第44話 推しの名前


「エル!オー!ブイ!イー!輝け!SHIKI!」


狭いライブハウスの中、

ポップな歌声と観客達の声援で会場は大盛り上がりを見せていた。


皆メンバーのカラーのペンライトを持ち、

曲の間には一斉にコールをして、会場は一体感に包まれている。



このステージに立っているのは、1年前にデビューした

『すたあ☆らいと』の5人組のアイドルだ。


俺が5人の中で1番推しているのは「SHIKI」。

メンバーカラーは黄色で、センターに立っている女の子だ。


彼女と出会うきっかけは、友人にライブに誘われた事だった。

今まで会社一筋で趣味と言う趣味もなく、休日はたまに映画に行く程度だった。


だが、初めて彼女を見た瞬間から、まるで一目惚れの様に惹かれていった。


勿論アイドルと付き合えるかも、なんて思ってはいない。

そんな不純な動機は一切無く、一目見た瞬間に、

「この子をもっと輝かせてあげたい」と思ったのだ。


世間から見れば、良い大人が年頃の女の子に熱中して

気持ちが悪いと思われても仕方ないのかもしれない。


でも、俺は単純に彼女のファンなのだ。



「あ〜、ムラタさんだ〜!また来てくれたの?ありがとー!」

SHIKIがそう言って手を振ってくれた。


ライブの後にはチェキ会と言う催しがある。

1枚1000円で、お目当ての子と写真が撮れるのだ。


俺はチェキチケットを10枚買っていた。


「うん。今日のライブも凄く良かった!高音が綺麗に出る様になったね!」


俺がそう言うとSHIKIは喜んで

「分かる?練習いっぱいしたんだ!」と笑った。


10枚チェキを撮った後、「また来るね。」と彼女に告げて会場を後にした。



「じゃあ、かんぱーい!」

「かんぱーい!」「乾杯!」


次に行ったのは、いつも行っている居酒屋だ。

何度もライブ会場に足を運んでいると、同じSHIKIを推す仲間と自然と仲が良くなる。


SHIKIファンクラブ(非公式)代表の、

サカキさんと仲が良くなってからは益々推し活が充実した。


新曲が出る度に、我々でコールを考えるのだ。


自分たちの団結力をSHIKIに届ける事が出来るし、

応援している気持ちは直に彼女に届いてくれる筈だ。



「今日のSHIKIも最高でしたね。あの高音聞きました?」

同じファンクラブのコトウさんが皆に尋ねる。


「あ、今日直接SHIKIに聞いたんですよ。練習めっちゃ頑張ったらしいです。」

俺がそう言うと、皆「おおー。さすがSHIKI。」と同調してくれた。


「SHIKIちゃんも欲しい物リスト公開してくれたら好きな物送るのにな。」

隣に座っていたドイさんが言う。


他のメンバーはうんうん、と頷いていたが、代表のサカキさんは

「欲しい物は、自分の力で買わなきゃ意味がない。

…そう言って、彼女はその信念を貫き通しているね。」と言ってビールを飲んだ。


以前から彼女はSNSでそう発信していた。


グループ内の他のメンバーは、普通に欲しい物リストを載せているので、

他の子を推しているファンからはSHIKIを批判する声もあった。


だが俺たちは、そんな彼女をカッコいいと思っているし、誇らしくもある。


だからこそSHIKIは推せるのだ。



「じゃあ、また次のライブで。」

「おつかれっしたー!」


我々は居酒屋の前で別れた。


俺はイヤホンをして、『すたあ☆らいと』の曲を聞きながら家に帰る。

結成して1年、俺が推し始めて10ヶ月。

時が経つのは早い物だ。



だが、歩いて数分したところで、俺の目の前がぐにゃりと揺れた。


酔いすぎたのかな、と一歩足を踏み出したところ、世界が反転した様に思えた。




「どこよ、ここ。」

俺が立っていたのは当たり一面砂しかない所だった。

上を見るも、太陽は緑色をしていて空は夕焼けの様に真っ赤に染まっていた。


「…気持ち悪い色だなあ。」


どこを見ても建物はおろか、人すらいない。


砂を踏む感触だけはリアリティがあるが、

目の前の光景が非現実的過ぎて、逆に面白い。


「まあ、夢だろ。現実の俺は道端にでも寝てるのかな。」


そう言って俺は歩き出した。


腕にしていた時計を見ると、秒針が異常なスピードで回っている。

少し見ていただけでもう1時間時が進んでいた。


「壊れてんのかなあ。ま、いっか。」



それから暫くは当ても無く歩いた。

時計が壊れているので正確性はないが、感覚的には恐らく20分程歩いたと思う。



どこまで行っても砂、砂、砂。

地平線の見える限り、建物は全くない。


緑色の太陽の光は、特別暑くもなく涼しくもなく、湿っぽさも無かった。


歩くのにも疲れたし、やる事もない。

スマホを取り出したがディスプレイは表示されなかった。


電池切れではないと思うが、電源ボタンを長押ししても真っ黒のままだった。


「……諦めない、それが私達、すたあ☆らいと〜。」


俺はその場で座り、口ずさんだ。



暇を持て余した俺は、

脳内に響く曲を思い出しながらいつの間にか熱唱していた。



「だから!こそ〜あなたが私たちを〜輝かせて〜!

 ひーとりー泣いている空は〜似合わない〜!」


歌っているとどんどん楽しくなっていき、

俺は合いの手のコールを入れながら歌った。




「セイガさん…彼は何故変なイントネーションで大声を出しているのですか?」


少し遠くで大声を出す彼を見つけ、俺は意味が分からず立ち止まった。


「あれはな、歌だよ。歌。言葉と音が組み合わさったのが、歌。」

セイガさんは「そーう、これがうた〜なのです〜。」と変な抑揚で話し出した。


ああ、以前誰かが言っていた「音楽」という物だろうか。


暫く2人で彼を見守った。

セイガさんは笑いが隠し切れておらず、たまにふふっと笑いが漏れていた。


「…あ、終わりましたよ!行きましょう!」

彼の歌が終わった瞬間、俺とセイガさんは彼に向かって走った。




「あの〜、すみません。AUPDと申します。」


俺の前に急に2人組の男が現れた。

「え!誰?えーゆー?」


「AUPDです。私がアマギリで、こちらがセイガさんです。」


セイガと言う人が、「あなた〜歌が〜うまいですね〜。」と歌った。


「え!え!もしかして聴いてました!?」

俺は恥ずかしくなって手で口を押さえた。


「もーばっちり。聞こえてたよ。楽しそうでなにより。」


続いてアマギリと名乗った人が、

俺は今別の世界線におり、これから限りなく近い世界線へ移送するとの事だった。

今の記憶を持った俺を元の世界線には戻せないので、99.999%近い世界へ戻すらしい。


「アマギリさん、俺大好きなアイドルがいるんですが、何か変わっちゃうんですか。」


アマギリさんは、目を顰めて「………アイ…ドル…?」と呟いた。


「あのな、アマギリじゃなくて俺から話すわ。」

セイガさんがアマギリさんを後に押して話し始めた。


「正直、帰ってみないと分からん。そのアイドルの子の0.0001%思考が違えば、

アイドルじゃなくて違う道を選ぶ可能性もある。君の交友関係も少し変わるだろう。」


俺はそれを聞いて、少し悲しくなった。

もしもアイドルを選ばなかったSHIKIは、一体どんな職業についているのだろうか。

アイドルでなければ、会う事も出来なくなってしまう。


だが俺に残された選択肢はない。

彼らの力を借りて、限りなく近い世界線へ移送されなければいけないのだ。


「分かりました。ではお願いします。」


そう言って、固く目を閉じた。




気がつくと、家に帰る途中の道に戻っていた。


耳元のイヤホンからは曲が聞こえ続けている。

スマホも普通に使えた。

腕時計を確認すると、時計は狂っておらずちょうど今の時刻を差していた。


「不思議な体験だったなあ。」


そう呟いて、家に帰った。



だが、家に着いた瞬間、俺は違和感を感じて部屋の棚を見た。


マフラータオルやアクリルスタンド、大量のチェキを保管している棚なのだが

何故か「SHIKI」の名前が「SIKI」名義になっている。

まるで今までもそうでしたよ、と言わんばかりに身に覚えがある写真のサインも

「SIKI」と書かれていた。


「えええええ、これ彼女だよな!?でも何で名前が?」


そこでふとあの人たちが言っていた事を思い出す。

限りなく近いけど、ちょっと違う世界線。

この世界線で、SHIKIはアイドルのままで『すたあ☆らいと』のメンバーであるが、

名前のスペルだけが違っている様子だ。


俺は、彼女がアイドルをしている事に先ず感謝した。



次の公演は土日を予定している。


俺は月曜日から金曜日まで

ちゃんと仕事には行ったが、内心気が気ではなかった。


チェキを見る限り、彼女は彼女のままだ。

SNSも隅から隅までチェックしたが、欲しい物リストは載ってないし、

この世界ならではの目新しい情報も見つからなかった。


でも兎に角この目で確かめたかった。




土曜日になり、俺は緊張しながらライブ会場に足を運んだ。

会場付近にはファン達がおり、入場を待っている。


「あ、ムラタ氏、こっちこっち!」


代表のサカキさんが大声で俺を呼んだ。

駆け足で向かうと、周りにはいつものSHIKI応援メンバーがいた。


「何でそんなに汗かいてるの?」

サカキさんが俺を見て笑う。


メンバーのTシャツは、いつも通り同じ黄色で揃っていた。

でも、ロゴは「SIKI」に変わっている。


自分の交友関係も、仕事での立ち位置等も何も変わっていない。




ライブが始まり、皆一斉にメンバーの名前を呼んだ。

それに応える様に次々とステージにメンバーが集まる。


「SIKIーーーー!」


黄色の応援団が一斉に叫ぶ。


ステージに現れた彼女「SIKI」は紛れも無く「SHIKI」だった。


そのまま爆音が流れ、曲が始まった。

皆、ペンライトを掲げて会場全体が盛り上がる。



「ムラタさん、大丈夫?」


微動だにせず動かない俺を心配し、

ドイさんが耳元に近づき声をかけてくれた。


「…ごめん、大丈夫!」


彼女は彼女だ。もう何も気にする必要はない。



俺はそのままステージに叫んだ。



「エル!オー!ブイ!イー!輝け!SIKI!」


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