第三章『ジークハイル、ヴィクトーリア』
惑星〈六区〉の地下一五〇キロ、溶岩地帯を谷状にくりぬいた『首都シディムポリス』下層。
暗黒色の調度品がそろえられた豪華な部屋に、燃えるような赤髪の美女が住んでいた。『千年至福』スリーナインの一人、ヴィクトーリア・カリバーである。
「やはり……こういう所でなくてはな。
煮えたぎるマグマをベランダから見下ろしながら、優雅に紅茶を飲んでいた。――熱凝固した人血が沈殿した、文字通り『紅い』茶だ。
その時、外見上だけ木材になっている入口のハッチが開く。無断で彼女の部屋に立ち入ることを許されているのは、主たるアークフィン・ファウフルを置いては、ただ『一通りの存在』のみだ。
「『オリジナル』。たった今、ガブリエル様が敗死いたしました。ヒュームのプラントも爆破され、現在消火作業中です」
「……下手人は?」
「『レッドフード』……本名ショウ・ユーチェン。そして彼女と行動をともにしている、ジャック・スワローでございます。組織の身分証でゲートを開いた痕跡もあり、彼の裏切りも確定かと……」
「奴のID権限を凍結しろ。今すぐにだ」
「はっ」
ヴィクトーリアにうやうやしく報告を上げたのは、顔も声もヴィクトーリアそのものの女。彼女は、オリジナルのヴィクトーリアのDNA情報をもとに量産された、『ヴァルキュリア』と呼ばれるクローン兵団の一人だった。
オリジナルがタバコを指でつまむと、クローンは自然とそれに火をつける。遺伝上の同一人物が、厳然たる上下関係を築いている光景だ。
「しかし完全なる敗北ではありません。ショウ・ユーチェンは仲間に救出されたとのことですが、戦闘中にガブリエル様のナノマシンウィルスを多量に吸引しており、もはや時間の問題です」
「……ガブリエルが殺されたとて、アークフィン様の計画に支障はない。あいつはもともと、銀河中に散ったナノマシンの制御者として生みだされた調整体だ。同じ設計図がある以上、倒されてもまた作ればいいだけのこと」
『――その通りだ、ヴィクトーリア』
「「アークフィン様っ!!」」
スクリーンに『千年至福』首領の姿が現れる。上下関係にあった二人の『ヴィクトーリア』が、まったく同じ歓喜の表情を示した。クールな美貌が一瞬にして崩れ、狂信者そのものの蕩けた笑みに変わっている。
「だが、それとわたしの感情は別だ。ナノマシンの制御者はまた作れても、同じ人間は二度と作れない。ガブリエルは……もういない。
――ゆえに仇は必ず取る。ジャックとユーチェンは君が討て」
「――は? しかし、ショウ・ユーチェンはすでに」
「死なんよ。彼女は復活する……必ずだ。信じずとも、その前提で行動してほしい」
画面の中のアークフィンは、研究者然とした白衣姿で、質素な栄養食を口に運んでいる。研究室で檻に入っているキメラの唸り声が、絶えず雑音として流れこんでいた。
「ガブリエルは死と引き換えに、われわれに手土産を残してくれたのだ。つまりあいつは見込んだのだよ――ショウ・ユーチェンは、ナノマシンに適応しうる稀有なサイボーグであるとな。
青い血を持つ機械化人は、本来強烈にナノマシンを拒絶する。それゆえに、緑の血と青い血は相容れないという結論に達していた。――だがもし仮に、ミュータントの血とサイボーグの血を共存させ得る者がいるとしたら。赤・緑・青の『三種類の血』を併せ持てる人間が、この世に存在するとしたら――あるいはそれこそが、『鉛の心臓』の器たりえるかもしれないのだ」
「……それが、ショウ・ユーチェンだと?」
「可能性は大いにある。これまでにサイボーグの人体実験もやらなかったわけじゃないが、あのレベルの被検体にミュータントウィルスを投与した例はない。ペンギンは〈二区〉に遠征中……今動けるスリーナインは君だけなのだ。
――ショウ・ユーチェンの捕獲、あるいは抹殺。頼まれてくれるか?」
「拝命致します」
――アークフィン・ファウフルにとって、世界征服はただの過程。
その先に求める『究極の目的』のてがかりを、今日彼はつかんだのだ。
◆
『旧市街』は、かつて〈六区〉の中心だった都市であり、現在は組織の支配下で繁華街としてにぎわっている。ひどく猥雑で薄汚く、潜伏生活には最適の場所だろう。
「――工場の爆破は、ただの陽動?」
「ああ」
渦中のジャック・スワローとショウ・ユーチェンは、エドゥアルトが経営する裏路地のラーメン屋に身を寄せていた。まったく流行っていないが、そうでなくてはならない。真の顔は、この作戦の日に備えるエージェントたちの隠れ家であるからだ。
「あんな大がかりなテロがおとりなんて……じゃあ本当の狙いはなんなんです?」
「もちろん大将首だよ。『千年至福』の首領、『ゴダイゴ』のな」
「だがテロという表現はあまり使って欲しくないな。少なくとも、民間人を極力巻き込まない努力はしている」
ジャックががらりとしたカウンターに座って厨房のエドゥアルトと話をしていると、奥からエプロン姿に腕まくりをしたメガネの女性が現れる。地味な格好をしているが、ギャングスターの観察眼はごまかせない。ジャックには彼女がただものではないと明らかに分かった。
「あ、大将激辛ラーメン一丁」
「違うだろ!?」
「冗談ですよ。で、どちらさまですか?」
「名前はサビーネ・クラム。ヴィオス星団警の刑事局長を務めている。ショウ・ユーチェンとエドゥアルト・バッハシュタインの上司にあたる者だ。
――で、味付けの方はどうする?」
「あー……じゃあ、味濃いめ麺の硬さ普通でお願いします」
「うけたまわった」
「き、局長?」
「彼はかれこれ丸一日何も喰っとらんのだろ。相手がどうあれ、店に来ている以上はお客様だ」
「そういうことではないんですけど」
サビーネは鍋に水を張って湯を沸かし始めた。……ジャックはまた冗談のつもりだったのだが、どうやら本当に彼女自身が、日ごろから調理をするらしい。エドゥアルトもてきぱきとチャーシューやほうれん草を刻んでいく。
今時珍しく食洗器すらない粗末な厨房だが、清潔感には気を遣っているようでホコリ一つ落ちていなかった。客がいないのは、単なる隠れ蓑に過ぎない店なので意図的に流行らなくしているのだろう。
「食いたい者には食わせてやるよ。だがエドゥアルトが君をここに招き入れたことには、私はまだ納得していない。『千年至福』のメンバーがどうして警察と行動を共にしている? その点、いまだに戸惑っているのだがな」
「真実を知るためです。今まで信じていた組織の正義が、本物なのかどうか」
「それは知っているよ。さっきユーチェンの記憶を見たからな。だが今のところ、それは君の言葉だけだ。信用するだけの裏付けを欠いている」
ぶっきらぼうで理屈っぽい態度がユーチェンそっくりだ。そのためか、警察特殊部隊の司令官に詰問を受けているというのに、ジャックにあまり動揺はない。他人を真に想うからこそ怖く見える種類の人間がいることを、彼は学んでいたからだ。
「裏付けって? ガブリエル・ピースキーパーの共同撃破で十分じゃないですか」
「ああ。だから、今更の寝返りは九割九分ありえない……それは私も同じ考えだ。だが、『もう一パーセント』がなければ確信までは至らん。千年至福のボスは恐るべき知能犯……今まで起こった事が全て、私たちを欺くためにはりめぐらされた奴の策略であるという疑いを、どうしてもぬぐえん。ガブリエルですらそのための生贄だったという考えもできなくはない」
「さすがに考えすぎじゃないっすか? いくらなんでもそれは……」
「私は徹底して疑り深くならねばならんのだよ――特にユーチェンに関することならな」
「……ユーチェンさまは事故の時、警察の人に拾われたって言ってました。もしかして、局長さんがそうですか?」
「それも知っていたか――ああ、その通りだよ。瀕死のところを拾い上げ、今に至るまでの彼女の成長を、全部見てきた。だから可愛くて仕方がない。個人的な気持ちだが、ユーチェンのことは妹同然に思っている」
(え、そうだったんですか!? その話俺も知らない!)
(思った以上に重すぎた……)
「――それがこんなことになってしまって、実はかなり動揺しているんだ。今にも気がおかしくなりそうな程にな。もし君がユーチェンの敵だったら、私は君を殺さねばならん。
さあ、答えてくれジャック・スワロー。私が君を信用するに足る材料を」(ゴトッ)
「ゴトッて」
「ラーメンと一緒に渡す質問じゃないでしょう……」
ジャックは蛇に睨まれたカエルの気分だった。サビーネ自身はサイボーグではないようだが、それを感じさせない迫力がある。どんぶりの湯気越しでも緩和されないほど、目の据わりようが物凄かった。
「――そう脅かさずともよかろう。私が仲間と認めたのだ。それ以上裏付けが必要か?」
「……ユーチェンさま!」
厨房の奥の階段を上がってきた者がいた。義手を外し、義足を失い、機械の部分が右顔面以外ほぼなくなったユーチェンだ。この状態で手すりもない階段を、なんと杖一本で登って来たらしい。
「お前、『千年至福』に父親を殺されたはずだろう」
「だからこそ……だ。その私が信用すると言っている」
「……フン」
口癖まで一緒だ。いや、おそらくもともとサビーネの癖だったのがユーチェンに移ったのだろう。ユーチェンは半分機械の顔に意地悪な笑みを浮かべ、上官に詰め寄った。
「しかしサビーネよ、私のことをそこまで想ってくれていたのか? 妹同然とはずいぶんな言い草ではないか」
「……忘れろ」
「抱き着いてもよいのだぞ? ほれほれ」
「いらんよ。お前が同じ空間に……というか、究極この世に存在していてくれればそれでいい」
「重すぎるわ! ――いや、そうじゃない。無事だったんですねユーチェンさま!?」
「信じられない……生存率十万分の一のところを潜り抜けるなんて!」
「なんとかな。それに今の私は、死んでいる場合ではないようだ――たった今、本隊からの通信が途絶えた。全滅のようだ」
「……なんですって!?」
エドゥアルトとサビーネが血相を変えて階下へ走っていく。ジャックも熱々のどんぶりを持ち箸を横にくわえて下りていく。
この建物は一見すると掘っ立て小屋のように粗末だが、地下は総勢三十名の特殊部隊の本拠地にふさわしい広さになっており、治療室や兵器庫が完備してある。ナノマシンウィルスに感染したユーチェンは今までここで療養していたのだ。
コンクリート打ちっぱなしの薄暗い部屋に、モニターとマイクが備え付けられている。そこに映し出されていたのは、下水道とおぼしき汚い水場の光景だ。
「少年はたぶん、首都のことなどろくに知らんだろ?」
「名前ぐらいしか……というか今回はもともと首都の『千年至福』本部に行く予定で、そのへんも観光するのを楽しみにしてたんです。いろいろありすぎて、すっかり忘れてましたけど」
「〈六区〉首都シディムポリス。地に穿たれた全長一五〇キロの巨大な縦穴の外周部分に建設された都市。『千年至福』本部があるのは、その最深部の溶岩地帯だ」
「……一五〇キロ!? えっ、高さがですか!?」
「そうだ。それこそが今まで、私たちが容易に潜り込めなかった原因……地殻そのものが丸ごと城壁という、まさに最強の要塞都市だ」
「我々は地上につながるインフラを伝って潜入し、『ゴダイゴ』の首を取る作戦を立てていたのだが……下水道を出る前に発見され、殲滅されてしまったらしい」
「殲滅……ったって、戦闘サイボーグ二十七人からなる本隊ですよ? いったい誰が?」
「わからん。んの妨害か、カメラが軒並みぶっ壊されているらしいのだ。撮れたのは今から見せる、コレのみだ」
「――ひっ!?」
スクリーンの映像が切り替わる。するとサビーネが固唾を呑み、エドゥアルトが悲鳴を上げ、少し遅れてラーメンをすする音が響いた。
死体。死体、死体。すべて首がない。鋭利な刃物で首をはねられた、二十七人のサイボーグの胴体が散乱している。下水に青色の血が浮き、異様に変色したドブネズミが通りかかるが、サイボーグの遺体には興味を示していなかった。
「この死体は……ヴィクトーリア様ですね。スリーナインの中でもボスの最側近。ヴィクトーリア・カリバー」
「……なぜわかる?」
「彼女の『殺し』は、首のはね方に特徴があるんです。ほら、全部V字になってるでしょう?」
「V字……だと?」
ジャックは死体の首の断面を、激辛スープの赤みがついた箸で差した。――なるほど、両肩から袈裟斬りにされ、根元からえぐられるようにして首をはねられているようだ。斜めの傷が下の一点で交わることで、首の断面が『V』の形になっている。
「ヴィクトーリア様は卓越した双剣使い。組織の上級兵であるクローン軍の指揮官。おれは二回ほど、彼女が元になっているクローン兵と一緒に戦闘したことがあるんです」
「そいつらも同じやり方を?」
「ええ。これ以外では絶対にトドメをささないというほど、彼女たちはこの殺し方にこだわるんですよ。クローン兵は深く切りすぎて『X字』になることもあるんですが、これは全部ピタリと止まった『V字』……二十七人のサイボーグを皆殺しにする強さも含めて、オリジナルの仕業で間違いないでしょう。――ズルズルズル」
「VICTORIAの頭文字を刻んでるってのかよ? 猟奇的っつうか病気的だな……」
「ですね。クローンともども美人なんすけど、誰も狙ってなかったっすもん。――あっ、ところで大将、替え玉いけます?」
「君、実は割といい根性してるよな」
これ以上なく汚い環境に大量の死体が転がっている映像を見ても、まったく食欲が衰えないジャック。やっぱりこの子ちょっとおかしい……と、ユーチェンさえ引いていた。
とはいえ、下水や土手はかつてジャックが住処としていた場所。その時は残飯でも虫でも必死で探してガツガツ食べたし、どこからか死体が流れ着くのも日常だった。彼にとってはむしろ、なじみ深いぐらいの光景である。
「ヴィクトーリア・カリバー……本名、
(えっ!? 本名瀬川っていうの、あの人!? よく恥ずかしげもなく改名したな!?)
「ど、どうします局長? ……無理そうだし、帰っちゃいませんか?」
「バカいえ。私の工場襲撃で、敵戦力がほかの施設の護衛に回っているのは事実なんだ。首都は比較的手薄。攻撃するなら、今しかない」
「……という、ことは」
「私とエドだけでも殴り込みをかけるべきだ。お前は隊で私に次ぐナンバー2の戦力。残っていたのはこういう万が一のためのはずだろう?」
「そんなぁー!?」
「大丈夫ですよエドさん。おれもいますから」
「いきなりなれなれしくすんな! ――って、は? 来るつもりなのお前?」
「もちろん!」
いい返事だ。だが、これは限りなく不可能に近いミッション。すぐ目の前のスクリーンには、失敗した先の末路がありありと映し出されている。
エドゥアルトには彼のモチベーションのよりどころが理解できないが――しかし彼も、「行くつもり」ではなく「来るつもり」と言った。赴く覚悟をすでに固めているのだ。
「……本当によいのか、少年? これは私たちの問題だ。君にはもう、知りたいこともないのだろう? 警察で保護すれば、この星から逃がしてやることもできるのだぞ」
「イヤです。最後までついていきます。ユーチェンさまのお役に立つって約束しました。だから絶対降りません!」
「……!」
――いじらしい。なんていい子だろう。死んでほしくない……。
ユーチェンはジャックの顔を直視できなかった。片方だけ健在の涙腺が熱くなる。
だが隊員のほとんどが失われた今この時、一人でも多くの戦力が欲しいのもまた事実である。ジャックの機転、対応力はとっくに証明済み。この少年がいなければ、ユーチェンはガブリエル戦で人質を避難させられず、また失った視力を補うこともできていなかった。つまり、最低でも二度負けていたわけだ。
「その意気やよし。――ならば君もここで、我々の一員になってゆけ」
「これは?」
「『鉄心』隊、入隊の意志を示す血判状だ。ここから先は正式に、作戦として行動してもらう」
「警察がこんなもん書かすんですか……? いまどきヤクザでもやりませんよこんなの」
「公に認められていない組織だからな。ID証明だけでは不十分なんだってさ」
「私に文句を言うな。発案はユーチェンだ」
「……。か、かっこいいと思ってさ」
「おれもそう思います!!」
ジャックは差し出された紙に猛スピードでサインし、人差し指に傷をつけて、血の指紋をしっかりと刻印した。
電子化の発達で、紙は必要なくなったと言う。だがシステムを扱うのはあくまで人間であり、人間は物質的な世界に生きているのだ。たとえ表向きにならない文書でも、それを隊のトップが自分の手で受け取ったならば――
「よし、これで契約完了だ。あとは君の心身を、我々流に改造するだけ……」
「もとよりそのつもりです。設備もありますしね」
「――生まれ変わるがいい、ジャック・スワローよ。素性不確かなチンピラから、青い血を持つロボコップにな」
◆
そして現在――ジャックとユーチェンは、エドゥアルトのバイクに再び乗っている。
ハンドルを取るのはもちろん持ち主。ジャックはその後ろで、ユーチェンは最後尾で少年にしがみついていた。
バイクが走っているのは、反重力で車を浮かせて走らせる、『スカイライン』と呼ばれる道路だ。周りの車に溶け込むため、速度は完全に合わせてある。
車の光があちこちに群れをなし、尾を引いて夜空を飛んでいく様は、海の魚群を思わせて少し幻想的だった。その下では色とりどりの看板や広告が目に痛いほどギラギラと輝き、風情をぶちこわしにしているが。
「腕の調子はどうだ? ずいぶんいい男になったじゃないか」
「いい感じです……それはそうと、ちょっとくっつきすぎじゃないですかね」
「仕方なかろう。三人乗りなのだ。私につかまるのは君が断固拒否したしな」
ユーチェンは当然義手を取り付け、左眼、義足も取り換えた万全の状態だが――ジャックもまた、官製サイボーグとして変貌を遂げていた。心臓を『青い血』を循環させる高出力ジェネレータに換え、粗悪な部品も総入れ替え。右腕にはガトリング砲、足には剣を装備している。失われた片目には高性能義眼をはめた上に、さらに狙撃用レティクルがついた片眼鏡状のガジェットを取り付けた。
そんな彼に、ユーチェンの華奢な生身の腕と、巨大な義手が巻き付いている。腕はともかく胴体までぴったりくっつける理由は、彼女しかわからない事だろう。
「ところでエドさん。結局どうするんです? 下水道から行くのはもうムリっすよね。おれもヤだし」
「呼び方はそれで固定か? 何気に隊長より格下だし……いやもちろん、もうコソコソ潜入なんてムリだよ。下水道ルートで最深部まで潜るのには最短でも二日かかる。それじゃ囮作戦の意味が無え。今日中に、すべての決着をつけなくてはならない」
「つまり正面から強行突破するしかない。この三人だけでな。」
「……正面、とは?」
「ま、行けば分かるよ」
エドゥアルトが言葉を濁している――ジャックは嫌な予感しかしなかった。
基本的にこれまでも全部ごり押しの力押しばかりだったが、装甲列車だの工場だのを襲撃するのとは訳が違う。今回の目的地は、いち惑星の首都――それも、ミュータントや戦闘ドロイドやクローン兵を湯水のごとく所有する、マフィア組織の総本山だ。
そもそも正面とは、いったいなんのことなのだ? 向かう先は『大きな穴の底にある都市』――ジャックの想像力では、もうその時点で具体的な絵がいまいち浮かばないのだが、そんな物に『正面』など存在するのか?
「――少年。見てみろ。ここにも、君にとって興味深いものがあるぞ」
「え……?」
「気づかないか? この街並み。やたらピカピカしてて分かりづらいが――どこもかしこも、開業医ばっかりじゃないか」
確かにエドの言う通りだった。カラフルすぎる夜景は、『○○医院』『××クリニック』『△△外科』と、個人病院の看板が異様に多い。全体で見ても四割を占めるのではなかろうか。
とくに広告はほぼ医療関係のみだ。「交換医療の最先端」「価格はご相談」「移植手術うけたまわります」「未経験者歓迎!」と、わかるようでピンとこない文言が付け加えられている。
「交換医療や移植手術とは、臓器を取ったり入れたりする手術のこと。そして医師たちは手に入れた臓器を患者に――いや、『顧客』に売りつける。つまり病院は表向き。これら全部が臓器ショップ」
「――!」
「この街にいる人間のほとんどは、この三種類しかない――臓器を売りたい貧しい者か、臓器を買いたい悪党か、その手術を執刀する医者たちだ。通常、臓器売買とは重犯罪であり、よっぽど後ろ暗い闇医者がやるものだが……この旧市街では、堂々と病院としてそれをやる」
「いわば、悪徳の医療の街。『ボディチョッパー』どもの巣窟ってわけだ」
「……『ボディチョッパー』……?」
ジャックは困惑した。それは彼自身がそう呼ばれていた称号。臓器や四肢を切り売りするしか生きていく術のない、どんづまった貧民たちの蔑称なのだ。
「ああ、君のことじゃないぞ。君は、肉体の一部を売らざるを得なかっただけだ。被害者をバカにする舌など、警察は持たん」
「……俺たちがそう呼び唾棄するのは、むしろ『売らせた側』――てめえの遊ぶ金欲しさに臓器売買に手を染め、健康な身体を切り刻む医師どもの方だ。奴らはいかにも善意の第三者って顔をしているが、実は全員『千年至福』の息がかかっていて、利ザヤの分治療費を吊り上げてやがるんだ。それと分かっていて搾取を行う……積極的加害者」
「だが、それですらこの街では一番の悪党ではない。――ジャック。あれを見てみろ」
ユーチェンが顔を向けた先にあったのは、蛍光色と紫でライトアップした、毒々しい色合いのクラブだ。プロポーションのいい3Dのモデルがステージで踊り、遠くでも聞こえるほど騒がしく盛り上がっている。
一見すればただの娯楽施設。だが、その裏には、この街特有のドス黒い事情がある。それを象徴する文言を、少ししてジャックは見つけ出す。
「『手術室併設』? ちっちゃく書いてありますけど、あれも病院なんですか?」
「……あの手のクラブは、ドラッグパーティー会場として人気があるんだ。あのダンスホールはカモフラージュみたいなもの……メインフロアーは地下にある。店にとっての本当の上客には、そこで麻薬を提供する。ワインに溶かしたり、ミストシャワーに混ぜたりしてな。
――そのすぐ横に、臓器売買をする病院があるんだ。これがどういう意味かわかるか?」
「……? いえ」
「キメた後で臓器を取り出し、健康なモノと交換するのさ。――麻薬の汚染を踏み倒し、ノーリスクで何度でもドラッグを楽しむためにな」
苦虫をかみつぶしたようなユーチェンの声。その内容を聞いたジャックは数秒ほど思考が止まった。
生活費に困って臓器を売り、知覚の一部をなくしたり健康な呼吸ができなくなった若者はこの星には数多い。ジャックもその一人だし、知り合いも五体満足な者はほとんどいない――それが全部、そんなことのため? そんな奴らのために自分やみんなは……?
「『千年至福』がミュータントだのクローンだのとバカやれるのは、このビジネスがあってこそなんだ。奴らの財源は、大半がコレだ。……金に糸目をつけない連中は、それこそ一週間に一度ペースで中身を取り換えるからな。だから奴らは、狩り場ほしさに他の星にまで手を伸ばしているのだよ。天然もので若い臓器ほど高く売れるからな」
「……ねえ、ユーチェンさま、エドさん。おれ、頭よくないですから……『千年至福』の支配か、政府の管理か、どっちがより多くの人を幸せにできるかなんて分かんないです。少なくともおれの周りには、組織の統治に感謝してる人間が大勢いました……」
「――ジャック!」
「でも、こんなのはやっぱりダメですよね。一人にひとつしかない身体を、こんな事のために切ったり売ったりするなんて」
ジャックの片目についた機械にはズーム機能が備わっている。だから今、彼にははっきりと見えていた。スカイラインの真下、真っ暗な裏路地のスラムでうずくまる者たちの姿を。毒々しいほどにきらびやかなこの街に、食い物にされた人々の顔を。
そこに老若男女の区別はない。共通するのは、不当なる『人間以下』の烙印。そして、目玉や肝臓の『容器』として扱われる境遇だ。
――変えられるのは、ここにいる三人だけ。
次の日の出までには、その結果が決まる。
「おれが偉そうに言えたことじゃないですが……精一杯、やりましょうね」
「……そうだな」
「当然だ」
バイク『アリコーン』は、『旧市街』上空を疾走する。
〈六区〉首都シディムポリスまで、残り二時間を切っていた。
◇
――十五年前――
二十三歳の刑務官・瀬川有希子は、護身用ライトサーベルを片手に檻の中をのぞいている。銀河を震撼させた重罪人、アークフィン・ファウフルが繋がれた牢獄だ。
「貴様、今起きているのか?」
「……ああ。夜か昼かもわからないから、常に寝てるような感じだけど」
「起きているのなら、聞きたいことがある」
ここは監獄だ。長い廊下は窓がひとつもなく、ライトは有希子がいる場所しか灯っていないため、通路の繋がる先は完全に闇だ。世界から隔絶された場所であることが、見た目にも分かるような光景である。
有希子は懐からプロファイルを取り出した。そこには目の前の受刑者の経歴が全て記されている。
「アークフィン・ファウフル、十八歳。半年間で二百人の若者を殺害した死刑囚。某製薬会社の跡取り息子として生まれ、今年ハイスクールを学校史上トップの成績で卒業。銀河屈指の名門、ネビュラ大学の生物工学部に首席入学がきまっていた……。
こんな成功が約束されているような境遇の貴様が、なぜ大量殺人など犯したのだ?」
「それは殺人を我慢する理由にはならんよ。勉強はできたからやっただけだ。わたしは成功など興味がない」
「なら質問を変えよう。なぜ、そこまで人を殺したがる?」
「わからん」
「……なに?」
「わたしにとって人を殺すことは、食欲や睡眠欲と並んで、当たり前にある生理的欲求なんだ。食ったり寝たりするのに理由なんかないし、我慢しようと思ってもできるもんじゃないだろう?
人が十分な睡眠なくしては健康な体を保てぬように、人を殺した時だけ、わたしの精神は活力を取り戻す。血圧や肌のハリが改善されるんだ」
「――『健康と美容のために殺した』とでも言うつもりか」
「否定はできないな」
アークフィンの意識に混濁は見受けられない。受け答えも自然で、饒舌だ。
だが、頭の回路がどうしようもなく狂っていた。矯正など絶対に不可能、人間社会にとって生かしておいてはいけない生物であることを、二言三言で理解させる口舌。
「わたしにも君に聞きたいことがある――君はどうして、わたしに興味を持っている? ここに来てからというもの、わたしを気味悪がる者ばかりでな。自分から話しかけてくれたのも君が初めてだ」
「――私も、貴様と同じだからだ。人を殺したいという欲望は、私の中にもある」
「ほう?」
「だが私は犯罪などしない。自分の異常さを自覚し、それと付き合い制御する術を覚えた――社会の一員としてまっとうに生きるために。その許されぬ願望を思うままに発散させる人間とは、どういう顔かと思ってな」
「鏡をのぞきにきたというわけか。選ばなかった未来の自分が、どんな姿をしているか」
「やらなくてよかったと心から思うよ。枷を課され獄につながれ、まさに野獣そのもの姿だ」
罪人アークフィンはミイラか、さもなくば蓑虫のように拘束具で覆われている。肌が一切見えないほどがんじがらめだ。檻の中に広がる深淵の闇に、その姿だけが存在している。無音で無臭で光が無い環境は、それ自体が死刑囚への責め苦となるのだろう。
「そうかな? わたしにはむしろ君こそが、獄につながれた獣のように見えるがね」
「……なんだと?」
「そりゃあそうだろう。君の方からはわたしが檻の中にいるように見えるが、わたしの方からは当然、君が檻の向こうにいる。そして君にはわたしの顔が見えないが、わたしには君の顔が見えているのだよ」
「何が言いたい」
「――君はわたしにとって、すでに通ってきた過去だという事だ。ゆえに分かる。殺人衝動を抱えながら普通の人間を装わねばならない、狂おしいほどの息苦しさが。
そもそも君のようなきれいな女性が、こんな場所に来ること自体不自然だ。周りからはさぞ止められたことだろう。
それでも来たのはなぜか? ――それは君が、わたしのことをうらやんでいるからだ。罪人の惨めな姿を自分の眼で見て己を戒めなければ、欲望を抑えていられないのだ」
有希子に語り掛けている。そこにいたのはもはやアークフィンという個人ではなかった。彼が話す内容は、まさに彼女自身の心の中にある、暗黒面のささやきだった。
光の中にいれば闇の中は見通せない。だが闇の中にいる者からは、光ある世界に生きている者たちの姿が筒抜けである。深淵は、覗き返すのだ。
明暗という概念はあくまでも対照。光は闇を一時的に切り裂くにすぎない。より深い闇によってこそ、闇は真の意味で照らされるのだ。
「私は看守だ。そんな言葉に乗せられると思うのか」
「必死に否定しようとするあたりが流されかけている証拠さ。さあ、わたしをそちらへ連れ出してくれよ。そうしたら君も、わたしのほうへ来れるぞ」
「御免こうむるね。私は人間だ。社会の規範をはずれてまで欲望を満たすなんて醜いだけだ」
「人間を人間たらしめる要素は、『真実』を追い求める姿勢にある。ただその日を生きていくことしかできないから、動物は動物にしかなれないのだ。
『社会』? 『規範』? そんな物、わたしたちには要らないだろう。ただ食べて呼吸していきたいだけの、獣同然の奴ばらめ……その集まりが『世の中』だ。そんな奴らのために、なぜ己の人生を取り上げられねばならぬ? 自分を幸せにしてくれない社会に、奉仕する価値などありはしないぞ」
悪魔の弁舌が、有希子の胸の奥に、ドス黒い染みとなってしみ込んでいく。
有希子はアークフィンの全てを知っているが、アークフィンは『瀬川有希子』という名前すら知らない。顔を見ただけの初対面の相手を、一瞬にして説き伏せる人心掌握術――この男がもし再び世に放たれてしまったら、どれほどの災厄がもたらされることだろう?
「私は法治国家で生まれ、育てられてきた。忠誠を誓う理由ならある。社会的動物である人間にとって、法律こそが神なのだ」
「法律か。そんなものは、最大公約数でしか生きられぬ凡人共の能書きだ――では聞くが、君が人を殺さない理由は、ただ法律で禁じられているからなのか? 法律が――神がそれを許すなら、君は殺人を躊躇しないのか?」
「ああ」
「――ならばこれからは、わたしを神とするがいい。わたしが君の罪を許そう。君の欲を肯定しよう。
我々ふたりで作ればいいのだ――わたしたちのための、国を」
社会の最底辺に貶められた囚人は、優しい声でそう言った。
だがそれは誇大妄想ではない。むしろ彼なりの利他精神のように有希子には思えた。神の役割を己に課すことで、彼女の負担を取り除いてやろうという。
「国……?」
「わたしたち自身で作った世界なら、誰にも文句は言わせない」
「バカな。そんなことが、いち犯罪者にできるはずないだろう?」
「わたしにとっての希望は君だ。君が味方してくれるなら、わたしはいち犯罪者じゃない――二犯罪者だ。少なくとも、君が協力してくれなければわたしに可能性はない。
……どうか乗せられてくれないか? この扉を開けて欲しい」
「……乗せられるものかよ」
有希子は静かにライトサーベルのスイッチを押し、光の刃を展開する。無機質な白い灯りを、禍々しい赤色の光が圧した。看守が護身用武器を使用するということはそれ自体が非常事態であり、辺りに警報が鳴り響いて――有希子が刃で扉の鍵を破壊した時、その音量は跳ね上がった。すべての明かりが赤くなり、さっきまで暗闇だった廊下が一目で見渡せる。
最大級非常事態――囚人の脱走を告げるサインだ。
「――いいのか?」
「貴様の言ったことを信用するわけじゃない。聞いてはいけない言葉だと分かっている。だが、そんなバカみたいな言葉を真剣に語る奴に会ったのも初めてだ。
――貴様を見ていて、理屈だけの生き方が嫌になった。バカになりたいと思ってしまった。……歴史上、カリスマと呼ばれる人間についていった者たちも、きっとこの気持ちだったのだろうな」
全身四十か所に及ぶアークフィンの拘束の留め具を、ひとつずつ切り離していく。武装した看守が大急ぎで走って来る音が響いていた。やがて通路から流れ込んでくるだろう。
「はぁ……これで私も犯罪者ね。で、これからどうするつもり?」
「突破するに決まってるだろ」
「――え?」
最奥の牢屋に、有希子の同僚が大挙して押し寄せた時――囚人アークフィンはその姿を現した。その貌立ちに有希子は一瞬、我を忘れる。深紫の髪、翡翠の吊り目、鋭い犬歯が特徴的な、濃密な色気をもつ美男子だった。
酒も飲めぬ年齢とは到底思えない。写真で見るのとは比べ物にならない存在感だ。
「セガワ! 無事か!?」
「きさま、有希子に何をしたぁー!?」
「ユキコ・セガワか。なるほど、いい名だ」
有希子は黒髪黒目の若い美女であり、同僚の間では人気がある。彼女の危機と思った看守たちはいきり立って銃を構えた。
万一の反抗にそなえて、通路は狭く長くつくられている。徒手空拳のアークフィンは、銃を持った相手に一瞬で制圧されるはずであったが――彼のしなやかな指が刃物のようにとがったかと思うと、火を噴きかけた銃口ごと、看守の喉が掻っ切られていた。看守たちから十メートルは離れていたはずのアークフィンが、いつのまにか互いの息がかかるほど近い。
『くっ……!!』
「『ビースト』め! まだ罪を重ねようというのか!?」
アークフィン・ファウフルが銀河を震撼せしめた理由は、二百人にのぼる犠牲者の数と、彼の『殺人美学』にある。一切の武器を使うことなく、己の手のみで犠牲者の喉を切り裂き、首をはねるその手口から、人ならぬ『ビースト』と呼ばれ恐れられた。なにしろ彼が殺した二百人のうち一般人は半分しかなく、残り半分は確保に動いた武装機動隊を身一つで返り討ちにしつづけた結果なのだ。
異常者にだけ備わる魅力というものがある。シリアルキラーに憧れる者は過去も現在も絶えないが、その中でもアークフィンのファンは、ネット上に崇拝者サークルがいくつも立ち上げられているほど多数だ。元エリートの経歴とその美貌も含め、これほど個性の強烈な犯罪者は歴史上でも他にあるまい。
(――美しい……!!)
有希子もまた、アークフィンの怪物じみた魅力に引き込まれていた。
軽く手を振って血を払うアークフィンの動き。そして倒れ込む仲間の肉体。こぼれそうなほど目を開いた有希子には、すべてがスローモーションのようにはっきりと見えていた。
「容赦しなくていいのかい? わたしと行動をともにするとは、こういうことだぞ」
「構いません。連続殺人鬼にして稀代の拳士、そのお手並みを拝見しました。――次は、この私が」
「――は?」
「ほう……?」
有希子の口調が自然とうやうやしいものに変わった。いまや年齢も立場も関係ない。殺人者の道をゆくと決めた以上は、自分より残酷さに長けた者を崇めるのが当然だ。
有希子はライトサーベルを丁寧に構え、華麗な踏み込みで袈裟斬りを見舞う。昨日までの仲間を切り捨て、その死体を踏みつけた。そしてアークフィンの前に進み出て、看守たちに刃を向ける。
「ユキコ、何を!?」
「六人か。犯罪史に名を残した感想はどうだ?」
「……やはり私は、元から狂っていたようですね。人を殺めたというのに、心になにも感じられません。しかしわずかに癒えた気がします。今までずっと、体の最も深い場所を苛んでいた渇きが」
「わたしも同じだ。その渇きを止めるために歩み続けた。二百人という数字を新聞はずいぶん騒ぎ立てたが、わたしにとっては勝手についてきた結果にすぎなかったよ。
われわれは病人。命は治療費。それも全額自己負担だ。福祉国家が聞いてあきれる」
「同感です」
この会話の間も二人はどんどん突き進んだ。銃撃を有希子がサーベルで切り返し、合金の盾をアークフィンの素手が引き裂いて、二人の通った跡に死体の轍ができていく。
いつの間にか、逃走用の護送車の前にたどりついていた。追手はいない。すべて、二人のキルスコアの一部となった。有希子の美しい黒髪は返り血で赤く染まり、クールな美貌にも死臭がこびりついている。
「ここを去ることは己との決別。その前に最後の未練を――ユキコ・セガワの名前を捨てていくがいい。
今日から君は、私の剣――ヴィクトーリア・カリバーと名乗るがいい」
「――つつしんで、頂戴いたします」
自分は――瀬川有希子は、きょう全てを失う。名前も、仲間も、良心も、過去も。
感傷はない。もとから自分の人生などに、大した興味などはなかった。このまま退屈をかこったまま、老いて擦り切れていくのだろうと感じていた。ゆえにすんなりと心に溶け込んだ――自分が『ヴィクトーリア』であるという認識が。
騎士叙任を模したかのように、アークフィンの血まみれの手が『彼女』の頸動脈に触れた。ヴィクトーリア・カリバーは無言でそれを受け入れる。
「ですが、ここから先はどうするおつもりですか? ひとまずはあなたに従いますが、それは単に退屈しなさそうだからにすぎません。――自分の身が危ないと感じたら、私は迷わずあなたを見捨てますよ」
「まずはこの星から脱出だね。それから、オーガン星系の〈六区〉に飛ぶ。そこで急速に成長しているマフィア組織『千年至福』を乗っ取り、〈六区〉そのものを支配下に置く」
「星を一つ手に入れるのが……手始めだと? そんな大それたこと」
「やれるさ、わたしたち二人ならな――どうか役に立ってくれ。わたしの勝利の女神よ。具体的に言うと、この車の運転を頼みたい。わたし免許持ってない」
「えっ!? ……わ、わかりました」
未成年なので考えてみれば当然なのだが……主から与えられる最初の任務が運転手とはさすがに気分がそがれる思いだ。大量殺人犯で脱獄囚、いまさら無免もなにもないだろうに。
エンジンを始動させた護送車の正面には、出動した警備ドロイドとパトカーの群れ。まずはこの包囲を突破しなければならなかった。
「すでに囲まれていますね。いかがなさいますか?」
「遠回りをすると余計に敵が集まって来る。こちらもシールドを展開しろ。車体ごとぶちこんでいい。――わたしが出て包囲に穴を開けるから、君がピックアップしてくれ」
「承知しました」
負けるなら見捨てる――ヴィクトーリアはアークフィンにそう言った。
だが進む先の道を閉ざす大量のドロイドの防御陣地は、二人にとって脅威のうちに入らにないようだ。三百キロで爆走する護送車のドアを開け、アークフィンは飛び降りる。
「
「
これが全てのはじまりだった。
今後何百回と交わすことになる二人の合言葉のはじまりであり、アークフィン・ファウフルの野望のはじまり。ミュータントという名の災害の予兆――
◆
――現在――
北の空が白んできていた。縦向きの公転軸を持つ〈六区〉の夜明け前だ。エドゥアルトの『アリコーン』は、戦闘ドローンと自律機動車両に空と地から攻撃されながら、必死にハイウェイを疾走していた。
エドは限られたシールドエネルギーを巧みに集中させて防御し、バイクの側面からミサイルを発射して反撃して、敵車両を次々に吹き飛ばしていく。ジャックもまた右腕のガトリングを左手で保持して乱射し、ドローンやロケット弾を撃ち落としていった。
「……ハァ……ハァ……!」
「ユーチェンさま、無理しないで!」
四足歩行の陸戦ドロイドが『アリコーン』に追従している。ビームの両刃剣を口にくわえ、三人が乗るバイクに取りつこうとしていた。
ユーチェンが持ち前の腕力で思い切りドロイドを殴りつけ、退けるが――どうも彼女の様子がおかしい。息みすぎてパンチが空回り、バイクが転びかけたのを、エドが慌てて持ち直した。
「クソ……胸、が……」
「胸!? ――じゃあ、まさか!?」
「ミュータント化……ガブリエルから受けたナノマシンウィルスか? 治ったわけじゃなかったのか!?」
「あるいは、一度小康状態になるのが正常な反応なのかもな。ミュータントの臨床例など私たちのデータにはない。……もしかするともう……」
「そんな! じゃあ今すぐさっきの隠れ家に……」
「いまさら無理だ! もう作戦は始まってる!」
「……余計なことは、考えるな。君は、上の対処を……!」
ユーチェンの身体の機械部分がきしみを上げ、不規則な激しい脈動がジャックの背中に伝わって来る。
目的地はもうすぐそこというタイミングでの事態――だが打って出た以上、もう待ったはなしなのだ。
「……フン。このまま病死するのなら、それはそれで構わない。最後の最後まで、命を使いきる所存だ。……だが、もし私が組織に操られる化け物になってしまったら、その時は迷うな。どうか介錯を頼む」
「――ッ!」
「じ、冗談じゃありませんよ!」
「ほうら少年……見えて来たぞ。あれがこの旅の終着点だ」
ハンドルを握るエドは前を向いたまま唇をかみしめ、ジャックは血相を変えて、偽悪的な微笑みを浮かべるユーチェンを見返した。
少年の激情をかわすようにユーチェンが指さした先にあったのは、ハイウェイの終わり――否、高速道路も鉄道も空路も、全てが流れ込む場所だ。
「……あれがこの星の首都? いや……街なんですか? あれは」
「銀河最大の悪の牙城――その城壁とでも言うべきものだ。首都シディムポリスは、『あの中』にある」
「中……?」
それは、大地にできた腫瘍のように見えた。道路や線路を四方八方に伸ばした、あまりにも巨大なドーム状の物体がジャックの行き先に存在している。全面が黒い金属の装甲で覆われ、砲台やシールド展開装置など、細かな火器がびっしりと備え付けられていた。
そして地上からでは見えないが、どうやらドームの上部は空洞になっているようだった。大小さまざまな宇宙船が出たり入ったりしているのがここから見える。
「ブーストをかける! 捕まっててくださいよ!」
「行くぞ少年。ここからが本番だ……!」
「は、はいっ!」
轟音と共に『アリコーン』が飛翔する。音速を超えた加速で、バイクの車体がソニックブームを起こした。
『アリコーン』とはユニコーンの角とペガサスの翼を併せ持った馬の名。『万能』の称号を冠するこの車により、エドゥアルト・バッハシュタインは空と大地を同じ足で駆けるのだ。
一瞬にしてすさまじい高さまで駆け上ったジャックは恐怖のあまり目を閉じ――おそるおそる再び瞼を開いた時、さらに驚くべきものを目の当たりにした。
「なっ……なんだこりゃあぁー!?」
――穴だ。
大地にぽっかりと空いた巨大な空洞。直径はおよそ二十キロはある。深さにいたっては、この高度からでも見当もつかない。冥府まで通じているのではないかと思えるほどに、惑星の奥深くまでうがたれていた。
「人工の大空洞につくられた都市、首都シディムポリス――これが、その入口だ! 地獄の釜に飛び込むぞ!」
「いや無理でしょ! こんなもん、どうやって下まで行くってんですかー!?」
「もう腹をくくれ! 舌噛むぞ!」
「こんなバカなああぁぁぁぁぁ――――――」
『アリコーン』が上への推力を途切れさせ、穴の中へ真っ逆さまに落下する。ジャックの絶叫が深淵へ吸い込まれ、大量の誘導ミサイルや弾丸が後を追った。
「へー。お前、高いの苦手なのか?」
「ごほごほ……い、意外だな」
「絶対そういう問題じゃないです!」
自由落下ではない。追撃を振り切るためにブースターを噴かし、さらに下へ加速していく。急速に穴の入口が迫って来て――その一面に、黄色に光る薄い膜のようなものが生じた。
「ゲーッ!?」(あの色、まさかAMS!?)
「……対物防御スクリーン……やはりそう来るか」
「『千年至福』のおひざ元に直結する、〈六区〉唯一の宙港――ま、このぐらい用意するでしょうね。ハンパな電気代ではないでしょうが」
「死ぬーッ!!」
「だから、あわてるなって……準備ぐらいあるに決まってるだろ」
対物防御スクリーンとは凄まじいエネルギー消費と引き換えに、あらゆる物体の侵入をはねのけるバリアを形成する兵器だ。ジェネレータが巨大なため機動兵器には搭載できないが、展開する面積さえ足りていれば隕石さえ跳ね返す威力を持ち、拠点の防御壁としては強力極まりない性能を持っている。生身の人間でこれだけの速さで突っ込もうものなら、たちまち赤い霧になってしまうだろう。
ジャックが死を覚悟した時――ふわり、と落下が止まった。クジラの顔が描かれた小型の宇宙船が、磁場でバイクを受け止めてくれていたのだ。
「……し、商船?」
「に、偽装した俺たちの艦艇だよ。この時刻に来るよう急ぎ手配しておいたのさ……大丈夫だ、もう降りても落ちねえよ」
「言ってくださいよ。ユーチェンさまは具合悪いんですよ」
「いや、私が知らないわけないだろう……」
「判断力失うほどビビってんじゃねーよ」
磁場の中は無重力のようになっている。ジャックたちは空を泳いで『FATTY THING』と刻印された船体によじ登り、屋根の上に立った。そうしている間に船底がバリアを突き破っていく。
見た目こそユニークな商船を装っている『ファッティシング』号だが、中身は強襲揚陸艦のようなものだ。あらゆる防御壁を中和して強引に突入していくことができる。
「第一関門は突破だが気を抜くな! すぐに攻撃が来る。この船が沈められたら、俺たちは着陸もできなきゃバリアも抜けられない」
「つまり降りるまでの間は、この船を守り切る戦い……。ユーチェンさま、動けますか?」
「なんとかな……たとえ動けなくても、無理を通すよ……!!」
――『WARNING! WARNING! WARNING!』
警報を浴びせられた周囲の船が、脱兎のごとく逃げていく。おそらくは銀河中から、『千年至福』の取引相手やその貨物が、ここを通じて運ばれてきているのだろう。そのすべてが、ここにいるたった三名のサイボーグたちを恐れ、上へ上へと退散していった。
彼らがいるのは、〈六区〉の地殻を穿つ巨大な円筒の中だ。その内壁は透明で、穴を取り囲むように作られた階層都市がここから見える。きらびやかな高層ビルが立ち並ぶ機械都市の階層に、緑豊かな自然公園の階層など、一層ごとに異なる施設になっているようだ。道路には車が行き来し、実際に生活している人間がいることが窺えた。そんな光景が、直径二十kmの外周をぐるりと取り囲んでいるのだ。
――これが〈六区〉首都シディムポリス。無法の荒野で生きてきたジャックにとって、夢にも見たことがないような未来都市だった。
「初めましてになるな――銀河警察の犬どもよ」
「「「!」」」
だが、やはりここは『千年至福』の本拠。威圧感ある女の声とともに、禍々しい五体の影が下方から出現し、『ファッティシング』号を取り囲んだ。
そして現れた五人はすべて、ジャックが知っている顔だ。――なぜなら。
「こいつらが犬なら、組織を裏切った貴様は一体なんと呼ぶべきだろうな? アークフィン様の信頼を捨て、犬に向かって尻尾を振る、畜生以下の虫けらのことは」
「ごきげん麗しゅう、ヴィクトーリア・カリバー様。クローン兵も一緒か?」
「……きさま、瀬川有希子……ッ!」
「死人の名だ」
同じ赤髪に同じ黒目をした、スタイルのいい美女。五人すべてがヴィクトーリアだった。深紅の騎士鎧をまとっている一人以外は、四人ともクローン兵特有の黒い装束を身に着けている。
抑えきれない憎しみを滲ませるユーチェン。ヴィクトーリア・カリバーこと瀬川有希子こそは、刑務官という立場でありながら国民を裏切り、アークフィンを解き放った張本人だ。現在の惨状を作った元凶と称していい。
そんな彼女に、鎧のヴィクトーリアは冷ややかな視線を向け――
「覇ァッ!!」
「――!!」
誰も目で追えなかった。気づいた時にはヴィクトーリアが武器を振り抜き、ユーチェンの額に深々と傷が刻まれていた。
「……!?」(サイボーグとはいえ致命傷。だが、現に生きている……?)
「やはり……か」
傷口から飛び散ったのは白色の血。ミュータントでもサイボーグでもない色の血と、電脳を傷つけられたのにいまだ意識を保っていることに、ユーチェン自身が困惑しているようだった。
振り返るヴィクトーリアの手には、上品な騎士鎧には全く似つかわしくないグロテスクな双剣が握られている。人骨を鋭利にしたかのようなねじくれた形の刃、歯そのものの形をした柄の滑り止めなどが、有機質な紅いなにかでまとめられているのだ。元は誰かの血肉としか思えない姿かたちの武器だった。
「ああっ!?」
「私は気にするな!! それより気を付けろ! そいつら、装備もなしに空を飛んでいるッ――間違いなく全員ミュータントだ!」
「かかれ貴様ら。誰のネジかもわからぬように、この大穴の底にバラまいてやれ」
「――ッ、やってみろこの若作り!」
「クローンが四人ならアラフォーも五乗だろうが!! 『アリコーン、ホーン・アスペクト』!」
ジャックと息ぴったりで罵声を浴びせたエドゥアルトが、手を高く掲げた。バイク『アリコーン』が変形し、巨大な車体が左右に分かれた武器コンテナに、二重のマフラーが二つの砲身に、ホイールがバーニアになって、彼の背中にバックパックとして装着される。
「合わせろジャック! 斉射だッ!」
「はいっ!」
「……来い。我が分身よ」
『アリコーン』の二連ビーム砲とマイクロミサイル、さらにジャックのガトリングの連射。それが、騎士鎧のヴィクトーリアに集中した。
着弾の煙が晴れた先には――だが、装束をまとった四つの死体が転がっているのみ。わずかに煤がかかっただけの騎士ヴィクトーリアが、無傷でそこに立っていた。
(自分で自分の盾に……!?)
(銃撃で死んだ。こいつら、ミュータントではないのか!?)
「そら。もう一度確かめてやる」
「――がぁぁあッ!?」
生じた隙につけこみ、ヴィクトーリアは再び目にもとまらぬ高速移動でユーチェンに近寄って、再び双剣を振るう。今度は、生身の左腕が丸ごと切断された。
ミュータント化を証明するかのごとく切断された腕が塵となって消滅する。断面から白い血液がドクドクと流れ出し――ピタリと止まって、再び体内へ帰っていく。そして傷口から蔓のような茨のような、植物に似たものが生えてきて、腕と同じ長さまで伸びた。
「……!!」
瞬く間にそこには、元々とそっくり同じ形の腕が生えていた。気づけば額の傷も、生身の部分も機械の部分もきれいに治癒している。
ユーチェンは動けなかった。腕を失った事よりも、生えてきたことのほうがはるかに衝撃的だった。取り戻したはずの腕を、なにもかもが失われたような目で見つめ、歯を食いしばった顔のまま凍り付いている。
「……なんという様だ。自我を失って仲間を襲うよりは幾分マシだが……」
「ああそうさ。もう人間ではない――
「隊長! 耳を貸さないで!」
ユーチェンを見下ろし、優し気な声色でささやきながら、指を鳴らすヴィクトーリア。内壁の一角のハッチが開き、そこから四つの影が現れる。――全く同じ風貌に、全く同じ量産品の双剣。クローン・ヴィクトーリアだった。穴の底からも二隻の母艦が出現し、光翼で飛行する蠅のようなドロイドが大量に飛び立った。狙いは――ただ一人だ。
「ジャック!! 避けろ――ッ!!」
「いいえ」
エドが青ざめてビーム砲を構えた瞬間、ジャックは鬼の形相で右腕を空へ向けた。
猛烈なガトリング弾の連射。撃たれたミサイルも、飛行ドロイドも全て誘爆させ、ドーナツ型の爆風がジャックの頭上に作り上げられた。
クローン四体は飛んで逃れたが、ジャックはそのうち一体に追いすがる。双剣がジャックの頬を掠め、カウンターで繰り出したガトリングの砲身がクローンに叩きつけられ、追撃の銃弾がゼロ距離で撃ち込まれた。墜落するクローンから赤い血が飛び散り、ジャックの顎から青い血が垂れて、船上に散らばった薬莢の熱さで蒸発した。
「――バカバカしいッ。誰が誰のことを言ってんですか? こんな奴らでも、血が赤けりゃ人間ですか!?」
「裏切り者のクズが口を開くな!」
「軽すぎるんだよ! あんたらの言う『人間』は……!!」
他人の臓器を売りものとしか思わず、病原体をばらまいて罪もない者をミュータントに変え、挙句の果てには養殖した自分自身の命を使い捨てる――そんな相手に、ユーチェンが侮辱されたのだ。
「……ああ。そうだな。人は結局、中身しかないんだ。
生まれた所、皮膚の色、目の色……そんなもので人の良し悪しなど分かりはしない。だからこそ、警察が要るというのにな……!」
「――ほう、まだ立つか!」
「させるかっ!!」
生え変わった腕で体重を支え、ゆっくりと立ち上がろうとするユーチェン。とどめの一撃を与えようとしたヴィクトーリアを、エドのミサイルとジャックの足剣が阻んだ。離れた位置までヴィクトーリアが退き、ジャックはユーチェンを引き上げる。
「ありがとう少年。おかげで初心を思い出したよ」
「ユーチェンさまはユーチェンさまです。この際それだけでいいと思いますよ。
おれだってもうサイボーグだし……何が本物の人間かなんて、この星じゃ考えるだけ無駄じゃないですか」
「気丈なことだな。だが無意味だ!」
「――フン」
ユーチェンの原動力は『護り』にある。誰かを救いたいという心の底からの欲求だ。
それゆえに彼女は、自分が狙われているときは自分一人分の力しか発揮できず――そばに誰かがいる時は、無限の力を発揮する。
(なにッ……!?)
ジャックと共にユーチェンを斬ろうとしたことがヴィクトーリアの失敗だった。
先ほどは見切れなかった双剣の攻撃を弾き、がら空きになった胴体に義手を伸ばすユーチェン。そのパワーの前には、鎧のシグマ合金などアメ細工も同じ。
「『シアー・ハート・アタック』!」
分厚い装甲ごとヴィクトーリアの心臓をえぐり取ったユーチェンが、脇にジャックを抱えて飛んでいた。やはりその色は赤かったが、たとえミュータントでなくても、クローンを引き連れた『本体』を殺したことには変わりない。そう考え、残りのクローン・ヴィクトーリアへ振り返ると――
「ほう。さすがに、ガブリエルを殺しただけはある」
(!?)
黒い装束をまとったクローンの一人だ。リーダーが死んだにもかかわらず平然として、それまで持っていた量産品を蹴り捨て、あのグロテスクな双剣を拾い上げて逆手に構える。
「その強さゆえに、貴様はアークフィン様の求めた力を宿したのかもしれぬ。
ミュータントでもサイボーグでもない、得体のしれぬ怪物――だが決して無価値な存在ではない。お前の心臓は、わが主の役に立つだろう」
「……なんだって?」
「命をもらうぞッ! ショウ・ユーチェン!!」
五人のヴィクトーリアが一斉に散開した。
単なる突進ではない。別個体の背後に隠れたり、一人を狙って挟み撃ったり、自分同士で陣形を組んで連撃を繰り出してきている。
(クソッ! まだこのガトリングに慣れてないんだ! やりすごすだけで手いっぱいだ!)
「隊長気を付けて! 敵はヴィクトーリアだけじゃない!」
「あ、ああ!」(しかし今のはなんだったのだ!? こいつの――こいつらの能力は!?)
エドは艦の周りを縦横無尽に駆け巡り、母艦から吐き出され続ける戦闘ドロイドを撃ち落としていた。クローン、ドロイドに加え、穴の内壁に備え付けられた高射砲まで対処しなければならない。敵も死に物狂いで侵入を拒んでいるようだった。
ジャックたちがいる場所は磁場で安定しているが、実際はこの船自体が猛スピードで下降しているのだ。相対速度で遅くなった大量の砲弾を、エドがシールドを集中させて正確にさばいていく。船自体のシールドエネルギーに頼っていては、すぐに持ちこたえられなくなるからだ。
「ぐぅぅッ……ちくしょう! 弾は多いわピカピカ光るわ、頭が痛くなってきた……!」
「エドゥアルト! 無理はするな! お前が討たれたら元も子もない!」
「く……すまねえジャック! 細かいのは俺がやるから、お前が隊長を助けてくれ! このまま船を沈められなくても、着陸地点で敵が控えてる! ……それまでにヴィクトーリアを殺れなきゃアウトだ!」
「はい!」
ヴィクトーリアを斃せなくても負けだが、船が沈められても当然負けだ。
エドは守備で手が離せない。ヴィクトーリアを斃せるのは、ジャックとユーチェンのみだった。
「フンッ!!」
「――がはっ!?」
肉の双剣を持ったヴィクトーリアに、ユーチェンが渾身のストレートを見舞う。
速すぎて正確な狙いがつかず、胴の中心をとらえることはできなかった。拳どころか極太のビームが通ったかのように、彼女の脇腹が円くえぐれる。やはり赤い血をほとばしらせながら、ヴィクトーリアは挑発的な笑みを浮かべ――
「
「……あっ!?」
別のクローンに己の武器を――骨肉でできた双剣をパスして、背中から穴の底へ、自ら真っ逆さまに身を投げた。
「人間性も、己の命も、ただ捨てるわけではない。すべてはあのお方への捧げものだ。
アークフィン様の宝剣たるが妾の使命。いまさら命など惜しみはせんよ」
双剣を受け取ったクローンは、再び何事もなかったかのような尊大な口調だ。
――なぜか、この武器を持っている他のクローンは一切何も言わない。撃ち殺される時や奈落に落ちた時でさえ、断末魔の叫びひとつ挙げなかった。
(確かなことはひとつ! この人は、理由は知らないがユーチェンさまの心臓を狙っていることだ。つまり邪魔者のおれたちを、必ず優先して始末しにくる! ――そこに見出せる隙はないか!?)
(こいつの不死のカラクリはもう見当がついている。問題は的が小さすぎることだ。今の私では捉えられん。――たった一瞬だけでいい。隙をつくらねば勝てない……!!)
ジャックが隙を作り、ユーチェンがその隙でヴィクトーリアを討つ――いつしか二人の思考は、その結末へ収束していた。
無意識である。いっさい言葉を交わさぬうちに二人の方針は重なり合い、同じ勝ち筋へ共に導かれていたのだ。
「――ぐぅぅぅ、受けきれな……うあぁぁぁっ!!」
『――DANGER! DANGER!』
全方位からの包囲攻撃。針に糸を通すかのような精密さで、自分の身体と同じ面積しかないシールドのみでそれを防ぎ続けていたエドも、ついに限界が訪れた。
いったん防御が途切れると、容赦ない砲撃が続けざまに襲ってくる。『ファッティシング』号の状態は、一気に危険域に転落した。
(もう時間はない――いくしかないッ!!)「くぁぁぁ――――ッ!!」
「少年!!」
ジャックは雄叫びを挙げて突っ込んだ。目標は、指揮官に付き従う四体のヴィクトーリア・クローン。
一人をハチの巣にし、一人を足剣で斬り捨てた。その回転を利用して一人をガトリングの砲身を叩き込み、最後の一人の喉笛を、口にくわえたレーザーサーベルで掻っ切る。おそらく考えうる最高の動きで、ジャックは瞬時に四人のクローンを葬ったのだ。
「……素晴らしい戦闘機動だ。その才能を正しく使っていれば、もっと長生きができたものを」
直後、ジャックの背後に最後のヴィクトーリアが出現した。
少年の首筋に向けて双剣が閃く。両の腕は伸び切り、全ての武器を振り切っていた。これをしのぐ方法はジャックにはない。義手をちぎれるほど伸ばすユーチェンも、その判断力故に分かってしまった。
(――間に、合わな……!!)
(さらばだ。勇敢で愚かな少年よ)
「ジャック――――!!」
――その刹那、ジャックが浮かべたのは恐怖や絶望ではなく覚悟の表情だった。
彼には分かっていたのだ。ヴィクトーリアは、必ずこの殺し方を選択すると。対になった剣で左右から切り込んで、首をはねようとすることを。
故に彼は、左の頸動脈に入り込む刃へ向け――逆に、思い切り頭を倒した。
「――――ッッッ!!!!!」
(――止まった!?)
ヴィクトーリアの全細胞が凍り付いた。一秒後にはジャックの首をはねていたはずの双剣が、躊躇で速度を落としていた。
それは求めていた一瞬の隙。ヴィクトーリアの『心臓』に、ユーチェンの手が届くまでの時間だ。
(自分から斬られにいけばこいつは剣を止める――きれいなV字に首をはねるこだわりがあるから! 邪魔者のクローンも、全部倒した!)
(感謝する少年! ――この瞬間を、待っていた!)
――『シアー・ハート・アタック』!
叫びとともにユーチェンの拳が破壊した――骨と肉で作られた、ヴィクトーリアの双剣を。武器の破片が緑色の血に変わってふくれあがり、苦痛の形相を浮かべる巨大な顔へと変化する。
「こ、これって!? あの武器が、ヴィクトーリア様の心臓……!?」
「……やっぱりそうだったのか。持ったヤツにだけ自我が芽生えるみたいで、おかしいと思ってた」
ヴィクトーリアの本体は肉の双剣。今までクローンと思っていたものは、細胞から培養したいわゆる本物のクローンではなく、ミュータント能力で作り出された人形だったのだ。クローンたちの血が赤いのも、そもそも厳密には元人間ですらない、純粋なミュータント能力の産物だったからだろう。
「それに本体を持たせて使い捨てることで、残機とダミーを兼ねていた。『アークフィン様の宝剣』と自称していたのは、まさに文字通りの意味だったわけだ」
「「「「「――ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァ――――!!」」」」」
空洞すべてに同じ断末魔が木霊していた――おそらくは、各所に配置されていたすべてのクローンがこれで死んだのだ。
まさに亡者の合唱である。音量以上にその声色のおぞましさに耐えられず、エドもジャックも耳をふさいだ。ユーチェンだけは沈痛な目をしている。このような怪物になるしか自分の人生を好きになる道がなかった、不幸な女性の最期がそこにあった。
「ア……ア゛ークフィ゛ン、様……わが、主……! こんな……こん、な゛……!
――心、臓……心、臓が……ご命、れ、い……!」
「――もういい、眠れ」
「ア゛ァッ……」
大量の顔が浮き出る金色の血だまりが、なおもユーチェンの心臓に寄ってきていた。
憐れんだ彼女は、義手で静かにそれを払う。最後のうめきを残して、血は塵に還った――ヴィクトーリア・カリバーは滅んだのだった。『スリーナイン』の死によって、ドロイドたちも逃げ去り、砲塔の追撃も止んだようだ。
「アークフィン様、アークフィン様か。最後の最後まであれとは、よっぽど惚れてたんだな」
一行は、まさにその憧れに救われた。ヴィクトーリアが偏執的なまでに『V字斬首』にこだわっていたのは、おそらくそれが彼女にとって、アークフィンに近づく唯一の方法だったからだ。
ヴィクトーリアにとって決して曲げられぬ殺人美学。だからこそジャックが首を近づけた時には蒼白になって刃を止めた。
「しかし、ムチャしすぎだぞ少年! サイボーグとはいえ、こんな設備もない所で首をはねられれば助からん! 言ってくれれば私が――」
「ユーチェンさまやエドさんなら、あの人は刃を止めなかったでしょう。これはおそらくボス直々の任務。優先順位が高い敵は、不格好でも殺す方を優先したと思います。
一方おれは、お二人と比べれば弱い相手です。また『裏切り者』という侮りもあった。だからこそあの人は殺し方にこだわったんですよ。――『簡単な獲物』をしくじるわけにはいかないから」
「……お前もしかして、最初っからこうするつもりだったのか?」
「はい。あの人が殺し方にこだわるのはとっくに知ってましたから。寸止めする腕前はあるはずなので、多分死なないと思ってましたし」
いたずらを思いついた悪童の表情でそう語るジャック。エドとユーチェンは戦慄して顔を見合わせた。
「――フン。つくづく、とんでもない拾い物をしたよ。……君が味方で本当によかった。あと五年来るのが遅かったら、私は君に負けていただろうな」
「ほめてください」
「はいはい」
ユーチェンは軽い口調でそういうと、ひしっとジャックを抱きしめた。エドは気を利かせて辺りを警戒するふりをしている。
――高度はマイナス百四十キロ。最終決戦の時が近づいていた。
「えっいやあの……別に、ここまでしてほしいとは……」
(しかし……ヴィクトーリアが言っていたのはどういうことだ? 『アークフィンが私の心臓を欲している』とは……ともあれもう後戻りはできない。ここまで来た以上、なにがあっても勝ってみせる)
「聞いてます!?」
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