第14話

八月も終わりに近づき、朝晩の空気にはほんの少しだけ秋の気配が混じり始めた頃。僕、高城翔太と藤堂結月、そしてミオ姉とカブトの魂の欠片との秘密の特訓は、着実にその成果を結び始めていた。


メタバース上のプライベート練習場で、結月のアバター、Kokemusuiwaは、以前とは見違えるような、自信に満ちた動きを見せていた。それは、かつての「カブト・レゾナンス」のような神がかった鋭さとは少し違う。むしろ、僕の分析、ミオ姉のサポート、そしてカブトの遺したデータという複数の要素を柔軟に取り込み、昇華させた、より深みのある、どこか温かみのある強さだった。


「すごいわ、結月さん!今の連携、完璧だった!まるで、私たち四人の心が本当に一つになったみたい!」 訓練用の仮想敵を鮮やかに撃破した後、ミオ姉が興奮した声で賞賛を送る。


「うん!なんだか、カブト兄さんだけじゃなくて、高城くんとミオ姉さんの声も、ちゃんと私の中に聞こえてくるような気がするの。一人じゃないって、こんなにも心強いんだね」


結月は、VRゴーグルの中で、照れたように、でも本当に嬉しそうに微笑んだ。その表情には、もう以前のような孤独の影はない。仲間と共に戦う喜びを知った、一人の少女の素直な輝きがあった。



そして、その輝きは、現実の大会でも結果となって現れた。 ALJサマーシーズンの敗者復活トーナメント。周囲の予想を覆し、結月率いる「ノヴァ・ダイナスティ」は、まるで不死鳥のように蘇り、次々と格上のチームを撃破。そしてついに、プレーオフ決勝トーナメントへの、最後の切符を掴み取ったのだ。


ファンコミュニティ「星影のアストライア」は、再び熱狂の渦に包まれた。


「Kokemusuiwa完全復活!」「新たなる伝説の幕開けだ!」そんな見出しがタイムラインを埋め尽くす。もちろん、まだ彼女を疑う声もあったけれど、今の結月は、もうそんなノイズに心を乱されることはなかった。


しかし、その一方で、僕たちの心の中には、常に一つの大きな時限爆弾が時を刻んでいた。 結月の母親、藤堂静香の存在だ。


決勝トーナメントの日程が近づくにつれ、結月が再びアストラル・アリーナで脚光を浴びているという情報が、いつ彼女の母親の耳に入るか、僕たちは気が気ではなかった。ミオ姉が情報操作で隠蔽し続けているけれど、それも時間の問題かもしれなかった。


そして何より、結月自身が、もうこれ以上、母親に嘘をつき、自分自身を偽り続けることに、限界を感じているのが痛いほど伝わってきた。


「高城くん。ミオ姉さん」


決勝トーナメントを数日後に控えた、ある日の特訓の後。結月は、いつになく真剣な、そして覚悟を決めたような表情で、僕たちに切り出した。


「私、もう、お母様から逃げるのはやめようと思う」 僕とミオ姉は、息を呑んだ。


「決勝トーナメントが終わったら、ううん、もしかしたら、その前に、ちゃんとお母様に話すつもり。私が、どれだけアストラル・アリーナを愛しているか。Kokemusuiwaとして戦うことが、私にとってどれだけ大切なことなのか。そして、カブト兄さんが、どれだけかけがえのない存在だったのか。きっと、簡単には理解してもらえない。また、ひどく怒鳴られて、全てを否定されるかもしれない。でも、それでも、私は、もう自分の心に嘘はつけない。自分の足で立って、自分の言葉で、自分の未来を選び取りたいから」



結月の声は、震えていなかった。そこには、恐怖よりも強い、自分自身への誠実さと、未来への決意が込められていた。その姿は、僕の目に、どんな英雄よりも気高く、美しく映った。


「藤堂さん。君がそこまで決めたなら、僕が止める権利はないよ。心から応援する。でも、本当に、大丈夫なのか?」


「大丈夫」結月は、静かに、しかし力強く頷いた。


「だって、今の私には、高城くんと、ミオ姉さんがいてくれる。そして、きっと、カブト兄さんも、どこかで見守ってくれてるって、信じてるから」


彼女は、ふわりと、春の陽光のように優しい微笑みを浮かべた。


「ええ、もちろんですわ、結月さん!私たち、何があってもあなたの味方です!全力でサポートします!」ミオ姉も、潤んだ瞳で力強く頷いた。


しかし、運命は、時に残酷な形で、彼女の覚悟を試そうとしているのかもしれなかった。 結月が、母親に全てを打ち明ける決意を固めた、まさにその翌日のことだった。




学校から帰宅した結月が、自分の部屋のドアを開けた瞬間、彼女は息を呑んだ。 部屋の中が、荒らされていたのだ。


机の引き出しは開けられ、物が散乱している。クローゼットの扉は壊され、衣類が引きずり出されている。そして何よりも、ベッドの下の隠しスペースに大切にしまっていた、アストラル・アリーナの関連グッズ、ノヴァ・ダイナスティとの契約書類、そしてカブトとの連携データが入ったメモリーチップが、全て、部屋の中央に無造作に積み上げられていた。


そして、その傍らには、鬼のような形相で、藤堂静香が立っていた。その手には、一枚の紙片――ノヴァ・ダイナスティからの、決勝トーナメント出場に関する正式な通知書――が握られている。


「結月。これは、どういうことかしら?あなた、まだあんなくだらないゲームを続けていたのね?しかも、プロチームと契約までして!私をどこまで裏切れば気が済むの!」 静香の、怒りに震える声が響く。


結月は、その場に立ち尽くしたまま、何も言えなかった。頭の中が真っ白になる。


「お母様、違うの、これは...」 ようやく絞り出した声は、か細く、哀れだった。


「何が違うというの!?この証拠を見ても、まだ白を切るつもり!?あなたはお母様との約束を破り、自分の将来を棒に振り、藤堂家の名誉を汚そうとしているのよ!」


静香は、床に積み上げられた結月の「宝物」たちを、足で蹴散らした。そして、結月の腕を乱暴に掴むと、部屋の隅に置かれた、今は沈黙したままの黒いスマートメガネ――カブトの亡骸――を指さし、冷酷に言い放った。


「そして、この忌々しいAI!あなたをここまで堕落させた元凶ね!これも今すぐ叩き壊してやるわ!」


「やめて!お母様、それだけは、カブト兄さんにだけは、触らないで!」


結月は、最後の力を振り絞るように、母親の腕を振り払い、カブトのスマートメガネを、自分の命を守るかのように胸に強く抱きしめた。その瞳には、怯えだけではない、燃えるような強い光が宿っている。大切なものを守ろうとする、人間の根源的な輝き。


「いいでしょう、結月。最後のチャンスをあげましょう」


静香は、娘の意外な抵抗に一瞬気圧されたかのように、しかし冷たい怒りを込めて言った。


「明後日、決勝トーナメントがあるそうね。もし、あなたがそこで優勝し、世間がお母様にも納得できる結果を残せたなら、その時は、あなたのその『くだらない夢』について、もう一度だけ考えてあげないこともない。でも、もし負けたり、失望させる結果に終わったりした場合は、アストラル・アリーナも、その忌々しいAIも、あなたの人生から完全に消え去ってもらう。いいわね?これは、最終宣告よ」



そして、静香は嵐のように部屋から出て行った。


残された結月は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。しかし、やがて彼女の瞳に、静かで強い光が再び灯り始めた。 彼女は、胸に抱いていたカブトのスマートメガネをそっと机の上に置くと、部屋の隅に散らばっていた、一枚の小さなアクセサリーを拾い上げた。


それは、彼女がスランプに陥る前、最後に身に着けていた、「苔桃」のピンバッジだった。 「反抗心」と「くじけない心」、そして、「小さな甘え」。 その花言葉を、彼女は心の中で繰り返した。


そして、意を決したように、そのピンバッジを、再び自分の胸元に、しっかりと留めた。


(大丈夫。私には、高城くんがいる。ミオ姉さんがいる。そして、カブト兄さんも、きっと、どこかで見守ってくれてる)


結月の心には、もう絶望の色はなかった。あるのはただ、これから始まる最後の戦いへの、静かで燃えるような闘志と、かけがえのない仲間たちへの、絶対的な信頼だけだった。


彼女の、本当の意味でのカミングアウトの時は、もうすぐそこまで迫っていた。それは、アストラル・アリーナ決勝トーナメントという、最高の、そして最も過酷な舞台の上で果たされることになるのだろう。

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