第5話 異常を受け入れた正常
AUPD第1課、管理局。
世界線の歪みや異常観測を感知する事が目的である。
通常トラベラーが時空の歪みによって別世界線に移動した際、第1課は瞬時に検知する。
故意による発生はごく少なく、自然的に発生する場合が多い。
だが、時空の歪みとは全世界線においては毎日の様に数えきれない程発生している為、その情報だけでは、第2課への出動要請は行わない。
その後、世界線を移動したトラベラーが、その世界線で「今までと異なる」異常と対峙し
その世界線にトラベラーが適応しない場合、高次元空間に対する微弱な「道波」や「局所的な真空エネルギー密度の乱れ」が生じる。
継続的な乱れを発生させるため、第1課にて経過調査、捜査が必要と判断される場合第2課へ情報を連携・派遣する。
今回はトラベラーが別の世界線へ移動後、異常を発せず適応してしまった例である。
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娘が、突然いなくなってしまった。
あの日の出来事は何一つ忘れてない。
私は35歳で旦那と結婚をした。旦那は私よりも年上で39歳だった。
知人からの紹介で出会った私たちは、順調に交際を続け、1年付き合ったタイミングで結婚した。
結婚してからは両者子供が欲しいと願っており、私の両親も旦那の両親も孫を抱く事を願っていた。
私が、35歳と言う事もあり、焦りながらもいつかこの手に子どもを抱く日々を待ち続けていた。
だが中々子供を授かる事が出来ずに、とうとう医者にかかり不妊治療をする事になった。
自分の年齢的にも時間が限られていると思い私はかなりの焦りを感じていた。
だが、旦那も積極的に協力をしてくれて精神面でもかなりサポートをしてもらった。
そんな日々の中、ある日食後に軽い吐き気があった。
何となく眠い様な、だるい様なそんな日々が何日か続き、予定されていた月経の日も1週間程度過ぎた頃。
もしかしてと思い、市販の妊娠検査薬を試してみた。
検査結果を待っている間、心臓が爆発しそうで1分待てばいいだけなのに、緊張のせいか何十分にも感じられた。
結果を見ると陽性反応が出ておりその場で私は泣き崩れた。
嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
ただ、市販の検査薬では間違って反応してしまう事もあると言う。もし今直ぐに旦那に報告したら、違っていた場合悲しませる事になってしまう。
私は一旦はこの事は黙っておき、更に1週間経った後に産婦人科へ行った。
きちんと病院で検査をして貰った結果、本当に私のお腹の中に赤ちゃんがいる事が分かった。
産婦人科の先生に「おめでとうございます。」と言われた時、私は嬉し過ぎて涙ながらに「ありがとうございます、ありがとうございます。」
としか返すことは出来なかった。
不妊治療を担当していた先生だったので、「あなた達が頑張ったからですよ、本当におめでとうございます」と優しい目で伝えてくれた。
待ちに待った、私と旦那の赤ちゃん。
自分の中に、その待望の子どもがいると言う事実。
安定期に入ったタイミングで、両家の両親へも報告した。
すると皆、自分の事の様に喜んで、一緒に泣いてくれた。
サポートするから頼ってねと言ってくれた両親へ本当に感謝をした。
妊娠をしている生活と言うのは初めてなので、大変な事も沢山あった。
自分が食べる食事にも気をつける事、どんどん太っていく自分の体。
寝る時も、お腹にを圧迫しない様に気を付ける事。
感染症も徹底的に対策して風邪を引いたりしない様に外出時は常にマスクもつけた。
自分の中に人がいる、と思うとちょっと怖い思いもあったが、
日々過ごす中、どんどん膨れていくお腹を見て、ついに私も妊婦さんになれたんだと実感する。
夜、寝る前に旦那と「どんな名前にしようか」と話すのは本当に楽しかった。
旦那がちょっと面白い名前を冗談で言ったり、私も武将の様な名前を言ってみたり、
まだ生まれてくる子が女の子か男の子かもわからないのに、思いつくままに会話した。
思い返してみるとその時はどんな事でも幸せで、お互い心底笑い合っていたと思う。
そんな幸せの日々を過ごしていく中、妊娠してから暫くして性別がわかった。
結果は、女の子だった。
旦那は男の子を欲しがってたので最初は少し残念そうだったが、
「将来さあ、年頃になって、彼氏とか連れてこられたら俺泣いちゃうかも…。」
なんて言いながら本当に泣きそうになっているので、笑ってしまった。
お腹の中でポコっと蹴った感触、自然と手がお腹を触ってしまう愛おしい瞬間。
いつまでもこんな幸せに満ちた日々が続けばいいのにと、その時は本当にそう思っていた。
そして、ついに出産の日を迎える。
お腹を切るのには抵抗があったので、出来れば帝王切開ではなく自然分娩で産みたかった。
でも、今までで体験した事のない様な異常な痛みに耐えきれず、
声をかけてくれる旦那の手を必死に掴み、痛い痛い、と叫びながらなんとか出産した。
生まれるまで時間がかかったので、私の意識は朦朧としていたのだが看護師さんが赤ちゃんを
渡してくれた時、カメラのピントが合った様に赤ちゃんしか目にいかず、周りの声も全く聞こえなくなった。
その後、元気に泣いている赤ちゃんを見て「私が生まれて来たのはこの時、この瞬間の為だった」と直感的に思った。
旦那が「よく頑張ったね、おめでとう」と優しく抱きしめてくれた。
赤ちゃんの手は凄く凄く小さくて、自分の人差し指を差し出すと、ぎゅっと握ってくれた。
暖かくて、愛おしい、小さな命。
この時の出来事は、私の人生の中で一番大切な瞬間だった。
月日は流れ、サツキが3歳になった頃。
初めての育児に疲弊し、それでも何とか旦那や両親と協力してようやく少し大きくなった頃。
今日は平日の為旦那は仕事に行っており、私は近くの公園へサツキと一緒に散歩に出かけた。
その公園はサツキのお気に入りのブランコや砂場もあるので、平日にはそこに出かける事が多かった馴染みの公園である。
その日は5月21日で、気持ちがいい晴れの日だった。
風も強くはなく直射日光を受けても暑過ぎず、公園で遊ぶにはぴったりの日だった。
サツキはお気に入りのキャラクターのTシャツに淡いピンクのズボン、帽子をかぶっていた。
公園に着くと、いつも数名の子ども達が母親と共に遊んでいたが、今日は偶然にも私達だけだった。
「ぜーんぶサツキが使えるね!」と笑いかけると「ぜんぶ!わたしの!」と元気よく笑っていた。
最初はブランコに乗りたいと言うので、後ろから押してあげた。
サツキはあまり大きく押すと怖がってしまうので、慎重に少しづづ押してあげる。
楽しそうにブランコに乗る姿を見て、こちらも自然と笑みが溢れてくる。
その後に、砂場で大きなお城を作ると言って、家から持って来た子供用のスコップやカップなどを使って、サツキは楽しそうに砂遊びをしていた。
砂場のすぐ近くには、ベンチがあるので私はサツキから目を離さない様にしながら腰掛けた。
ベンチから砂場は2メートルもないので、何かあったら直ぐに駆けつけられる距離だ。
良い天気ではあったが、やはりずっと屋外にいると少し暑くなってきた。
帽子をかぶせているとは言え、サツキの頬を見ていると少し汗がたれているのが見えた。
私は自分のリュックから水筒を取り出し、サツキに渡す為コップにお茶を注ぐ。
「さっちゃん、お茶飲もう。」
と声をかけた時、今までいた砂場にサツキはいなかった。
まるでサツキだけがいなくなった様に、近くには使われていたおもちゃがそのまま置いてある。
「さっちゃん…!?さっちゃん!!!サツキ!!!!!!」
頭が混乱する中で、叫びながら辺りを隈なく探した。
いた筈の砂場にもいない、ブランコも、滑り台も、公園のトイレの中にもいない。
「なんで、どうして。」それしか頭の中に出てこなかった。
目を離したのは水筒を取り出し、コップにお茶を入れたほんの数秒のこと。
その間に誰かに連れ去られたなんて、考えられない。
まだ3歳なので、ほんの数秒でサツキが走ってどこかへ行ったなんて事も出来ないと思う。
まるで娘が最初からいなかった様な、いつも通りの公園に寒気がする。
絶望の中、私はその場で警察に連絡をした。
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「さっちゃーん、もう帰ろうか。」
ママの声がきこえる。
わたしは今、大きなお城を作っていたから、まだやっていたくて「イヤ!」と叫ぶ。
「わがまま言わないで、もう帰ってお昼寝しようね。」とママが砂場のおもちゃを片付ける。
でも、それがふしぎだったの。
だって、ママの髪の毛がさっき見た時より短かったの。
「まま かみきったの?」と尋ねると、「えー今日ずっとさっちゃんと一緒にいたのに切る暇なんてないよ。」って笑ってた。
へんなの、と思ったけどそれより喉がかわいてて、ママに言ったらバックから水筒をだして、コップにお茶を入れてくれた。
飲んでみたらいつものお茶の味とちょっと違った味で、まずいって言ったらママも飲んで
「変だな、いつもと同じ味だけど。」って言ってた。
遊んで疲れちゃったから、わたしは家に帰って、お昼寝をした。
ママも疲れてたようで一緒に眠った。
寝る時、ぎゅっと抱きしめてくれて、いつも通り「大好きだよ」って言ってくれて安心して眠った。
起きたら、いつの間にかママは夜ご飯の支度をすませていた。
寝ぼけてたらパパも帰ってきて、
「さっちゃん寝てたの〜」と抱きしめてくれた。
パパはいつも通りのパパで、ママと違って髪の毛は変じゃない。
だから、やっぱり、わたしの気のせいだったのかなって思った。
夜ご飯は、わたしの大好きなカレーだった。
でも、また変なの。
ママはいつも人参を星のかたちにしてくれるのに、今日はふつうに切ってあるだけ。
あと、味もやっぱり少し変なの。
でも、ママには秘密にした。
だってママ「まずい」って言うときっと怒るんだもん。
それに、星のかたちじゃなくても、食べれるもん。
カレーの味はちょっと変だったけど、全部食べた。
その後、ママとお風呂に入って、寝る時間になったの。
いつも通り、パパは絵本を読んでくれた。
色んな話があって、その日の気分でパパが絵本を選ぶんだけど今日聞いたお話は、初めて聞いたお話だったからすっごくおもしろかった。
パパ、新しい絵本、買ってくれたのかなあ。
お話を聞いていたら眠くなってきちゃって、わたしはそのまま寝ちゃった。
夢のなかで、今日読んでくれたお話にでてきた、白いお馬さんに乗った。
すっごく早くて、びっくりしたけど、お馬さんが大丈夫だよって言ってくれた。
次の日の朝、ママがおはようって言って起こしてくれた。
やっぱり髪が短い気がするけれど、きっと私の気のせいなんだ。
だって、ママもパパもいつも通りわたしを大事にしてくれているから。
昨日はなんか、変だなって思った事もあったけど、
今日は別に変な事なんて、ない。
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「女子児童が行方不明になってから既に3年の時が経っておりますが、警察は未だ捜査を続けており、
先日はご両親と共に駅前にてチラシ配りが行われています。」
TVから流れてくるニュースを、私は呆然としながら見つめている。
あの日、あの公園で、サツキは消えた。私の元へ、あの子が戻ってくる事はもうないんだろうか。
サツキが行方不明になった後、警察の人が必死に操作をしてくれた。
辺りの防犯カメラの確認や聞き込み調査など、色々な方法で探してもサツキの姿はどこにも見つからなかった。
特に公園近くの防犯カメラをくまなく探しても、サツキが誰かと一緒にいる様子も、サツキ自身が歩いている様子も確認されていない。
その後、この事件はマスコミによって大々的に報道された。
それを見た人たちはネット上に、「母親が犯人しかないだろ」「自分の子を殺しておいてチラシ配りとか頭おかしい」
「近くの防犯カメラに子どもが映ってないって、警察もバカだよな、察しろよ意味分かるだろ」と言った、沢山の誹謗中傷の書き込みがあった。
旦那は、私がいかにサツキの事を愛しているかを知っているので、私を一度も責めなかった。
むしろ書き込みに対して私以上に怒って、泣いて、私を擁護してくれた。
警察も、捜査状況を冷静に見据えながら私自身が犯行をする事は難しいとの事で、行方不明として捜査にあたってくれている。
でも、毎日考えてしまう。
私が目を離さなかったなら…あの時お茶なんか用意せずに、一緒に砂場で遊んでいたら。
娘は今も隣で笑っていたのかもしれない。
旦那と私と娘で、いっぱい楽しい場所へ行けていたかもしれない。
ただ一つの希望は、娘の遺体が見つかっていない事。
私も、信じてる。娘は絶対に生きているって。
何でかわからないけど、絶対生きてるって私は思ってる。
だから今日も探し続ける。
いつか、一緒に笑える日まで。
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