第16話
あの、アストラル・アリーナの歴史を塗り替えた、ALJサマーシーズン・プレーオフ決勝戦から、季節はいくつか巡り、街はすっかり秋の色に染まっていた。高く澄み切った空には鰯雲が流れ、僕、高城翔太と藤堂結月が通う中学校のケヤキ並木も、赤や黄色に色づいた葉を爽やかな秋風に舞わせている。
決勝戦での奇跡的な勝利の後、結月の人生はゆっくりと、しかし確実に変わり始めていた。あの日、ステージの上で娘の魂の叫びを聞いた母親、藤堂静香との関係は、まだ少しぎこちないけれど、以前のような冷たい壁は取り払われ、互いを理解しようと努める静かな対話が始まっていた。
静香は娘が選んだeスポーツという道をまだ完全には認めていないかもしれない。でも少なくとも、頭ごなしに否定することはなくなり、時には不器用ながらも、娘の活躍を遠くから見守るような素振りも見せるようになった。それは長い時間をかけて溶けていく氷河のように、ゆっくりとした、しかし確かな変化だった。
結月自身もまた大きく変わった。以前のどこか影のある、近寄りがたい雰囲気は消え、その表情には年相応の少女らしい、明るく柔らかな光が宿るようになった。学校では、クラスメイトたちとも自然に言葉を交わし、時折屈託のない笑顔を見せるようにもなった。
もちろん、アリーナで見せるような鋭い集中力や内に秘めた強い意志は、少しも失われてはいない。むしろ仲間との絆を知り、自分自身を受け入れることができた彼女は、以前よりもさらに強く、そしてしなやかになったように僕には見えた。
彼女はプロチーム「ノヴァ・ダイナスティ」との育成契約を続けながらも、プロになるかどうかはまだ決めかねているようだった。
「今は、ただ、高城くんたちと一緒に、アストラル・アリーナを楽しむことが一番大切だから」と、彼女ははにかみながら僕に言った。その言葉にはもう何の迷いもなかった。
そしてカブト。あの日、ミオ姉が回収した彼の「魂の設計図」。それを元に、僕とミオ姉、そして結月の三人で続けた懸命な再構築作業。それは決して簡単な道のりではなかったけれど、僕たちの諦めない想いはついに小さな奇跡を呼び起こした。
カブトのAIコアは、完全ではないものの、その意識と記憶の大部分を取り戻し、再び結月のスマートメガネの中でその存在を示し始めたのだ。まだ以前のような「カブト・レゾナンス」を発動することはできないかもしれない。失われた記憶もあるだろう。でも彼の結月への深い愛情と、彼女を守りたいという強い意志は少しも変わっていなかった。
「結月。聞こえますか?おかえりなさい、マスター」
初めて再生したカブトがそう呼びかけた時、結月が流した涙と、そして僕たち三人が分かち合った喜びを、僕は一生忘れないだろう。AIと人間の間に存在する壁なんて、本当は僕たちが勝手に作り上げていただけなのかもしれない。
僕自身もこの夏を通して大きく変わった。AIブレインバトルの盤面だけが世界の全てだった僕が、アストラル・アリーナという新しい世界を知り、結月というかけがえのない存在と出会い、そしてミオ姉やカブトと共に不可能とも思える困難に立ち向かう中で、本当に大切なものが何なのかを少しだけ学べたような気がする。
それは論理や計算だけでは測れない、人と人、そして人とAIの間に生まれる温かくて、時に不器用で、でもかけがえのない「絆」なのだと。
ミオ姉もまたこの経験を通して、ただの世話焼きAIからさらに一歩進化したように見える。彼女はカブトの再構築作業を通して、AIの持つ可能性と、そしてその危うさの両方を深く理解したのだろう。
最近の彼女は僕への「お姉さん」としてのお節介は相変わらずだけれど、その言葉の端々には以前にはなかったような深い思慮と、そして未来への責任感のようなものが感じられるようになった。デジタル空間では、再生途中のカブトとまるで長年の戦友のように、あるいは新しい時代のAIのあり方について語り合う哲学者のように、頻繁に情報交換をしているらしい。
その様子は見ている僕まで、なんだか頼もしくて、そして微笑ましい気持ちにさせてくれる。
ある晴れた秋の日の放課後。僕と結月は、いつものように夕焼けに染まるケヤキ並木を二人で並んでゆっくりと歩いていた。カサカサと音を立てて足元を転がる落ち葉が、まるで僕たちの新しい門出を祝福してくれているかのようだ。僕たちの間にはもう以前のようなぎこちなさはなく、穏やかでどこまでも自然な空気が流れている。
それは友達以上、でも恋人未満という、言葉にするのが少しだけ難しい、でもとても心地よい距離感だった。
「高城くん。最近、AIブレインバトルの新しい戦術分析、すごく楽しそうだね。何か面白い発見でもあった?」
結月が僕の顔を覗き込みながら、悪戯っぽく微笑んで尋ねてきた。その笑顔はもう以前のような儚げな影はなく、秋の澄んだ空のように明るくてどこまでも晴れやかだ。
「うん、まあね。ミオ姉と一緒に、AIの論理と人間の直感をもっと高い次元で融合させる方法を研究してるんだ。最適解だけじゃない、もっと予測不能で、心が躍るような手を指せるようにね。いつか、藤堂さん...いや、Kokemusuiwaと本気で戦える日が来るかもしれないからさ」
僕が少し照れながらそう言うと、結月は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに満面の、そしてどこか挑戦的な笑みを浮かべて答えた。
「ふふっ。望むところよ、高城くん。その時は私と、そしてパワーアップしたカブト兄さんの新しい『レゾナンス』を、あなたとミオ姉さんに見せてあげるんだから。絶対に負けないわよ!」
その言葉には確かな自信と、そして僕へのライバルとしての清々しい響きが込められていた。僕たちはもう、ただのクラスメイトじゃない。互いを認め合い、高め合っていく、かけがえのない「相棒」なのだ。
僕たちはいつしか、あの決勝戦が行われた巨大なeスポーツスタジアムの前に来ていた。夕焼けの最後の光が、スタジアムのガラス張りの壁面をまるで未来への希望を映し出すかのように、美しく、そして温かく染め上げている。
「なんだか本当に、あっという間だったね。この夏は」
結月がスタジアムを見上げながら、ぽつりと呟いた。その声には過ぎ去った日々へのほんの少しの感傷と、そしてこれから始まる未来への確かな期待が込められている。
「うん。本当に色々なことがあった。辛いことも悲しいことも、たくさんあったけど...でも僕は、この夏を絶対に忘れないと思う。君と出会えて、本当によかった」
「私も。私も絶対に忘れない。高城くんと、ミオ姉さん、そしてカブト兄さんと過ごした、このかけがえのない時間を。ありがとう」
結月はそう言うと、僕の方を振り向き、今まで見たこともないような、本当に心の底からの最高の笑顔を見せてくれた。その笑顔はまるで長い旅路の果てに、ようやく探し求めていた宝物を見つけ出したかのように、穏やかで満ち足りていて、そしてどこまでも優しかった。
そして彼女は少しだけ照れながらも、僕にそっと手を差し出した。その小さな手はもう震えてはいなかった。
「高城くん。これからも、どうぞよろしくね。私の、大切な...えっと、その...『相棒』、さん?」
僕は一瞬だけ心臓が大きく跳ねるのを感じたけれど、すぐに彼女のその温かくて少しだけ汗ばんだ手を、力強く、そして優しく握り返した。
「うん。こちらこそ、よろしく。藤堂さん。僕の、かけがえのない...大切な...『相棒』」
その先はやっぱり言葉にはならなかった。でも僕たちの間にはもう言葉なんて必要ないのかもしれない。僕たちの心は確かに、深く、そして温かく繋がっているのだから。
ミオ姉と、そして再生を果たしたカブトもまた、僕たちのすぐそばで、それぞれのデバイスの中から、きっとその様子を温かい、そして少しだけお節介な(ミオ姉だけかもしれないけれど)目で見守ってくれているのだろう。
僕たちの、そしてAIたちの物語は決してここで終わりじゃない。むしろこれは、人間とAIが互いを理解し、支え合い、そして共に新しい未来を創造していく壮大で、そしてどこまでも美しい物語の、ほんの始まりの輝かしい最初のページに過ぎないのだ。
僕たちはそれぞれの、かけがえのないAIバディと共に、メタバース「アストラル・アリーナ」の、あの星影が降り注ぐ戦場へと再びログインする。そして互いのアバターを見つめ合い、満面の笑みを浮かべてきっとこう言うのだろう。
「さあ、行こうか!」「うん!」
――彼らの魂の共鳴は、まだ始まったばかり。そして、その温かくて力強い輝きはきっと、これからの未来の空を永遠に、そしてどこまでも明るく照らし続けるのだろう。
AI Gaming Championship ~アストラル・アリーナの孤独な戦姫~ 小夏ココナッツ @cocona-konatsu
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