第十一章

 それから二週間後、世間を驚かせるニュースが流れた。


「アイドルグループRe:Veilのメンバー、全員無事に帰還!」


 記者会見場には、多くの報道陣が詰めかけていた。そこに現れた三人は、以前とは少し違って見えた。

 メイクは控えめで、衣装もシンプル。それでも、彼女たちの瞳は以前よりも輝いていた。


「まず最初に、みなさまにご心配をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます」


 真白が静かに語りかける。その声は小さいながらも、しっかりとしていた。


「私たちは……少し、自分という路に迷い込んでいました」

「だから、自分を探す旅に出たんです」 ほのかが続ける。

「勝手なことをして、本当にすみませんでした」

「でも、その旅で私たちは、本当の自分たちに出会うことができました」


 柚が笑顔で言う。


「だから、これからは新しいRe:Veilとして、活動していきたいと思います」


 記者たちから様々な質問が飛んだ。どこにいたのか、誰かに連れ去られたのではないか、なぜ連絡をしなかったのか。

 彼女たちは、正直に答えられる範囲で答えた。塩の像になったことや、アンゼルのことは語らなかった。それは、彼女たちだけの秘密だった。


「最後に、ひとつお知らせがあります」 真白が言った。

「私たちは、新曲を書きました。タイトルは……『海の記憶』です」


 記者会見の後、三人は事務所の社長室に呼ばれた。怒られるだろうと覚悟していたが、予想外の展開が待っていた。


「あなたたちが戻ってきて、本当に良かった」


  社長……元マネージャーは意外にも穏やかに言った。


「私もあなたたちを探したかったんだけど、前の社長が急に出張を言い渡してね。あなたたちを探し出せなかったの」

「あの……その前の社長は今何を?」真白が尋ねた。

「それが、わからないの。急に行方をくらまして」


 現社長はため息をついた。ほのかはアンゼルが関与していると確信していた。


「連絡もつかないから、代わりに私が社長をすることにしたの」

「そうですか……」柚はうつむいた。

「ところで、あの記者会見、視聴率がすごかったのよ。SNSでも大反響で」

「えっ?」 ほのかが驚いた顔をする。

「失踪騒動と劇的帰還……それに、あなたたちの変化。みんな、新しいRe:Veilに興味津々なのよ」


 社長は嬉しそうに続けた。


「新曲の話も出たし、これは絶好のチャンスね。早速レコーディングを始めましょうよ!」


 三人は互いを見つめ、小さく頷いた。


「でも」 真白が静かに切り出した。

「私たちには、条件があります」

「条件?」

「はい。これからは、私たち自身の言葉で歌いたい。自分たちで曲も作りたい」


 社長は黙ってしばらく考え、そして笑った。


「いいわ。やってみましょう。あなたたちの目、変わったね」


 三人も嬉しさで、同時に笑顔が浮かんだ。


「何があったのか知らないけど……その目なら、行けるかもしれない」


 その言葉に、三人は安堵の息をついた。だが、柚の首筋に浮かぶ微かな白い線は、未だ消えることはなかった。

 一ヶ月後、Re:Veilの新曲『海の記憶』がリリースされた。

 それは彼女たちの失踪前とは全く違うタイプの楽曲だった。派手なダンスビートではなく、静かに始まり、徐々に感情が高まっていく構成。三人の声が、それぞれの個性を保ちながらも、美しく調和していた。

 歌詞は、失われた自分を取り戻す旅の物語。解放への願い、再生への希望が、率直な言葉で綴られていた。

 多くの人が、その変化に戸惑った。しかし、さらに多くの人が、その誠実さに心を打たれた。

 そして、彼女たちの想像を超える反響があった。


「彼女たちの声が本当に心に響く」

「何かが変わった、良い意味で」

「初めてアイドルの歌で泣いた」


 チャートは一位を獲得し、音楽番組での彼女たちのパフォーマンスは話題をさらった。

 だがその人気には別の側面もあった。三人の「失踪と奇跡の帰還」という物語が、新たな神話を生み出していた。

「彼女たちは死から戻ってきた」「特別な力を持っている」といった噂が広まり、一部のファンはより執着的になっていった。

 三人はステージで、以前よりも自由に、そして力強く表現していた。

 真白の透明な声は、以前のような距離感ではなく、深い感情を湛えていた。

 ほのかの踊りは、完璧な技術に加えて、抑えきれない情熱を持っていた。

 柚の笑顔は、誰かのためではなく、自分自身の喜びから生まれていた。

 そして、時折舞台の照明が彼女たちの肌を照らすとき、観客の中には「彼女たちの肌が光っている」と証言する者もいた。


 Re:Vailの復活劇は、その後も様々な憶測を呼んだ。

 週刊誌は「誘拐説」「精神疾患説」「事務所との不仲説」など様々な見出しで騒ぎ立て、テレビでは連日特集が組まれた。

 SNSには「Re:Veilは真実を話せ」というハッシュタグが生まれ、彼女たちの一挙手一投足が分析された。


「彼女たちの肌が時々光る」

「声に残響がある」

「踊る時に不思議な粒子が見える」といった目撃談も増えていった。


 それらは単なる噂として片付けられたが、一部の熱狂的なファンは彼女たちを崇拝するような集まりさえ現れ始めていた。

 そんな世間の喧騒をよそに、ある静かな夕暮れに彼女たちは海岸を歩いていた。久しぶりの休日、あの民宿のある町に戻ってきたのだ。


「あれから半年か……」ほのかが言う。

「そう……」


 柚が静かに袖をまくる。彼女の腕には、かすかに白い線がいくつも走っていた。塩の痕跡。


「まだ消えないの?」真白が心配そうに尋ねる。

「うん……でも前より薄くなったと思いたいかな」柚は微笑む。

「みんなは?」


 ほのかは無言で首筋を見せる。そこにも同じような白い線があった。


「時々……声が聞こえる。塩の中に閉じ込められていた時の声」

「私も……」真白が静かにうなずく。

「夢の中で、彼らに話しかけられる。助けを求められる。気づいてる?私たちの体、完全には戻ってないの」

「うん……時々、皮膚の下で何かが動くの。塩みたいな……」


 柚が手を見つめる。


「私なんか、激しく踊った後に汗じゃなくて塩の粒子が出てくるよ」


 ほのかが苦笑いする。


「それだけじゃない。感覚も変わった。私は他人の……特にファンの感情が、直接体に響くんだ」


 真白が眉をひそめる。


「私も! まるで共鳴してるみたい」柚が驚いたように言う。

「私たちはもう……完全な人間じゃないのかも」ほのかが決意を込めて言った。

「でも……それでいい。それも私たちの一部。忘れちゃいけないことだと思う」


 海に沈んでいく赤い夕日に照らされながら、三人は沈黙する。静寂を破ったのは真白だった。


「家族に会いたい」


 その言葉に、ほのかが驚いたように目を見開いた。


「マジ? でも、あんた家族と……」

「だからこそ」 真白は静かに言った。

「もう一度、やり直したい。本当の自分として」


 ほのかは躊躇したが、やがて小さく頷いた。


「そうだね。私も……話すべきことがあるかも」


 柚の目に光が戻る。


「わたしもお母さんに会いたい……伝えたいことがたくさんあるの」


 三人は帰路に就いた。彼女たちのそれぞれの胸には、家族との再会への期待と不安が交錯していた。

 早速、三人はアイドル活動を一時的に休止し、マスコミの注目から逃れるように隠れ住んでいた。時折現れる社長だけが彼女たちの生活を支え、外界との唯一のつながりだった。

 だが、三人の体には明らかな変化が現れていた。皮膚の下で塩の結晶が動く感覚。時に指先から漏れ出す白い粒子。そして何より、耳に届く「声」——他の塩の像となった少女たちの呼びかけ。




「もう、時間がないのかもしれない」


 真白はそう言いながら、窓辺に立っていた。彼女の手の甲には白い線が浮かび上がり、月光に照らされてかすかに輝いていた。


「だからこそ、家族に会いたい」


 ほのかは髪を結びながら頷いた。


「真白の言う通りだよ。今のうちに、すべきことはしておかないとね」


 柚はペンを置き、手紙を折りたたんだ。


「お母さんに書いたの。もう、逃げない。すべて話すって」


 三人は静かに視線を交わした。そこには決意と、わずかな恐れが混ざっていた。


「マネージャーに頼んで、ホテルを予約してもらったよ」


 ほのかが言った。


「みんなの家族が一度に会える場所を、と思って」


 翌朝、三人は海辺のリゾートホテルへと向かった。窓から見える青い海は、どこまでも美しく広がっていた。


「緊張する?」 柚が、真白の手を握る。

「うん……でも、いい緊張感」 真白は静かに微笑んだ。

「よーし、いくぞ! 絶対できる!」 ほのかが拳を振り上げる。

「私、七月生まれだから!」


 二人は顔を見合わせた。


「……それ、どういう意味?」




 会議室は華やかに飾り付けられていた。窓からは海が見え、テーブルにはお菓子とドリンク。社長が三人のために特別に用意した空間だった。


「家族は昼過ぎに到着すると連絡がありましたよ」


 社長がドアに顔を出す。


「何か必要なものはありますか?」


 三人は首を振った。必要なのは勇気だけだった。

 真白は窓際に立ち、両親との思い出を反芻する。幼い頃の自分。感情の表し方がわからず、母に心配をかけた日々。そして徐々に冷え切っていく家族関係。


「今度は、うまく伝えられるかな」


 ほのかは椅子に座り、足を組み替える。家族との複雑な思いが胸に広がる。彼らは愛情を示すことはなかったが、少なくとも彼女をアイドルの道へと進ませてくれた。それは感謝すべきことなのか、それとも単に彼らの計算だったのか。


「本当は……愛されたかった」


 柚は手紙を胸に抱え、深呼吸する。酒に溺れる母との関係。不在の父。それでも彼女が選んだのは「逃げない」という道。もう自分を消す必要はなかった。


「お母さん、ちゃんと聞いてくれるかな」


 時間が流れるのを、三人は静かに待った。

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