第45話 名前を呼んで


田舎の商店街。

都会とは違い、行き交う人は少ない。


シャッターで閉められた店も多い中、

その一角で、私は小さな雑貨屋を開いていた。


北欧の雑貨を主に取り扱った店は、田舎には不向きかもしれない。

正直、店の売り上げも何とかやっていける程しか稼げていない。


本当はもう少し若者向けに展開したかったが、

繁華街の街は店の家賃が高いため、こうして商店街に店をオープンさせる事となった。



だが店を開いても、立ち止まり入店してくれる人は少ない。


たまに若い子達や買い物帰りの人が店に訪れる。

皆「かわいい」と言いながら小物を買ってくれる。

私もお気に入りの雑貨や家具に囲まれ、幸せだった。



「リサちゃん、こんにちは。」

ドアベルの音がして席を立つと、

そこにはいつも来てくれるお婆ちゃんの姿があった。


「サトさん。こんにちは。」

私は笑顔で挨拶をした。


サトさんは、85歳にもなるのだが毎日健康の為に商店街を歩いている。

この店がオープンして直ぐに、サトさんは興味を持って店に訪れてくれた。



「お茶出しますね。座って下さい。」

私はサトさんへ椅子を出し、カウンター横にあるケトルを沸かした。


「今日は一段と寒いねえ。」

そう言って、自分で作ったと言う手編みのマフラーと帽子を脱いだ。



「もう雪降ってきてますよね。」

私は暖かいほうじ茶を渡し、一緒に飲んだ。


「去年みたいに大雪になったら、また雪かき手伝ってくれるかしら。」

「いいですよ〜。去年雪かきの後に頂いたすき焼き、本当に美味しかったです!」



サトさんはこのお店を気に入ってくれて、週に何度か訪ねて来てくれる。

雑貨を買う時もあれば、お茶をするだけの時もある。


元々北欧系の雑貨が好きだった様で、

家の近くにこんなお店が出来るなんて夢見たい、と言ってくれた。


殆ど誰も訪れないこの店にとって、

彼女の存在は嬉しかったし、私の癒しでもあった。


「でも最近物忘れが多くなってきてね。そろそろ老人ホームに入ろうかしら。」


サトさんは最近口癖の様にそう言う様になった。


卵を買い忘れたと思いスーパーで購入し家に戻ると、

冷蔵庫には卵は買ってあったり、同じ物を何度も買ってしまうらしい。


私と会話をしている時も、途中で同じ話を繰り返す事もある。

同じ話をされた時、「さっき聞きましたよ。」と伝えると

「またやってしまった。」と自分を責めている姿が可哀想なので、

私はもう指摘しない事にしている。



「…サトさんに会えなくなるのは、寂しいです。」


私がそう言うと、サトさんはにっこりと微笑んだ。


「孫はこんな田舎に帰ってこないし、あなたがいてくれて私も嬉しいのよ。」





「じゃあ、またね。リサちゃん。」


そう言ってサトさんは、私に手を振りながら家へと帰っていった。


時計を見ると、すっかり1時間程話し込んでしまった様だ。


今日は昼過ぎに初めてのお客さんが来てくれて、

単価が高い家具を買ってくれた。


正直、今後も店を続けるのは厳しい状態ではあるが、

店が無くなる事よりも私にとって最大の未練は、サトさんだ。


私のお婆ちゃんは、小さい頃に亡くなっている。

サトさんは私の第2のお婆ちゃんの様な存在になっていた。



「でも、現実問題、お金がなあ〜…。」


私はレジの締め作業をし、店内の電気を消した。


外に出てシャッターを下ろす。

年代物のこのシャッターは、開ける時も開く時も耳をつんざく様な音がする。


「本当、うるさいんだから。」


商店街なのに夜には全く人通りがない。


雪が静かに降り注いでいた。

足を踏み出すとサク、と心地よい音がする。


だがその音を楽しんでいると、急に視界が反転した気がした。

内臓が体の外にひっくり返る様な感覚を持ち、気持ちが悪くなった。





目を開けて見ると、先ほどの寂れた商店街では無かった。


酸素が薄い、と直ぐに感じる。

大きく息を吸っても苦しい。


周りは濃度の濃い霧で、視界が悪く何も見えない。


「誰か!誰かいませんか!?」


薄暗い霧の中、私は叫んだ。

頭の中で異常の警告が鳴っている。


誰も返事はしない。

霧の濃い方向へ向かうと、呼吸も出来ない位酸素が薄くなっていた。



意識は保っていられるが、

もしかしたらこの霧は吸ってはいけないのかもしれない。


私はその場でバックからハンカチを取り出し口に当てた。


ここはどこなんだろうか。

薄暗く見渡しも悪い、おまけに酸素も薄い。


考えられるのは、高い山に私はいる。

だが周りには木が見当たらない。

木どころか、道も岩もアスファルトも何もない。


地面はただ真っ暗で平坦だった。


空を見上げるも星もない。太陽や月も見当たらない。


薄暗闇の中、当てもなく歩き回るのは危険だ。

仕方なくその場で座って陽が登るのを待つ事にした。


いや、陽は登るのかもわからない。

だが現状把握の為、少し時間が欲しかった。


次に考えたのはこれは夢の中の世界だと言う事だ。

雪の中歩いていた私は、その場で倒れてしまい今見ている景色全てが

幻、または夢の可能性がある。


夢ならば、と思うと幾分気が楽になった。


不思議な事に私は、全く動揺をしていなかった。

非現実的過ぎるこの景色は、私の心を逆に安定させた。



「サトさんに会いたいなあ…。」


ハンカチで口を覆っているので、くぐもった声が出る。


スマホを開くも電池切れの筈がないのに何故か真っ暗の画面のままだった。

起動ボタンを長押ししてもディスプレイは黒色のままだ。


それから暫く、体感で2時間程は経っただろうか。

景色は未だ薄暗いままで、明るくなる事もなければ暗くなる事もない。

やはり陽が登る事はなさそうだった。


「あのー、すみません。」

突然聞こえた男性の声に咄嗟に身構える。

霧が濃く、声のした方角を向いたがシルエットしか見えない。

武器という武器はないが、直ぐに走れる様に身を乗り出した。


「あ、大丈夫です。逃げないで。俺たちAUPDっていうんだ。君を保護しに来たの。」

「私はアマギリで、こちらがセイガさんです。」


霧から2人の男性がこちらに向かってきた。

敵意がない事を知らせる為か、2人共両手をあげている。


「今、別の世界線に飛んでしまってます。

あなたを保護し、移送するのが我々AUPDなんです。」


アマギリさんが私にそう言った。


「夢ではないのですか。」

少し冷たい声で問いかけると、セイガさんは首を振った。


彼らの言葉を要約すると、今私は違う世界線にいると言う事だった。

そして元の世界線に限りなく近い世界線へ移送すると言う。


「今までと、限りなく近いけど「少し」違う。それだけは了承してほしい。」

セイガさんが真剣な目でそう言った。


「じゃあ移送しますね。」

その声を聞いた瞬間、私はまた世界がひっくり返った様な感覚がした。





「戻ってる。」

周りを見渡すと先ほどの様な霧はなく、いつも通りの商店街だった。


なんだか不思議な体験だったが、私は夢だったのだろうと思い

自分の家に帰っていった。



翌朝、私はいつも通り店を開け、サトさんが来るのを待った。

毎日毎日来てくれる訳でもないのだが、無性にサトさんに会いたかった。


昨日の出来事を話したら、サトさんはびっくりするだろうか。

それとも笑い話として聞いてくれるのだろうか。


私はワクワクしながら商店街を行き交う人々を見つめた。



『カラン』

いつの間にかうたた寝をしてしまっていた私は、

ドアベルの音でパッと目が覚めた。


「あ、サトさん!いらっしゃいませ。」


そこに立っていたのはサトさんだった。

いつも通りお茶の準備をし始めるも、サトさんは何故か何も言わない。


「サトさん?どうしました?」



そう言った時、若い女性がカランと音を立ててお店に入ってきた。


「もう!ダメだって勝手に歩いちゃ!探したんだから!」

彼女はサトさんに向かって、まるで子供を叱るかの様に言った。


サトさんは一瞬こちらを見た後、

「ああ…、すまないねえ。何故かここに入りたくなってしまって…。」

と悲しそうな顔で呟いた。


「あ、店員さん。すみません。私この人の孫なんです。認知症が進んでしまってて、

近所を勝手に徘徊しちゃうので、明日老人ホームに入るんです。」

彼女は申し訳なさそうに謝った。



頭の中が一瞬真っ白になった。


「サトさん、私の事覚えてませんか?」


少し震える声でサトさんに尋ねてみたが、

「ああ…、ごめんなさいねえ。会った事あったかしら?」

と不思議そうに見つめられた。



その後サトさんはお孫さんと共に店を去っていった。


店先で見送ったサトさんは、私の知っているサトさんよりも

認知症がかなり進んでいる様子だった。


あれは夢じゃなく現実だったんだ。


私にとってこれは「少し」の変化どころじゃない。


私の知っているサトさんには、もう二度と会えないんだ。



カウンターに戻り、私は泣き叫んだ。

外の人には分からない様に、ハンカチで口を覆い泣き叫んだ。


私があの時、変な世界線へ行ったせい?

それとも、あの人たちのせい?



怒りも悲しみも、全ての感情が混ざって溶けた。



どう足掻いても、サトさんが私の名前を呼ぶ事は、もう無い。



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