第29話 四十八日目②
陽葵の答えに、直樹は雷で撃たれたかのような衝撃を受ける。
「陽葵は、俺が殺した、のか……?」
自分で口にして、心臓が止まりそうになる。喉が詰まり、呼吸が出来ない。全身が粟だって、寒気に襲われる。
陽葵は、ハッとして、直樹に訴えかける。
「違うのっ! あの時、あたしは生きようとしたのっ!」
「どういう……」
「確かに死ぬつもりだった。直樹が来るのがあと少し遅かったら、間違いなく飛び降りてた。だけど、直樹に話しかけられて、必死に説得されて。あなたから『生きてれば、きっと楽しいことがある』って言われて、もう一回だけ頑張ってみよう。そう思ったのっ!」
「じゃあ、どうしてっ」
「もう一度だけ生きよう。そう思ったら、あの場所が急に怖くなって、バランスを崩して……。事故だったのっ」
その言葉で、陽葵の未練に思い至る。
「陽葵が成仏できなかったのは、もう一度生きたかったから……」
陽葵が静かに、コクリと頷く。
「俺のせいだ……」
「直樹?」
「陽葵を十年間もこの部屋に縛り続けたのは、俺の無責任な言葉のせいじゃないかっ」
「っ……」
「生前の記憶も失くして、何のために存在してるのかもわからなくて。世界でひとりぼっちにさせたのは……」
――死者がこの世に留まることは、魂の呪縛なの。
「陽葵を呪って、この世に縛りつけたのは、俺だ」
脳が酸欠を起こして、めまいがする。
「あたしだって、直樹に許されないことをしたよっ!」
陽葵が痛々しげに叫ぶ。
「あたしが死んだせいで、直樹を傷つけた。あたしのせいで、直樹は誰かを傷つけるのが怖くなって。マッチングアプリの女に騙されたのも、死のうとしたのも、全部あたしのせい。あたしが直樹の人生を壊しちゃったんだよ……」
陽葵の声には嗚咽が混じり、その言葉には、自分自身をナイフで切り刻んでいるような鋭さがあった。
「……どうして、俺たち出会っちまったんだ? 十年前も、今も、俺たちが出会わなければ……」
あの時の後悔も、この恋心も、そして、こんな痛みも抱えずにいられたのに。
「もう嫌だっ! これ以上、直樹を傷つけたくないっ! 直樹を苦しめたくないっ!」
陽葵は両手で頭を抱え込むと、身体を屈めて慟哭した。
次の瞬間、直樹の目の前から、陽葵が消失した。
「っ?」
直樹は、部屋の電気をつけて陽葵を探す。
キッチン、ユニットバス、クローゼット。
どこにも陽葵はいない。
「陽葵っ? ここかっ?」
ぬいぐるみのミーナに話しかけても、反応はない。
「陽葵?」
陽葵は地縛霊のはず。この部屋から出られるわけがない。
「なのになんで居ないんだよっ!」
床下からドンッという音が鳴る。階下の住人の怒りを買ったらしい。
「クソッ」
直樹は、苛立たしげに床に座ると、朱霞に電話をかける。
「失恋の愚痴に付き合うつもりはないよ」
「ちがっ。違わなくもないけど、違うんだよっ。陽葵がいなくなったんだっ」
直樹は、先ほどまでの陽葵とのやり取りを伝えた。
「だから、おにーさんには陽葵おねーさんが見えたんだね。陽葵おねーさんが死んだ時に縁が繋がったんだ」
「そんなことより」
「わかってる。陽葵おねーさんは十中八九、分裂体のとこだよ」
「それって、陽葵が死んだ場所か?」
「うん。両国リバーサイドビルだっけ。そこだよ」
「じゃあ、そこに行けばっ」
「ストーップッ!」
朱霞に強い口調で止められる。
「行ってどうするの?」
「それは……」
「陽葵おねーさんが、怨念化してる分裂体のところへ行ったってことは、自我も失くしたネガティブの塊になったってことだよ。そんな陽葵おねーさんに会ってどうするの?」
「でもっ」
「はっきり言うね。陽葵おねーさんは、真実を知って、心が耐えられなくなったんだよ。おにーさんの傍にいられないと悟ったから消えたの。そんな陽葵おねーさんに、ウチたち生きてる人間が出来ることは一つだけ。わかるよね?」
「……除霊」
「そう。魂の呪縛を解放して、あの世に旅立たせてあげることだけだよ」
何か言わなければ。でも何を? 朱霞の言葉は全面的に正しい。陽葵が廃トンネルで見たような怨念と化したなら、もう対話することも出来ない。除霊することが唯一の選択。
「陽葵を、頼む……」
「ウチに任せといて」
そして通話は切れた。
直樹はコートも脱がずに、床に倒れ込む。
「クソ……」
口から漏れた言葉は、風が吹けば消えそうなほど、弱々しかった。
夢を見た。
中学生じゃなく、二十五の俺が、ビルの屋上に立っていた。柵の方に目をやると、陽葵が今にも飛び降りようとしている。
「陽葵っ! 死ぬなっ!」
俺は、陽葵に駆け寄る。柵の隙間から手を伸ばし、陽葵の体を強く抱きしめる。
「俺はお前に死んで欲しくないっ」
だが、陽葵が発した言葉は、氷のように冷たかった。
「嘘だよ。直樹は、あたしに出会ったことを後悔してる」
その言葉に、身体が反射的にビクリと跳ねる。
「ほらね」
陽葵の表情は沈んでいて、その心は虚数の海の中にあるようだった。
陽葵は闇に堕ちた瞳で、俺を見る。
「あたしは、直樹に出会ったことを恨んでるよ」
「ひま、り……」
まるで喉を握りつぶされてるように苦しい。肺から酸素が消えていく。
「さよなら」
抱きしめていたはずの両手が、いつの間にか、だらりと下がっている。
陽葵は目の前で、二十七階の屋上から飛び降りた。
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