第31話 四十九日目②

 直樹は千駄ヶ谷駅のコインロッカーの鍵を開錠する。

 中に入っているのは、布袋に入っている木刀。


「持ってきてよかった」


 陽葵に会いに行くかは決心がつかなかったが、会いに行かない決心もつかなかったので、念の為の用意だった。

 木刀を掴むと、改札を抜ける。ホームへと向かいながら、朱霞に電話をかける。

 コール音が続く。もしかして、もう除霊の最中なのか?

 焦燥が募る。頼むから出てくれっ。


「はいはーいっ。どしたの、おにーさん?」


 朱霞のおっとりした声。


「朱霞さんっ! 陽葵の除霊はっ?」

「これからビルに向かうところだよ」

「俺が行くまで待ってくれっ!」


 ホームに電車が止まる。


「頼むぞっ!」


 直樹はそれだけ伝えると、通話を切って、電車に乗り込んだ。

 ビルまでは、約三十分。電車に乗っているだけというのが、落ち着かず、気持ちばかり先走る。



 両国駅に着いてから、駆け足でビルへと向かう。

 ビルの正面玄関から入ろうとしたが、自動ドアが開かない。

 中は暗く、シャッターが閉まっている。


「そういや、日曜だったっ。オフィスビルだから閉まってんのかよっ」


 悪態をつきたくなるが、朱霞が今日除霊するということは、何かビルに入る手段があるはず。


「ビルの管理会社かっ!」


 直樹はビルをぐるりと周り、関係者用の出入り口を探すと、ちょうど反対側にドアを見つけた。

 ドアノブを回すが、ロックがかかっている。


「クソッ!」


 ドアを思い切り叩く。

 ドンッ! ドンッ! ドンッ!


「中に誰かいるんだろっ! 開けてくれっ!」


 ノックし続けると、ガチャという音がして、扉が開いた。


「約束の時間より早いじゃないか」

「あんたは……」


 中から出てきたのは、亀戸の高級マンションに住んでいた社長だった。

 社長は、扉から直樹の後ろを見やり、首を傾げる。


「あの嬢ちゃんは一緒じゃないのか?」

「あんた、ここの関係者だったのか」

「ワシは、このビルの管理会社の社長だよ。部外者を中に入れるなんて、バレたらやばいから、社員とシフトを替わったんだ」

「朱霞さんは後から来るっ。先に俺だけ、屋上へ行かせてくれっ!」

「お前さんは、アシスタントじゃないのか?」


 直樹は、布袋に包まれた木刀を見せる。


「除霊の道具なら持ってきてある」

「わかった。案内してやる」


 直樹は社長に続いて、業務用エレベーターで屋上へと向かう。一気に二十七階まで上がるものだから、気圧の変化で耳が痛くなった。


「こっから先は一人で大丈夫だ。ありがとう」


 直樹は社長に礼を告げると、屋上へと出た。

 冷たい風が突風のように強く吹き抜けていた。

 思わず、体が震える。だが、それは風のせいではなかった。

 眼前の怨念体から漏れ出る邪気に当てられたのだ。

 廃トンネルにいた怨念体よりも大きい。五メートルはあるんじゃなかろうか。


「あれが陽葵だっていうのかよ……」


 怨念体はアメーバのように、グニョグニョと波打っていた。

 直樹は布袋から木刀を取り出して、両手でしっかりと握る。体温が一度上がったかのように、温かくなる。


「これならいけるっ」


 直樹は、一歩ずつ怨念体へと近づく。

 だが。

 怨念体に近づくほどに、邪気の重力に押し潰されそうになる。

 これが陽葵の生前の苦しみ。そして死後に膨らんだ念の重さ。

 自分にその責任の一旦があると思うと、心が揺らぐ。そして、揺らいだ隙間を狙うように、ネガティブな感情が体内を染め上げてくる。


「グッ!」


 ポジティブなことを思い浮かべろっ! 

 直樹は、陽葵と過ごした日々を思い出す。


「陽葵っ! そこにいるんだろっ?」


 あと三メートルまで近づいたところで、足が止まる。これ以上、前へ進むことを本能が拒否する。


「あの時と同じか。だけどっ」


 直樹は、陽葵への想いを胸に、力を振り絞って足を前へ出した。

 次の瞬間、脳内に声とイメージが流れ込む。

 目の前に、ゴリラみたいな教師が立っている。ニヤニヤと笑うその顔が、ひどく不快な気分にさせられる。


「クラスの輪に入れない花澤の方にも、責任はあると思うぞ? 母子家庭なんて気にするな。普通に仲良くすれば、みんなも花澤のことを受け入れてくれるさ」


 その言葉は紙のように軽く、自分の都合しか考えていない気がした。

 続いて、下駄箱の前に立っていた。

 上履きを取り出そうとしたら、生ゴミが下駄箱から落ちてくる。

 すえた匂いがして、胃液が喉元まで込み上げる。


 次は、リビングらしき部屋にいた。

 陽葵に似た女性が、目の前に座っている。

 口の中にすき焼きの味が広がった。


「今日は陽葵の誕生日だからね。好物作ったよ」


 女性は酷く疲れているのか、目元には深いクマが刻まれていた。

 視界が手元のどんぶりに移行する。玉ねぎと白滝が多く、牛肉は少ししか入っていない。


「ごめんね。牛肉もっと欲しかったよね」


 大きく、視界が左右に触れる。


 場面が変わる。

 体に冷たい雨が染み込む。

 両手で、骨壷を抱いていた。


「まだ四十だっていうのにねぇ」

「娘を大学に行かせるって、無理しすぎたみたいよ」

「その結果が、高校の卒業式も見れないなんて可哀想ね」


 周りで喪服を着た人たちが囁き合う。

 骨壷を強く抱きしめる。

 胸に大きな穴が空いていた。哀しみも苦しみも、すべてその穴からこぼれ落ちていく。


 ああ。なんて辛いんだ。こんなにも追い詰められていたのか。俺も陽葵と同じ選択をしたかもしれない。

 だけど。それでも。


「陽葵っ。お前に出会えて良かったって、心の底から思えてる人間がここにいるんだっ!」


 直樹は、大きく踏み出す。木刀に陽葵とウィズニーランドと行った時の思い出を込め、木刀を振り下ろした。

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