第四章『かがみよ、かがみ』





 〈六区〉首都シディムポリスの人口は約二億人。そのうち一億八千万人が、地上と地下をつなぐ縦穴の外周に存在する『上層』に暮らしている。

 その最深部、地下一五〇キロに位置する溶岩地帯に、もう一つ都市が存在する。それが『下層』だ。地下渓谷に建造されたこの都市は、アークフィンの居城にして『千年至福』の本拠――この星の実質上の政庁や、〈六区〉唯一の宙港、組織と提携する民間企業の本社などが集中する、〈六区〉の中核であった。



「――弾薬を出し惜しむな! 一直線に突っ走る!!」



 四角ばった要塞状のビルの隙間を、『ファッティシング』号がかいくぐって飛ぶ。道路に配備された戦車や歩兵のロケットランチャーが絶え間なく火を噴いていた。

 マグマから立ち上る煙に、沈みかけの船が吐き出す煙が混ざる。船の上に乗った三人のサイボーグは、死力を尽くして炎の中を突き進んでいた。


「ボスの館までは!?」


「もうすぐだ! ほら、もうそこに見えてる!」


「そこってどっちですかー!?」


 ジャックが悲鳴を上げていた。拠点を飛び出してからかれこれ六時間、ほぼ休みなしで追撃をかわし続けていたのだ。『千年至福』にとってもここはまさに最終防衛ライン。工場で生産した兵器をフル回転で投入してきているようだ。

この街には、旧市街のような歓楽の気配は微塵もない。溶岩が赫々と滾る渓谷に、黒鉄の建物が乱立している。空気までが威圧感を持つような禍々しさだ。

この世に地獄が存在するとすれば、ここ以外には考えられないだろう――視界を埋め尽くすミサイルを必死で叩き落としながら、ジャックはそう思った。疲労のあまり、だんだん行動と思考が乖離してきているのを自覚していた。


「――ギャーッ!?」


「ハァ……ハァ……すまねえ、被弾した! ……墜ちるぞ!」


「ギリギリまでねばれ! あとほんのわずかだ!」


 激しい振動とともに機体が降下する。行く手には、黒色の大聖堂のような壮大な城がマグマの海に屹立していた。そこへの架け橋を守る兵士の群へ向かって、『ファッティシング』号は墜落する。


「『アリコーン』! 『ウィング・アスペクト』!!」


「奴らを止めろ――ッ!!」


 船が撃墜された爆風の中から一台のバイクが飛び立った。特攻でかなりの人数が巻き込まれたが、それでも防衛線は完全には崩れていない。空のドローン、陸の兵士、マグマの海に浮かぶ砲台が、不遜な侵入者に狙いを定め――



『よせ』



 どこからともなく響き渡ったその一言で攻撃が止まった。まるで時間が停止したようにあたりが静まり返る。動くものは、ジャックたちが乗った『アリコーン』のみだ。

 組織首領アークフィン・ファウフル。この星の帝王。彼の意思は、あらゆる指揮系統に優越する絶対の命令だ。


『この城にとってはじめての客人だ。丁重にお通しするのだ。――奴らは、このわたし自らが相手をする』


 バイクが通ったところから、段階的に橋がマグマの中へ沈んでいく。

 これで追手は来れない。だが同時に、ジャックたちにとっての退路もなくなった。












 城内は複雑な構造だが、中に入りさえすれば構造解析が通じる。道を間違う心配はない。

 懸念はやはり敵の迎撃だったが、なぜか兵士どころか人っ子ひとりいなかった。非戦闘員を避難させるのは当然として、どうやらアークフィンは本当に侵入者を自分の懐まで招き入れるつもりらしい。


「油断はできない。索敵は怠るな」


「はい」


 アークフィンがいるのは城の最下層。そこへ繋がるのはたった一つの大型エレベーターしかない。これに入るしかないのだが、閉じ込められて袋叩きに遭う可能性は大いにある。

 だが実際にそれが動き出し、下降を始めた時――ユーチェンはわが目を疑った。


「……嘘だろう……」


「? どうなさいました?」


「……なんだこの場所は……? それにアレ、どっかで見覚えがあるような?」


 ガラス張りのエレベーターが少し下ると、巨大な吹き抜けの空間が目の前に開けた。

 保管庫のような場所である。『松明を掲げた青銅の女神像』、『四本足の鉄の塔』、『球体を背負った金色の巨人の像』、『赤茶けた色の時計塔』、『銃身が結ばれた拳銃の彫刻』などが無造作に並べられていた。


「ニューヨーク・自由の女神。パリのエッフェル塔。フォン・ブラウンの統一政府記念像。ロンドンのニュー・ビッグベン。国連本部のノッテッド・ガン――ぜ、全部本物だと?」


 ガラスに顔をくっつけそうに驚いているユーチェンに、ジャックとエドは怪訝な顔をしていた。

 それらは、西暦時代の国々の象徴たちだ。いまとなっては、過ぎ去りし文明の墓標でもある。――アークフィンはこんなものまで金で買うというのか? 人類の貴重な遺産が、ただのギャングの個人コレクションに貶められている――エレベーターが下り切り、外の景色が壁だけになった後も、ユーチェンはショックを隠せない。


「――来たぞ。最下層だ」


 窓とは逆方向、背後の扉が開いた。なぜかそこは真っ暗闇だ。

 ――いや、暗いのではない。お互いの姿が見えている。床も壁も天井も漆黒で塗り固められ、一切の光を反射しない部屋だ。

 そして――鼻が裂けるような強烈な血の臭い。この部屋全体に死臭が沈殿していた。ここに住む主人の邪悪さを、感覚器から納得させるように。


「待っていたぞ。ショウ・ユーチェン。よくぞここまでやってきた……」


「――うっ!?」


 三人はここでようやく気付いた――部屋の中心に、水場があったことに。真っ赤な液体で満たされた広い浴槽の底に、男が沈んでいたことに。そして部屋の奥には、壁を埋め尽くすおびただしい数の女の死体が積み重なっていたことに。それらは全て同じ顔だ。瞳孔が拡散した満面の笑みを浮かべる、ヴィクトーリアの顔である。

 血の風呂の中から、ゆっくりと全裸の男が現れる。――ユーチェンたちにとって最後にして最大の怨敵、アークフィン・ファウフルであった。


「ヴィクトーリアが逝った。十五年前からわたしを支えてくれた最大の忠臣が。

生前の遺言に従い、彼女のクローンで血の風呂を作った……わたしにできる最大の弔いだ」


「丸腰なら話は早い――討たせてもらうぞ!」


 遺伝情報上の同一人物の血液で丸々満たされた大浴場に、下半身を漬けてたたずむアークフィン。ユーチェンは容赦なくそこへ飛び込み、義手の拳を全力で振るった。


「おっと……そう急くな」


 それを、丸腰のアークフィンが軽くいなした。

素手だ。己の掌一つでユーチェンの鉄拳の勢いを殺し、受け止めていたのだ。大人と赤子ほどのサイズの差があるにもかかわらず、アークフィンの手はユーチェンの拳をがっしりと掌握している。


(バカな、まったく動けん。それどころか――指が拳の中にめりこんできているぞ!?)


「貴様、やはりミュータントか――アリコーン!」


「チッ。騒がしいことだ」


 エドがマイクロミサイルを乱射する。アークフィンはバックステップをすると空中で手刀を振った。すると手に付着していた血液が刃となって飛び、全弾頭が誘爆させられる。爆風が晴れた先では、すでにアークフィンの着替えが終わっていた。赤と黒の豪奢なマントがついた、スタイリッシュな戦闘スーツだ。

 彼こそは『千年至福』の元締めにしてミュータントの黒幕。もちろん肉体そのものをいじっている可能性は高い――しかし、少なくとも今、彼はなんの特殊能力も使わなかった。ユーチェンの攻撃を受けたのは、純粋なる『技量』にほかならない。

 アークフィンが指を鳴らすと、四方の扉が緞帳のように開き、灼熱の溶岩地帯の風景が露になる。死と煉獄をねぐらとする男は、亀裂のような笑みを浮かべた。


「ここまで来たまえ。最後の勝負だ……!」


「――フン!」


 炎の中へ飛び出した。たった四人の戦争だ。

 一対の光の翼を背中から展開し、空中でファイティングポーズをとるアークフィン。ジャックがガトリングとライトサーベルを構え、エドゥアルトが『ホーン・アスペクト』を起動し、ユーチェンが静かに鋼の拳を掲げた。


(なんだあの構えは? どの流派でも見たことが無い……いや、混ざっているのか)


「三対一とはいい度胸だ! お望み通り殺してやるッ!!」


「……できるかな?」


「――! エドさん! 下です!」


「!?」


 溶岩から『何か』が勢いよく飛び出してきて、『アリコーン』の側面をかすめた。

 すれ違いざまの、完全なる不意打ちだ。エドの機体の急所、シールド展開装置が破壊されていた。


「う……! バカな! 今の一撃で!?」


(……なんだ、あれは?)


「『我が名はレギオン。大勢であるがゆえに』」


 アークフィンの周りを、オレンジ色の光を放つ四個の球体が浮遊していた。

 『レギオン』。彼がそう呼ぶこの兵器が、『アリコーン』のシールドを……ユーチェン一行にとっての防御の要を、一瞬にして潰したようだ。


「怖気づいたか? ならわたしから行くぞ!」


「二人ともわたしの後ろにッ!」


 優男そのもののシルエットのアークフィンだが、露出したその筋肉は、焼きの入った鋼を思わせる屈強さだった。鍛え抜かれた結果、無駄な膨らみが全てそぎ落とされているのだ。

拳を振るうユーチェンが咄嗟に前に出た。いま、盾と呼べるものは彼女の義手しか存在しない。


「『レギオン』!!」


「――っ!? がはぁっ!?」


 全く同じ重さ、全く同じベクトルのパンチが、五度アークフィンから飛んできた。ユーチェンは一気にガードをはがされ、胴体に手痛い一撃をもらう。

 ――分身だ。光の玉の形をしていた『レギオン』がアークフィンの姿になり、持ち主の攻撃をそっくりトレースした拳を連続で放ってきたのだ。


「またそういうやつですか! そんなのはもう、ヴィクトーリアさんで学習済みなんですよ!」


「ま……待て少年……!」

  

「迷子の犬が、主を忘れたかァッ!」


 ジャックの覇気を、アークフィンの凶悪な笑みが蹴散らす。飛び込んでキックで足剣を振るったジャックを、二基の『レギオン』が払った。ジャックは空中で体勢を崩し、その無防備なボディを、残り二基と本体が袋叩きにする。

 青い血を大量に吐き出したジャックを、アークフィンがなおも捕まえた。三十三歳にもかかわらず、まったく艶を失わない美貌が間近にある。翡翠の瞳が溶岩の熱気と光に揺らめいて、ジャックは無意識に息を呑んだ。

 

「だが本心を言うと――わたしはまだ君を諦めていないのだ。ヴィクトーリアやガブリエルの仇ではあるが、あの二人と渡り合った事実が才能を証明している。ここで殺すにはあまりにも惜しい。

またわたしに仕えてはくれないか。今ならまだ、すべてを水に流してやれる。わたしも遺恨は捨て去ろう」

 

 ジャックは腹の底から不快感が昇ってくるのを感じたが――同時に、嫌悪とは種類の違う、感動の鳥肌を立てている自分に気づいていた。

 声が甘い香りを持つようだ。あまりにも存在感がずば抜けている。ユーチェンの仲間であるという芯は揺らいでいないはずなのに、アークフィンに魅力を感じずにはいられない――だが、それは当然の事。人が人を引き付ける魅力を持つことと、その人間が善か悪かは、全く関係が無い問題なのだ。水が低きに流れ、隕石が重力に引かれるというような、単純な力学原理に過ぎない。

『千年至福』という巨大組織を手に入れたのも、〈六区〉の王になれたのも、この男なら当然だ――理屈抜きでそう思わせる眼であり、貌であった。



「冗……談、では……ないッッッ!!!!」



 上空でジャックを捕まえるアークフィンに、ユーチェンが鬼神の形相を浮かべる。

次の瞬間、アークフィンは冷えたマグマの塊の地面に叩きつけられていた。ジャックは既に保護され、ユーチェンに抱きしめられている。


「もう少年はうちの子なのだ。貴様らになど、二度と渡してたまるか……!」


「クハァッ……! ハ、ハハハ。冷血で名高いレッドフードが、ずいぶんと入れ込んだものだな?」

 

「……えっ!?」


 エドが衝撃の事実に気づいた。アークフィンが吐いた血は、紅かったのだ。

 ――ミュータントではない? いや、それともまさか、そこまで完全にヴィクトーリアと一緒なのか? 彼女が能力で生み出した偽者も、赤い血を通わせていたことだ。

 

「ああ……言っとくが、私の身体には一匹のナノマシンウィルスも入ってないぞ。アレを創ったのは私だからな、その危険性はよく知っている。

 わたしはただの人間だ。特殊な能力は特にないし、傷が治ることもない」


(……本当なのか? でも、嘘をついてるとしたら理由がない)


「……アレを創った? 貴様が?」


「そうさ。だが、あのウィルスは失敗作でね。発現する能力に紛れが多すぎたんだ。政府のジジイどもを言いなりにする分には使い道があったが、本来の目的には役に立たない。

だから改良版を製作する間、あちこちにバラまいておいたんだよ。それでわたしの目当ての能力を持つ者が現れたら、御の字だということでね。

そして君らが今日、それを運んできてくれた――ショウ・ユーチェンを。『鉛の心臓』を」


 意味が分かるようでわからない。

 そういえば、ガブリエルも、ヴィクトーリアも、同じような要領を得ないことを語っていた。結局彼らの根底にあるのはなんだったのか? ミュータントのナノマシンウィルスが作られた、その真の理由がまだ明かされていない。


「……ウィルスを創ったのが本当なら、やはり貴様が全ての絵を描いた張本人ということだな。ならば聞きたいことがある――なぜあんなものを創った? ウィルスをばらまき、宇宙に戦争を仕掛けようとした貴様の目的とは一体何だ? 貴様は私の心臓とやらを使って、何を企んでいる」


「――美容だ」












 アークフィンは天才だった。『なんでもできる』天才だった。

 学問も、スポーツも、芸術も、武術も、すべて瞬く間に習得できてしまう。人間の心でさえ彼には思いのままだった。生まれつき他人を操れる悪魔の頭脳と美貌を持っていた。

 彼にないのは、『感性』だけだった。生まれてこの方、この世の何物にも興味を持てたことがなかった。なにをやっても満足感は得られない。そのくせ、退屈を感じる神経だけは人一倍あったから始末に負えなかった。

 それはあらゆる感覚器を潰されているのと同じ状態だ。意識を保った植物人間のように、無感の暗闇の中をさまよい、いつまで続くか分からない時間を一秒一秒感じさせられながら過ごしている苦痛。

おそらく彼は、かなり早い段階から発狂していた。――もしかしたら物心ついた瞬間にはそうだったのかもしれない。


 それでも自死は選ばなかった。

 ――なにもやらないままで死ねるか。生まれてきた以上は生きなきゃいけない。

苦しむだけの人生でも、自分が生まれてきたことへの『納得』は必要なのだ。それを見出すまでは、終わってなるものか――!!

 学友たちの遊びに付き合う時も、ピアノの演奏会に参加した時も、彼はそんなことばかり考えていたのだ。


 転機になったのは彼が十七歳の時。ハイスクールを早期卒業した直後のことである。

 富豪の息子だった彼は、身代金目的の誘拐に遭ったのだ。きわめて短絡的な犯行であり、すぐに決着がつくような事件だったが――アークフィンはこの後、二度と家には帰らなかった。


『わたしの心、ここで形を持つ。わたしはわたしの本物に出会った』


 誘拐犯の隠れ家には、首を切断された犯人グループ全員の死体と、血で書かれたメッセージだけが残されていた。としか思えない現場の状況に、警官は困惑したという。

 これがアークフィン最初の殺人だ。はじめは自分が生存する為だっただろうが、血まみれで出口を求めて徘徊するうちに、彼は気づいてしまったのだ。返り血を浴びた自分が鏡に映っていたことに。これまでの人生で一度も浮かべたことが無かった『心からの笑顔』が、鮮血で彩られていたことに。

 自分が笑える唯一の方法を彼は知った。自分の本質が天性のシリアルキラーであることに気づいた彼は、知人すべての前から姿を消す。それから彼の足跡は、彼の獲物となった人々の死体の轍となった。


「生まれてきた以上は生きる。そしてわたしにとって、生きることは殺すことだ」


 失踪から八か月後、殺人数が一五〇人を超えた時、彼は逮捕された。――捕獲に動いた五十名の機動隊を、身一つで皆殺しにして。

熊のように鎖でしばられた彼が語った、犯行理由が上の言葉だ。判決は言うまでもなく死刑。瀬川有希子の手を借りて彼が脱獄し、〈六区〉に逃亡するのは、それから幾ばくもしないうちのことだった。


「この星に来て新しい目標が見つかったよ、ヴィクトーリア」


「なにがです?」


「わたしは美容を探求する。結局大学には行かなかったが、そこで学ぶ予定だった生物工学を、自分なりに修めてみようと思うんだ。

研究テーマは『人間と共生するナノマシンウィルス』によるアンチエイジング――『千年至福』でのぼりつめることで、研究資金は手に入るだろう」


「美容? しかし、わが君はもう十分にお美しいではありませんか」


「まあな。自分で言うのもなんだが、わたしの顔はこれ以上いじくるところがないと思う。だから、老化した時が怖い。別に永遠とは言わないが、できるだけ若いままでいたいんだ」


 『千年至福』の下っ端時代。趣味の殺人がてら数々の任務をこなして地位を高めていた、相棒ヴィクトーリアにアークフィンはそう言った。

 ヴィクトーリアの手には双剣。アークフィンの手は手刀。あたりには大量の死体が転がっていた。


「外見。賢さ。地位。名誉。財産。この世の価値は結局のところ、美感に収束するものだ。完全無欠であればあるほど美しくなれる。それがわたしの目指す所。

――強さもまた、極めれば一種の美だ。『残酷さ』さえも、例外ではない」


「では……すべてはご自身を飾るためだと? 人を殺すことも、組織を乗っ取ることも、ナノマシンウィルスとやらを創ることも」


「それがわたしの選んだジャンルだ。人生という名のゲームのな。

――しょせん命はうたかたの夢。すべては暇つぶしの遊びにすぎない。だが遊びであればこそ、本気でやらねば面白くない」


「良い部下を持つことも、それに含まれるでしょうか?」


「ああ。トロフィーコンプリートには必要不可欠な実績だろう。最高の主人とはつまり、最高の騎士を持った者だろうから」


 その言葉通り、ヴィクトーリアは常に男のそばにあった。

数年後、完成したミュータントウィルスの被験者第一号に志願したのも彼女だった。

 『最高の部下はいればいるほどいい』、『ヴィクトーリアはわたしの剣だ』。そんなアークフィンの言葉にそのまま応えるかのような能力を、ヴィクトーリアは手に入れた――肉体そのものを剣とし、自分自身を量産する能力だ。

 だが――ここで研究は壁に突き当たった。


「ナノマシンウィルスのコンセプトとは、姿だ。

ミュータント化した人間は自己修復機能を持ち、心臓を抉られなければ死なないし老いない。不老不死の薬としてはこれでいいかもしれないが――姿形が変わっては意味が無い」


 ナノマシンウィルスは共生生物だ。それも単なる寄生ではなく、宿主となった人間の肉体全体を苗床化してしまう性質を持つ。つまり、ミュータント化した人間は、以前とは全く別の生物と言っていい存在になるのだ。

 (この時代はまだ生まれていないが)ガブリエル・ピースメーカーのように姿が変わらない者も確かにいるが、そんな特殊個体はミュータント全体でも1%未満に過ぎない。大半はヴィクトーリアやアダム、ジャックが狩ってきた野良のように異形化してしまう。そしてウィルスを投与してどんな変化が起こるかは、開発者であるアークフィンにも予測がつかなかった。


「感染者の心臓が急所となるのは、ウィルスにとってそこが中枢だからだ。ミュータント化した人間は体内のウィルスこそがその本性、神経系は役をなさなくなる。ウィルスを循環させる心臓が、脳にかわって司令塔の役割を果たすようになる」


「……わたしにはよくわからないのですが……既存のミュータントから、心臓を移植するわけにはいかないのですか?」


「実験してみたが、ダメだ。心臓はあくまでもウィルスの司令塔。ウィルスを増殖させる造血能力は肉体が担っている。心臓を肉体から切り離せばどちらも死滅してしまうんだ。

外見が変わらないウィルスを開発するのが手っ取り早いんだが、それは難しそうでな。ウィルスをばらまいて、都合のいい能力を持った個体を探す方が早いかもしれない」


「都合のいい能力?」


「ウィルスの増殖能力と中枢機能を兼ねる、特殊な心臓――『鉛の心臓』とでも呼称しようか。その条件を満たす心臓なら、他人に移植することができる。デメリットなしで不死性が手に入るだろう」


 問題は、ミュータントの標本数だ。

 ウィルスを投与された人間のうちおよそ半数は、ミュータントとして覚醒した時点で変異に耐えられず死ぬ。この時アークフィンはまだ支部長どまりで、自由にできる人数や金額には限度があった。

 目当ての能力を持ったミュータントの厳選には、膨大な試行回数が必要となるはずだ。到底この時点では不可能な計画である。


「ウィルスを効率よく拡散させるなら、麻薬に混入する必要がある。また、各地で発生するミュータントの情報を掌握するのも、今の地位では不可能だ。

――ボスの不在を見計らって、クーデターを起こす。麻薬事業を乗っ取り、ナノマシンウィルスを生産ラインに載せる。麻薬のアガリを独占すれば、ボスの首も射程圏内だ。

あの日の約束を果たすぞ、ヴィクトーリア。わたしたちの国を手に入れる時だ」


「どこまでもお供いたします。勝利万歳ジークハイル、わが君よ」


 ――この年、『千年至福』内で政変が起こった。

 ミュータントが〈六区〉に出没し、人を襲う事件が多発するようになったのも、同年からのことである――














(……そんなことのため? 全部、全部、そんなことのために?)


 アークフィンは過去のすべてを語った。〈六区〉の人々がミュータントになり、またミュータントに殺されてきた事も、ユーチェンの人生が狂った事も、すべては彼個人の『美容』のために起こったのだと。

なんという男だ――ユーチェンは、怒ることすらできずただ絶句する。


「世界征服ってやつも、ミュータントの標本数を増やすためだけに……〈六区〉で目当ての個体が見つからなきゃ、宇宙全域を人体実験場にする気だったってわけか。

――だが腑に落ちねえ。なぜ隊長が、貴様の目当ての能力を持っていると分かるんだ?」


「『鉛の心臓』の判別方法は、宿主を再生する時の挙動だ。

通常のミュータントなら、肉体を欠損した時、その部位にウィルスが霧状に集まって再生する。対して、傷口から再生部位がタケノコのように生えてくれば『鉛の心臓』だ。ウィルスを信号で操るのではなく、中枢である心臓が直接ウィルスを流してくるわけだからな。

――よくぞ私に貢ぎ物を運んできたな。褒めてやるぞ、ジャック・スワローよ。君は本当に役に立つ部下だった」


 そうだ。ユーチェンがヴィクトーリアに腕を切断された時、確かに回復の仕方がガブリエルや、ジャックがこれまでに戦ってきた他のミュータントとは違っていた。

 嘲弄に、ジャックは何も言い返せない。彼がこれまでやってきたこと全て、アークフィンに踊らされていたに過ぎなかったのだ。組織への反逆を決心し、ユーチェンを助けてきた事さえも――。


「違うぞジャック! お前は何も間違ってない! 隊長の心臓さえ渡さなきゃ、俺たちの総勝ちってことだろうが!」


「できないね! 所詮君らはエサなのだ!! このわたしの糧――美の糧だッ!!」


「ふざけるな貴様ぁっ!!」


「ハハハ……! 好きにわめけよ、ショウ・ユーチェン! わたしへの復讐を誓った生き方も! ツギハギだらけのその躰も! 化粧品の容器に過ぎなかったのだからな!!」


 アークフィンの哄笑が止まらない。止めることが、できない。

 ガトリングも、ミサイルも、剣も、拳も、この男には全て通じていなかった。光球の分身があらゆる攻撃を完璧に防御し、本体が的確な反撃を差し込んでくるのだ。


「しィィッ!!」


「――ぐぁっ!?」


(く、やはり違う……ヴィクトーリアとは似ているようで違う! この分身は身代わりなどではない……むしろ、本体の攻撃の補助に徹している! 分身に防御の役割を託すことで、磨き上げられた武術の業を最大に発揮しているんだ……!)

 

 ヴィクトーリアの本領は、目にもとまらぬ高速移動と、能力の正体を見抜かねば永遠に殺せない不死性だった。それゆえに、見切ることさえできれば脆い。

 だがこのアークフィンには、そのようなつけ入る隙は微塵もなかった。ミュータントの不死も超常的な能力も持たず、サイボーグの改造手術すら受けていない、純粋な人間としての『武』だ。


ァァァ――ッ!!」


ァァァ――ッ!!」


 アークフィンがエドを殴り飛ばした瞬間に、ユーチェンが突貫した。

 目にもとまらぬ素手の攻防が繰り広げられる。一撃の重さを武器に攻めるユーチェンと、分身の圧倒的な手数で堅い防御を展開するアークフィン。その最中に射撃で横槍を入れても、なお防がれるのだ。


「ハハハ……どうした? ミュータント以外は殺せない……かッ!?」


「――く……!」


 喉を狙った鋭い手刀。思い切りのけぞって回避したユーチェンの皮膚が切り裂かれ、白色の血がにじみ出す。


「爆破テロとやらで父親ともども死んでおけばよかったものを。こんな醜いサイボーグになっても、なお生き恥をさらしているのだからな。

――おっと、死んでもらっては心臓が手に入らんか……救助した警察に感謝せねばならんな、ハハハ!」


「!!」


「……醜い……だとッ!?」


 悔しさに顔をゆがめるユーチェン。ジャックは飛び込み、ライトサーベルを振り上げて切りつけた。

 ――その刃が、つままれた。アークフィン本人の手に重なって、一基の『レギオン』から伸びた手が、二本の指でエネルギーの刀身を白羽取りしていたのだ。


「ほう? ずいぶんといきり立つもんじゃないか? ま、確かに顔はいい方だな。それも半分機械じゃ台無しだが」


「おれは、この人に目をもらったんだよ! 片腕なくしても他の人のために戦って、苦しんでる子供に足をやっててさ! あんただって全部見てただろ!? 

――ユーチェンさまは綺麗なんだ! そんなことも分からないで、何が美容だよ!!」


「ハハハハハーッ!! ギャングの分際で、自己犠牲を語るか!? ――この女はそんなんじゃないね! 恩を着せたって感じがしなきゃ、プライド保ってられないんだろうが!!

いつも自分を傷つけてなきゃ、生きてる心地も感じられない……歪んだ『ボディチョッパー』にすぎないッ!!」


「……ああ、そうかもな! 貴様とは正反対だ!!」


 他人を傷つけなければ生きている実感がない男。ユーチェンが『ボディチョッパー』ならば、アークフィンもまた『ボディチョッパー』なのだろう。

 ここでユーチェンが全力でストレートを振り抜いた。ついに『レギオン』の三重防御を突破し、アークフィン本体の胸に拳を叩き込む。


「ゴハッ……! ……ハハハ。さすがに効くな」


(浅い! やはり勢いがそがれる……!)


「醜いかどうかはともかくとして、少なくともサイボーグである事実はここでは不利だ――気付いていないのかね? さっきから自分たちが、じわじわ負けに近づいていると」

 

「……! 第二コンテナがエラーを……!?」


 周囲は灼熱の溶岩だ。空中からも地面からも、熱気が伝わってきている。三人とも頭に血が上っていて気づかなかったが、すでに機械部分はオーバーヒート寸前だった。アークフィンの深紫の髪も、汗の湿り気を帯びてきている。


「サイボーグの疑似体液は冷気に強いが高熱に弱い。排熱が追い付かなければ体そのもののレスポンスが下がっていく。そろそろ頭がゆだってきたころだろう。

――さあ、戯れはしまいだ! 行け『レギオン』ッ!!」


「なにッ!?」


 オレンジの光の球が、全てアークフィンの手元から離れた。ジャックとエドゥアルトの前で二体ずつ形をなし、襲い掛かる。


「エドさん!!」


「他人より自分だ! 身だけ守ってろ!!」


「でも……!」


 これでアークフィンは丸腰だ。だがジャックたちもユーチェンを助けに行けない。

 ――大将同士、完全なるタイマンだ。


「貴様……正気か?」


「いまさら聞くまでもなかろう」


 数秒間の沈黙の後で、黒い火山岩にひびが走った。

 同時に飛びかかった二人の踏み込みの衝撃だ。ユーチェンが熱気を切り裂いて拳を振るう。


「『シアー・ハート・アタック』!」


「――『業火ハンド拳爛プルーム』ッ!!」


 半身になり、最小限の動作で避けたアークフィンは、爪を立てた手を溶岩の固まった大地に突き刺した。

 勢いよくそれを引き抜いて――前方に、大爆発を発生させる。小さな稲妻を走らせながら、溶岩が地面から噴き出したのだ。


「どこが拳法だ貴様ッ!」


「これが我流のいい所だろうが!!」


 義手からクロスボウ『ゴッドフリート』を出し、連射するユーチェン。回避行動で、飛行できないアークフィンの軌道がある程度絞られる。

 至近距離に詰め寄り、手刀と手刀が交錯した。ユーチェンの頸動脈が切開され、アークフィンの眉間が深々と切り裂かれる。


(互角! 分身なしでもこれか……!)


(五分……といったところか)


 つくづく戦慄するしかないアークフィンの技量。それでもユーチェンには回復能力と言うアドバンテージがあり、アークフィンは致命傷を負えばそれで終わり。

 しかし、ユーチェンは人間の生存への本能を信じている。二つの矢を持つ者は、足を掬われる余地をどうしても残してしまうものだと。死地に立たされているのはむしろ自分だという予感がどうしてもぬぐえない。


「悪いが水入らずにさせてもらうぞ! 心臓を貰い受ける!」


「少年! 単独では危うい、エドと合流するのだ!」


「二人ともやってるんです! でも……!」


 『レギオン』の立ち回りは完璧だ。未熟なジャックは、エドと合流どころか立ち位置すらままならなかった。どんどん押され、仲間たちから離されていっている。エドもまた近接攻撃の方法を欠くため、二基の『レギオン』に劣勢だった。そもそも『アリコーン』自体、仲間との連携に特化した機体なのだ。


(……こいつら、自律駆動にしてはフェイントも効かねえぞ? まさかアークフィンが直に操作してんのか? 隊長との格闘をこなしながら……? どんなマルチタスクだ!)


(ヴィクトーリア様のクローンが常に五人組だった理由がわかった。これをマネてたんだ……! やばい、どんどん押される! 距離空けたいのに、背中向けたら殺される! ――ユーチェンさま……!!)


 ジャックはいてもたってもいられない――訳の分からぬ吐き気がこみあげている。

 アークフィンとの力の差の問題ではない。今ユーチェンを独りにしたら、取り返しがつかない事が起きるという予感がある。エドとジャックとユーチェン、三者が等しい距離で切り離されつつあった。


「ここだ! 戻れッ!!」


「――あっ!?」


(――はめられたか!)


 ジャックとエドの反撃が、同時に空振った。二人の前から『レギオン』が消えたのだ。

 四基の『レギオン』が全てユーチェンを取り囲む。アークフィン本体は頭上へ飛んだ。助けに行ける者は誰もいない。


「『百禍ファウフル繚乱ブルーム』!!」


「――がぁぁぁぁッ!?」


 四方に散った『レギオン』が火山岩の地に手を突き刺し、マグマを爆破した。

 四つの『業火・拳爛』が、ユーチェンのいる中心点で収束し、炸裂する。サイボーグの重みをものともしない衝撃で、ユーチェンは宙へと吹き飛ばされた。



った」



 ――ヅグン……ッ

 その時ユーチェンは自分の体内で、何かが蠢いた音を聴いた。



「……あ……!」


「……え?」


 ジャックとエドは、何が起こったのか理解できなかった。

アークフィンは、打ち上げられたユーチェンに一度だけ触れたのだ。ユーチェンは地面に叩きつけられたまま動かない。彼女を見下ろすアークフィンの手には、何か小さな医療器具が握られていた。


(圧力注射器……?)


「ナノマシンウィルスを創ったのはこのわたし。古来より毒を操る者は、その解毒剤を必ず持っていた。自分の武器が、自分に牙を剥いた時に備えて。

――なんだと思うかね? わたしが今、ショウ・ユーチェンに投与したのは」


「……ユー、チェン、さま……?」


「……少年。エド……」


 全てに気づき、ジャックの呼吸と時間が止まった。

 ウィルスへの解毒剤といえば抗体に決まっている。そしてミュータント化した者にとって、ウィルスとは自分の存在そのものだ。それが『解毒される』ということは、つまり――


 ユーチェンとジャックは、同時に見つめていた。

 ――彼女の肉体が、粒子になって消えていく様を。


「あ、あああああああっ!!!!」


「隊長ッ!!??」


「……フン。我ながらあっけないものだな」


 必死でユーチェンの手を取るジャック。それが彼の握る力で、砂の城のようにもろく崩れ落ちる。

 それを目の当たりにした時、ジャックの世界がひび割れた。思考が止まる。ユーチェンに触れることもできずただ固まるジャックの頬に、残った義手がゆっくりと添えられる。死にゆく彼女は笑っていた。不器用な、泣く子をあやすような微笑み。


「隊長として、最後の命令だ。――私が倒された以上、もはや奴には勝てん。心臓はおとなしく渡していい。奴に勝たせてやるのは癪だが、君らが殺されずに済む望みがある」


「――そんな! あなたまで殺されて、黙っていろと言うのですか!!」


「……機は見極めろ。命は、捨てるな……。

――ごめんな少年。死んでしまった」


「~~~~~~っ!!!!」


「だから君らは生きてくれ。お願いだ。私を、負けにしないでくれ」


 ユーチェンの眼から焦点が失われていく。狂いそうなプレッシャーの中で、なぜかジャックの感覚は異様に鮮明だった。彼女の最期の言葉を聞き逃すまいと、本能が稼働しているのか。


「……ああ、でも……まだ……少年を、外の世界へ連れて行ってない。宇宙は、こんな陰気な星ばかりじゃないんだ……。

――死にたくない。……まだ君に、美味しいものを……」


 ――ユーチェンの肉体が、四散する。

 後に残るのは義手や骨格、そして『心臓』のみ。伸ばした手の前で消えた彼女に、ジャックは涙すら出なかった。糸が切れたように体中が言う事を聞かなくなり、溶岩が煮立つ音だけが耳に響いている。


「ハハハ、やはり理論は正しかったな。ウィルスが駆逐されても、その器たる心臓は無傷で残る……計算通りだ」


「――ぐ……う……! き、貴様ァァァァァ――――!!!!」


「尚も来るか! いいだろう! とことん付き合ってやるぞッ!!」


 ウェポンコンテナを全開にして、『ホーン・アスペクト』のエドがアークフィンに襲い掛かった。重なった爆発を残して二人の姿がどこかへ消える。

 ジャックは目もくれなかった。ユーチェンの塵が舞う中で、座り込んだままだ。


「ユーチェンさま。おれは、知りもしない外の世界など興味がありません……どこかへ行けるとしたら、それは決着をつけてからです。

きっと死ぬでしょう。ギャングスターのおれは、きっとあなたのいる天国には行けないでしょうが――生きていても、どうせあなたはいませんから」


 ――だから、行きます。

 ジャックはそう言って、ユーチェンの残骸を手に取った。レーザーサーベルで右腕の義手を切り落とし、ユーチェンの大きすぎる義手を代わりに装着する。そして――




「『シアー……ハート、アタック』ッッッ!!」




 鋼の拳を自らの胸に向け、切腹するように一息で貫く。

 青い血がドクドクと漏れ出す風穴の中に、震える手で『心臓』を近づけていった。












「禍ァァッ!!」


「くぅっ……!」


 アークフィンとエドゥアルトの一騎打ち。いや、『レギオン』を入れれば五対一の戦いだ。

 敵チームの切り離しにリソースを割く必要がなくなったことで、アークフィンは凄まじい手数を存分に活かしてくる。ただ『レギオン』を追従させるだけでも、一度のパンチが自動的に五連撃になるのだ。


「『アリコーン』! パージだ!」


「ほう?」


 エドは、オーバーヒートで機能不全を起こしたウェポンコンテナを切り離した。重さがなくなり多少なりとも速度が上がる。

 だが、アークフィンは驚くべき跳躍でエドに追い付いた。空を飛べるサイボーグ相手に、自前の脚力で跳ぶだけで渡り合っているのだ。


「ハハハ……賢明だが、もう残弾が少ないのではないかね? それとも、このわたしを相手に格闘でも挑んでみるか」


「ピョンピョン跳ぶな。這ってろ」


 つかんだアークフィンをエドがふりほどく。だが、パージによって重心がずれたことが災いし、その動作で小さくよろめいた。アークフィンは翡翠の目を光らせ――瞬時に、危機を察知した。

 エドは体勢を崩したふりをして、ビーム砲の照準を合わせていたのだ。地べたに放置された、火薬を満載したままのウェポンコンテナに。それはちょうど、アークフィンの着地点だ。


「『レギオン』! わたしを殴れ!!」


「――チィッ!!」(気づかれた!!)


 『アリコーン』が熱線を発射した。同時に『レギオン』がアークフィン本体を殴りつけ、軌道をそらす。本体の身代わりに落下した『レギオン』が、撃たれたウェポンコンテナの誘爆に巻き込まれた。


(しくじったが残り三基! 機動力ではこちらが勝る! 疲労を待てばいずれは……!)


「……やれやれ。少し遅れたか」


 煤をかぶったアークフィンが消える。気づいた時には、エドと同じ高さにいた。

 ――跳んだのではない。壊れたはずの光の翼を再び展開し、浮遊していたのだ。


「な……」


「ウィルスだけがわたしの研究じゃない。ナノマシンにはまだ豊かな可能性が眠っている――生物の肉体を修復できるなら、機械を直せぬ道理はない」


「じ、じゃあ……まさか!?」

 

「いいや、『レギオン』は精密中の精密マシンだ。こんな短い間には直らん――七、八分というところだッ!」


 ――では、疲労狙いの持久戦も不可能ではないか!

 絶望するエドゥアルトに、アークフィンは拳を振り上げた。すれ違いざまの五連撃。走行する列車に激突したかのように、エドの身体が吹っ飛ばされ――何かが、彼を受け止めた。エドにとって、見知った鉄腕だ。


「ひとりで突っ走っちゃダメですよ、エドさん。死ぬなって言われたでしょ?」


「ジャック……? お前、まさか!?」


 ジャックの右腕はユーチェンの義手と化し、胸部にはぽっかりと大穴が空いていた。その穴を縁取っているのは――『白色の血液』だ。

 エドを受け止めた少年は、人が変わったような淵の深い微笑みを浮かべている。まさしく、心臓と義手のもとの持ち主が、少年にのりうつったように。


「わたしの言葉もショウ・ユーチェンの言葉も聞かぬつもりだな。裏切り者のままで犬死にする気か、君は? さっさとわたしに『心臓』をくれるほうが賢明だぞ」


「フン。全部論外だッ!」


 ジャックがユーチェンの義手を振るう。だが、肉体そのものの性能や体術は、ユーチェン本人とは雲泥の差だ。攻撃も大ぶりで直線的である。


「グゥ……ッ」


「――あぁっ!?」


「ハハハ……」


アークフィンは余裕綽綽で手刀をジャックの肩に叩き込んだ。胸の高さまで深々と切り込む。

ジャックは苦痛の叫び声を上げるが――攻撃が止まらない。そのままの速度でアークフィンの顔面へ突っ込んでいく。


(!? なに……)


「こんなもん痛いだけだ! ……痛さが思った以上だけど!」


 ユーチェンの義手が、アークフィンの横顔を通り抜けていった。深紫の髪が何本か斬られ、宙に散る。ジャックも瞬時に気を取り直し、再び攻撃態勢に移った。


「エドさん、合わせて!!」


「あ、ああ――!!」


(なるほど。ここにきてミュータントの強みを活かしてきたか! 不死身という、種としての特性を)


 ユーチェンはまだ敵の手の内が読めなかったこともあって、出来る限り傷をもらわないようにしていた。技量に自信のないジャックは、ひたすら身を削っては生き返るゾンビ戦法を繰り返す腹積もりのようだ。


「いいだろう! 君らの覚悟に応えてやる! クライマックスといくとしよう……!」


「!? なんだ――」


 アークフィンが手をかかげた。まだ何かあるのか? ジャックとエドは危険を察知して距離を開ける。

 すると、周囲に恐ろしく巨大な震動が走り始めた。爆発の余波などというものではない。この地下都市を形成する大地が――星そのものが、揺れている?

 ――瞬間、天と地の両方が噴火した。凄まじい量のマグマが、一気に空間全域へ雪崩れ込んでいく。



「ハーハハハハハハハハハァ!! 美しい……ッッッ!!!!

これでこそ、わたしの住処にふさわしい……!! やっぱりこうでなくてはなぁー!!」



轟音の中でただ一人、アークフィンが甲高い笑い声をまき散らしている。

溶岩に破壊されていく街の風景に包まれ、光の翼を広げる彼の姿は、まさしく魔王そのものに見えた。


「き、貴様……何をしたのだ!?」


「『主は、ソドムとゴモラの上に天から硫黄の火を降らせ……! これらの町を、低地一帯を! 民を、ことごとく滅ぼされた』……!

この地底都市は、溶岩の流れを変える力場によって維持されているのだ。……その管理権限を持つのは無論わたし。いま、それらを全て切った!」


「……そんな……こ、これって、いったい何百万人……」


「二千万だッ! 一時間後にはそのほとんどが、溶岩に飲まれて死に絶える! じきにこの街も空間ごと崩壊することだろう! 

――さあ、ひざまずいて感謝するがいい!! わたしが手ずから、君らのために最高の舞台を用意してやったぞッ!!」


 この星は彼の王国。この街は、彼の都だったはずだ。いまある光景はまさしく、彼が歳月を費やして創り上げた世界の終わり。しかし、アークフィン・ファウフルは笑っていた。

ジャックとエドはこの時同じことを思った――なんて、うれしそうな顔だ。人間の理解がまったく及ばぬモノが、彼らの眼前に存在していた。


「望むところだァッ!! やるぞジャック!! あいつは、あいつだけは生かしておいちゃいけないッ!!」


「はい……! 行きましょう、エドさん!!」


「ハァハハハハハァ!! 来い!! わが敵よッ!!」


 終末の中、二人のサイボーグと一人の『人間』が激突する。

 ジャック・スワロー。エドゥアルト・バッハシュタイン。アークフィン・ファウフル。最後の戦いが、はじまった。


「『レギオン』ッ!」


「ッ、離されるなジャック! 俺を盾に使ってでもいい!」


「え!? でもエドさんは傷を……」


「お前が心臓とられたら全部負けなんだよ! いいからケツにくっついてろ!!」


 分身が一基破壊されたことで、多少なりともアークフィンの防御に穴が空いた。

 だがそれでもジャックたちは不利である。ジャックが不死身になったとはいえ、それに頼り過ぎれば心臓を奪われてゲームセットになりかねない。対してアークフィンは、『死んでもいいメンバー』をまだ三人も持っているのだ。


(二基……いや、最低でも残り一基まで削らなきゃ勝てない! それも修理が終わるあと五分ぐらいの間に……!)「――『アリコーン』!」


「ハァァッ!!」


 エドは相変わらずミサイルとビームを混ぜ合わせた防御偏重の戦いだ。単純ゆえにアークフィンにも崩しにくい。

一方ジャックは左右で重みが極端に違う体を生かして、回転のひねりを加えた攻撃を繰り出すようになっていた。不格好だが形にはなっており、威力は十分だ。


「攻め続けろジャック! 疑似体液の過熱なんか考えるな! 短期戦の体力勝負に持ち込めば、俺たちビックリ人間チームに分がある! 

二人なら勝てる――いや! 三人なら、勝てる!!」


「ええ……!!」


「――!」


 アークフィンは目をみはった。その時、はっきりと見えたのだ――彼のことを睨みつけながら、ジャックの背中を優しく押すユーチェンの姿が。

 ユーチェンはジャックたちにとって精神的支柱だった。仲間同士なら彼女の幻覚が見えてもおかしくない。敵であるアークフィンにさえ幻を見せてしまうのは、ひとえにエドとジャックの気迫だろう。


(かっこいいな。この覚悟と勇気、敵のわたしでさえ胸打たれるものがある。

――調。事はすべて計画通りに動いている……)


 アークフィンの心情が少年たちの戦いぶりを素直に称賛する一方で、彼の胸の中にある『無表情のそろばん』は、そう結論を下していた。

 彼にとって今最も恐れるべきは、ジャックがこのまま〈六区〉から脱出し、『心臓』を回収不能になってしまう事態だ。それだけはなんとしても避けなければならない。まだ見ぬ敵がこの首都に侵入し、ジャックたちのために帰還手段を用意している可能性は、アークフィンにとって無視できるものではなかった。

 再三ユーチェンに罵倒を浴びせたのも、首都・下層を崩壊させてまでジャックを挑発したのも、すべてはこの恐れを回避するため。彼らを勝負の土俵に引き込み、逃げ道を自ら断たせるためだ。


また、下手にドロイドや戦闘艦をけしかけるのも逆効果だ。敵に武器や、下手すれば逃げる乗り物を与えることにもなりかねない。

 自分だけで戦うのが一番いい。正面から立ち会えれば、たとえ三対一でも勝てる。アークフィンにはその自信があった。だからこそ単身、ユーチェン達の到着を待っていたのだ。


「フン! なにが美容だ! なにが永遠の命だ……! あんたなんかが『心臓』を受け取ったところで、きれいになんかなれるもんか!!」


「今以上は求めていない! 現状維持でよいのだよ!!」


「んなこと誰が言ってんだ!!」


「ユーチェンさまが持ってこそ、この『心臓』には価値があるんだ! 誰にも渡してたまるかよ……!!」


「ハハハ……さっきからマフィアのボスに対して、ずいぶん青臭いセリフを吐いてくれるものだ! 美しさなどは、あくまでも自己判断に過ぎない! 

――そして人の美感とは、いつの世も『自分に無いもの』に惹かれるもの! 『強さ』と『正義』を持つユーチェンに君が惹かれたようにな。憧れの基準はいつでも自分! 君はただユーチェンという鏡に自己を映して、陶酔しているだけなのだよ!」


 『自分に無いもの』は、いつも鏡だけが知っている。鏡の中の、自分だけが。

『世界で一番美しいのは誰?』とは、誰に向かって発せられた問いでもない。つまりは単なる自問自答。『わたしに足りないものはなに?』――と。


「だから消えなきゃいけないんだ! あんたは……!」


「――なんだと?」


「『自分に無いもの』なんて、探そうと思えばいくらでも探せる! あんたの言う美容とやらが『それ』なら、ユーチェンさまの心臓を手に入れたって満足するはずがないじゃないか!? またろくでもない事考えて、大勢の人を不幸にするに決まってる! 

――おれたちが止めなきゃダメだ。あんただってもう、止まらなきゃダメなんだ!」


「貴様は、うぬぼれ屋の女王だ。鏡の中の自分に向かって終わらない自問自答を繰り返す、コンプレックスにまみれたちっぽけな人間だ! 巨悪のようなツラをするな。結局、自信がないから開き直っているだけだろう!

――ないものねだりの果て無き餓鬼道! そんな人生、これ以上歩んでも虚しいだろ!」


 ここで初めて、アークフィンの表情が歪んだ。

 怒りでもない、悲しみでもない、ただ瞳孔が開いただけの無表情。コンマ数秒ほど素に戻ったことに気づいた彼は、すぐさま顔面に裂け目を生じさせた。曇りなき、魔王の笑みだ。


「ハハハハハ! ……その通り……その通りだ……ッ!!

だがな! それでも行くしかないのだ! 生まれてきた以上は……生きる道をそれと、ひとたび決めた以上は! 終わるわけにはいかぬ……行く先に、道が続いている限り!!」


「かわいそうだな、お前は」


「それを決められるのはわたしだけだ!! 君らではないッ!!

『満足』など! 『果て』などッ! わたしの生には不要なものだ! ――叶わなくても夢を追うから、人は輝くのだろうがァッ!!」


 目標を追い、自分の人生を充実させる。その方針そのものは人として当たり前でも、アークフィンの場合は過程が最悪過ぎた。麻薬・臓器密売の蔓延。ミュータントウィルスの製造と拡散。そして世界征服計画。生きがいを求めてさまよった結果、他の人類にとってことごとく致命的な経路をたどり続けていたのだ。

 歪んだ生まれに責任は問えない。そぐわぬ世界でもがき苦しむ『悪』に、引導を渡してやることが『正義』の役割である。


「……わたしの芯はこれで語った。だが君は何なのだね、ジャック・スワローよ? わたしはいろんな人間を見てきたが、どうも君は本質がよく分からん。

――君は今、なんのために戦っているのだ? ……ハァ、ハァ……」


「……うおおっ! そ、そんなもん、『心臓』をあんたに渡さないために決まって……!」


「ハァ……ハァ……! それは、義理に過ぎない。もっと根深い理由が他にあるはずだ。『心臓』は、ショウ・ユーチェンが持っていてこそ価値があると自分で言ったろ。だったらなぜ躍起になって守るんだ? ユーチェンが死んだ今それは、君にとってただのガラクタのはずだ。

――君がそこまでショウ・ユーチェンに肩入れする理由はなんだ? そんなに警察の正義が性に合ったのか」


 話しながらも、アークフィンは一切『レギオン』との連携攻撃を止めない。

 ――自分でもわからない。ジャックはそう思った。こんな状態でわかるはずもないと。胸を締め付ける謎の痛みは、心臓を替えたせいだと誤解していた。胸に穴を開けた少年は吼えた。


「わかんねぇ……わかんないよ、そんな事ッ!」


「なら……君はわたしには勝てんさ! ……フゥ……フゥ……! 生きる意味さえ自覚せぬ子供などに――このわたしを、殺せるものか!!」


「ッ……来るぞジャック! 腹をくくれ――ッ!!」


 体力の限界点を迎えたアークフィンが、ついに最後の攻勢に転じたのをエドが察知した。

 『レギオン』が二基エドの方へ、一基がジャックの方へ向かう。アークフィン本体を丸裸にするこのフォーメーションは、まさに決着をつける意思表示。

 エドに多くの『レギオン』を割いたアークフィン本体は、ジャックへ向かって駆けた。ジャックが心臓を奪われるか? アークフィンが、斃れるか? すべてがこの数秒で決まる……!


「ケリをつけるのはやはりこの技……! ガブリエルとヴィクトーリアを殺した技!

――『シアー・ハート・アタック』!!」


「――パージ!!」


 空を抉りこんで飛来するアークフィンの掌。ジャックは空中で捻りを加え、刃のついた義足を丸ごと射出した。

 それは顔面に命中する――『レギオン』の最後の一基の、顔面に。ギリギリで防御したアークフィン本体のもう片方の手には、ユーチェンを倒したあの――


(圧力注射器!? 『シアー・ハート・アタック』はブラフ……!)


(しのいだり……! これで! 勝利だッ!!)


「――! ジャック――――ッ!!!!」


 悲鳴を上げたエドの隙を突き、二基の『レギオン』が彼のレーザー砲と、足を切断した。

 これで彼に残るのは飛行能力とわずかなミサイルのみ。対してアークフィンは、まだ二基の『レギオン』を残している。


「……が、はっ……」


 抗体を撃ち込まれたジャックが、白色の血を吐いた。

 全身の筋肉が脱力し、慣性は完全に失われる。足剣を失ったジャックに、もはやまともに使える攻撃手段はない。ライトサーベルや火薬銃がアークフィンに当たるはずもないのだ。

 アークフィンが注射器を捨て、ジャックを落下させようとした。――その時。


「――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!」


(な……!!??)


 超重量を持つユーチェンの義手が、再び持ち上がった。

 ありえないことだ。もともとジャックの筋力では満足に扱う事すらできない。まして、踏ん張りもなにも効かない空中で――即効性の猛毒である抗体を打たれているのに。


(……ショウ・ユーチェン!! ……ジャック・スワロー……!!)


 彼は再び、ユーチェンの姿を見た。

 ジャックの姿に覆いかぶさり、怨敵に向かって全霊の一撃を振り抜かんとする雄姿を。彼の全細胞が悲鳴を上げた。アークフィンでさえ信じられない事態が起こっていたのだ。


(おれ達なら、やれますよね……)


(もちろんだ。少年)


ユーチェンの腕は、ジャック一人では振れない腕。しかし今の彼には、二人分の力が宿っているのだ。

手刀が分厚い大剣となって、横からアークフィンを斬りつけた。アークフィンは迷わず正面から、義手めがけて拳を突き込む――!

 




オオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ―――――――――!!!!!!」




アアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ―――――――――!!!!!!」





 

 ――ふたりの咆哮が終末を揺らす。

それが止んだ時アークフィンの拳は打ち砕かれ、ジャックの手刀が敵の身体を真っ二つに切断していた。











「エドさん。無事……ではないですね、それじゃあ……」


「バカ野郎! こんな時まで他の奴のことばっかりかよ……!?」


 片足をぶった切られたエドを見て、ジャックは苦笑いしている。

 落ちて来たのを救助された時には、ジャックの身体は既に半ば粒子になりかけていた。体の末端が消え、機械の骨格が露出しはじめている。


「お互いボロボロですね。勝ててよかったです」


「クソッ、なんとかならねえのか。アークフィンの奴の研究所になにか……」


「このザマじゃもう無理でしょう。エドさんだって変にうろついたら危ないですよ」


「なんでそんな落ち着いてやがんだよ!? お前、このままじゃ死ぬんだぞ!?」


「……多分もう、どうにもなりませんから」


 優しい声色のジャックの言葉に、エドは泣き崩れた。

 溶岩にのまれ壊れゆく都市。車、飛行機、宇宙船、あらゆる乗り物が狂乱したかのように、地上へ繋がる宙港へ殺到していた。


「……エドさん。おれ、田舎者でしたから……街に行ったりバイクに乗ったりするの、すごく楽しかったです。もし生まれ変われたら……また、後ろに乗せてくださいね。

――リリィをよろしくお願いします。義手の中にいたみたいなので……」


 ユーチェンから受け継いだ義手を、ジャックがエドに握らせて――その瞬間、目の前で噴火が起きた。

 熱気とガスにエドはせき込み――気づけば、ジャックは消えていた。腕の中に残るのは、託されたユーチェンの義手のみだ。


 それからいつまでエドが泣いていたかはわからない。だが、自分で思っているよりきっと、彼は早く泣き止んだ。あるいは泣いたまま飛び立ったのかも知れなかった。


 ――隊長ショウ・ユーチェン。隊員ジャック・スワロー。ともにシディムポリス下層で戦死。

エドゥアルト・バッハシュタインは、帰還後にそう報告している。

 

 








「……飛ばされた」


 死にかけのジャック・スワローは、噴火で吹き飛ばされたせいでエドからはぐれ、どこか分からない岩場に転がった。

 そんなに離れてはいないだろうが、いま叫んでもエドには見つからないだろう。もう一回見つけてもらったところで、もういくばくも生きられない。最後にせっかくいい友達ができたのだ。無駄に悲しませることもないだろう。


「ユーチェンさま……おれ、お役にたてましたよね……?」


「――なにを潔く死んでるんだ、君は」


「――えっ!?」


 安らかな気持ちになっていたジャックは仰天する。――アークフィンだ。彼の転がっているすぐ右隣に、死にかけの彼がいた。

 ジャックも大した状態だが、アークフィンの容体はそれを遥かに上回っていた。義手の手刀を右肩から左胸にかけて振り抜かれたおかげで、胴体がごっそりと切り落とされている。もはや残っているのは、右腕と右肩、頭部のみという有様であった。


「いや、なんでそれでしゃべれてんだよ。あんたやっぱり人間じゃないだろ……」


「うるさい。死んでいくのも案外ヒマなんだ。この際君でもいい、付き合え」


「はあ……?」


「質問の答え、まだ聞いてないだろ。君がショウ・ユーチェンに味方した理由を言え。本音でだ」


「……本音ってあんたな……。結局自分が納得できなきゃ、そんなもん建前だーって言うんだろ?」


「そうだな。わたしもこうして殺されてるわけだし、納得できなきゃ納得しない。わからないとは二度と言うなよ」


 ただでさえ面倒な男だったのに、死にかけているせいで余計にしつこくなっている。

 とはいえ、ジャックも少し考え直していた。当初の目的は『組織の真実を知りたい』だったが、今にして思えば、ユーチェンの方も全面的に納得はしていなかった気がする。しばらくはジャックのことを、組織に寝返るのではないかと疑っていた。それは彼女もジャックの言う事を、本音だと感じていなかったからではなかったか。


「一目惚れだったと思う」


「……なに?」


 気づけば、そんな言葉が口をついていた。

 アークフィンでさえあっけにとられている。だがジャックには、そんな言葉でしかここ二日ほどの行動を説明できなかった。


「ユーチェンさまは、おれにとって親代わりだった人を殺したけど……血にまみれても自分なりの正義を貫くってのは、かっこいいと思った。金と上下関係だけのおれたちには、考えられない生き方だったから。それにあの人は、数秒前まで敵対してた俺に、損得抜きで目をくれたんだ。復讐されるかもしれないのにな……。

あの人に会っておれの世界は変わった。あの人の役に立ちたかった。いつか同じ景色が見てみたいと思ってた。それが恋かどうかはおれにはわからないけど、惚れこんでたのは間違いないよ」


「……」


 


 



「確かにあんたの言う通りかもな。おれは子供だったってことだろう。特別でもなけりゃ立派でもなかった。自分の好き嫌いでしか動いてない、ただのガキだ。

――笑い飛ばすなら勝手にしろよ。もうこれ以上しゃべることもない」


「……いいや」


 ジャックは顔を横に傾けてアークフィンの顔を見る。彼はまったくの虚無の表情で、空を埋め尽くす岩盤を見上げていた。

 不気味ではあったが、不思議とあの悪魔じみた存在感は感じられない。これが、アークフィン・ファウフルという男の本性なのだろうとジャックは思った。


「納得したよ。君らはヒーローだ。ヒーローは、それでいい」


「……なんだよそれ?」


「わたしは生まれてきたくはなかった。それでも生まれてきた以上は、何者かになりたかった。だから、世界一の美を手に入れることにしたんだ。その夢を追っている間は、人間になれると思った。満足したらそれで終わってしまうから、意地でも満足しないつもりだった。

だが今はもういい――少年少女が、愛と勇気で、悪を滅ぼす物語。たとえヴィランとしてでも、その一員になることができた。一番近くで、その結末を見届けることができた」


「フン。おれたちゃあんたを満足させるために、戦ってきたわけじゃねぇっての……最後の最後までムカつくな、あんたは」


「言ってろ。ヴィランとはそういうものだ……」


 吐き捨てて、アークフィンが岩場をつかんだ。すっかり軽くなった体を、片腕だけで動かそうとしている――ジャックの方へ。思わずジャックは血相を変えた。


「おい! まだあきらめてないのか、『心臓』のこと!?」


「この状態で心臓を取り換えられるものか。いいからそこでおとなしくしてろ。

わたしもこれ以上生きるなんてごめんだ。せっかくのいい幕引きなんだ」


「じゃあなんで……おい、ちょっと、触るなって!?」


「君も大概元気だな……?」


 消えかけの少年と、五体中二体しか満足ではない男が、わちゃわちゃとやっていた。

 そのすぐ下には流れる溶岩。逃げ遅れた車が流れながら溶け、建物の残骸が浮いている。アークフィンは残った腕で、坂になっている岩場の上へ、ジャックを押し上げていた。


「……なんのつもりだ?」


「この付近の地形にはマグマの流れがない。他から流れ込んでくるマグマの水位より上に行けば、助かる可能性がある。動けるうちに少しでも上がっておくんだ」


「は……?」


 バカにされているのかとジャックは思ったが、アークフィンは一切笑っていなかった。ジャックもサイボーグ手術を受けた身であり、機械化骨格を合わせると今のボロボロの状態でも相当重さがある。

 今のアークフィンにとって、ジャックを押すのはとてつもない難事のはずだ。現に激しく息切れを起こし、気張る苦痛に手をしびれさせている。演技とは到底思えない。


「……でも、こんなことしてなんの意味があるんだ? あんたが一番わかってるだろ。抗体打たれて、もうすぐ死ぬって」


「それでも、こんな所で死を受け入れる理由にはならん。溶岩に飲まれたら君の死体すら発見されんぞ。あきらめる暇があるならあがいてみせろ。たとえそれが無意味だとしても、命ある限り人に終わりはない……!」


「お、おい!?」


「行けよ。わたしと心中などごめんだろ?」


 ジャックを押し上げた反動で、アークフィンは岩場の下にずり落ちる。せり上がる溶岩の猛烈な熱気。

 「――もう、わかったよ! がんばってみるさ……!」そう言い残して、ジャックは上へと這って行った。歯を食いしばり、蟻のように遅く、だが着実に進んでいく。




「……世話をかけたな、ヴィクトーリア」




 露出した体内をじりじりと熱気に焼かれながら、アークフィンの乾ききった唇が岩肌に向かってそのように動いた。自ら築き上げた都と、果たされぬ夢とともに、彼は燃え尽きていくのだ。


 ――国。歴史。友。愛。学問。人体。命。マフィアの長にとってそれらは、すべて金で買えるものだ。金の切れ目が縁の切れ目、人間関係や愛情も、結局は経済基盤の上にしか存在しえない。

愛は金で買えない、愛は世界で一番尊い。そんなもの、所詮は現実を知らぬガキの戯言にすぎない。そうアークフィンは思っていた。


 この世に金で買えないものがあるとするならば、それは『出会い』だけだ。『出会い』だけは純粋なる巡り合わせであり本物の幸運。生まれてきたこと自体が不運だった彼の人生において、ヴィクトーリアという理解者に出会えたことだけは、唯一幸運だと思える出来事だった。




 ――ゆえにわたしは、後悔しない。悪くない人生だった。





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