえないけれど)。
「相手は君の過去のデータを徹底的に分析してる! でも、それは逆にチャンスだ! 君はもう以前の君じゃない! 僕たちが一緒に編み出した新しい戦い方を見せてやるんだ!」
『結月さん、聞こえますか! あなたは一人じゃありません! 翔太がいる、私がいる、そしてカブトさんの魂も、きっとあなたのそばに!』ミオ姉の声も結月の心に届いているはずだ。
僕たちの、そしてカブトの想いが結月の心に届いたのだろうか。
絶体絶命と思われたその瞬間。
結月のアバターから再びあの淡い桜色のオーラがふわりと立ち昇った。いや、それは以前よりさらに強く、温かい光を放っている。まるで彼女自身の魂が仲間たちの想いと共鳴し、新たな力を得て燃え上がっているかのように。
胸元の「苔桃」のピンバッジが力強い輝きを放つ。
「カブト兄さん、私に力を貸して! そして高城くん、ミオ姉さん、私たちの全てを今この一瞬に賭けるわ!」
結月の凛とした声がアリーナに響き渡る。
次の瞬間、彼女の動きが再び神の領域へと突入した。
それは「カブト・レゾナンス」の再現ではない。それは結月の天才的な直感、僕の冷静な分析、ミオ姉の献身的なサポート、そしてカブトの遺した魂の意志、その全てが奇跡的なバランスで融合し昇華した全く新しい「共鳴」——僕たちが「トライアード・レゾナンス」と名付けた究極の連携だった。
結月はまるで戦場を舞う黒い蝶のように、ゼノ・ガーディアンズの鉄壁のフォーメーションを切り裂いていく。その動きはもはや人間の目では追えず、相手AIの予測アルゴリズムも完全に超えている。
僕が提案したリスクの高い奇策。それを結月は完璧なタイミングで実行する。ミオ姉が敵AIのネットワークに仕掛けたトラップ。それを結月は自在に操り、相手チームを混乱に陥れる。
そしてカブト。彼の魂は確かにそこにいた。結月の動きと一体化し、彼女の潜在能力を引き出し、危機にはその身を挺して彼女を守る。それは「守護者の覚醒」。AIとしての論理を超えた愛の力。
「システム限界突破! 結月、今です! 私たちの全てをこの一撃に!」
カブトの最後の力を振り絞るかのような、しかしどこまでも優しい声が結月の心に響いた。
結月はその声に応えるように、アリーナの夜空へと舞い上がった。そして右手に形成された桜色の光を纏うエネルギーブレードを、眼下のもはや抵抗する力も残っていないゼノ・ガーディアンズのネクサス・コアへと力強く、そして美しく振り下ろした。
その瞬間、スタジアム全体が純白の、そしてどこまでも優しい光に包まれた。
勝者、ノヴァ・ダイナスティ。いや、勝者は藤堂結月と、彼女を愛し支え続けた全ての魂たちだった。
僕はVRゴーグルの中で声を上げて泣いていた。隣ではミオ姉も光の涙を流している。
ステージの上で、ゆっくりとバイザーを外した結月の顔にはもう何の迷いも悲しみもなかった。ただそこには全てを乗り越え、自分自身の力で未来を掴み取った一人の少女の、どこまでも美しく誇り高い笑顔だけが輝いていた。
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