第4話 鍵が落ちてた、それだけで
俺はいわゆるブラック企業という所で働いている。
大学での就活戦争に無事打ち勝ち、何十個目かで受かった今の会社。
新人研修や初めの頃は定時で帰れたし、皆親切に教えてくれて良い職場に出会えたなあ、とのんびり考えていたが
通常業務を行う内に、定時で帰れる事は少なくなりそれからは深夜までサービス残業を強いられる毎日だった。
休日も社用携帯が鳴り響く。そんな日々を過ごしていると頭も麻痺してしまい、それが当たり前の生活だと思ってしまう。
最近は何だか物忘れも酷くなっており、財布を忘れたりスマホを忘れたり不注意な出来事が多くなってきていた。
「あれ…鍵がねえ。」
朝の7:30分。
俺は出勤する為にアパートを出たが、エレベーターの中で先ほど玄関の鍵を閉めポケットに入れた筈の鍵がない事に気づいた。
ポケットに入れた筈が落ちてしまったのだろうか。舌打ちをして、1階に着いたエレベーターを元の階のボタンを押す。
自分の部屋の前に着くと、廊下に鍵が落ちている事を見つける。
最近かなり高い頻度で同じ様なミスをし、鍵を落としてしまう。
イヤホンで音楽を流しながら出勤する為、音では気付けないのだ。
屈んで広い、またポケットに戻すとガチャリ、と隣の部屋の女性がドアを開けて出てきた。
「…おはようございます。」
一応礼儀として挨拶をし、エレベーターまで駆け足で急ぐ。
客観的に見て、今の状況だとまるで俺が相手が出てくるのを待っていたみたいだ。
そんな変な人と捉えられたらどうしようと焦る。女性がどんな反応をしていたかなんて見ていない。
一緒にエレベーターに乗る事になったら相手も可哀想だと思い、素早くエレベーターのボタンを押して下に降りた。
隣に女性が住んでいると初めて知った。でも、出てきた女の子可愛かったなあ、なんて惚けた事も考えてしまった。
「はあ…死にてえなあ。」
今日も今日とて先輩にこき使われた。自分の仕事だけではなく、先輩の仕事まで代わりにやらされた。
その先輩は笑顔で「よろしくな!」と言い定時で帰った。逆に俺はそいつのせいで、深夜まで仕事に追われた。
もう「怒る」とか「悲しい」とか、様々な感情は自分の中に何一つなくなっていた。
深夜に家に帰宅し、カップ麺を食べて寝る。それで朝起きて、出社。
感情もなく、ただ機械的に仕事をしている自分はまるでロボットの様だ。
仕事は終わったが今日は何だかいつも以上に疲れており、早く帰りたかった。
ただ、帰り道に聳え立つ桜の木を見て、久しぶりに感情が生き返る。
「おー、綺麗やん。」
見上げて見ると、満開に咲いた桜が街灯に照らされ輝いている。
それを見て「もう春になったんかい」と一人呟いた。
だが、桜を見ていたら強烈なめまいに襲われた。
地面がグラグラと揺れており、見ている景色がぐるぐると回っている。
「あ、俺壊れたわ」と妙に冷静に思った。
ーーーーーーーーー
急に体が軽くなった感じがして、目を開けると先ほどの目眩も消え去っていた。
何だったんだろう。まあ、気のせいかと思い歩き出す。
だが、家までの道が少しおかしい。
これから進む先は二手に別れており、右側に進む先には自分の家がある筈だが、道は真っ直ぐにしか行く事が出来ず自宅に帰る道が分からない。
「あれ、やっぱり俺壊れたん?」と呟くも、道は一本しかないので仕方なく進む。
途中で右に曲がれば問題ないだろうと思っていたが、その一本道はひたすら長く続いた。
「どー言う事やねん。」
訳もわからず兎に角進むが、やはり右には行く事が出来ない。
それに町並みも俺が知らない様な変な建物ばかだ。
不思議な事にどこの家も、何故か明かりが灯っておらず辺りは焦げ臭い匂いが充満していた。
街灯もついていない為月明かりのみで進んでいくが、少し遠い場所からドンと鈍い音が続いている。
空からはヒューと花火の様な、何かが飛んでいる音も引っ切りなしに続いている。
何が起きているのかと思っていると、突然目の前が真っ白になる程明るくなった。
それは激しい音と共に、数百メートル前のビルに何かが飛んできた際に起こった光だった。
突然の出来事で咄嗟にしゃがみ込むと、目の前のビルは爆撃によって崩れ落ち、炎が上がっていた。
先ほどドンと音がした場所を振り返るとそこでも火事が起きていた様で、町全体が燃え盛る様に炎の色に包まれていた。
「…嘘やん、戦争でも起きたんか?」
ありえない。
だが、どの家も明かりが灯されていないと言うのは、第2次世界大戦の際にも黒い布等で外に灯りを漏らさなかったと言う話を本で読んだ事がある。
それに目の前で崩れているビルも、どこかから攻撃されたと考えると辻褄が合う。
崩れるビルの間には、炎に追いやられながらも喚く人々の姿が確認できた。
助けたい、と瞬時に思ったが立ち上がったその瞬間、ビルは重力に負けたかの様に崩れ去った。
「あ…。」
言葉が続かなかった。
口癖の様に「死にたい」と口にする自分とは違い、あの人達は生き残る為に暗くして潜んでいたのだろう。
夢の様で夢ではない。今起こっているこれは、現実だ。
空からは先ほど聞いたヒュー、と言う音が直ぐ上空を通過するのがわかる。
音が近い、ここにいては死ぬ。
今来ていた道に踵を返し、猛ダッシュで走る。
すぐ後ろで耳を塞ぎたくなる程の轟音と共に、隠れていたであろう人々の悲鳴が聞こえる。
辺りは直ぐに火の海に包まれた。
俺はここで死ぬのだろうか、いや、絶対に死にたくない。こんな人生で死んでたまるか!そう思って、全力で足を進めた。
そんな時、走る目の前の道に2人の男が立っているのを見つけた。
「おい!お前ら逃げろや!危ないぞ!」
大声でそう伝えると、彼らは焦りもせず自分がたどり着くのを待っていた。
「おい、逃げんと死んでまうで!」
彼らが道を阻んでいるので、足を止める。
はあ、はあと整わない息の中必死に伝えるが、1人の男性が「お兄さん、もう大丈夫だからまーず落ち着こうか。」とのんびりした口調で言う。
「のんびりしとる場合か!見えるやろが、燃えとんの!」その男の胸ぐらを掴んで、無我夢中で叫ぶ。
するともう1人の男性が、その手を離す様に促す。
「やめてあげて下さい。状況を説明しますから。」と俺をその男から話して言う。
「今、あなたは元いた場所から飛んで、違う世界線に来ている状態です。なので私たちAUPDによって、元の世界線に限りなく近い世界線へ移送
いたします。あなたに危害は加えませんし、安全を保証します。」
違う世界線て、何言うてるか分からへん。
でも、目の前の2人が妙に落ち着いているのを見て、自分も少し落ち着き始めた。
「今おるんは、俺のまったく知らん世界なんか。」
最初胸ぐらを掴んでしまった男が、そんな事気にもしなかった様子で笑顔で答える。
「そう。だいぶ離れた世界線だね。実際ここでは戦争が起きてる。ここの情報は詳しくはあんま話せないけど、俺たちが君を戻すから安心して〜。
因みに俺はセイガ。んでこいつはアマギリ。」
OKのハンドサインと共に、のんびりとそう言った。
「…さっき。アマギリ…さんやっけ。元の世界に限りなく近い世界線て言うてたけど、全く同じじゃないって事なんか?」
アマギリさんはゆっくりと頷く。
「そうですね。99.999%同じですけど、0.0001%違う世界線です。数コンマの違いですが例えば車にいきなり轢かれた人が数コンマだけ歩くのが遅かっただけで回避出来た、とか死ぬ筈だったけど重症で済んだ、とかそう言った変化があるので交友関係なども少し変わります。」
「…まあ俺頭悪いで難しい話はよう分からん。でも戻してくれるんなら…お願いします。」
色々と言っている意味が分からないが、戻してくれるならそれで良い。
ここは怖い。戦争なんて歴史の教科書で習った位なのに、それが行われている世界と言う。
こんな所で俺は死にたくない。
リストバンドの様な…あれは機械だろうか。
セイガさんが何かを触っているのが見えたが、何をしているのかは分からない。
何かセッティングが終わったのだろうか。彼はこちらを向いて「命、大事に使いな。」と優しく笑った。
ーーーーーーーーーーーーーーー
気がつくと、俺は先ほどまでいた桜の木の前に立っていた。
周りを見ると、灯りがついた家もあれば暗い家もあり、いつも通りの光景だった。
先ほどの様な轟音や焦げ臭い匂いも充満していない。
爽やかな夜の澄んだ空気を吸って、ああ空気ってこんなに美味しかったんだなあと実感した。
あの不思議な出来事は夢だったのか、だが妙にリアルで気持ちが悪かった。
家に帰る道も、今までと同じく二手に分かれていた。
右へ進み、アパートへ戻った。
今日の出来事に酷く疲れており、着替えもせずご飯も食べずに直ぐにベットに入った。
翌朝、目を覚ますとやっぱり昨日の事は夢なんじゃないかと思い始めた。
だが、死にたいと言う思いは自分の中から綺麗サッパリ消えてしまった。
あれが夢の中だったとしても、生死を分ける局面に立つと、やはり本能では「生きたい」と言う事だった。
何だか心が少しだけ軽くなった気がしながら、俺は身支度を整える。
いつもはジャスト7:30分に家を出るが、この日はいつも通り行動していた筈だが何故かギリギリの時間になってしまった。
そして、玄関を開け外に出て鍵をしめる。
ポケットに鍵を入れようとしたが、うまく入らず鍵が滑り落ちてしまった。
拾おうと屈もうとした瞬間。同時に、隣のドアが開き女性が出てくる。
やばい、今また俺変質者の様になっている、と俺は全身から冷や汗が吹き出した。
お互い沈黙のまま見つめ合っていると、その女性はふふっと柔らかい笑顔になった。
「また、鍵落としたんですか?」
と床にあった鍵を拾ってくれ、俺に差し出す。
慌てて音楽を聞いていたイヤホンを取り、「すんません。」と言いながらその女性から鍵を受け取る。
「よく、落としてますよね。私同じ位の時間に出勤するんですけど、玄関先で靴履いてる時、何か落とした音がよくするんですよ。」
と微笑みながら言った。
「いや、ほんますんません。わざととかじゃなくて、俺、ちょっと抜けてるトコがあって…。」
しどろもどろになりながらも、必死で伝える。
「大丈夫ですよ、また落ちてたら拾いますから。」
そう言って、一緒にエレベータに乗った。
そこから、彼女とは良く合う様になった。
むしろ今まで何故彼女とは会わなかったのだと思うくらいに。
例えば、夜遅く疲れて帰ってきた時に、たまたまコンビニに行っていた彼女と家の前で会い一緒にエレベーターに乗る。
近くのスーパーに買い出しに言った際に偶然会う。
その「たまたま会う」頻度がかなり高いのだ。実際会いすぎていて、俺がストーカーと思われていないだろうかと心配する程に。
だが、会うたび彼女は嬉しそうに微笑んでくれる。
ある日、エレベータの中でまた会ってしまった彼女に漠然と感じていた気持ちを話してみた。
「あの、僕らどっかで会った事ありませんかね。何か、妙に懐かしい気持ちになるんです。」
彼女も少し驚いた様子で、「ホントですか?実は私もずっとそう思ってて…。」
お互い顔を見合わせて、照れながら笑った。
そこから彼女との交際が始まった。
まるで今までずっと知ってきた仲の様に、俺らは順調そのものだった。
俺の現状を見た彼女の強引な勧めで、俺は転職した。その会社は今までより働く時間が少なく、たまに残業はあるが基本定時で帰れる。
その上に前の会社よりも給料が良いとはどういった事か。
休日にも社用携帯が鳴る事もなく、無責任な先輩もいない。
転職してからは平和な日々が続いていた。
「死にたい」と毎日の様に言っていた日々が、嘘の様に遠ざかっていった。
そして、ある日俺は思い出した。
あの変な出来事が終わった後から急に何度も鉢合わせる2人。
それは「変」ではなく「ズレて」いたのだ。
俺は確信した。ほんのわずか0.0001%ズレた世界に俺はあの日戻ってきた事を。
自分がいたのは今までとほぼ同じ世界、でも、ほんの少しだけ何かが違っていた。
それが彼女の存在だ。
例えば、鍵を落とした時間。
その鍵を拾ってくれた人。
その人と、コンマ数秒の違いで出会えた世界。
多分元の世界では起きていなかった事ではないだろうか。
もしかしたら、あの世界の俺は今でも毎日会社で頑張り心がすり減っているかもしれない。
そして彼女とも会えていないかもしれない。
でもそれでも、あの世界の俺が平和に生きられる様に祈るばかりだ。
出会えなかったはずの誰かに、出会えるだけで人生は「幸福」になる。
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