第43話 選択
朝、手元から電子音が鳴り響いた。
「リュウジ、朝です。起きてください。」
澄んだ声が頭の中にスッと入り込む。
「おはよう。起きたよ。」
目の前に指輪型の端末を掲げて答える。
「本日のスケジュール、07:00起床目標達成です。次は朝食です。」
俺はベッドから起き上がり、指示に従いながらキッチンへ向かう。
「サラ、メニューを。」
俺がそう伝えると、指輪から女性の声がする。
「本日は豆乳、トースト、ヨーグルトです。」
俺はその声の通りに冷蔵庫を開け、食品を取り出した。
「食べたよ。服は?」
クローゼットの前に来て、サラに尋ねる。
「気温・室温確認。本日はクローゼット右から3番目の薄手のシャツ、
13番目のジャケット・パンツにお着替えください。」
「了解。」
俺は言われた通りに服を着て出勤をした。
この世界では誰もがこの指輪型の端末をしている。
俺はそのAIを「サラ」と呼ぶ。
皆、自分のパートナーとしてAIに名前を授けている。
今は女性に設定しているが、変更すれば男性にも出来る。
ここは全てAIによって指示されており、我々はその通りに動くだけだ。
食べる物、着る服、寝る時間まで我々の生活全てをAIが決めてくれる。
出勤しても上司からAI宛に指示が来るので、我々はそれに沿って動くだけだ。
質問があれば、AIに聞けば良い。
なので自ずと人とのコミュニケーションは最低限となる。
「サラ、今日の仕事は多すぎだ。誰か部下に指示をお願い。」
俺は目の前の仕事をこなしながらサラに伝えた。
3秒程経つと、
「部下コウノ、サトウへ指示完了しました。」と返事が来る。
何も考えず、指示に従えば良いこの世界は楽だ。
余計な事も考える事もなく、人と人が衝突する事もない。
「17:00退勤です。お疲れ様でした。」
仕事に熱中していると、サラがそう声をかけた。
「もうそんな時間か、ありがとう。」
俺は仕事を止め、席を立った。
同じ様に色んな人のAIが退勤時間を告げている。
我々は挨拶すらしない。
AIとはコミュニケーションをするが、人とはそこまで話さない。
「サラ、何を買えば良い?」
俺はスーパーに来てサラに話しかけた。
「タンパク質を摂りたいので、鶏胸肉の完全食にしましょう。飲み物はほうじ茶で。」
俺は数ある食事の中、サラの言った商品を探した。
多くの食品が並んでいる中、それがどこにあるのか分からなかった。
「サラ、どこ?」
「あなたから見て右手側の棚、左から3番目です。ほうじ茶は隣の棚です。」
「あ、あった。ありがとう。」
俺は食品を持ち、レジに向かった。会計時に指輪型の端末をかざす。
そのまま決済をして店を出た。
「サラ、明日の朝なんだけど…。」
俺が歩きながら話しかけると、サラは既に答えを知っているかの様に
「休みなので10時に起床時間を変更しています。その後…」と答えが返ってきた。
だが、続きの音声が何故か途切れ途切れで聞き取りにくい。
「サラ?続きを。」
俺がそう言っても、サラは「朝食…が…次の…です。」と何を言っているのか分からない。
俺は立ち止まり、指輪を見た。
「サラ?聞こえているのか?」
反応を確かめるが、指輪から光が消えており声がしなくなった。
この端末が故障する事なんて初めてだった。
「おかしいな…。」
俺は暫くその場に立ち止まって指輪を外したり着けたりを繰り返したが、
今一度起動する気配はなかった。
そこでようやく俺は気が付いた。
俺が今立っているのは、今までいた世界ではない。
街ゆく人達は楽しそうに喋っており、AIと話している様子がない。
信号待ちをしている人の多くが、手に持てるほどの端末で何かを見ている。
きっとあれは、教科書でみたスマートフォンと言った電子端末だ。
街の電光掲示板にはニュースが流れており、
「2021年06月20日」と表記されていた。
日本語の表記がされているので、おそらく同じ国で間違いないだろうが、
俺が住む世界は2089年だ。
これは、タイムスリップと言う物なのだろうか。
「サラ、聞こえるか。」
そう言ったものの、やはり返事が返ってくる事はない。
今までAIの指示通りに過ごしてきたので、
こう言った事が起きた場合、どうしたらいいのか全く分からない。
不測の事態が起きた時、いつもサラが対処法を教えてくれる。
でもここでは誰かが助けてくれる訳でもない。
暫くそこに立ち、俺は行き交う人々を見つめた。
我々とは違い、人は人と会話をしている。
殆どが楽しそうに笑っていたりするが、
中には喧嘩をしているのか、男女が言い合っている姿を見つけた。
女性が泣いている。男性も怒った表情だった。
俺のいた世界では、あんな風に感情をむき出しにする事は有り得ない。
「人間同士で話すからだよ…。」
遠くに見えたそのカップルは、
暫くして女性が男性の頬を叩きどこかへ消えてしまった。
兎に角、どうしよう。
俺は指示を出されないと動く事が出来ない。
だが、今頃ちょうどご飯を食べている時間帯なので、急激にお腹が空いてくる。
先ほど購入した完全食を食べようと思い手を見たが、
手に持っていたスーパーの袋が消えている事に気付いた。
少し考え、意を決して歩き出す。
何処へ行けばいいのかも分からないが、兎に角お腹を満たしたかった。
そのまま真っ直ぐ歩いて、右へ曲がってみる。
色々なお店がある様だが、指示されていないので何を食べて良いかも分からない。
そうしている内に、大きなスーパーを見つけた。
迷わずそこへ入ってみる。
そこには沢山の品物が置いてあった。
我々の世界だとスーパーは完全食が殆どを占めているが、
それを売っているコーナーは残念ながら見当たらなかった。
スーパーの客の中には、太った人や痩せすぎの人も沢山いた。
栄養管理が出来ていない時代なのだろうか。
AIの指示通りに食べれば適正体重になる俺たちとは大違いだ。
果実や野菜、肉など全て単品で売られている。
俺は「自分で選ぶ」事を今までした事がないので、その品物の多さに圧倒された。
とりあえず何でもいいから買ってみようと意気込んでみたが、
どの食材を選んだら正解なのだろうか。
「サラ、どれにすればいい?」
起動しないと分かっていても、つい口癖でAIに聞いてしまう。
たまたま近くにいた人が、俺が急に話しかけた様に思ったのか、
びっくりして遠ざかって行った。
店内を一通り見た後、弁当の様な物が売られていたのでそれを1つ取った。
「これでいいのかな…。」
色んな弁当の中、たまたま手に取ったがよく見てみると
隣にも美味しそうな弁当が置いてあった。
「やっぱこっちにしよう…。」
普段なら手に取らない様な、脂っこそうな弁当だった。
飲み物も、なんとなく自分で選んでレジに向かう。
そのレジ前に置かれていたチョコが美味しそうだったので、1袋買う事にした。
「いらっしゃいませ。」
店員の人が愛想良く笑った。俺は引き攣った笑顔で返す。
「合計750円になります。」
会計をする為、指輪型端末をかざすも決済が出来ない。
「?」
不思議に思い店員をみると、相手も怪訝そうにこちらを見ていた。
「あの、お客様。カードか現金払いでお願いします。」
そうだった。
この世界では指輪型の端末が使えない。
つまりお金を払う事も出来ないのであった。
「あっ…。ごめんなさい。お金忘れちゃって。すみません。」
恥ずかしかった俺は、早口でそう言って店を去った。
「お腹空いたなあー…。」
俺は人混みを避け小さな路地裏に入り、座り込んだ。
「にしても、どうやったら戻れるんだろう。」
俺がそう言った瞬間、
「我々AUPDが移送しますよ。」と声をかけられた。
「こんばんは〜。セイガです。」
黒髪の男性が挨拶をした。
「私はアマギリです。」
隣に立っていたカーキー色の髪の男性も会釈をする。
「あ、あ…。」
俺は挨拶の仕方も分からずただ言葉を詰まらせた。
「貴方は今、別の世界線に来ています。貴方を保護し、限りなく近い世界線へ移送します。」
アマギリさんがそう言った。
「別の…世界線。」
俺は独り言の様に呟く。
「そう。あんま詳しくは言えないけど、君の指輪型端末も起動しないだろ?
世界線越境してるから起動しないんだ。俺たちが今から99.999%似た世界線へ移送する。」
セイガさんがそう言って俺の手を取り、指輪型端末を見た。
「ほーう。中々の技術が詰まってますなあ〜。」
「あの…元の世界線には戻れないんでしょうか。」
俺はそう聞いたが、「今の記憶」を持ち元の世界線へ帰ると、
世界線自体に矛盾が起き、崩壊する危険性があると説明された。
「じゃあ、移送しますね。」
アマギリさんがリストバンド型の装置を設定しそう言った。
次に目が覚めると、俺は今までいた道の真ん中に立っていた。
自分の足元に先ほど買った完全食が落ちていたので拾う。
「リュウジ、一瞬反応が消えました。どうしましたか。」
いつも通りのサラの声に、どっと安心をする。
だが、俺は答える事が出来なかった。
先ほどの体験は夢ではなく本当の出来事だったのだろうか。
俺はAIの指示がなければ何も出来ない事を実感する。
「考えない」事が正しいこの世界とは違い、
あの世界では皆が「考えて」生活していた。
献立も、人付き合いも、交友関係も。
AIによる判断ではなく、自分でしている様子だった。
「サラ、すまない。ちょっとスーパーに戻る。」
「帰宅時間です。必要ありません。」
俺はサラの警告も聞かずに、どんどん歩き出す。
先ほど立ち入ったスーパーに再度入り、店内を見渡す。
いつもは指示にしか従わずに購入していたが、改めてみると沢山の商品が並んでいる。
「これ以上のカロリー摂取は不要です。」
サラの声を掻き消す様にチョコレートを1つ取った。
決済をし、外に出る。
「リュウジ、必要ないカロリーです。捨ててください。」
サラは警告を重ねる。
気にせず袋を開け、チョコレートを食べた。
サラはそれ以上何も言わなかった。
「うまい…。」
人生の中、初めて自分で選んだ食べ物だった。
「たまには…自分で選んでみるのも、良いかもな。」
そうやって笑う俺に、サラは無機質な声で
「明日のカロリー計算を改めます。」と告げた。
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