第32話 四十九日目③
怨念体が二つに分裂する。二メートルと三メートルとサイズが小さくなったものの、消滅する感じはない。
「除霊できてないのかっ?」
「グオォォォォォォッ!」
共鳴するように二体の怨念体が、嘆きの叫びを上げる。
頭が割れるように痛む。額を押さえようとして、手から木刀が落ちる。
体温が一気に下がった錯覚に陥った。思わず地面に膝をついてしまう。
空を影が覆う。直樹が上を見上げると、浮遊霊が何十体もこちらに向かってくるのが見えた。
「さっきの声に呼ばれたのか?」
浮遊霊が、直樹に襲いかかる。慌てて木刀を握ると、ライブの熱狂を思い浮かべて、木刀を横に振るった。
浮遊霊がバシュッという音を出して消える。
「陽葵を成仏させるには、力が足りないってことかよっ!」
だが今は、怨念体を相手にしている場合ではない。浮遊霊は、何故か明確な敵意を持って直樹を襲ってくる。
直樹はポジティブな感情を思い出しては、浮遊霊を除霊する。だが、数は増えていく一方だ。
「東京は霊多すぎだろっ!」
背後でドアが開く音がする。
「おにーさんっ!」
「南條さんっ」
二人が駆け寄ってくる。
「なかなか面白い状況になってんじゃん。何したの?」
「陽葵の怨念体を斬ったら二つに分裂して、そしたら浮遊霊が湧いてきたんだっ!」
「それ、陽葵おねーさんが、十年間分裂してたせいだね。片方は、おにーさんが知ってる陽葵おねーさんだよ」
「じゃあっ」
「元々ここにいた怨念体を斬れば、お別れの挨拶くらいはできるかもっ!」
背後から襲おうとした浮遊霊に、朱霞は裏拳を喰らわせる。
「雑魚はウチらに任せて、おにーさんはこれ使ってっ!」
朱霞が日本刀を投げてくるので、両手で受け取る。木刀よりもずしりと重い。
「真言覚えてるっ?」
朱霞は浮遊霊に回し蹴りしながら、聞いてくる。
「ああっ!」
柊木が直樹の背後に移動すると、木刀を拾う。
「お借りします」
そのまま目の前の浮遊霊に、逆袈裟斬りを決めた。
「行ってください」
「ありがとうございますっ!」
直樹は、左手で日本刀の鞘を持つと、陽葵の怨念体の元へと向かった。
正面に二体の怨念体。片方が俺の知ってる陽葵で、もう一体は、怨念の塊。
見た目では区別がつかない。
どっちを斬ればいい?
もし、陽葵の方を斬ってしまったら?
恐怖で右手が震える。
何か、見分ける方法はないのか。
「松坂牛のすき焼きっ!」
直樹は腹の底から叫んだ。
「ウィズニーランドでデートッ! ソラマチでウインドウショッピングッ! 赤外線カメラで記念撮影ッ!」
怨念体に変化はない。
「俺は全部覚えてるっ! ロシアンたこ焼きで激辛を食わされたこともっ! 水色のベビードールのエロさもっ! お前との馬鹿馬鹿しい日々が、俺にもう一度生きたいと思わせてくれたっ!」
小さい方の怨念体の動きが明らかに変わったっ。
「そっちが陽葵なんだなっ?」
直樹は、大きい方の怨念体の前に立つと、日本刀の鞘を左腰に当てて、柄を右手で強く握る。
「スーッ。ハーッ」
深く息を吸って、吐く。
「真に人を想い、邪念のみを断つ。すべてを救え、陽祓いの太刀っ!」
陽葵への愛を想い、刀身を抜く。刃は黄金色のオーラを纏っていた。
いけるっ!
「俺がお前を解放してやるっ!」
直樹は、刀を振り上げ、真っ向斬りを決めた。
「オォォォォォッ!」
怨念体は霧散していく。
地面に落ちた鞘を拾う手間も惜しみ、陽葵の方を向く。
「ひまっ、り……?」
だが、陽葵の姿はそこになかった。さっきまで怨念体として存在していたはず。
まさか、間違えた?
「そんな……。俺は……」
全身が脱力し、日本刀が地面に落ちる。ガチャッという金属音が響く。
「おにーさんっ!」
朱霞に体を揺すぶられ、ハッとなる。
「朱霞さん……。俺、間違えた……」
「浮遊霊の勢いが弱まってる。おにーさんは間違ってないっ」
「なら陽葵はどこにっ!」
朱霞はニヤリと笑う。
「陽葵おねーさんと、最初に出会ったのはどこ?」
直樹の双眸が大きく開く。
周囲を見渡すと、浮遊霊の数は軽く百を超えていた。
「ここ、任せていいか?」
直樹は朱霞から背を向けて、扉を見据える。
「マウンテンデュー奢れよ?」
「ああ。ダースで奢ってやるよ」
それだけ言うと、直樹は扉に向かって、全力で走った。
アパートへと一心不乱に走る。空を覆っていた影は晴れ、もうすぐ陽が沈もうとしていた。
黄昏時。陽葵との別れが近づいている。
一秒でも早く、陽葵に会いたいっ。
除霊からの全力疾走で、体が重く、体温がどんどん上昇する。汗が止まらないので、直樹はコートを道端に脱ぎ捨てた。
陽葵。陽葵。陽葵。
最後にどうしても伝えたいんだ。
アパートに辿り着く。息も絶え絶えだが、力を振り絞り、階段を駆け上がる。
鍵を開けて、部屋の中へ入った。
部屋の中心には、白いノースリーブワンピース姿の陽葵がいた。
初めて会った時と同じ。いつもと同じ。別れた時と同じ陽葵がそこにいた。
その表情は哀しみに染まっていた。
「陽葵っ」
直樹は、靴を脱ぎ捨てると、駆け寄って、そのまま陽葵を抱きしめた。
「直樹……」
陽葵は直樹の腕から逃げようとする。
「離さないっ。陽葵が好きだっ!」
「だからだよ……。あたしたちは一緒にいるべきじゃないの。あたしを静かに成仏させてよ……」
「ふざけんなっ! 陽葵みたいに破天荒で陽気な幽霊が、静かに成仏しようなんて甘いんだよっ!」
陽葵の体がビクッと震える。
「陽葵は俺の人生を二回も変えてくれた。二回もだ。そりゃ、一回目は苦しかったさ。自分の無力さを呪いもした。生き方を後悔して死のうともした。でも、そんな時にもう一度、俺の前に現れてくれた。俺を救ってくれた」
「直樹は、あたしを恨んでないの……?」
「今だから言える。恨んでないっ! 俺の心は感謝の気持ちでいっぱいだっ」
「あたしも……」
陽葵の腕が、直樹の背中に回る。
「あたしも直樹に会えてよかったって思ってるっ。本気でっ!」
直樹は、陽葵を抱きしめる力を緩めると、その顔を見つめた。
「愛してる」
「あたしも」
淡いオレンジ色の光に照らされた陽葵の顔が、とても綺麗だと思った。
直樹は、陽葵の唇にそっと自分の唇を重ねる。
「陽葵と両想いになれるなんて、生きてて良かったーっ!」
陽葵は、直樹の言葉に思わず吹き出す。
「何それ。あ、ってかさっ! あれはないっ!」
急に陽葵が怒りだす。だが直樹に心当たりはなかった。
「あれって?」
「朱霞ちゃんたちの前で、ベビードール姿がエロかったとか叫んだでしょっ! 信じらんないっ!」
「あれは……、その……」
「悪いと思ってるなら。んっ」
そう言って、陽葵は瞳を閉じる。
直樹は苦笑いすると、もう一度口づけをした。
「えへへ」
照れ笑いする陽葵が愛おしくて、もう一度強く抱きしめる。
「俺、これからは、自分も他人も大事にしながら生きるよ。生きてたら、きっと楽しいことがあるって陽葵に教えてもらったから」
「あたしに教えてくれたのは、直樹だったんだよ?」
「そうだったな。俺の持論を、陽葵に証明し続けるよ」
「お願い」
オレンジの光が段々と弱まり、青色が部屋を染めていく。
「そろそろみたい」
「そっか」
「ねぇ。一個だけ約束して? あたしが消えても、泣かないで」
「わかった。約束するよ」
直樹が言葉を発した直後に、腕の中が空洞になった。
両腕で必死に陽葵の存在を探すが、どこにも感じられなかった。
「……。悪ぃ。一回だけ、約束破るわ」
真っ暗な部屋の中で、直樹は独り言を呟く。
右目からこぼれた涙が、頬を伝った。
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